第20話 攻撃者の正体

「このサイト作ったの、僕なんで」


 リヒトは晴れ晴れとした笑顔で、ホログラムディスプレイを指差した。そこには、賞金首と化したリヒトが映っている。


 リヒトがリヒト自身の首に賞金をかけた、ということになる。


「は?」


 エレナの目が点になった。呈示された情報を脳が処理しきれていない。そういう表情だ。


「ど、どういうこと?」


 凪が問いかけた。


「そうですね、最初からお話しましょうか」




 僕の【電脳】は電子情報を直接的に知覚できるんです。昨夜ダンジョンから出た瞬間、空中を飛び交う異常なトラフィックに気付きました。すぐに協会本部のデータベースサーバを確認したら、案の定、サイバー攻撃を受けてました。


 鮮やかな手口でした。

 匿名化、難読化、仮想化、暗号化、分散化、トラフィック混合。……完璧な経路隠蔽。極めて高度なセキュリティです。国家の後押しがあるとしか思えませんでしたよ。


「やっぱり、日本政府の非公認諜報機関か──!」


 凪の低い呟きを、


「いえ、違いました」


 リヒトはあっさり否定した。


「え゛」


 固まる凪。リヒトは冗談めかして肩をすくめる。


「どれだけ逆探知しても、攻撃者のホストデバイスを特定できなかった。つまり、どのマシンからサイバー攻撃を仕掛けてるかサッパリわからなかったんです」


「え、【電脳】って逆探知とか暗号解読とかできないの?」


「できますよ。【電脳】は量子ビット演算も扱える。通常の暗号なら簡単に破れます。ポスト量子暗号であっても、多少の手間をかければ、まあ破れるでしょう」


「それなのにホストデバイスを特定できなかったの?」


「ええ。僕にも不可能だったということは、ふたつの可能性が考えられます。第一に、攻撃者が使ったマシンの性能が僕の【電脳】を上回っている可能性。例えばゼタスケールのスパコンと量子コンピュータの連携だと、たぶん僕以上の演算能力になると思います。現状、それを実施できるのは日本政府の上層部だけです」


「じゃあやっぱり日本政府が悪いんじゃん!」


「それを確かめるためにこのサイトを作ったんです」


 リヒトはもう一度、ディスプレイを指差した。


「反社は僕を狩るために全戦力を投じる。その規模感からして政府も動かざるを得ない。政府からすれば、僕が反社の手に落ちても、大金が反社の手に渡っても、国家の危機です。死に物狂いで対抗してくれるでしょう。その準備段階で情報の流れも活発化する。僕は永田町を掻き乱すことで、攻撃者を浮き彫りにしようと思ったんです。……ここまでは、政府も理解していると思います。今ごろはきっと、自分らの中に攻撃者がいないか血眼で探してますよ」




◆ ◆ ◆



 二回目の『数合すごう理人りひと事案に関する緊急対策会議』が終わった。


 現・内閣総理大臣の安岸あぎし藤吉とうきちは、官邸内の長い廊下を歩んでいる。深夜と早朝に重い会議をこなしたせいで、目が酷く乾いている。頭も鈍く痛む。上等な革靴の高い足音が、脳内にまでこだましている。


「……本当に、間違いないんだな?」


 安岸は振り返らずに問うた。


「はい。スーパーコンピュータ『がい』および量子コンピュータ『天穹てんきゅう』、ともに不正利用の痕跡はありません」


 後ろを歩く湯宮ゆのみや科学技術大臣が答えた。

 『凱』は科学技術省がスポンサーとなり開発されたスーパーコンピュータである。その処理速度は1ゼタフロップス、つまり1秒間に10の21乗回の計算を行うことができる。世界に唯一ただひとつのゼタスケール・コンピュータであり、言うまでもなく世界一の性能を持つスーパーコンピュータである。

 『天穹』も科学技術省がスポンサーだが、こちらは100万キュービットを誇るゲート型量子コンピュータである。『凱』が化学計算、気象予測、機械学習、ビッグデータ解析、金融シミュレーションなど幅広いアプリケーションを有するのに対し、『天穹』は暗号解読や最適化問題、ミクロスケールのシミュレーションについて飛び抜けた適性を発揮する。


 これら二台のモンスターマシンを連携させれば不可能は無い。政治家であり情報工学者でもある湯宮は、そう考えていた。


 だからこそ、不正利用のリスクを常より恐れていた。


「ログ改竄かいざんの可能性は?」


 思案の沼に沈みかけた湯宮の頭脳を、安岸の声が引き起こした。


「限りなく低いです。仮に改竄を行えたとしても、その痕跡を誰にも気付かれずに消し去るのは至難です」


「そうか。なら、やはり、我々の中の誰かが暴走したわけではないな」


「おっしゃるとおりです」


 湯宮は安堵して笑った。

 彼が懸念していたのは、国政に関わる誰かが『凱』・『天穹』を不正利用して探索者協会にサイバー攻撃を仕掛けた可能性だった。


 その疑いは幸いにも晴れた。科学技術省を含む関係省庁の迅速かつ入念な調査によって、永田町に危険分子はいなかったと証明されたのだ。


くだんの賞金サイトは、恐らく数合すごう本人が開設したものでしょう。彼の狙いは先程までの我々と同様。探索者協会に攻撃を仕掛けたハッカーを特定するために、まずは政府機関の関与の有無を確認したんです。結果はシロ。今後の我々の仕事は、賞金に群がる反社会的勢力の鎮圧ですね。後は警察庁に任せれば────」


 安岸が立ち止まる。湯宮はぶつかりそうになってつんのめり、何とかこらえた。


 安岸が振り返った。


「湯宮くん。君は賢いが、時々かなりバカだよな」


 湯宮はショックを受けた。安岸の言動に、ではない。彼の表情にショックを受けた。


 政界きっての鉄面皮で知られ、ダンジョン資源に関する熾烈な外交交渉を笑顔でこなす安岸藤吉の表情が、引きつっている。


 苦み走った彼の顔を、一筋の冷や汗が伝っていく。


「数合は二択のうちの一方を削ったんだ。……残る一方こそ最悪だ」


 安岸は前歯の隙間から、細く、長く、息を吐いた。






◆ ◆ ◆



 リヒトの思惑の一部をようやく理解した凪は、大きくため息をついた。


「じゃ、この後は反社と政府の全面抗争だね。双方が雇ってる術士がドンパチし合うことになる。……もしかして、それも狙いだったの?」


「ええ、まあ。双方の兵力が削れれば、探索者協会はより盤石になる。会長へのちょっとした恩返しですね。借りた金額分の仕事にはなったかなと思ってます」


「あ、会長からカネ借りてたんだ。てっきりハッキングでどっかからカッパラったんだと思ってた」


「僕を何だと思ってるんですか……。昨日の夜、会長にメールでお願いしたんですよ」


「あれ、連絡先交換してたの?」


「そこはほら、【電脳】で」


「結局ハッキングじゃねーか! まあいいや。……ぶっちゃけ、いくらぐらい借りたの?」


 リヒトが無言で指を鳴らし、空中のディスプレイに新たなウィンドウを追加する。そこには、数合理人名義の銀行口座の入出金明細が表示されていた。


 覗き込んだ凪が


「うっひぇ〜〜!!!」


 悲鳴のような声を上げた。


「ひ孫の代まで遊んで暮らせるわね……」


 スピード感についていけず沈黙を貫いていたエレナが、ぼそっと呟いた。


「ともかく、これでリヒトの計画は完了よね?」


「いいや」


 リヒトはゆっくりと首を横に振った。


「最初に言った通り、僕は攻撃者のホストデバイスを特定できなかった。その場合の可能性はふたつある。そのうちのひとつが日本政府による攻撃の可能性だった。が、これはたった今、排除できた。官庁ネットにも、首相含む中央省庁の長の動静にも、不審点は無かった。探索者協会にサイバー攻撃を仕掛けていたのは日本政府じゃない」


「じゃあ、ふたつめの可能性って……?」


 問いかけるエレナ。

 一方、先程まで饒舌じょうぜつだった凪は黙り込んでいる。彼女はもう得心したのだ。


柳楽やぎらさんはもうわかっちゃったみたいですね。……ふたつめの可能性は、ホストデバイスなんて存在しない、という可能性。攻撃者が僕より優れた情報系スキルを持っている可能性。この場合の調査はハイコストなので後回しにしてたんですが、ついさっき完了しました」


 エレナは異変に気付いた。

 リヒトの表情がおかしい。いや、おかしくないのだが、それがおかしい。ゆうべ出会ったときから絶やさず浮かべていた薄ら笑いが、少しずつ消えていっている。


「【電脳】は電子情報を知覚・操作するスキルです。応用として脳波の読み取りも可能ですが、メインはネット関連です。……恐らく、攻撃者はその『逆』。脳波を読み取り操るスキルを拡張して、ネット関連の情報操作に応用している。だから、攻撃者の無線信号を解析して、通信用の高周波に変換される前の脳波を復元しました。──脳波は指紋のように個々人で異なります。僕は攻撃者を知っている。奴に触れたことがある。『全貌鑑定』でその脳波を読み取ったことがあります」


「それ、この世界に来る前の話だよね?」


「ええ。異世界で遭遇した魔人です」


 凪の問いにリヒトは頷いた。

 その顔は既に、全くの無表情だった。


「最高強度の魅了の魔眼を持つ魔人です。遊び好きで軽率、子どもじみた性格をしていました。でも勘が鋭くて、逃げ隠れるのが上手かった。最後に耳にした情報では、とある国で影の相談役として王族をたぶらかし、その国を内戦に追い込んで滅ぼした、と」


 エレナは不安を露わにリヒトの横顔を見つめていた。彼の顔には最早、フラルゴを相手していたときの余裕は無い。

 明確な敵を──脅威を想定し、リスクとコスト、そしてリターンを計算している顔つきだった。


「個体名はわかる? もしかしたら既知の個体かもしれない」


 凪の鋭い声に、リヒトは静かに答える。


「奴は、『ハスラウ』と名乗っていました」


 その名を口にした瞬間、頭を何かが貫く感触。


 リヒトは弾かれたように立ち上がる。己の頭部に触れる。異状なし。ダメージもなし。


 周囲に視線を走らせたそのとき


「やぁ」


 背後で声がした。軽やかで中性的な声。


 振り返る。


 居た。

 額から生える一本の角、七つの目が描かれた面布、純白の拘束衣。


「ひさしぶりだね、リヒト」


 魔人ハスラウがそこに居た。





 






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