第30話 精神と時の……

 エレナとリヒトは、広々とした石窟にて対峙していた。


 エレナは氷柱つららの群れを背後に浮かべながら、リヒトとの間合いを調整する。フットワークで翻弄しようとするリヒトの動向に気を配りながら、氷柱を射ち出して牽制する。


 リヒトは危なげなくかわしつつ、遠間から声を掛ける。


「飛び道具で間合いを保つのは良いけど、魔力はどんどん減ってくでしょ。それじゃジリ貧じゃない?」


「氷柱だけならどってことないわよ!」


 応答もそこそこに更なる距離を取ろうとして、異変に気付く。


 リヒトが屈み込んでいる。


 跳躍の予備動作。一気に接近するつもりだ。


「行くよ」


 予告するリヒトに、



 エレナは不敵に応じた。


 瞬間、リヒトの足元から氷の大蛇が現われ、巻き付いた。


(地中を掘り進んで来たのか。でも、この程度ならシバリングで……)


 シバリング。筋肉を震動させ、熱を生み出す現象。リヒトはそれを任意で、かつ超高速で行うことができる。

 しかしリヒトが力を込めるより早く、エレナから魔力が溢れた。見ると、彼女の眼前に巨大な氷柱が装填されている。


 最大級の氷柱が、最高硬度に圧縮され、最高速度で射出される。


 その直前、エレナの視界を何かが埋め、衝撃に意識を失った。



「はい、おつかれ」


 エレナが目を覚ますと、目の前のリヒトがねぎらいの言葉をかけた。


「……お疲れ様。今回の私の死因は何?」


「投石だね」


 リヒトは淡々と答えた。


「地中から大蛇が現れたとき、石床が砕けていくつかの石が転がってた。君の死角になっている左手でそれ拾ってたんだよね。で、君が氷柱を射出するために魔力を集中している隙に、それを思い切り投げつけたワケ」


 神妙な表情を浮かべたエレナに、リヒトは肩を竦めた。


 リヒトが【電脳】によって作った幻覚の世界で、エレナは模擬戦を何度も繰り返していた。平原、石窟、山中、街中など、様々な環境で戦い、全敗していた。


 全敗。

 勝機らしい勝機を見出すことすら無く、全敗。


 心身ともに強靭なエレナだが、少し凹んでいた。同年代者に大きく水を開けられるのは初体験だった。


 少しだけうつむいたエレナの頬に、温かい手が触れた。


「ひゃっ!」


「なはは、かわいー悲鳴!」


 なぎだった。


「急に触らないでよ」


 眉をひそめるエレナ。そのしかめっ面も、凪に揉みくちゃにされながらでは愛らしく見えた。


「触ったほうが解析精度が上がるのよん。……ん、各種バイタル問題なし。ここまで過酷に鍛えてちょっとした脳疲労のみで済むとは、やはり【電脳】恐るべし」


「ふん、当然じゃ」


 凪の隣、宙にて魔王アニマが鼻を鳴らした。


 4人がダンジョンに潜ってから、3日が経過していた。

 リヒトによる賞金サイト作戦により、日本中の反社会勢力が動乱し、同時に、魔人ハスラウの存在が炙り出された。それから約10時間後、日本中の反社会勢力が、何者かの手によって壊滅まで追い込まれた。その『何者か』は正体については一切不明であるが、便宜上エックスと名付けられ、警察庁に対策本部が置かれた。エックスによって、各地に巣食う反社会勢力は指揮系統を細断された。

 特に、国内最大規模の犯罪組織であり、数多くの優秀な魔術士を雇っていた九人會きゅうにんかいの壊滅は青天の霹靂へきれきであり、これをもって裏社会は畏縮した。


 リヒトがダンジョンに潜らされたのは、反社会勢力の干渉から身を隠すためである。本来の目的に鑑みれば、もはや潜り続ける必要は無い。


 しかし、リヒトたちは依然、ダンジョンの中に居た。


 ハスラウ含む魔人一味やエックスは、数合すごう理人りひとを狙うだろう。その過程で、天花寺てんげいじエレナの命も危険に晒される。人質になることもありえる。


 であるのならば、リヒトの手でエレナを鍛え上げるのが良い。


 それが探索者協会の見解だった。


 閑話休題。


 リヒトは模擬戦のフィードバックを続ける。


「魔術戦に慣れると魔力感知に頼りすぎる。自分が物理攻撃でも死ぬってことを忘れがちになる。特に、探索者はそうなりやすい。魔物は魔術でしか殺せないからね。自分が使わない攻撃手段は、自然と忘れてしまうものさ」


 話を聞いていた凪が赤ベコのように頷く。


「それな! 魔人戦・対人戦に備えるなら、その癖は早めに治さないとね。魔術に織り交ぜて現代兵器とか使われるとマジ厄介だし」


 対人戦、という言葉に、エレナはわずかに眉をひそめた。彼女にはまだ、人間を殺傷する覚悟は無い。その葛藤を悟らせぬよう。エレナは即座に言葉を返す。


「大抵の銃器は私たちには効かないでしょう。爆弾だって、携行できるほどのサイズなら魔力障壁で防げるわ。今みたいに頭に食らわなければ……」


「強力なライフルや改造拳銃ならアフリカゾウだってイチコロだよ。そういうのだと流石にキビシーんじゃない?」


 沈黙したエレナの代わりに、リヒトが言葉を継ぐ。


「それに、現代兵器は銃や爆弾だけじゃない。化学兵器だってある。毒物によるダメージは治癒力強化じゃ対処しきれないよ。組織損傷を治せても、原因物質の特定と排出には多大なコストがかかる。戦闘中に攻防と同時並行でやるのはキツいよ」


 経験談のような語り口だった。

 最後に、魔王アニマが話を継いだ。


「然り。この世界では魔術に頼らぬ兵器が大量にある。研究と研鑽が必要じゃな。しかし、人が強くなるには休養が必要不可欠じゃ。エレナ、そろそろ食事にしようぞ」


 流れるような誘いだった。


「いや、もう一本お願いするわ。次こそは魔力感知に頼らず、もっと五感を研ぎ澄ませると思うの」


 エレナの凛々しさに、リヒトが目を丸くする。そして、微笑んだ。


「いいよ。やろうか」


 そして指を鳴らし、壁へ身を預け、座り込む。エレナもまた同様に、壁へもたれる。幻覚の世界へ飛んだふたりは、現実では眠っているように見える。


「見上げた根性じゃのう、エレナは。もう1000時間以上は模擬戦に励んでいるというのに、疲労の影がまるで見えん」


 アニマは感心していた。

 【電脳】による幻覚を応用した模擬戦。その際、対象者の各種感覚を自在に操ることができる。初回時にアニマはリヒトとエレナの時間感覚を減速させ、外部から見るとスローモーションに見えるようにした。


 その後、地上での騒動や探索者協会の意志を踏まえ、自らが強くなる必要があると知ったエレナは、を提案した。


 時間感覚の加速。外部から見るとハイスピードに見えるようにし、より高密度の鍛錬を積もうと考えた。


「精神と時のなんとやら、じゃな」


「漫画とか読むんすね」


 アニマの独り言に凪が応じた。


わらわは人間の紡ぐ物語は何でも好きなんじゃ。それはそれとして、なぎよ。まさか其方がこの案に賛成してくれるとは思っていなかったぞよ」


「賛成はしてません。今だって反対ですよ。心情的には」


 言って、凪は深く嘆息した。

 時間感覚を加速しての模擬戦について、凪は強く反対していた。エレナの脳に過大な負荷がかかる、というのが理由だった。


 現在、エレナの脳にかかる負荷をアニマが代理演算で処理している。さらに、現実世界で眠っているエレナを常に凪の蝶が解析している。


 万全の体制だった。

 それでも、凪には不安があった。


「脳ってぇのは複雑怪奇な臓器で、何がどんな負荷になるかわかったもんじゃありません。脳と魔術の関係だって未だほとんどがブラックボックスです。特に、スキルホルダーに関しちゃ、『何もわかってない』っつっても過言じゃない。こんな鍛え方、恐くて恐くて気が気じゃないすよ」


 でもね、と凪は続ける。


「強くなりたいってエレナが言ってるんです。止められませんよ。探索者としても、親友としても」


 語る凪の表情には、慈しみに満ちていた。


「……そうか。まこと、人間とはいものよ」


 アニマは瞑目し、静かに言った。


「時に、周囲の魔物は大丈夫かえ? このダンジョンはそれなりのランクだったはずじゃが……」


 アニマが問うた。

 探索者協会はリヒトをダンジョンに匿うにあたって、やや高難度のダンジョンを指定した。並みの術士では近づけないほどの危険地帯であった方が、反社会勢力が近づきにくいと考えたのだ。


「ああ、それは大丈夫っす。私がスキルで殲滅してるんで」


 凪が事もなげに答えた。


「左様か。いやはや、其方も中々……」


 強い。

 その結論を、アニマは口にはしなかった。











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