第24話 冷静と狂気のあいだ

 探索者協会本部の最上階は、フロア全域が会長のための執務エリアであり、ひとつの大広間として構成されている。

 通常、その中央には会長が座す巨大なデスクが置かれるのみである。しかし今はデスクの代わりに長机が置かれ、並べられた議席には各部署代表として部長たちが座している。


 長机の端、背もたれの高い椅子には、会長たる天花寺てんげいじつかさが腰掛けていた。


「案に違わず、と言ったところね」

 

 逆光を背に言い放つ司の表情は、誰の目からもうかがえない。彼女は目隠しに覆われた瞳で全てを見通していたかのように、淡々と会議を進めていく。


数合すごう理人りひとが発案した賞金サイト作戦の結果、反社会的勢力の抗争は激化しています。既に数多くの組織が疲弊・弱体化しており、もう数時間もすれば滅びゆく組織も出てくるでしょう。加えて、協会へのサイバー攻撃の犯人と、その大まかな位置情報も特定できました。……魔人の一味という事実には、少々驚きましたが。ともかく、この重大事であれば日本政府も協調を切り出してくるでしょう。作戦は大成功です」


 司は微笑んだが、部長たちの表情は硬い。皆、会長の独断専行に少なからぬ不満感を抱いている。全員が司の手腕に信頼を置いているが、同時に全員が、今回ばかりは限度を超えた横暴だと感じていた。


 中でも、司の血縁者であり総務部長でもある天花寺てんげいじいおりは、渋面を隠さずに腕を組んでいた。彼は何度も司に対して抗議したが、ついぞ聞き入れられなかったのだ。


「会長。いくらなんでも本件は、軽挙とのそしりを免れないかと。数合の特別探索者資格は飽くまでも未だ授与『内定』です。制度上は無関係者である彼に対して25億円の私的貸付は……部下への仁義を、欠いています」


 庵の表情は険しく、舌鋒もまた鋭い。しかし司は相変わらずのポーカーフェイスだった。


「結果を踏まえて物を言いなさい、庵。数合理人は僅か半日足らずで、凄まじいまでの功績を積み上げています。エレナを死の運命からすくい上げ、魔人フラルゴを討ち倒し、全国の反社会勢力を共喰いへ追い込み、魔人ハスラウに大打撃を与え、魔人の徒党の存在と拠点の位置を割り出し、さらに、日本政府が探索者協会の助力を求めるよう仕向けた。期待を遥かに上回る働きです」


 庵は口を開けたが、言葉が出ない。代わりに、彼の隣に座っていた保安部長が静かに話を継ぐ。


「確かに、数合理人の実力については認めざるを得ません。我々が何年かけても出来なかったことを、ごく短時間でやってのけた。……しかし、だからこそ、奴は非常に危険です。知力も戦力も人外じみている。それに、これは私見ですが──」


 保安部長は一瞬だけ表れた躊躇いの表情を、平時通りの仏頂面で覆い隠した。


「彼は死を恐れていないように見えます」


 保安部長の指摘に、司は微笑を浮かべ、たおやかに応じた。


「その危険性も含めて、彼を手元に置く必要があるのです。魔術とは現実を歪める術。魔術とはおしなべて狂気であり、魔術士はすべからく狂人であるべきです。狂人たちに迷宮探索という目的を与え、手綱を握るのが我々の務めです。それが利になるなら歓迎しましょう。害になるならば、その前に手を打ちましょう」


 つつしみの欠片も無い司の発言に、庵は奥歯を噛みしめる。しかし、抗弁はしなかった。

 司の発言は人として間違っているが、術士としては完全に正しい。探索者協会は、ダンジョンという狂気の世界を征服するための、狂人たちの砦だ。


 数合理人という逸脱者もまた、大いなる狂気の代弁者に過ぎない。他よりも一際声高なだけだ、とさえ言えるかもしれない。


 自分の孫でもおかしくない少年がなってしまっている事に、庵はより強く歯噛みした。


 司は庵の様子を知ってなお、留まることなく言葉を続ける。


「では、次の段階に進みましょう。近く訪れるであろう、日本政府と探索者協会の合同作戦について──」





 会議はつつがなく終了し、部長各位は退席し、執務フロアには庵が残るのみとなった。


「お疲れ様、庵。紅茶にしましょう。シロルの特級茶葉があるのよ」


 司の声色は、会議中よりも幾らか優しい。それもそのはずだ。司は今、上長としてではなく、年長の血縁者として庵に語りかけていた。


「いえ、結構です」


 言ってから、不躾な物言いだったな、と庵は自省した。


「あら、嫌われたものね」


 司は本気にしたのか否か、いつも通り自分の手で、ひとり分の紅茶を淹れた。その所作には無駄がなく、彼女の心に塵ほどの動揺も無いことを物語っていた。


「……会長」


「なにかしら?」


「貴方にはどこまで見えていたのですか?」


 司がしばし手を止める。その肩がにわかに震えだす。失言の予感に冷や汗をかく庵の前で、司は忍び笑いを漏らした。


「嫌だわ貴男、それを心配していたの? ふふ、まあ、なんというか……私も侮られたものね。目上の者まで甘やかそうとする悪癖は半世紀経っても治らなかったわね、イオリ少年」


 司が心から笑っていることに、庵はいくらか安堵した。と同時に、子どもの頃の呼び方でからかわれていることに羞恥を感じたが、元はといえば自分が悪い、と思い直した。


「心配無用よ。このぐらいのことは目を使わずともわかるわ。……それに、今回は素晴らしい収穫があったわ」


 司の微笑みが、先程までとは別の色を帯びていく。


「数合理人の弱点について、情報を得られた。彼は脳までは治せない。膨大な情報量を一度に叩き込めば彼は動けなくなる。絶命させることは難しくとも、一時的な無力化は可能でしょうね。だから、もしもの事があっても心配いらないわよ。これまで気苦労をかけたわね」


 ねぎらいの言葉とともに、司が紅茶を差し出した。気付かぬ内に、庵の分まで淹れていたのだ。


 無言で一礼し、受け取る。液面に映る自分の渋面を眺め、庵は改めて司に畏怖した。


 これだ。ずっとこれが恐ろしかった。

 優れた頭脳。不老という特性。スキルによる度を超えた先見性。


 それらは彼女の本質的な異常性ではない。


 彼女の異常性は、恐れを知らないことだ。リスクを正確に評価し、病的なほどに綿密な対策を練りながら、脅威に対する恐怖心を抱かない。……あるいは、抱けない。どこか当事者意識に欠けた冷静さこそが、彼女の異常性だった。


 そしてそれは奇しくも、数合理人と酷似していた。


 いつか衝突するのか。あるいは、同調するのか。

 どちらにしろ恐ろしい事になる。やがて来る未来について、庵は寒気をこらえきれなかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る