運命のクラス分け
アカデミアの名所にもなっている大講堂の前に掲示板が立っている。
今、掲示板にはクラス分けの紙が貼られていた。
朝一、誰もいない掲示板前で、イドリスは絶望の表情を浮かべていた。
一組に自分の名があったからだ。
クラス編成はたったの二組しかなく、一組は無試験入学の貴族子弟によるクラス分け試験で上位の成績を収めたもの、皇族と高位貴族、そして、入学試験で最上位の成績を収めたもの、あるいは推薦入学、特待生などで構成される。
貴族の子弟にとっても一組に入れるかどうかで、その後の人生行路が決まってしまうので、かなり必死に勉強してくるものだ。それなのに、そのお貴族様を差し置いて、平民が一組に編入されるとしたら、彼らの嫉妬と怒りはどれだけ深くなるか。一人二人ならともかく、貴族全体からのヘイトを買うのは避けたいところ。
誰にやればいいのか、わからないが、とりあえず偉そうな肩書きのある連中に直談判して、二組に落としてもらうしかないだろう。
まずは学長からと思い、踵を返したところに人がいて、イドリスは思わず後ろにひっくり返りそうになる。人のすぐ後ろに立つとは命がいらないらしいと文句の一つでも言ってやろうと思ったイドリスではあるが、その顔を見たとき、つい心の中で快哉を叫んでいた。
「キ、キタァ! フェルナン・デ・ラ・シスネロス子爵!」
「アストレイ・アストラル」において、フェルナンは重要攻略人物だ。固有のエンディングがあるだけではなく、「主人公」と結ばれた後も平穏な人生を送ることが約束されている。まず第一にお近づきになりたい人物だ。
だが、こちらがフェルナンを知っているというのはさすがにおかしい。イドリスは知らぬ体を装い、慌てたように頭を下げた。
「も、申し訳ありません! 後ろに人がいるとは気づかずに、ご無礼を」
「い、いや、ぼくのほうこそ」
早朝から男二人が頭を下げ合うという奇景に誰も立ち会えなかったのは残念なことだったのかもしれない。一方は打算から、もう一方は善意からの謝罪だったので、その差異もまた趣があったことだろう。
フェルナンは頭を上げると、イドリスに向かって微笑を浮かべる。もし、イドリスが「主人公」であれば、胸がときめいたかもしれない。
「ぼくはフェルナン・デ・ラ・シスネロスだ。よろしく」
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。お……わたしはイドリスと申します。高名なる子爵さまの御意を得て、光栄に思います」
一人称を言い間違えそうになったが、礼儀作法には適っているとイドリスは自負した。
しかし、貴族にあるまじき善人のフェルナンにはあまりお気に召さなかったようだ。
「よしてくれ。ぼくはそんなに偉くないし、傅かれるのは慣れてないんだ」
「失礼しました。ですが、若くして爵位を得て、子爵領は栄えていると聞き及んでおります。尊敬されてしかるべきでは?」
「周りの人がすごいんだ。領民もみんないい人ばかりだし、ぼくの力なんてたいしたことないんだよ」
貴族には二種類いる。一つは家の権威を笠に着て、横暴を尽くす側だ。もう一つが貴族としての立場をわきまえ、ノブレスオブリージュを果たそうとするものだ。
フェルナンは疑いようもなく後者ではあるが、こういう人間は得てして理想主義に走りやすい。
前世でもそういう人間がいた。フランス革命の立役者になった貴族だ。彼らはアメリカ独立戦争にも参戦し、自由の風を祖国に運んだ。結果、革命に賛同した貴族はその地位を奪われてしまったが。
「アストレイ・アストラル」では、フェルナンは平民の「主人公」と結ばれるために方々へと奔走し、終いには国の仕組みすら変えたのだ。理想のためならどこまでも突っ走れるのがフェルナンで、「普段はおとなしいが、それだけにキレたらヤバい」の典型的な人物である。
「逆らわんとこ」
フェルナンへの対応が定まったところで、イドリスは改めて悩み多き子爵へと対した。
「わかりました。ですが、一線を引くのはフェルナン様のためにも必要なことだと思います。誰の目があるかもわかりませんから、わたしはこの調子でフェルマン様に応じます」
「そうか……いや、まあ、今後に期待だな。それでは、改めてよろしく頼むよ、イドリス」
「こちらこそ」
二人は固く握手を交わす。イドリスは内心でほくそ笑んでいたが。
「それにしても、昨日寮母と大立ち回りをしたのと同一人物とは思えないな」
「見てられたのですか? でも、フェルマン様は貴族寮のはずでは?」
「いや、ぼくも平民寮に入れてもらったんだ。というより、コンシェルジュに追い出されてね。身分も明かしたんだけど、とりつく島がなくて」
あのコンシェルジュは勇者か何かかと、イドリスは呆れながらため息をついた。フェルナンは現役の子爵であり、名実ともに貴族である。皇国の法では貴族とは爵位を持つ「個人」を指すものであり、家ではない。故にフェルナンを追い出すのは、皇国の法をも侵害するものなのだ。もっとも、貴族の子弟どもはそんな法があることすら知らないだろうが。
いずれ法の裁きが下されるだろう。下らなかったら、アカデミアの法務部にでも密告してやればいい。因果は必ず応報されるべきだ。
「ぼくとしてはこれでよかったと思ってたんだよね。他の貴族と話してると、ストレスがたまる一方だから。でも、やっぱりあの寮母が平民寮では問題になっててさ、他の寮生も随分と困ってたみたいだ。そこできみが彼女をコテンパンにしてくれたものだから、正直言うとね、胸がすっとしたよ」
自分のためにしたことだが、他の誰かの役に立っていたのなら上出来だろう。彼らがそれを借りだと思うのならなおよい。いずれ利子をつけて返してもらおう。
「一応さ、ぼくも止めようとはしたんだよ。でも、止める前にイドリスが全部終わらせちゃったし」
「なら、今度はフェルナン様にも出番が来るよう調節しますよ」
「いや、冗談だよ。実は手も足も出なかったってところさ。イドリスの迫力に少し怯んだのかもしれない」
「お見苦しいところをお目にかけて、申し訳ありません」
「い、いや、謝らないでくれ。そういう意味で言ったんじゃないんだ」
慌てるフェルナンというのもなかなかに絵になる。何故かはわからないが、イドリスはフェルナンに何ら悪感情を抱けずにいた。もし、貴族に仕えなければならなくなったとき、フェルナンならば進んで麾下にはせ参じようと思うほどだ。
いつか未来の主になるかもしれないフェルナンがいつまでも恐縮してるのは、さすがに心苦しい。イドリスは話題を転換させることにした。
「ところでフェルナン様、クラス分けの張り紙はご覧になりましたか?」
「あ、ああ、そうだった。ええと、ぼくの名前は……」
フェルナンの視線と同じ動きをする右手の人差し指がなんとも面白いが、やがて一つのところに止まった。
「ああ、あったあった。ああ……一組かあ」
フェルナンが落ち込んでいるのは、おそらく自分と同じだろう。シンパシーを感じたイドリスはフェルナンの機嫌を和らげることにした。
「わたしも一組です。フェルナン様、今後ともよろしくお願いします」
「そ、そうなのか? いや、よかった。本当によかった」
同じクラスになることをここまで喜んでもらえれば、イドリスとしても結構なことだった。
何しろ、休み時間に話す相手がいないから机に突っ伏して寝たふりをしなくてすむのだから。
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