第8話 春宵・凱旋(前編)
「ふむ。同接100万人超えか。滑り出しとしては上々じゃな」
魔王アニマは投影していた映像を閉じ、かたわらの
「小娘、誇るが良い。この話題性の一助にはうぬの力も……と、どうした?」
エレナは放心していた。アニマが頭の高さまで浮き上がり、眼前で手を振るとようやく気付いた。
「信じられないわ。本当に魔人を倒すなんて……!」
「だから言うたじゃろ。主様は魔王をも討ち果たした勇者の中の勇者。凡百の魔人など
ふふん、と鼻を鳴らし胸を張るアニマ。その姿は只人の童女のようで、エレナは思わず頬を緩めた。
「ところで。うぬ、賭けに負けたな」
童女の笑みが悪魔的なそれと化す。エレナの表情筋が凍りついた。
アニマの視線が、エレナの肢体をじっとりと舐め上げる。
「ふむ……小娘にしては過ぎた豊満。とは言え、程良く引き締まっている。十二分に主様を悦ばせられよう」
「な、何をさせるつもりよ!」
胸元を隠すようにその身を抱えるエレナ。アニマはギザ歯を覗かせて笑む。
そこへ、
「アニマ、あんまりイジメちゃダメだよ」
リヒトの声が響いた。
「主様!」
すっとんで抱き着くアニマを、リヒトは軽々と受け止めた。
「おつかれ。編集ありがとね、アニマ。天花寺さんも、体を貸してくれてありがとう」
「えっちな言い方しないで!」
ごめんごめん、とリヒトは苦笑した。しかし、エレナの語気はおさまらない。
「どうせそこの魔王から聞いているんでしょう!? 確かに私は賭けに負けたわ……悔しいけれど義理は果たす! 私はあなたたちの言いなりよ! 好きにすればいいじゃない! さあ!! さあ!!!」
もうヤケクソだった。
アニマは口元を抑え笑いを堪える。リヒトは苦笑して、頬を掻いた。
「……僕は、自力で魔力を生成できない体質なんだ」
「え?」
予想外の一言に、エレナは面喰らった。
「異世界に居た頃は女神から魔力を借りてた。今は【電脳】で得た支持者から、極々少量の魔力を頂いている。僕へ向けられる感情の動きで漏れ出るような、計器でも測定できないほどに微かな魔力をね」
「そんな魔力量で【変身】なんて使えるの?」
「魔力操作の精度には自信があってね。最小限の魔力で最大限の効果を引き出せる。欠損からの
「……なんで、急にそんな話を」
「お願いの前に言わなきゃ、アンフェアだと思ったんだ」
リヒトはわずかに頭を下げ、エレナへと手を差し伸べた。
「僕らの仲間になってよ」
差し伸べられた手を、しかしエレナは握り返せない。
「……なんでよ」
「魔人が徒党を組んでる。僕らもパーティで動くべきだ」
唐突な提案にエレナは眉をひそめる。リヒトは言葉を選びながら、話を続けた。
「順を追って説明するね。まず僕はサファイアドラゴンが恐慌状態に陥ってたのを見て、階下に魔人が潜んでいるんじゃないかと考えた。そしてこの最終階層まで来たときに、足下から魔人の強い気配を感じた。それでアニマに偵察を頼んだ。ここまではわかる?」
エレナは真剣な顔で頷いた。
「アニマが投影してくれた映像の中で、フラルゴ君はこちらが見えているかのような言動を取っていた。が、いくつか綻びがあったんだよ。覚えてるかな?」
問われたエレナはしばらく記憶を辿る。フラルゴの発言を最初から思い返す。
「……フラルゴはずっと、『貴様』と呼びかけていた。そして、私の名前と顔を知っていたのに、あなたと魔王のことは知らなかった」
「それだよ」
リヒトは満足げに微笑んだ。
フラルゴはリヒトとアニマを知らなかった。つまり、結界越しにこちらを見ていたわけではない。自前の結界ならそんな事はありえないから、結界を張ったのは別の者である。そう説明した。
「協力者がいたと考えれば、フラルゴ君が『命拾いの護符』や『全知の書の断章』を使えていたことにも説明がつく……強い魔道具ほど拒絶反応は大きい。生まれたてのフラルゴ君が上手く扱えていたのは、魔道具との適合率を高める手段を持った協力者のおかげだろうね」
「フラルゴは結界展開の前に私を知った……とは考えられないかしら? 私がこのダンジョンを探索しているという情報は、公開されていたと思うのだけれど」
「それは無い。君の探索ログがネットに公開されたのは結界展開の後だから」
「どうして結界の展開時刻がわかるの?」
「アニマのおかげだね。普通は結界を解析してもわからないんだけど、まあ、そこはほら、アニマは特別だから」
アニマが得意げに胸を張った。
「協力者は相当な実力者で、フラルゴ君と気が合うような絶滅主義者だ。おそらく魔人だろう。それも複数いると見るべきだろうね」
エレナは考え込む。もしそれが事実だとしても、なおさら自分の必要性が理解できない。
「どうして私が必要なの? 魔人よりも弱い宝龍すら倒せないのに」
「君には勇者の素質があるから」
リヒトは間を置かず答えた。平然とした口振りだった。だと言うのに、その言葉はエレナの心の中で力強く反響した。
「……ずるい人。すべて計算ずくなんでしょう? 助命の恩も、アニマとの約束も、弱点の自己開示も、私への期待を伝えたのも。すべて私が拒みにくくするためにやったのね」
「目的のためには手段を選べない
「ええ、とっても」
エレナはぴしゃりと言い切った。
そして、リヒトの手を取り握りしめた。
「でも、嫌いじゃない。あなたの強さは尊敬してる。せめてそれを学び終えるまでは、あなたの仲間でいたい」
エレナは顔を近付け、鋭い視線で決意を告げた。
リヒトは答えない。と言うより、答えられない。目を泳がせ、口元を手で覆い隠した。
エレナが小首を傾げたところで、アニマが割って入った。
「すまんのうエレナ。主様は女性経験が無くてな。近付いたり触れたりするだけで緊張してしまうんじゃ」
「や別に緊張とかはしてないけどね単純に不用意な接近は昨今のコンプライアンス意識に鑑みてもいささか不適切と──」
「な? めちゃ早口じゃろ?」
「……ぷっ」
エレナは噴き出し、くすくすと笑った。その姿に白雪姫と謳われるような冷たさはなく、普通の少女のようだった。
「あれ? というか魔王、いま、私のこと……」
「エレナ、と呼ばせてもらおう。主様と私は一心同体。主様の仲間は私の仲間じゃ。エレナも私のことをアニマと呼んでくれるかえ?」
「ええ、もちろん。よろしくね、アニマ」
エレナはアニマに微笑みかけた。
そして悪戯な表情でリヒトを見つめ、無言のプレッシャーをかける。
「……………………エレナ。これから、よろしく」
童女と少女がくすくす笑う。リヒトは気にしないフリをして、帰還石を取り出した。
帰還石は正式名称を『帰還の魔石』と言う。多くはダンジョンの最終階層にあり、その名の通り探索者を地上へ転移させる効果を持つ。
時空が歪み、光が三人を包んだ。
「先に言っとくんだけどさ」
リヒトは前置きの後に、
「二人とも、絶対に暴れないでね」
意味深な発言をした。
そして、三人は地上へと降り立った。
「はあ、やっと帰国できたか」
リヒトはため息混じりに呟いた。
足元を見下ろすと転移術式を示す文様が刻まれており、この場所がダンジョンの入口である事を示している。
見上げると、満天の星空が広がっている。南からはあたたかな夜風。桜の花弁が宙を舞い、鼻腔に甘い香りを届ける。
日本の春だなぁ、とリヒトは思った。
やっと帰ってこれたんだなぁ、とリヒトは思った。
春宵一刻値千金とはよく言ったものだなぁ、としみじみ思った。
心地良い気分だった。
だから、黒服に包囲され銃を向けられている事は気にならなかった。
アニマとエレナは構えようとしたが、
「待って」
リヒトが制した。そして、長と思しき男へ問いかける。
「ご用件は?」
「我々は探索者協会の治安部隊だ」
男は拳銃を構えたまま答えた。
「数合理人、と言ったな。探索者法およびダンジョン対策法に基づき、お前をここで処刑する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます