第28話 戦いの後、新たな敵の気配
時はわずかにさかのぼる。
模擬戦が始まってすぐ。
離脱した凪の目の前に、ホログラムディスプレイが投影されている。ディスプレイには、【電脳】によって形作られた幻覚の世界が失われている。女体化したリヒトと、エレナが戦う様が映し出されている。現実のリヒトとエレナは、目を閉じて眠っていた。
映像を見る凪は自らの口元を押さえ、食い入るように戦いの様子を見ていた。普段の饒舌さは鳴りを潜めている。リヒトの戦いぶりを観察し、その情報を少しでも記憶しようと全霊を注いでいた。
「精が出るのう」
声の方を一瞥すると、魔王アニマが浮かんでいた。
「あれ、中に居たはずでは?」
「初めはそのつもりだった。今はそなたと観たい気分じゃ。話したいこともあるしのう」
アニマは凪に目もくれぬまま、指を鳴らす。映像内のリヒトとエレナの動きが緩やかになった。再生速度を変更したのだろうか?
「主様とエレナの時間感覚を緩やかにした。両者とも万全ではあるが、脳への負荷は小さいに越したことは無いからのう。さて、これで時間が出来たな」
「な、なんですか急に。ドキッとしちゃうな〜」
凪は見るからにたじろいだ。アニマは妖しく微笑む。
「そなたが主様に向ける視線、何やら妙な熱がある。なんぞ企みでもあるのかえ? 聞かせてみよ。ガールズトークと洒落込もうぞ」
「い、いえ、ね。モブ顔少年がTSして、高身長巨乳美少女同士でキャットファイトしてるワケですからね。オタクとしては見逃すわけにも……」
「そう誤魔化さずとも良い。あの目隠し女の命であろ? 主様のスキルについて情報を得よ、と」
見つめるアニマの瞳孔は針のように細長い。その視線の鋭さに、凪は観念した。
「そーですよ。会長の命令ですよ。『
「くく、正直じゃのう。よきかなよきかな。では、観戦に集中しよう」
「野球じゃないんですから。いやでもリヒトくん野球の話してましたね。まあともかく、じっくり見せてもらいますよ」
視線を戻す。映像の中では既に、攻防が始まっていた。
◆
エレナが目覚めると、目の前には全員が揃っていた。
「おつかれさま」
「ナイスファイト!」
「よき動きじゃった」
三者三様の労いにもかかわらず、エレナの表情は晴れない。
「……負けたのね、私は」
「まあ、形式上はね」
リヒトは曖昧に笑う。
「でも目的は果たせた。君は魔力感知に頼らず闘えるようになってるよ」
「ありえないわよ。そんなすぐには────」
パン、と軽い音が響いた。
リヒトの拳をエレナが掌で受け止める音だった。
「ね?」
リヒトの魔力は相変わらず感知できない。が、今、リヒトの攻撃に反応できた。
「何で反応できたかはまだわかんないでしょう。僕の視線や呼吸を読んでたんだけど、まだ自覚が無い。ま、そのへんは追い追い言語化していきましょう。君なら今日中に済んじゃうかもだね」
リヒトの言葉を聞きながら、エレナは手足を軽く振る。
「なんか……体が軽いのだけれど」
リヒトは「あぁ」と応じた。
「さっきの戦闘を通して君の姿勢を矯正した。ボディイメージの改善で、余計な強張りが取れたんだろうね。小さい差なんだけど、かなりラクになると思うよ。…………え、何この空気」
「いや、なんか……」
言いづらそうなエレナの言葉を凪が補う。
「たった一回戦っただけでこんなに変わるの、現実味ないというか……」
「たかだか一時間あまりで、蚊トンボを獅子に変える。勝利とはそういうものですよ」
ちょっとキメた雰囲気を出すリヒトに、
「戦ってたの2分くらいだけどね」
「勝利できてない私は蚊トンボのままってことかしら?」
総ツッコミが入った。
「まあ、主様は稀代の
「いやいや、エレナにセンスがあっただけだよ」
リヒトはアニマの助け舟に乗った。
「そう言えば、僕の勝利報酬を伝え忘れてたね」
エレナはリヒトに対する勝利報酬として、過去の開示を求めていた。
しかし、リヒトの勝利報酬については、伝える前に戦いが終わってしまった。
リヒトは何気なくエレナを見る。エレナが身を隠すようなジェスチャーをした。
「いやらしい」
「誤解です」
リヒトはしばし考え、何か思いついたように指を立てた。
「それぞれ思い出話でもしようか。僕らまだ会ったばかりだし。お互いについて語り合う必要があるんじゃないかと思うんだよね」
笑いかけるリヒトに、エレナは目を丸くする。互いの過去について話すのならば、結果的にエレナの勝利報酬は与えられることになる。
「ねえ」
「なに?」
「あなた、気の遣い方が素直じゃないのね」
一瞬だけ、リヒトは昔を思い出したような表情をした。が、すぐにいつもの薄笑みに戻った。
「なんのことかわからないなぁ。で、どう?」
「いいわよ、そうしましょう。公開されている私の情報については、どうせ全部調べ尽くしているんでしょう? せっかくだから、メディアには言っていない話を教えてあげるわ」
「はは、嬉しいね。秘密の顔を見せてもらえるわけだ」
「いやらしい」
「誤解です!」
掛け合うふたりを見ながら、凪は神妙な面持ちになっていた。
「なんかめっちゃ仲良くなってる……」
「人間は殴り合って仲を深めるものぞ」
アニマが穏やかな声で言った。まるで年長者のような物言いだった。──実際に年長者ではあるのだが。
「古い青春ものだけですよ、それは」
「いや、妾と主様もそうじゃった」
「そういやそうだった。もうリヒトくんがそういうスキルの使い手に見えてきたな……」
「そなたも一発やっておくか?」
「ヤですよ。あたしは直接戦闘には向かないんです」
スキルについてあまりリヒトに知られたくない、という気持ちも、凪にはあった。
しかし、リスクヘッジとしてリヒト対策を考えておかねばなるまい、とも思っていた。蝶の性質をどう活かすかという思索に沈んでいくうち、不意に、あることを思い出した。
協会本部への定時報告がまだだ。
「やっっっば!」
とっさに蝶を召喚し、信号を飛ばす。ダンジョンの中から探索者協会本部へ。報告予定時刻ちょうどだったので怒られずに済んだ。
「あっぶね! 耐えた! ギリセーーフ!!」
「あのひといつもああなの?」
小声で問うリヒトに、
「これでもマシになったのよ」
エレナはため息混じりで答えた。
凪は電話をしているみたいに相槌を繰り返す。相手側の声は聞こえない。蝶による通信は念話によって行われるらしい。【電脳】で盗聴できるかもとリヒトは考えたが、実行はしなかった。仮に勘付かれれば印象が悪化する。和を乱せば今後に響くと判断した。
「はい……はい。わかりました。では、そのように伝えます。はい、失礼します」
凪が通信を切り、振り返った。
「良いニュースと悪いニュースがあるけど、どっちから聞く?」
「そのように伝えるよう言われたの?」
「そのセリフ一度は言いたくなりますよね」
「何でキメさせてくれないんだよふたりしてさぁ!」
エレナとリヒトの応答に、凪は少々ダメージを受けた。
「じゃあ良いニュースから。リヒトくんの賞金サイトに釣られた反社の騒動は、ほとんど鎮圧されました。もうしばらくしたら地上に出ても良いと思う」
「こんなに早く!?」
エレナが驚きの声を上げる。対して、リヒトは少し眉を上げるだけだった。
「思ったより早かったですね。日本の警察は優秀だと聞いていましたが、ここまでとは思ってませんでした」
「いや、警察じゃなかったんだよ」
凪の言葉に、リヒトは顔色を変えた。驚愕に青ざめているのではない。興味を抱いている表情だった。
無言で続きをうながすリヒトに凪が応じる。
「君が画策した反社同士の潰し合い……途中まではうまくいっていたみたいだよ。全国で抗争が起こり、多くの組織が弱体化した。ただ、ここから問題なんだ。弱体化した組織を片端から強襲して、壊滅に追い込んで回ってる奴らがいる」
「そいつらの詳細は?」
「わからない。まるで情報が無い……スキルを持った犯罪者が何人か集まっているらしい。全国的な被害規模からして、時空系のスキルホルダーがいるんだと思う。それ以上のことは、まだ何も」
「そうですか……。とりあえず、【電脳】で探ってみます。
「了解!」
威勢の良い返事を聞き届け、リヒトはスキルを発動した。
(ドジったかな……。藪をつついて蛇を出してしまったか、はたまた眠れる獅子を起こしてしまったか……)
思案すると同時に、電波の海へと潜っていった。
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