こんな冒険者ギルドがあってたまるか!
「僧帽筋も!」
謎の悲鳴とともに、イドリスの意識は現実世界に浮上した。
本人は跳ね起きたつもりだったが、椅子に身体を縛られ、身動きが取れず、椅子ごと動いたというわけだ。
悪夢から目が覚めて、荒々しい息を整える間もなく、次の悪夢の幕が上がった。
「おっ、目が覚めたかい、少年? では、改めまして、冒険者ギルド皇都東支部へようこそ! ボクが空前絶後以下略のパウラちゃんだ!」
イドリスの眼前に現れたのは、一言で言い表せば「痴女」であった。受付嬢の制服を着崩しているなどという生易しいものではなく、明らかに布面積が小さい。とりあえず大事なところだけを隠しておけばいいと言わんばかりだ。
自分のことを空前絶後以下略と宣巻くだけあって、容貌は見目麗しい。確かに顔立ちは整っているのだが、何やら妙な違和感がある。十代と言われれば、そうだと思うし、また、四十代だと自白されれば、そうかもしれないと思ってしまう。そんな年齢不詳の妖しさがある。
その上、確かに「ナイスバデー」と自慢するだけはあり、多少だらしないところがあるにせよ、出るとこは出っ張り、引っ込むところは引っ込んでいる。何ともいじましい努力の跡が窺い知れるよき肢体である。
しかし、そう、しかしながら、イドリスの目はどうしても困惑した表情を浮かべるディエゴの大胸筋へと釘付けにされてしまうのだ。
イドリスの目線が自分ではなく、ディエゴに向いていることで、承認欲求を満たされなかったらしいパウラは眉間に不平不満の縦皺を刻みながら、何故かディエゴの紹介を始めた。
「で、こちらがディエゴさん。現役の『二等星』冒険者さ。ちょっと前まで本部で『エルクエス』ってパーティを組んでたんだけど、方向性の違いから解散しちゃってね」
バンドマンかな。イドリスはつい前世で起こったことを思い出していた。高校生だった頃、傍にいた軽音楽部員の会話を盗み聞きしてしまったのだが、まだライブハウスなどで演奏したこともなさそうな連中が音楽性の違いでバンドを解散させたとか言っているのが実に片腹痛かった。その後、殴られかけたが、悪いのはどう贔屓目に見ても、笑える話をしたほうにあるだろう。
「ただね、この話には裏があるんだ」
パウラがそう言った途端、あからさまに狼狽えたディエゴは黙らせようとするも、女性を無理矢理どうにかするというのは憚られたのだろう、オロオロとするばかりで次の行動に移せずにいる。パウラはそのことに気づいたのかどうか、話を続けた。
「エルクレスは三人パーティだったんだけど、男二人に女一人の構成だったんだよね。まあ、ここまで言えばわかると思うけど、ディエゴさんではないほうと女がくっついちゃったわけだ。かわいそうに、ディエゴさん、その女に気があったってのにさ」
「やめて差し上げろ。もう大胸筋さんのMPはゼロよ」
ディエゴはその場にうずくまり、大きな身体を丸め、両手で顔を覆っていた。よほど聞かれたくない話だったのだろう。
溜飲を下げたらしいパウラは鼻息荒く、文句があるなら言ってみろと言わんばかりにイドリスに対した。水を向けられても、イドリスは正直何を言えばわからないから、さしあたって思ったことを口にした。
「サイテー、アンタサイテーダワ」
片言になるのはどうしようもない。何を言っても不正解であるのは確実なのだから、ここは言葉がわからない振りをしたほうがいい。たとえ、今まで普通に話せていたとしてもだ。
イドリスのやる気のない難詰に、消沈するかと思いきや、パウラは逆に豊満な胸を反らした。
「だって、しょうがないじゃないか! ボクだってフラれたばっかなんだからさ、ボクよりひどい目に遭った人がいるってだけで頑張れるってもんだろ?」
事情を聞いても、パウラの評価が改まることはなかった。むしろ、さらに下がった。どうしてこれで言い訳できると思ったのか。
おそらくパウラは読心術でも持っているのだろう、イドリスが一向に慰めの言葉を吐かないので、強引に話題をすり替えてきた。
「だいたいキミだって、ひどいだろ? ディエゴさんのことを大胸筋さんとか筋肉の名前で呼んじゃってさ!」
「いや、そんなこと言ってないですよ。ちゃんと広背筋さんと……はっ!」
「はっ、じゃないんだわ! わざとらしいな、キミ!」
「だって、あんな筋肉を見せびらかす上腕三頭筋さんのほうが悪いんですよ」
「そっちのほうが絶対に言いづらいじゃん! って、さっきからボクだけがツッコんでばかりじゃないか! くっ! このボケ倒しのパウラともあろうものが」
地団駄踏んで悔しがるパウラだったが、次第に怒りの熱も冷めてきたのか、やがて罪なき床を蹴ることをやめた。しかも、何かを受け入れたかのように微笑むと、イドリスと向き合った。
「潔くボクの負けを認めようじゃないか。少年、なかなかやるじゃない」
憑き物が落ちたかのようなパウラとイドリスの視線が交差した。お互いが健闘を讃え合うかのように笑顔を向けあう。イドリスのほうはとりあえず笑っとけとの本能の命令に従ったまでだが。それでも、二人の心はどこか通じ合ったと思った。
しかし、それが錯覚でしかなかったことはすぐに証明される。
「で、キミ、何しにここに来たんだっけ?」
「やっとそこ!」
イドリスが冒険者になるのはもう少し先のようであった。
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