第15話 魔人たち

 東京都の西端、奥多摩町。東京都全域の10%を占めながら、人口わずか5000人にも満たぬ静かな地。その奥深くにそびえ立つとある山は、その全体が『仔羊の輪』という宗教団体の本拠地となっている。

 仔羊の輪は、様々な伝統宗教を出鱈目デタラメに混ぜ合わせた新興宗教である。主な教義は自然崇拝と終末思想。機械や化学製品を堕落の象徴として忌み嫌い、自給自足の生活を営むことで、最後の審判の際に楽園へ招かれる、との教えを説いている。


 その発端は、単なるカルト集団だった。耄碌もうろくした富豪が死に金を投じていただけだった。


 しかし、12年前。突如として起こった、世界各地でのダンジョン発生。未曾有の大災害は、仔羊の輪の運命を大きく変えた。


 彼らの説く終末論が偶然にも、ダンジョンの発生と驚くほど一致していたのだ。


 それを予言の成就と解釈した者たちが集い、信者数は爆発的に増加。各員が身を削って差し出した献金により、仔羊の輪は潤う。財力とともに、影響力もまた強まっていった。


 その急成長と共に反感を買い始め、都市伝説が囁かれるようになった。曰く、娼婦を養成しているのではないか。曰く、大麻やアヘンを栽培しているのではないか。


 悪い噂は今でも尽きない。


 しかし、それらは誤解だった。

 『仔羊の輪』の実態は、



 仔羊の輪、大聖堂、地下。

 鉄筋コンクリートで造られた長い長い階段。降りてゆく足音がふたり分、高く鳴り響いている。


「フラルゴ、ヤられちゃったねー」


 足音の二重奏に、軽やかで中性的な声が混ざった。


 声の主は、奇妙な風体をしていた。すらりとした肢体に純白の拘束衣を纏い、顔を面布で覆い隠している。面布には、七つの目が描かれている。額からは、一本の角が生えていた。


 声の主の名はハスラウという。

 仔羊の輪において、二代目教主と現人神を兼任する魔人であった。

 

「『ヤられちゃったね』、じゃないでしょう、ハスラウ。これは由々しき事態ですよ」


 呆れた声で返したのは、ハスラウに追従するスーツ姿の男である。七三分け以外に特徴の無い、清潔感のあるサラリーマン風の男だ。


 ハスラウは「んぃ〜!」と唸り、頭を掻きむしった。


「だーってしょーがねーじゃん。天花寺てんげいじエレナを狩るだけならカンペキの態勢だったんだよ? そこにいきなりあんなんが出張ってきたんだもん。そりゃ負けるよ。フラルゴじゃあ逆立ちしたって無理でしょ、あんなん」


 あんなん、とは無論、数合すごう理人りひとのことだ。


「フラルゴはまだ生まれたての赤子でしたからね。彼以外の魔人なら、あんな風に惨敗することは無かった。とは言え、既成事実は既成事実です。対応策を考えないといけません。あの『影の勇者』への対応策をね」


 しばし、ふたりの足音のみが反響する。やがて、ハスラウが大きくため息をついた。


「なーんでよりにもよって今なのかなぁ。こっちに来てコツコツ積み上げて、ようやく軌道に乗ってきたっていうのに」


「こういったイレギュラーは、最も起こってほしくないときにこそ起こるものですよ。それに、私には偶然とは思えません。アニマがタイミングを合わせた可能性があります」


 ハスラウが噴き出した。


「それ冗談? またニンゲンが上手くなったね」


「賛辞として受け取りましょう。しかし、私は本気です。あの星読みの魔王ならば、ありえなくはないラインでしょう」


「あー……かもだね、確かに。っつかなんであのふたりが組むかなぁ、よりにもよって。サイアクの二大巨頭がどうして合体すんのよ。そもそもアイツら敵同士じゃんよ」


「ヒトの心とは不可思議に移ろうものなのだそうですよ」


「アニマは魔王じゃんよ」


「彼女は我々の中でも奇特で、ヒトに近い感性の個体でしたから」


「えー? 先生もそんな感じじゃん」


 先生、と呼ばれたスーツの男が苦笑した。人の良さそうな笑みだった。


「私と彼女とでは、天と地ほどの差がありますよ」


「そうなの? 似てると思うけどなぁ。……っと、着いたね」


 足音が止まる。

 鍵を差し込む音、錠の解ける音、扉の開く物々しい音。


 『先生』とハスラウは、展望室に立ち入った。

 地下なのに展望室というのも不思議な話だが、眼下数十メートルには広大な空間が広がっている。


 何十人もの信者たちが複数の行列を為している。彼らは並ぶ最中で立ち話に興じ、笑顔を見せている者も多い。


 最前列では、ふたりの若い男が昔話に話を咲かせていた。


「いつだっけお前と会ったの。もう10年前とか?」


「11年前だね、もう。そんとき俺ら12で、今年23だから」


「うっわ、もうそんなか。俺らも青年部に入るわけだわ」


「ね。でも何か、ここまで来れてよかったなぁ」


「そうだなぁ」


 ふたりが思い返すのは、12年前のダンジョン災害。ふたりは所謂いわゆるダンジョン孤児であった。路頭に迷っていたところを仔羊の輪によって保護されたのだ。


 以降、ふたりは兄弟同然に育った。孤独感も、喪失感も、将来の夢も、性愛の悩みも、何でも打ち明けた仲だった。


 列が一歩ずつ進む。いよいよ時が来た。


 ふたりは銃を手に取り、向かい合った。


「じゃ、よろしく」


「おう!」


 合図もそこそこに、撃ち合いが始まった。






「これは何をさせているのですか?」


 先生の問いに、


「戦闘訓練と、洗脳強度の確認!」


 ハスラウは胸を張って答えた。


「あっちの世界でもそうだったんだけど、ニンゲンって長く一緒に過ごした同種を殺すのメチャ嫌がるんだよね。だからね、それができるってことは、ボクの洗脳がうまくいってるってことなんだ!」


 黙したままの先生を手で制し、ハスラウは人差し指を振った。


「わかってるって、みなまで言わないで。『なにかの拍子に洗脳が弱まったら発狂するんじゃ』って言いたいんでしょ? でもご安心! なんかニンゲンって一回やった行動を正当化するために、自分の考え方を変えていく習性があるんだよ。ボクは実験を繰り返してこの面白い習性を見つけたんだ! すごくない!? これでナントカ平和賞とって資金源にしよーよ!」


「ノーベル平和賞ですかね。取れませんよ。それに、その習性は既に発見されています。『一貫性の原理』という名で、マーケティングなどにも応用されていますね」


「そんな!」


 がっくり、と音が聞こえそうなほど、わかりやすく肩を落とすハスラウ。


「とは言え、仲の良い信者たちを殺し合わせるのは名案ですね。貴方の洗脳は主に表層的な常識を書き換えて前意識ぜんいしきにまで影響を及ぼすものですが、無意識の深層についてはほとんど手つかずです。どうやら常識と無意識の差による精神的負荷が、信者の潜在魔力量を増加させているようですね」


「え!? マジ!? やったー!!」


「しかし、青年同士で、というのは感心しませんね。これでは兵力が減ってしまう」


「そこなんだよねー。でも若いオス同士じゃないと良い訓練にならないじゃん? けっこー悩みどこだよね」


「それはそうですね。度重なる実験でヒトも減りましたし……『牧場』での生産工程を短縮しましょうかね」


「えー、もうそろみんな壊れちゃわない?」


「だましだましやりますよ」


 ノックの音が4回、規則正しく聞こえた。


「開いてるよ〜」


 ハスラウの声に従い、信者の男が入ってきた。

 先ほど撃ち合いを行っていた若いふたりの片方だった。何人かの死体を肩に担いでいる。


 そのうちのひとりは、つい先ほど彼が話していた相手だった。


 男は死体を下ろし、合掌しながら片膝を着く。


「今回、治しきれなかった3名です。浄化をお願いいたします」


「はーい。ありがとね」


「もったいないお言葉です」


 立ち上がり一礼した男から、雫がしたたった。


「あれ……?」


 涙だった。


「ごっ、ごめんなさい。私は、おれは、なにを……」


 手で拭い、頭を抱えた男の顔が歪む。何かを思い出そうとしているような、あるいは思い出すまいとしているような、複雑な表情だった。


「先生、これって……!」


「ええ。今まさに増えていますね」


 ふたりは潜在魔力量の増加を目の当たりにし、顔を見合わせ笑いあった。


「とは言え、ここで彼を喪うのは惜しい。掛け直しをお願いします」


「はーい!」


 ハスラウは頭を抱えて苦しむ男の前に、掌を突き出した。


「こっち見て」


 男が顔を上げる。

 ハスラウの掌には眼球が埋め込まれていた。


 目が合う。視線が交錯する。目を通して何かが流し込まれるような感覚。頭の中がくすぐったい。かゆい。涼しい。温かい。安らぐ。和らぐ。ほどなく凪が訪れる。


 ハスラウが男の顔を指差す。男の両瞳が目頭めがしらに寄る。


「なにもこわくない、でしょ?」


 指先が額に触れ、鼻筋を通り、下唇をわずかにひっかけた。


「何も、怖く、ありません……。すみません、取り乱しました」


 男は涙を拭き、晴れやかに微笑んだ。


「いいよぉ。じゃ、またね」


「はい、失礼いたしました」


 男は深々と頭を下げ、去っていった。


「よ〜し、じゃあ食べよっか!」


 ハスラウは靴を脱ぎ捨て、死体の顔を踏みつける。足裏に淡い光が生まれ、吸い込まれていく。


「おぉ〜いい味になってきてるね。あっちの世界の兵士とほぼ同じ味だよ」


「潜在魔力量に限れば、あちらでの中央値を上回る水準まで漕ぎ着けましたからね。それは良いのですが、ハスラウ。まさか、食嗜好ゆえに青年らを使い潰しているのでは……」


「えぇ〜? ソンナコトナイヨー」


「まあ、今回を最後とするなら許します。しかし、その食べ方は行儀が悪いですよ。切り分けて皿に盛り、経口摂取しましょう」


「やぁだよ! そんなニンゲンみたいなの」


「そっちの方が美味しく感じるんですよ」


 先生が手を差し出し、手首のスナップで空に手刀を切る。そのジェスチャーと同時に、死体が賽の目状に切断された。


「うわ! え、マジでやんの?」


「やりますよ。棚に皿があったでしょう」


「えぇ〜……。ほんとに変わり者だね、先生」


「自分でもそう思いますよ」


 ハスラウは不承不承ふしょうぶしょうに皿を並べ、各部位を盛り付けた。


「では、いただきます」


「いただきま〜す」


 ふたりはしばし無言で食べる。2分ほどしてから、ハスラウが呟いた。


「……うまいかも」


「でしょう」


 先生が満足げに笑った。


「食事にはシチュエーションが重要なんです。最近読んだ本にそうありました」


「ほぇ〜。ニンゲンって色々知ってるなぁ」


「知識を蓄積できますからね。そこが魔人との違いです」


「そだね。ボクらは基本、生まれつきの知識以外は特に求めないからね。こうして考えると色々違うんだなぁ」


 バリボリと骨を噛み砕きながら、ハスラウは頭の後ろで手を組む。そして、背もたれに身を預けた。


「でもさぁ、ほんとにできると思うー? ニンゲンを魔人に、って」


「できるはずです。私という例がいる以上、その逆もまた可能と考えています」


「そういうもんかなぁ。今の信者たちに魔道具持たせるだけじゃダメなの? 同調実験も順調だし、けっこー強いと思うんだけど」


「大規模な被害を出せるとは思います。が、国家転覆は不可能でしょうね。魔物でなければ通常兵器が通じるわけですから、自衛隊を動員されればそれまででしょう」


「そっか、ニンゲンって銃で死ぬもんね。じゃあダメか。困ったなぁ……。魔人まで行かなくても、せめて中級以上の魔物にはしたいね」


「そうですねぇ。その程度では容易く探索者に狩られてしまうでしょうが、成功すれば大きな一歩です。それを第一目標とすべきでしょう」


 先生はスプーンで脳漿のうしょうすくい、口内へ運ぶ。とろける食感に舌鼓を打ってから、話を続ける。


「が、それは数時間前までの話です。リヒトが現われフラルゴを失った今、後手に回れば不利になる。研究を中断し、攻勢へ転じます。2週間以内に近くの自衛隊施設を襲い、兵力を補給しましょう」


「よっ、待ってました!」


 ハスラウが手を叩いた。


「最近ひきこもってばっかでつまんなかったんだよねー。少しは暇つぶしになるかな?」


「いえ、貴方には役不足でしょう。他の者を回しますよ」


 ハスラウは、今まさに齧りつこうとしていた耳を取り落とした。


「非術士を相手に貴方というカードを切るのはあまりに惜しい。貴方にはもっとふさわしいテーブルがあります」


「まーた調子の良いこと言ってぇ。ま、いいけどさ。そしたら、プランの大枠に変更なし?」


「ええ。第一段階が東京、第二段階が日本、第三段階が探索者協会、最後に世界です。都心部でのダンジョン展開さえ上手く行けば、とどこおり無く進むでしょう」


 先生は皿の上の眼球をフォークで突き刺し、持ち上げた。


「12年前と同等以上の人数を捧げれば、先代魔王陛下は復活なさるはずです」










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