第25話 目覚めたらダンジョン

「この方法しか無いんだよ、リヒト」


 勇者にそう言われたときのことを、リヒトはよく覚えている。

 透き通る声も、潮風に揺れる黄金色の長髪も、海より深い蒼の瞳も。


 すべて鮮明に思い出せる。


「先代魔王はどうやったって殺せない。封印するしかない。僕ひとりの犠牲でそれができるなら、安いものだと思わない?」


 やわらかく笑う勇者の言葉を、リヒトは否定する。


「……俺はそうは思わない。まず成功の保証が無い。それに、ここでアンタが死ねば士気は大きく低下する。仮に成功して先代を封印できても、まだ当代が残っている。魔王アニマが残ってる」


「君ひとりでなんとかなるでしょ。彼女は理由なく人を殺すタイプじゃないし、何より君を気に入ってるようだし。案外良い結果になるんじゃないかな」


「どんなときでも冗談を言うのはアンタの悪い癖だ」


「希望的観測を嫌うのは君の悪い癖だよ」


 勇者が振り向いてリヒトを見つめる。子どものように大きな瞳。しばしリヒトを眺め、やがて観念したように閉じた。


「わかったよ、リヒト。君の望む通りにする。別の方法を考えよう。……まったく、素直に『寂しいから行かないで』とか言えばいいのにさぁ」


「いや、そんなことは──!」


 違和感。

 既視感と未視感。

 この会話の流れは、こうではなかったはずだ。


「……そうか。これは夢か。本当は、俺はアンタを引き止められなかった。俺は強く引き止めるのがヘタクソだったし、アンタは何が何でも行こうとしていた。改めて思うが、度を超えた英雄願望だな」


「ただのフツーのお人好しだよ。たまたまそれを成し遂げる力があっただけさ」


 肩をすくめる勇者の姿が、光に包まれていく。否、勇者だけでなく、視界が光で満たされていく。


 目覚めのときが近いのだ。


「じゃあね、リヒト。せっかくの転生なんだ、今回こそは楽しくやりなよ」


 返事をする間もなく、リヒトは目を覚ました。





 リヒトの眼前、数メートル上方には剥き出しの岩肌があった。体を少し起こし、辺りを軽く見回す。


 ここは既にダンジョンの中。リヒトは柔らかな苔の上に寝かされていた。


 リヒトは寝転がる。そして岩肌を見上げ、言った。


「知らない天井だ」


「やっぱ言いたくなるよね、それ」


 かたわらの凪が応えた。


柳楽やぎらさん、俺どのくらい寝てました?」


「8時間48分。ちなみに各種バイタルは異状なし。今の君はビックリするほど健康体だよ。……待って、今レア一人称を聞いた気がする!」


 興味津々の凪に、リヒトは苦笑した。


「昔は『俺』って言ってたんです。行儀が悪いんで『僕』に矯正したんですが、気を抜くとポロッと出ちゃいますね。恥ずかしいんでオフレコにしといてください」


「信じられんほど萌えだねチミは……今さらだけどチェキ撮っていい?」


「いいすよ」


「ならぬ!」


 凪からリヒトをかばうように、突如アニマが現われた。


「おお、おはよう。世話かけたね、アニマ」


「良い。従者として当然のことをしたまでじゃ。しかし、チェキはならぬぞ。ぽっと出の小娘がわらわに先んじようなどと言語道断。主様が妾とのチェキを10枚撮ってからなら考えてやっても良いがな」


「僕はそれでかまわないけど……」


「あたしとしては願ったり叶ったりだよ!! ポーズ依頼していい!!?」


「か、かまわぬが……」


 アニマはまた凪に押されていた。


「そう言や、エレナが見当たりませんね」


「ああ、修行中だよ」


「修行?」


 問い返すリヒト。凪は、どう説明したものかと首をひねる。


「魔物を探しては駆除してを繰り返してる。あの子ムシャクシャするとすぐそれやるんだよね」


「エレナもたいがい変わってますね……」


「それはそう。ただあたしとしては、今回ばかりはちょっと共感しちゃうかな。ハスラウにビビった自分が許せなくて、居ても立ってもいられないんでしょ」


 あたしだってそうだよ、と凪は笑った。力なく、虚しさの漂う笑い方だった。

 凪もエレナも、探索者としての義務感を強く抱いている。魔物に膝を屈するのは命を失うその瞬間のみと決めている。

 だと言うのに、ハスラウの幻影を前にして何も出来なかった。敗北を悟り、ただただへたり込むだけだった。


 情けなさに涙が出てくる。擦れ枯らした凪はともかく、エレナは目を潤ませていた。魔物狩りにひた走るのも仕方ないだろう。


 リヒトは静かに瞑目した。


「……理解しました。とは言え、オーバーワークは見過ごせませんね。怪我や体調不良があっては僕も困る」


 目を開けたリヒトが、顔の向きを変える。エレナが居る方を向いていた。


「……なんでわかんの?」


「【変身】による身体強化は知覚面にも及びますから」


 平然と言うリヒトに、凪はおののく。どの感覚でエレナを感知しているかはわからないが、知覚範囲が尋常じゃなく広い。これでは内緒話もできない。


 戦慄をおくびにも出さず、凪は話を続ける。


「ならわかると思うけど、結構距離あるよ。君の足で急いでも5分は──」


「じゃ、行ってきます」


「ちょっ──!」


 駆け出すリヒトの向かう先は、何も無い壁。


(熱の影響でまだ混乱してんのかな)


 凪はそう解釈した。


 しかし、誤解だった。

 初速から超高速のリヒトは瞬く間に壁へ到達し、簡単に貫通した。轟音とともに通路へ飛び出し、またもや壁を貫き、エレナまで一直線に走っていく。


「ははは……マァ〜〜ジで規格外だな!」


 凪の声に、


「ふん、当然じゃ!」


 アニマが満足げに応じた。




 一方、エレナは困惑していた。目の前に集うオーガの群れに、ではない。繰り返し轟く音に、畏怖を感じていた。


 このダンジョンは既に最終階層まで調査済みである。エレナが遅れを取るような高ランクの魔物はいない。しかし、超高速で近づいてくるこの気配は何なのか?


 エレナは気を引き締め直しつつ、音の方向へ構える。オーガたちもまた、各々の武器を握り直した。


 通路の壁が砕け、エレナとオーガたちの間に土煙が巻き起こる。その靄の中から何者かが現れた。


「リヒト!」


 エレナが声を上げる。


「おはよう」


 振り向いたリヒトが呑気に挨拶する。


 オーガたちは標的をリヒトに切り替え、武器を振り上げ踏み込んだ。


 その瞬間。


 リヒトがオーガたちへ向き直った。

 オーガ達の動きが停止する。石化か凍結か、あるいは時間が止まってしまったかのような、奇妙なほどに完全な停止だった。


 やがてオーガたちは互いの視線をうかがい、じりじりと後退る。リヒトとの間に一定の距離が開くと、一目散に逃げ出した。


「……なにをしたの?」


「あれ、わかんなかった?」


 振り返ったリヒトはいつも通りだった。

 【変身】や【電脳】でオーガたちを脅したわけではないらしい、とエレナは判断した。


「強さをアピールしただけだよ。重心とか視線とか呼吸とか、そういうちょっとした諸々で威嚇したんだ。幸いオーガは知能が高いから、うまく伝わったみたいだね」


「そんなので威嚇なんてできるの?」


「できたじゃん、今」


 リヒトは薄く笑い、人差し指を立てた。


「君の弱点その①。魔力探知に頼りすぎ。賢い魔物は魔力の漏出を抑えるものだよ。特に魔人はね。フラルゴくんは垂れ流しだったけど、それは彼が赤ちゃん魔人だっただけだ」


 自らの不足を指摘されたエレナが、ほんの少しだけうつむいた。リヒトはそれを目敏く見つめ、そして言った。


「ゆうべ仲間になってもらったときに言ってたことを今からやろう。このダンジョンで君を鍛え上げるよ」












 

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