「ざまぁ」のない追放劇
皇都南東部のアサフラン区に「異端兵団」の活動拠点がある。
ギルドの皇都東支部と南正門のちょうど中間に位置し、利便性は隔離区から通っていたときに比べれば、段違いに改善された。
そのお値段、何と二千万オーロ。地方だったら屋敷の建つほどだが、皇都では最も地価の安い外郭近辺ですら、やや広めの庭がついた一軒家が買える程度だ。
そこを「
イドリスは一度隔離区に戻り、アイリンの様子を確認してから、ギルドへ行き、報酬を受け取った。その足で「ホーム」へと足を伸ばす。いくら嫌われるようにするとしても、金銭のことだけはしっかりとしなければならない。イドリスの几帳面さはいっそ病的ですらあった。
イドリスが「ホーム」に着いたとき、一階南東の角の大部屋、食堂兼会議室として使われる一室だけに明かりが灯っていた。食事でもしているのかと思い、イドリスは何の考えもなく食堂へと足を踏み入れようとした直前、アルスランの口から衝撃的な一言が飛び出した。
「みんな集まったな。なら、聞いてくれ。おれはイドリスをパーティから追放する」
意向ではなく、すでに決定していることに、その場に居合わせた全員が雷に打たれたかのように硬直した。
イドリスも反射的に物陰に隠れてしまった。入室するのは避けて、状況を見極めるべきだ。イドリスは息を殺して、行方を見守ることにした。
心臓が締めつけられそうな静寂はベルクによって破られる。ベルクはテーブルを拳で叩いた。凄烈な音と振動が円状に広がるが、これでも加減はしたのだろう。そうでなければ、テーブルは木っ端微塵になっていたはずだ。
「オ、オデは反対だ! こ、ここまで、や、やってこられたのは、イ、イドリスがいたからだろ!」
「それだよ、ベルク。おれたち、イドリスに頼り過ぎてたんだ。おれなんか特にそうさ。おれは『二等星』になったんじゃない。『二等星』にさせてもらったんだ」
核心を突いた発言にベルクははっとして口を噤み、他もやはり語るべき言葉を持たなかった。再び沈黙が雪のように舞い落ちる。
閑静に耐えかねたように、今度はアスリが口を開いた。その顔は青ざめ、震えていた。
「あたし、やだよ。そんなことしたら、イドリスに嫌われるじゃん。そんなの絶対やだ!」
「おれだっていやだよ。でも、あいつは、イドリスは別の道へ進みたがってる」
「別の道?」
「『アカデミア』だよ。近いうちにギルドでアカデミア推薦の選抜試験が始まる。イドリスはそれに参加するつもりだ」
「どうして? 何でイドリスはあたしたちにいっしょに来いって言わないの?」
「推薦枠は各支部に一つだけなんだよ。試験には筆記もある。今のおれたちじゃ、どうやったってそこで落とされる」
今ならばわかる。イドリスがあれだけ熱心に文字と計算を学ぶように勧めたのかを。イドリスは常に仲間のことを思い、未来において選択肢の幅を広げることを考えていた。それを撥ねつけたのは自分たちだ。
その上、イドリスは無理強いをしなかった。そうしたところで身につかないのがわかっていたのだろう。後悔しても仕切れない。
「ごめん……ごめんなさい、イドリス」
遅まきながら、イドリスの真意を知ったアスリは両手で顔を覆い、嗚咽の声を漏らした。ベルクも後悔が涙となって、頬に流れ落ちる。
その中で比較的平静を保っていたディララがアルスランに尋ねた。
「イドリスはどうしてアカデミアに行きたいの? わたしたちと離ればなれになってまで」
「アイリンおばさんのためだろうな。アカデミアならおばさんの病気を治す方法が見つかるかもしれないし」
ここまで盗み聞いていたイドリスはアルスランの洞察力に感歎していた。そもそも誰にもアカデミアに行きたいと漏らしたことはないのだ。
唯一思い当たる節があるとすれば、待ち合わせの際、ギルドの壁に貼られていたアカデミア推薦選抜試験のポスターを熱心に見ていたところをアルスランに見られたことくらいだろうか。言葉を濁して、ごまかしたが、不審に思ったアルスランはどうもそのことを記憶していたようだ。
「話はまとまったな。イドリスにはおれから話しておく」
どうやら話はこれで終わりのようだ。イドリスは気配を消して、その場を後にすると、明くる朝、何食わぬ顔でホームへと訪れた。
その足で食堂に進むと、朝も早いのに、すでにアルスランを始め、全員が揃っていた。イドリスは何も知らぬ体で金の入った袋をテーブルの上に置いた。
「昨日の報酬だ。今回はギルドが奮発してくれたみたいでよ……って、何だ、おまえら、そんなに怖い顔してよ?」
「イドリス、話があるんだ」
「何だよ? もしかして、昨日のことか? だったら、おれは謝らねえぞ。どう考えても、おれのほうが正しいんだからな」
「そうじゃない。いや、それも関係あるか……話ってのは他でもない。イドリス、おまえをおれたちのパーティから追放する」
アルスランのみならず、イドリスと対面する全員の顔から血が引き、唇も紫色に染まっていた。
「おいおい、おまえら、もうちょっとうまく芝居しろよ。それじゃ、誰もだませないぜ」
イドリスは内心で苦笑しつつ、アルスランたちの俳優としての資質に欠けることを少しばかり憂えた。根の正直な連中がこの先やっていけるのかとの心配がある。
その一方でいつかはこんな日が来ると思っていた。イドリスという心の軛から解放されるときが来たのだ。若鳥が巣から飛び立てるように、イドリスは彼らの背中を押してやることにした。
「朝から笑えねえ冗談はやめろ。こっちは寝起きで苛ついてんだよ」
「冗談なんかじゃない。もうおまえはいらない」
アルスランが言い終わるやいなや、イドリスから放たれた鋭気が見えざる鞭と化して、テーブル上の花瓶にひびを入れた。イドリスは立ち上がると、アルスランを見下ろし、低く冷たい声をかけた。
「表に出ろ」
相手の了承も聞かず、イドリスは無言で庭に出た。ややあってから、重い足取りで一行が扉から出てくる。アルスラン一人歩み出して、イドリスと向かい合った。イドリスは依然として無表情のまま、それでも、声に怒りを滲ませて、口火を切った。
「おまえら、少し思い上がってんじゃねえのか? ちっと気合いを入れてやらねえとな。かかってこい。おまえら四人がかりでもいいぞ」
「思い上がってるのはおまえだ、イドリス。おれたちがどれだけ強くなったのか、見せてやる!」
「面白え。口だけじゃねえところ、見せてみやがれ!」
イドリスとアルスラン、同時にインベントリの中から木剣を取り出すや、両者は相手めがけて駆けだした。
勝負は一瞬だった。わずかにアルスランの剣が速く、イドリスの左脇腹を斬り、そのまま斜めに身体を横断して、右肩へと抜けた。木剣でなければ、イドリスの身体は両断されていたかもしれない。いや、アルスランが斬る直前に手加減をしなければ、木剣であってもイドリスは致命傷を負ったことだろう。
一合と剣を交えることもなく斬られたイドリスの身体は後方に弾かれ、何度か地面に跳ねてから、ようやく収まった。イドリスは起き上がろうとするも、肉体は持ち主の意思に反して、サボタージュした。
倒れたままのイドリスにアルスランが近づき、言葉を投げかけた。
「これでわかっただろ? もうおれたちはおまえよりもずっと強いんだ! おまえがいなくても、おれたちは十分にやっていけるんだ!」
喧嘩に負け、地に伏すイドリス以上に苦痛に満ちた顔をしているアルスランの声はやはり痛みを伴っていた。
イドリスはアルスランの健闘を称えようとしたが、痺れにも似た痛みが全身に走り、身体と声帯の自由を奪われていたため、何一つ意思表示できない。
「それじゃ、おれらはもう行く。それからあの金はおまえにあげるよ。じゃあな、イドリス……」
最後は消え入りそうな声だったが、未練を振り払うようにアルスランは踵を返すと、仲間ともに立ち去った。
彼らがいなくなって、一人取り残されたイドリスは今度こそ立ち上がろうとしたが、やはりうまくいかずに仰向けにひっくり返った。空の青さの鮮やかさが目に染みる。腹の底から何とも愉快な気持ちになってきて、痛みを堪えながら、絶え絶えに笑った。
「ほら見ろ、アルスラン。やればできるじゃんか。やっぱ強えわ、うちのアニキはよ」
こんなにも爽やかな敗北感があっただろうか。過去にもなければ、おそらく未来にもないだろう。イドリスの心は満足のうちにあった。
「ベルク、みんなを守ってやってくれ。アスリ、約束守れなくて、ごめんな。ディララ、おまえの頭の良さでみんなを正しい方向へ導いてくれ」
イドリスは虚空に手を伸ばす。渾身の力を必要とした。ただひたすら願う。大空に向かい羽ばたく兄弟たちに光と幸いがあらんことを、と。
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