第31話 震動

「あなた、いつまで女体化してるわけ?」


 エレナが眼前のリヒトに問う。【電脳】によって創り出された幻覚の世界で、数え切れないほど繰り返した模擬戦。最中、リヒトはずっと、最初と同じ女性体でエレナの相手をしていた。


 リヒトは肩を竦めた。何気ない仕草も、女性体だと見違えてしなやかに見える。


「いつまでって、いつまでもだよ。せっかく体型を揃えたわけだから、参考にしてほしいんだよね」


「……まあ、いいのだけれど。始めましょうか」


「はいよ」


 そして、またもや模擬戦が行われ、またしてもエレナは敗北した。


 目覚めたエレナは開口一番、


「もう一本!」


 再戦を要求する。


「はいよ」


 また戦い、また敗ける。


「もう一本!!」


「はいはい」


 戦い、敗ける。


「もう一本!!!」


「タフだなぁ、君は……」


 幻覚世界では現実の数十倍の速さで時間が過ぎる。脳神経の負荷はアニマが請け負っているとは言え、何千という負け戦での精神的疲労は免れないはずだ。

 しかし、エレナは一向に疲労の色を見せない。むしろ、その美貌は煌めきを増している。身体操作も、魔力操作も、魔力感知も、精度を増している。


 エレナは強くなっている。

 そして、強くなることを楽しんでいた。


「才能ってこういうことなんだなぁ」


 呟くリヒトのかたわらで、敗北したエレナが跳ね起きる。


「もう一本!」


「そろそろ休憩時間だよ」


「もう一本だけ!」


 エレナが言い終わるより早く、彼女のお腹が仔犬のような鳴き声を上げた。エレナは赤面し、リヒトから顔をそむける。


 そこへ、


「はい、素敵なチャイムが鳴ったところで」


「お昼にしようぞ」


 なぎと魔王アニマが現われた。





「進捗どうですか、柳楽やぎらさん」


 弁当を空にしたリヒトが、凪に問いかけた。凪は、2つの事柄についての調査情報を、探索者協会とリヒトの間で仲介していた。

 日本の犯罪組織を滅ぼした謎の存在・エックスについての調査と、ハスラウを含む魔人一味についての調査だ。


「凪って呼んでちょーよ。まずはエックスについての情報、警察庁を通じてFBIとインターポールから入手しました。既にアニマさんにはお話してあります。アニマさん、共有をお願いします」


「うむ、ご覧じよ」


 アニマが指を鳴らすと、ホログラムディスプレイが投影された。英文がつらつらと表示されている。


「『シカゴにてマフィアコミッションの長たちが首無し死体で発見される』、香港にて黒幇ヘイパンの……以下同文。日本の九人會きゅうにんかいがヤラれたのと同じ手口だね。リーダー格をいきなり断頭するのがエックスの手口らしい」


 凪の言葉に、エレナは眉根を寄せた。残虐な手法に嫌悪感を露わにしただけではない。疑念を抱いていた。


「これ、非公開情報よね? ニュースでは『数名が消息不明との不確定情報あり』というふうにしか報道されていなかったはずよ」


 エレナは各国の犯罪組織についての報道は、逐一チェックしていた。犯罪組織が魔術士を雇うことは珍しくない。そして、その魔術士の鎮圧や拘束を探索者が行うことも、珍しくはない。いつか来るかもしれないそのときに、エレナは常に備えていた。


「各国警察機関が情報統制していたみたいだね」


 リヒトが答えた。


「模倣犯が出て捜査が混乱しては面倒じゃからのう」


 アニマが結論付け、細腕を組んで唸った。


「しかし、犯人ホシの正体はまるで掴めておらんようじゃな。時空系のスキルホルダーが居るようだ、という推測があるのみぞ。これでは我々の直感的推理とそう変わらん」


「いやぁ、そうでもないよ。これでエックスの人数についてある程度の予想がついた。多分、5人以下だ。防犯カメラにも映らず、指紋はおろか魔力痕すら残さない。証言すらひとつも無い。となると、記憶・記録に干渉するスキルホルダーが関わってるはず。しかし、いくらそんなスキルがあっても、大人数の記憶操作や大量の記録機器の改竄はそううまくはいかない。特に、アメリカだと魔力センサは至る所に置かれてるみたいだしね」


「となると……エックスは、バケモンぞろいってことになるね。探索者の等級に換算すれば、A級以上は確実……」


 凪がため息混じりに言った。


「ま、柳楽やぎらさんとエレナなら何とでもなるでしょう。スキルっていうのは相性ですからね」


「リヒトくんは人をノせるのが上手いねぇ。ま、そのための作戦立案は後に回しましょう。で、続いての情報。ハスラウを筆頭とする魔人一味について。奴らの古巣がわかったかもしれない」


 それを聞いたエレナが歯噛みした。ハスラウに恐れを為した事は、エレナにとってはどうにか晴らしたい屈辱だった。


 その様子を一瞥してから、凪が続けた。


「場所は奥多摩町・山間部。名前も無いようななだらかな山にある『仔羊の輪』ってカルトの本拠地だよ」


「『仔羊の輪』の本拠地は横浜じゃなかったかしら?」


 エレナの質問に、凪は首をゆっくり振る。


「届出上はね。けど、実際には違ったみたい。リヒトくんが【電脳】使ってハスラウに攻撃したじゃん? で、追い詰めたとこでハスラウの仲間が通信経路を強制遮断した。そのときの魔力漏出で、大まかな位置を特定できた。で、日本政府と探索者協会が協力して大規模な捜査網を敷いた結果、その近隣でのダンジョン災害による行方不明者の多くが『仔羊の輪』と関係してる可能性が浮上してきたんだよね」


 エレナが忌々しげに顔を歪めた。


「魔人による略取誘拐、ということ?」


「洗脳したんじゃないかな。ハスラウのことだし」


 リヒトは平然と口にした。


「近場から連れてきた奴の他に、ダンジョン孤児から子飼いにされてる兵士とかもいるだろうね」


「その人たちは今も山中に囚われているのよね? すぐに助け出さないと──」


「いや」


 凪が割って入った。


「どうして!」


 声を荒げるエレナに、リヒトが応える。


「彼らは日常的に洗脳を受けている。まず間違いなくね。ハスラウを盲信する尖兵だ。そうなった人が何百、何千といる。彼らが武装しているとすれば相当な戦力だ。それを相手取っては、『救出』を最優先にはできない。まず『無力化』だよ」


 エレナは何事か言おうとしたが、やめた。今の自分は感情的になっている。深呼吸して、心を落ち着けた。


「……リヒト。あなたの【電脳】で、ハスラウの洗脳を解けるかしら?」


「理論上はね」


 即答だった。


「ただ、多くの時間と魔力を消費すると思う。それに、精神や脳神経にどれほどの負担がかかるかわからない。仮に問題なく洗脳を解けたとして、彼らが解放されるわけではないよ。心の拠り所を喪うわけだからね」


 黙り込むエレナ。リヒトも、凪も、何も言わない。

 アニマが手を打ち鳴らし、空気を切り替えた。


「いま話すべきことを話そうぞ。まずは今後の方針じゃな。山中にはハスラウの被害者が残っているはず。まずは山へ分け入る必要があろう。凪よ、手配は済んでいるかえ?」


 アニマの問いかけに、凪が重々しく頷いた。


「はい。すでに探索者協会の先遣隊が向かってます。しばらくしたら探索報告が──」


 突如、ダンジョンが大きく揺れた。


「地震!? いや違う!!」


 エレナはすぐに錯誤に気付いた。ダンジョンは異空間。プレートの動揺などには影響されない。これは時空間の異常による揺れ。


 ダンジョン発生による空間震。


「凪よ」


 アニマの声に、


「ええ。くだんの山がダンジョン化したようです」


「……やられましたね。もう数日かけると思っていたんですが」


 リヒトが静かに呟いた。エレナが声の方を向く。彼の横顔は、真剣味に溢れていた。


「柳楽さん、すぐに会長につないでください。ここから先は全面戦争です」







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