第30話 精神と時の……
エレナとリヒトは、広々とした石窟にて対峙していた。
エレナは
リヒトは危なげなくかわしつつ、遠間から声を掛ける。
「飛び道具で間合いを保つのは良いけど、魔力はどんどん減ってくでしょ。それじゃジリ貧じゃない?」
「氷柱だけならどってことないわよ!」
応答もそこそこに更なる距離を取ろうとして、異変に気付く。
リヒトが屈み込んでいる。
跳躍の予備動作。一気に接近するつもりだ。
「行くよ」
予告するリヒトに、
「来させない」
エレナは不敵に応じた。
瞬間、リヒトの足元から氷の大蛇が現われ、巻き付いた。
(地中を掘り進んで来たのか。でも、この程度ならシバリングで……)
シバリング。筋肉を震動させ、熱を生み出す現象。リヒトはそれを任意で、かつ超高速で行うことができる。
しかしリヒトが力を込めるより早く、エレナから魔力が溢れた。見ると、彼女の眼前に巨大な氷柱が装填されている。
最大級の氷柱が、最高硬度に圧縮され、最高速度で射出される。
その直前、エレナの視界を何かが埋め、衝撃に意識を失った。
◆
「はい、おつかれ」
エレナが目を覚ますと、目の前のリヒトがねぎらいの言葉をかけた。
「……お疲れ様。今回の私の死因は何?」
「投石だね」
リヒトは淡々と答えた。
「地中から大蛇が現れたとき、石床が砕けていくつかの石が転がってた。君の死角になっている左手でそれ拾ってたんだよね。で、君が氷柱を射出するために魔力を集中している隙に、それを思い切り投げつけたワケ」
神妙な表情を浮かべたエレナに、リヒトは肩を竦めた。
リヒトが【電脳】によって作った幻覚の世界で、エレナは模擬戦を何度も繰り返していた。平原、石窟、山中、街中など、様々な環境で戦い、全敗していた。
全敗。
勝機らしい勝機を見出すことすら無く、全敗。
心身ともに強靭なエレナだが、少し凹んでいた。同年代者に大きく水を開けられるのは初体験だった。
少しだけうつむいたエレナの頬に、温かい手が触れた。
「ひゃっ!」
「なはは、かわいー悲鳴!」
「急に触らないでよ」
眉をひそめるエレナ。そのしかめっ面も、凪に揉みくちゃにされながらでは愛らしく見えた。
「触ったほうが解析精度が上がるのよん。……ん、各種バイタル問題なし。ここまで過酷に鍛えてちょっとした脳疲労のみで済むとは、やはり【電脳】恐るべし」
「ふん、当然じゃ」
凪の隣、宙にて魔王アニマが鼻を鳴らした。
4人がダンジョンに潜ってから、3日が経過していた。
リヒトによる賞金サイト作戦により、日本中の反社会勢力が動乱し、同時に、魔人ハスラウの存在が炙り出された。それから約10時間後、日本中の反社会勢力が、何者かの手によって壊滅まで追い込まれた。その『何者か』は正体については一切不明であるが、便宜上エックスと名付けられ、警察庁に対策本部が置かれた。エックスによって、各地に巣食う反社会勢力は指揮系統を細断された。
特に、国内最大規模の犯罪組織であり、数多くの優秀な魔術士を雇っていた
リヒトがダンジョンに潜らされたのは、反社会勢力の干渉から身を隠すためである。本来の目的に鑑みれば、もはや潜り続ける必要は無い。
しかし、リヒトたちは依然、ダンジョンの中に居た。
ハスラウ含む魔人一味やエックスは、
であるのならば、リヒトの手でエレナを鍛え上げるのが良い。
それが探索者協会の見解だった。
閑話休題。
リヒトは模擬戦のフィードバックを続ける。
「魔術戦に慣れると魔力感知に頼りすぎる。自分が物理攻撃でも死ぬってことを忘れがちになる。特に、探索者はそうなりやすい。魔物は魔術でしか殺せないからね。自分が使わない攻撃手段は、自然と忘れてしまうものさ」
話を聞いていた凪が赤ベコのように頷く。
「それな! 魔人戦・対人戦に備えるなら、その癖は早めに治さないとね。魔術に織り交ぜて現代兵器とか使われるとマジ厄介だし」
対人戦、という言葉に、エレナはわずかに眉をひそめた。彼女にはまだ、人間を殺傷する覚悟は無い。その葛藤を悟らせぬよう。エレナは即座に言葉を返す。
「大抵の銃器は私たちには効かないでしょう。爆弾だって、携行できるほどのサイズなら魔力障壁で防げるわ。今みたいに頭に食らわなければ……」
「強力なライフルや改造拳銃ならアフリカゾウだってイチコロだよ。そういうのだと流石にキビシーんじゃない?」
沈黙したエレナの代わりに、リヒトが言葉を継ぐ。
「それに、現代兵器は銃や爆弾だけじゃない。化学兵器だってある。毒物によるダメージは治癒力強化じゃ対処しきれないよ。組織損傷を治せても、原因物質の特定と排出には多大なコストがかかる。戦闘中に攻防と同時並行でやるのはキツいよ」
経験談のような語り口だった。
最後に、魔王アニマが話を継いだ。
「然り。この世界では魔術に頼らぬ兵器が大量にある。研究と研鑽が必要じゃな。しかし、人が強くなるには休養が必要不可欠じゃ。エレナ、そろそろ食事にしようぞ」
流れるような誘いだった。
「いや、もう一本お願いするわ。次こそは魔力感知に頼らず、もっと五感を研ぎ澄ませると思うの」
エレナの凛々しさに、リヒトが目を丸くする。そして、微笑んだ。
「いいよ。やろうか」
そして指を鳴らし、壁へ身を預け、座り込む。エレナもまた同様に、壁へもたれる。幻覚の世界へ飛んだふたりは、現実では眠っているように見える。
「見上げた根性じゃのう、エレナは。もう1000時間以上は模擬戦に励んでいるというのに、疲労の影がまるで見えん」
アニマは感心していた。
【電脳】による幻覚を応用した模擬戦。その際、対象者の各種感覚を自在に操ることができる。初回時にアニマはリヒトとエレナの時間感覚を減速させ、外部から見るとスローモーションに見えるようにした。
その後、地上での騒動や探索者協会の意志を踏まえ、自らが強くなる必要があると知ったエレナは、その逆を提案した。
時間感覚の加速。外部から見るとハイスピードに見えるようにし、より高密度の鍛錬を積もうと考えた。
「精神と時のなんとやら、じゃな」
「漫画とか読むんすね」
アニマの独り言に凪が応じた。
「
「賛成はしてません。今だって反対ですよ。心情的には」
言って、凪は深く嘆息した。
時間感覚を加速しての模擬戦について、凪は強く反対していた。エレナの脳に過大な負荷がかかる、というのが理由だった。
現在、エレナの脳にかかる負荷をアニマが代理演算で処理している。さらに、現実世界で眠っているエレナを常に凪の蝶が解析している。
万全の体制だった。
それでも、凪には不安があった。
「脳ってぇのは複雑怪奇な臓器で、何がどんな負荷になるかわかったもんじゃありません。脳と魔術の関係だって未だほとんどがブラックボックスです。特に、スキルホルダーに関しちゃ、『何もわかってない』っつっても過言じゃない。こんな鍛え方、恐くて恐くて気が気じゃないすよ」
でもね、と凪は続ける。
「強くなりたいってエレナが言ってるんです。止められませんよ。探索者としても、親友としても」
語る凪の表情には、慈しみに満ちていた。
「……そうか。まこと、人間とはういものよ」
アニマは瞑目し、静かに言った。
「時に、周囲の魔物は大丈夫かえ? このダンジョンはそれなりのランクだったはずじゃが……」
アニマが問うた。
探索者協会はリヒトをダンジョンに匿うにあたって、やや高難度のダンジョンを指定した。並みの術士では近づけないほどの危険地帯であった方が、反社会勢力が近づきにくいと考えたのだ。
「ああ、それは大丈夫っす。私がスキルで殲滅してるんで」
凪が事もなげに答えた。
「左様か。いやはや、其方も中々……」
強い。
その結論を、アニマは口にはしなかった。
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