第13話 エレナ邸、入浴。

 エレナ邸のリビングルームは吹き抜けになっていて、とにかく広く、豪奢だった。

 モダンシャンデリア、ガラステーブル、ライトグレーのレザーソファ、同色のカシミヤ絨毯、100インチ超えの超大型テレビ、ものものしい音響機器。


 良く言えばモデルルームのようで洒落ているが、生活感は無い。少女ひとりが暮らすには、どう考えても持て余しそうに見えた。


 それとなくうながされ、リヒトとソファに深く腰掛ける。アニマはカッコいい内装に興味津々のようで、室内をせわしなく飛び回っていた。


「……示しをつける必要があるのよ」


 冷蔵庫の中を物色しながら、エレナが問わず語りを始めた。


「私は仮にも準A級の探索者だから。『こんなに良い暮らしが出来る』って、示す必要があるの。多くの人のインセンティブに成りうるのは、そういう豊かさへの志向だと思うから」


 小瓶入りのシトラススムージーを取り出し、エレナは引き出しを閉めた。


「ダメね。飲み物と調味料くらいしか無いわ。レーションの余りなら残っているのだけれど、食べるかしら?」


「いただきます」


 手渡されたレーションの外観は、象牙色の直方体。匂いは無い。かじりつく。羊羹とパウンドケーキの間の子みたいな食感。まったりした濃厚な甘み。後味は意外にすっきりしている。


 かなり美味い。


 表情に出ていたのか、リヒトを見るエレナの眼差しが少し柔らかくなっていた。


「空腹なら出前を取るけれど、どうする?」


「僕はこれだけで大丈夫かな」


わらわは食事を必要としない」


「あら、そう」


 エレナは小瓶の飲み口に唇をつけ、静かに中身を飲み干した。


「じゃあ、先にお風呂へどうぞ」


「僕はいいよ」


「あなたねぇ……」


「いや、そうじゃなくてさ!」


 リヒトは慌てて手を振り否定した。


「【変身】の応用でね。さっき靴を消したみたいに、汗や皮脂も消せるんだよ。僕はいつだって清潔だから問題ない。お風呂は君がどうぞ」


「そういうことを言ってるんじゃないのよ。というか、客人をおいて一番風呂には入れないわ。……まあ、あなたとはこれから一緒に暮らすわけだから、客人として扱うべきではないのかもしれないけれど。何より──」


 お風呂は気持ちいいから入るのよ。


 エレナのその言葉に、リヒトは反駁はんばくできなかった。



「これ要るかぁ?」


 風呂、というより大浴場。泳げるほどの広大さだった。静謐せいひつだが、かすかに聞こえる柔らかな水音から察するに、どうやら循環浄化装置が作動しているようだ。

 壁面にアロマミストのスイッチがあったが、リヒトは清浄な湯のすがすがしい匂いだけで充分だと思った。


『男の裸にも需要はあるじゃろ。多様性の時代じゃ』


 脳内に響いたアニマの声に、リヒトは苦笑する。


『そういう意味じゃないよ。こんなに広いスペース必要か? って意味』


『まあ、いくらアピールとは言え、ひとりでは持て余すじゃろな。友達とか彼氏とかいないんじゃろか』


『いなそうだよね。人から求められることはあっても、人を求めることは無さそう。仕事最優先で暮らしてそうだし』


『年若いのに立派なことじゃのう』


『そうだね。そうなのかな? 僕はちょっと……心配になるよ』


 リヒトは遠くを見るような目つきで、壁に視線を向けた。

 大浴場は全天周ドームシアターになっており、リヒトを取り巻く巨大なスクリーンは、どこか知らない街の夜景を映していた。眠らない街の輝きは、真っ黒なキャンバスに極彩色のインクを点々と滲ませたようで、現代的なはずなのに、なぜだかどこか懐かしい。


 あるいはエレナは、その輝きの中にいられたのかもしれない。普通よりも多少裕福ではあるだろうが、月並みな幸せを家族と一緒に享受することができたのかもしれない。


 ダンジョンの出現さえ無ければ、探索者として生きるだなんて夢にも思わないような、箱入り娘でいられたのかもしれない。


 ……過ぎたことに『もしも』がありえない以上、いくら考えても詮無い事だが。

 けれどそう思うと、少しだけ肌寒くなるような、そんな居心地の悪い感覚があった。


『なーんか、感傷的センチになってきちゃったな。色々あって変なテンションになってるのかも』


「そうか? それこそ人間性というものじゃろう」


 脳内ではなく、すぐそばで聞こえた肉声に、リヒトはぎゅっと目を閉じる。と同時に【変身】を発動、スーツタイプの水着を装着した。


「……顕現してるな?」


「いかにも」


「……ちゃんと水着か?」


「もちろん」


「スリングショット、みたいなオチはナシだぞ」


「その発想自体が倫理的にナシじゃろ……」


 恐る恐る目を開け、声の方を向いたリヒトの目に映ったのは、カラフルな女児水着をまとったアニマの姿だった。


「おぉ……いいじゃん、似合ってるよ。正直、スク水オチだと思ってたよ」


「お褒めに預かり恐悦至極。ま、読めるオチはつまらんからの。それをやるくらいならウケを狙わぬ正道が良い。と・こ・ろ・で……エレナの出身地たるドイツでは、混浴が一般的なんじゃと」


 目を細め挑発的に笑むアニマを尻目に、リヒトはため息をついた。


「だったら何だよ……そもそも彼女は5歳頃からイギリス暮らしで、14歳のときに日本へ越してきたそうだから、そういうのに抵抗あると思うよ」


「ほう。wikiでも見たのかえ?」


「そうだよ。──なんだその表情は。同居人について調べるのは普通だろ」


「それはまあ、そうじゃろうな。しかし、良き女ぞな、エレナは。器量よし、肉量よし、人徳よし、育ちよし、稼ぎよし。おまけに若い。つがいには至適と言えよう」


「肉量ってなんだ肉量って。君は何かとセンシティブな話を振ってくるね」


「だぁって、おもしろいんじゃもん」


 からからと笑うアニマは、見た目相応の童女に見えた。二本の角と鋭利なギザ歯に目を瞑れば、の話だが。


「魔物は生殖機能を持たない。妾たちにとって性愛は、永久とこしえに得られぬ幻の享楽じゃ」


「ロマンチックに言いやがって。珍獣の突飛な生態、ぐらいのもんだろ」


「そんなことないぞよ〜!」


 アニマはまた声を上げて笑った。あどけないその様子を見ていると、リヒトの表情筋もついつい緩む。

 入浴しているせいでもあるのだろう。ゆっくり湯に浸かっていると、疲労が溶け出していくような、湯と体の境目が曖昧化していくような、独特の心地よさがあった。


 久しぶりに入ったが、やっぱり風呂は良い。リヒトはエレナに感謝していた。


「……主様よ」


「どしたの?」


「今、幸せかえ?」


 アニマの問いに、リヒトは遠くを見つめるような目つきになった。いつの間にかスクリーンの映像は切り替わっていて、夜景ではなく青空を映していた。


「うん。そう思うよ」


 その言葉に、嘘は無かった。






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