第14話 陽動と陰謀

 大浴場から上がったリヒトは、これまた広々とした脱衣場を、一直線に突っ切った。

 身拭いも着替えもドライヤーも必要ない。スキル【変身】があるのだから、体に付着した水滴を消すと同時に黒のスウェットでも纏っておけばいい。


「いっつも黒い服じゃのう。せっかくの【変身】がもったいない」


「好きなんだよ、黒いの。『男なら黒に染まれ』ってね」


「エレナとペアルックじゃのう」


「彼女の黒セーラーは制服じゃん」


 アニマと他愛もない話をしながらリビングへ戻ると、エレナはソファに座ってテレビを見ていた。


「あら、戻ってたの」


 エレナが振り向いた。


「あなた、本当に気配がないわね……」


「職業柄ね。お風呂ありがとう──っと、これは……」


 リヒトの視線は、テレビへ釘付けになる。ホームシアターさながらの巨大な液晶画面に映っていたのは、


「これは……僕か」


 リヒトだった。

 サファイアドラゴンを、魔人フラルゴを、拳のみで粉砕するリヒトの姿が映っていた。


「どの局でもやってるわよ」


 エレナが画面を指差し、左右へ振る。そのジェスチャーに合わせ、チャンネルが変わる。


『──サファイアドラゴンはB級もしくは準A級に位置付けられるモンスターです。この等級は一都市を壊滅させうるほどの危険度を意味しており、それをたった一撃で討伐してみせた数合理人氏の実力は筆舌に尽くし難く──』


『──隠し階層は、推定・調査・発見・解析・探索・踏破という風にいくつものプロセスを踏むのが一般的で、すべてを完了するまでに年単位の時間がかかる場合も珍しくありせん。わずか20分足らずでの踏破というのは、歴史的に見ても──』


『From Japan, some unbelievable news has come in.(日本から、信じられないようなニュースが飛び込んできました)』


 最後のは、イギリスの公共放送局だった。


「あら。あなた、世界デビューしてる」


 英国人キャスターは上気した様子で捲し立てている。曰く、魔人は一国の存亡を脅かすほどの脅威である。曰く、本来ならば上級探索者複数名で入念な準備のもと挑戦する大敵である。曰く、彗星のごとく現れた彼こそ──


「『ヒーロー』」


 キャスターとエレナの声が重なった。


「すごいじゃない。もう夢が叶っちゃったわね」


「……そうだね。喜ぶべきだね」


 リヒトは立ったまま、画面から目を離さずそう言った。その瞳に去来した光が示す感情の名を、エレナもアニマも知らなかった。


「もう満足しちゃった?」


 エレナがいたずらっぽく問う。リヒトは彼女へ視線を落とす。彼を見上げる彼女の表情には、年頃の少女らしい諧謔味かいぎゃくみがあった。


「まさか!」


 リヒトは大げさに肩をすくめてみせる。そして、エレナの隣にどっかりと腰を下ろした。


「ようやくスタートを切ったところだよ。まだまだ前途遼遠。明日からひとつひとつこなしてこう」


「あら、『前途多難』じゃなくって?」


「なるたけポジティブでいたくてね。ってか君、四字熟語とか知ってんだね」


「最近読んだ漫画にあったのよ」


 エレナは机上のプロテインシェイクをグラスに注ぎながら、「それより」と話題を転じる。


「よかったの? こんな風に自分のスキルを明かして。せめて無瑕疵化むかしかに限っても、露見しないほうがよかったんじゃないかしら?」


 無瑕疵化。リヒトのスキル、【変身】の応用法のひとつ。無傷の姿に変身することで、あらゆるダメージを無かったことにする理外の技。


 軽率に見せびらかすには強すぎる技。


 だからこそ、エレナは同じスキルホルダーとして憂慮していた。

 スキル戦はジャンケンに例えられるほど相性の要素が強い。敵のスキルについて知っている者は、それを無力化するような魔道具や魔術士を配備するはずだ。そうでなくとも、何らかの対策を打ってくるだろう。故にこそ、敵のスキルの情報は絶大なアドバンテージになる。


 次にリヒトを襲う敵は、リヒトの四肢を捥いでも止まらない。首を刎ね、脳を破壊し尽くすまで止まらない。


 その光景を思うと、エレナの肌は粟立ち、体は震え出しそうになる。しかし、隣に座るリヒトはソファに深くもたれリラックスしていた。


「それはだいじょぶ。あんなんどーせすぐバレるし、特に奥の手ってワケでもないし。ただのフツーの通常技だよ」


「……そうなの。なら、別にいいのだけれど」


 平坦な声を出すよう努めたが、内心では凝然としていた。

 治癒術式に優れる魔術士にとってすら、欠損部位の再生は難しい。それを戦闘中に、しかも瞬時に完了してみせる無瑕疵化は至高の異能と言えよう。

 事実、それを見たエレナは腰を抜かした。……リヒトがフラルゴに腕を爆破された時点で血の気を失っていたせいもあるが。


 その『無瑕疵化』を、通常技と言ってのけた。

 この男の底知れなさにいちいち驚いていては身がもたないと思いつつ、リヒトにプロテインを勧める。リヒトは手刀てがたなを切って感謝を示した。


「それに、ある程度まで術を開示するのが得策だった。抑止としても、あぶり出しとしても」


「……どういうこと?」


 エレナはテレビの電源を切り、真剣な顔で問うた。


「君を勧誘したときに、フラルゴの協力者について話したのを覚えてる?」


「ええ。『ほぼ確実に複数の魔人がいる、中には魔王クラスさえいるかも』って話よね」


「そう。だから僕は陽動として、派手な戦闘映像を配信した。結果、映像は世界中で大反響を巻き起こした。今ネットやテレビを見ている人はみんな僕を知っていると言っても過言じゃない──そしてその中には当然、キナ臭い方々もいる。軍部とか、諜報機関とか、犯罪組織とかね」


「……『抑止』っていうのは、そういう人々を牽制するためにチカラを誇示した、ということ?」


「そういうこと。スキルホルダーは人型の戦略兵器みたいなものだからね。『探索者であるのなら魔物討伐のためだけにチカラを振るう』という建前こそあるが、それは原発やロケットみたいな話さ」


 嫌な例えだが、的を射ている。

 原発を作れるなら核兵器も作れる。ロケットを打ち上げられるならミサイルも打ち上げられる。戦力として明示せずとも、潜在敵の戦意は削げる。魔人を容易く倒せるリヒトは、確かに強固な抑止力だろう。


「……ん。そこは納得したとするわ。でも、それは対人の抑止でしょう? 魔人のあぶり出しとしては、効果があるとは思えないわ。あんなにチカラを誇示したら、魔人たちはむしろ潜伏するんじゃないかしら? 少なくとも、正面きってあなたと戦おうなんて考えないでしょう。むしろ尻尾をつかみにくくなると思うのだけれど」


「と、思うじゃん? 逆なんだなこれが。人間は引いていくのに対し、魔人は攻めてくるんだよ」


 解せない様子のエレナに、リヒトは補足で説明する。


「いくらキナ臭い人々と言っても、ドンパチが好きってワケじゃない。殺し合いなんてのは最悪の場合に、生き残るために、やむなく突入する最終段階なんだ。だからこそ、ヒトには抑止力が効く。──が、魔人は違う。奴ら人喰いだからね。人殺しを目的に生きている。後退のネジが外れてるんだよ」


「まったくじゃ。魔人は例外なく、滅ぶまでヒトを食い殺そうと考えておる。揃いも揃って気の触れた至極野蛮なやつばらなんじゃ」


 アニマが細腕を組み、眉間にシワを寄せた。険しい顔のつもりなのだろうが、苦味をイヤがる幼女にしか見えない。


 リヒトは吹き出しそうになるのを隠すように、真面目くさった表情を作った。


「それに、フラルゴ君の配置は戦略的に見て奇妙だった。広域戦ではなく局地戦。総力戦ではなく単騎駆け。そして貴重な魔道具をふんだんに使った一点集中主義。魔人たちは情報量や個々の戦闘力では探索者協会を上回っているはずなのに、何故かランチェスターの弱者戦略に従っていた。恐らく敵方てきがたは全面戦争を仕掛けるほどの自信が無い。と来れば、このタイミングでの潜伏はありえない。絶対にすぐ動き出すよ、魔人たちは」







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