幕間 数合理人事案に関する緊急対策会議

 リヒトがエレナ邸に足を踏み入れた、まさに其折そのおり。時刻にして、3月21日の午前0時6分。


 内閣総理大臣官邸の地下1階、危機管理センターにて。


 中央省庁の長が一堂に会していた。


「老体には堪えるな。こんな時間帯の集まりは」


 首相の安岸あぎし藤吉とうきちが軽い冗談を飛ばす。


「なぁに、若者の後始末は年長者の義務でしょ」


 現閣僚最年長である片岡かたおか財務大臣がすかさず調子を合わせ、皺だらけの顔で笑った。


 しかし、室内の空気は未だ重苦しい。この危機管理センターの内壁には、急遽用意された電磁波遮断シートが隈なく張り巡らされている。リヒトの【電脳】によるハッキングを恐れての対策だ。

 今、彼らが議題に上げるべき存在、数合すごう理人りひとは、規模も性質も危険性も、一般的な魔術士とは次元の違う存在である。


「さて、皆さん」


 重圧を物ともせず、ひとりの男が声を上げた。迷宮対策担当大臣を務める浅葱あさぎ航平こうへいである。34歳の若さで入閣した彼は、物怖じしない性分だった。


「数合理人のスキルに関しては既にご存知かと思いますが、簡単に確認・補足させていただきます」


 浅葱大臣が立ち上がり、プロジェクターの電源を入れた。映し出されたのは、ネットで急速に拡散しているリヒトの映像だ。サファイアドラゴンを打ち砕く姿、魔人フラルゴと戦い打ち勝つ姿、その様が映し出される。


「数合のスキルは【変身】。肉体および服装を改変するスキルです。映像において、他者の外見の模倣、魔人をも圧倒する驚異的身体能力、そして完全かつ瞬間的な治癒が確認できます」


 浅葱大臣の説明と並行して、各員の手元に紙の資料が配布される。


「そして【変身】に加えて、【電脳】というスキルをも有しています。本人は『同伴している魔人から譲渡された』という主旨を口述しておりましたが、詳細は不明です。【電脳】は機器を介さず身ひとつで電子情報を操作するスキルで、迷宮の内部から複数のネット銀行で口座を開設、同時にDtubeのストレージサーバとストリーミングサーバに干渉して、アカウント登録および動画投稿、さらにライブ配信を行ったことが確認されています」


「運営は何してたんだ? 口座の一時凍結とかBANとかできたろうに」


「試みはしたそうです。が、失敗しました。システムが応答せず、反映されなかったとのことです。この事実から推測するに、単なる電磁波の操作とは異なる原理のスキルかもしれません」


「となると、この内装も税金の無駄に過ぎんかもなぁ」


 片岡財務大臣の皮肉じみたボヤきが、周囲の無言を際立てた。


「ま、今それを考えても始まらんでしょう」


 言って、安岸首相は紙資料の写真を眺める。数合理人の風体は、どこにでもいるごく普通の少年に見えた。


「それにしても、こいつ今までどこに隠れていたんだ?」


「不明です」


 即答したのは北澤きたざわ内閣情報官である。彼が目配せをすると、鈴原すずはら法務大臣が話を継いだ。


「数合理人という名前と映像中の顔を元に戸籍情報を照会しましたが、該当する人物は見つかりませんでした」


「外国人という線は?」


「出入国在留管理庁のデータベースでも、当該人物

は確認されておりません」


 鈴原法務大臣の言葉を聞き、小野瀬おのせ官房長官が唸った。


「となると密入国か、はたまた探索者協会が極秘裏に育成していたと見るべきか……」


 独語めいた呟きを、


「それはありえません」


 北澤内閣情報官がはっきりと否定した。


「あれほどの実力者を抱えていれば、必ずどこかで情報が漏洩するはずです。我が国のいかなる監視網をもすり抜けての入国・育成は考えられません」


「警察庁としても同様の見解です。全国の防犯カメラ映像をAIシステムで照会しましたが、該当者は確認されませんでした。また、公安の有する情報の中にも、数合理人に関連しそうなものは見つかっておりません」


 長官の金木かねきいわおの報告に、小野瀬官房長官は嘆息した。


「まあ、【変身】があれば好きに外見を変えられるしなぁ。……顔のない男だな、まさしく」


「千の顔を持つ男、のほうがしっくり来るかな。それはともかく──」


 安岸首相は眉根を寄せ、腕を組む。


「じゃあこいつ、いつどうやってダンジョンへ侵入したんだ?」


 その問いに答えられる者はいない。しかし、全員が同じ答えを思い浮かべていた。


「ダンジョン=ゲートウェイ説、か……」


 その答えを口にした湯宮ゆのみや科学技術大臣を、


「まさか!」


 榮倉えいくら総務大臣が否定した。


「アレはコンビニ本のトンデモ話ですよ! ダンジョンの向こう側の世界、なんてものはありえません!」


 迷宮ダンジョン玄関ゲートウェイ説。ダンジョンは異世界に通じる出入り口だとする珍説。支持するに足るエビデンスは、目下のところ皆無である。


「とは言え、数合理人は『異世界から来た』と自ら述べています。考慮に入れておくべきでしょう」


「浅葱くん! 彼の主張は信用に値しませんよ!」


「ま、そのへんは『わからない』が現時点での結論だわな。ダンジョンが何なのかはわからんし、なぜダンジョンに数合理人が現われたのかもわからんし、数合理人の素性もわからん。それでも我々は対応せにゃならん」


 安岸首相が強引に話を総括し、次の議題に移る。


「ここからは実務の話をしましょう。石竹いしたけさん、数合理人を無力化するには、どれほどの人員が要る?」


 名指しで問われた石竹いしたけ義一ぎいち防衛大臣は、切れ長の目をさらに鋭く細めた。


「お言葉ですが、それを見積もるには前提条件が不足しております」


「非術士のみでの編成とする。武装も通常兵器に限る。そして、あらゆる超法規的措置を認めるものと仮定しよう。数合理人が奥の手を隠している可能性、同伴の魔人の動向、探索者協会との軋轢、国民および国際社会からの非難、その他諸々は度外視して良い。数合理人という個人を拘束、もしくは……とにかく、意思能力を喪失させることを最優先目標とする。どうだ?」


「その条件下で万全を期すのなら、一個旅団の投入が必要と考えます」


 石竹防衛大臣は淡々と答えた。張り詰めた静寂が室内に広がる。リヒトひとりに対して、数千人規模の部隊を動員しなければならない。厳しい現実が浮き彫りになった。


「なるほど、やはり通常戦力では到底太刀打ちできんか……」


 安岸首相はしばし黙り込んだ後、次の問いを発した。


「仮に彼を合法的に引っ捕らえるとして、どの法令を適用できる?」


 項垂うなだれていた鈴原法務大臣がわずかに顔を上げた。


「現行の魔術士特別法やダンジョン対策法に照らせば、逮捕・勾留という形での身柄拘束は可能です。しかし、数合理人は魔人討伐で国民の支持を集めています。現段階で彼に対して強硬手段を取ることは、世論の逆風を招くでしょう」


 述べつつ、資料にある顔写真を指差す。


「また、彼の外見は非常に若く見えます。もちろん【変身】による偽装もありえますが、現状では身元不明ですから、彼が未成年である可能性を否定できません。もし日弁連や人権団体が『数合理人に少年法を適用すべき』と主張すれば、国民感情はさらに複雑化し、政府の立場は一層苦しくなるでしょう」


 またもや室内は静まり返る。硬直した空気の中、香椎かしい外務大臣が恐る恐る口を開く。


「……加えて、彼は明朝には準A級相当の特別探索者資格を取得する予定であるという情報も入っております。仮にそうなれば、外交官と同等かそれ以上の特権が与えられます」


「つまり、袋小路だな」


「探索者協会と事を構えるわけにもいきませんしね」


 香椎外務大臣の応答に、安岸首相は顔をしかめた。彼は、探索者協会の会長である天花寺てんげいじつかさが苦手だった。司は、安岸の曽祖父が首相を務めていた頃から──つまり、70年前から──天花寺家の当主だったという。得体の知れない女だ。何度か対面したこともあるが、隅々まで見逃さず、先々まで見据えている。そんな印象を受けた。


 目隠し越しに射抜くようなあの視線を思い出した安岸首相は、固く目を閉じ、深呼吸した。


「我々ができることは限られているな。結局、数合はどう見るべきだ?」


「探索者協会の管理下にある限り、数合理人が日本の脅威となる可能性は低いと考えています。彼は理性的ではあるようですし、何より、あの天花寺司が目を光らせている。現状では、高い緊張感を持って注視するのが最善でしょう」


 小野瀬官房長官が結論付ける。その場にいた閣僚・長官たちは一瞬顔を見合わせたが、皆一様に異議なしと頷いた。


「では、現時点では静観を基本方針とする。ただし、協会への接触および監視体制を強化し、彼らの動向を常に把握できるよう尽力してください。浅葱君も、今後のダンジョンに関する動きについて逐次報告をお願いします。それでは、皆さん、今夜はここまでにしましょう。各員、引き続きよろしく」


 安岸首相はそう言って、会議を締めくくった。





 しかし、ほとんどの閣僚たちが去った後、安岸首相、小野瀬官房長官、石竹防衛大臣、浅葱迷宮対策大臣、湯宮科学技術大臣の5名が残った。


 数十秒の無言の後、安岸首相が重い口を開く。


「──もしものことがあれば、『アレ』を動かすつもりでいてくれ」


 首相の低い声に、他4名は絶句した。石竹防衛大臣は溜め息をつき、瞑目する。湯宮科学技術大臣は瞠目し、驚愕の声を上げた。


「アレはまだ調整中ですよ! ……仮に今すぐ動かせば、日本地図を書き換える羽目になります」


「わかってる。それでも、万一の時には頼むよ。我が国にとっては依然、アレが最後の切り札だ」


 安岸首相は真剣な眼差しで語った。その言葉の計り知れない重みが、現状の深刻さを物語っていた。




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