初体験はスライムで(性的な意味はありません)

 皇都東支部より北に進み、凱旋通りを縦断してから、皇城を眺めつつ、西へと歩を進めると、イドリスが目指している地下下水道の入り口がある。


 正直、ここまでかなり遠い。ファストトラベルなどというものは都市間、もしくはランドマーク程度にしかないもので、皇都内を移動するのはもっぱら徒歩である。


 いずれ皇都内を走る軌道車ができると言うが、さて、いつになることか。


 そこは未来に期待することにするが、実はまだ目的地はもう少し先だ。薄暗く、湿っていて、不気味な下水道は初心者の心を折ってくるが、ほぼ同じ環境である隔離区出身のイドリスからすれば慣れたものだった。


 一つ解せないのが、腰にぶら下がる虫かごだ。しかも、前世でよく見た緑色をしたプラスティック製のものだ。いや、プラスティックに見えるが、この世界にはないものであろうから、多分よく似た何かだ。いちいち突き詰める気もしないが。


 これで何をするかと言えば、スライムを捕まえるのだ。隙間だらけですぐに逃げてしまうとパウラに抗議すると、聞いているほうが不安になるような返答があった。


「えーとさ、表面張力? って言うの? それがあって、逃げられないらしいんだよね。他にもさ、スライムの中心に核があるじゃない? あの核ってさ、スライムがあの形を維持するために必要で、たとえ周りのゼリーみたいのが流れちゃっても、核さえ残ってれば、また再生するんだって。すげえ時間かかるみたいだけど」


「……」


「おいおい、何だよ? その疑わしそうな目は? そんな目で見つめられたらさあ……欲情しちゃうじゃないか!」


「クソが」


 転生してから口が悪くなったように思うが、それもやむなきこと。環境が悪い。隔離区の中と外はそれぞれ別ベクトルで教育環境がひどいのだから。


 ともあれ、自分の目的ついでに依頼をこなすのもいいだろう。自分の力も落ち着いて試したかったこともある。誰も足を運びたがらない下水道ならば、存分に試せるというものだ。


 入り口からほど近い場所に魔物は来ない。日の光と大勢の人の気配が彼らには恐ろしいのだろう。それでも一つ角を曲がれば、そこからは彼らの領域だ。


 イドリスの目論見通り、角を曲がってすぐにスライム三匹と遭遇した。一匹は通路に、二匹は下水の中でどうやらお食事中のようである。何を召し上がっているのか、想像したくもないが。


 イドリスは軽く後方へと跳躍し、距離を取った。たまにいるのだ、やたらとすばしっこい個体が。他にも魔法も使えないくせに魔力が高い個体なんかもいる。特殊個体とも言われているが、経験値が多くなることはないので、あまり旨味はない。


 転生してから始めてスライムを目の当たりにしたイドリスは少し感動してしまい、戦うこともせず、しばし見とれていた。その後すぐに気づいてしまった。この捕獲器にスライムが入るのかと。いや、どう見ても、容量不足だ。


 掴まされた。今頃、パウラが高笑いして、イドリスの失敗を嘲っているかと思うだけで、髪が逆立つほどの憤りを覚える。


「よろしい、ならば戦争だ!」


 某少佐みたいなことをほざいてから、イドリスは気持ちを切り替えることにした。いずれ年齢不詳の色情魔を退治するとして、今はいかにしてスライムを捕まえるかを考えるほうがはるかに健全である。


 初心者御用達の感があるスライムだが、実のところ、かなりの強敵だ。レベルが50を越える冒険者でもスライム50匹には敵わない。数の暴力というものだ。いかにスライムが鈍重だとしても、取り囲まれればどんなベテランであろうとも苦戦は免れない。


 おまけに中は強酸で満たされている。表面は体液が蒸発するのを防ぐ皮膜であるため、触っても平気だが、中に取り込まれてしまうと、ほとんど一瞬で骨にされかねない。当然のことながら、酸で腐食する武器も使えないということでもある。


 スライムを倒すには核を壊すか、魔法を使うかの二つだ。武器を失うかもしれないというリスクを冒し、わざわざ核を狙うものはいないから、実質一択である。


「ちょっとやってみるか」


 イドリスの本当のスキルは「剣客」でもなければ、「魔法士」でもない。「武聖」と「魔噵まどう・極」である。前者は今回使う機会がないが、後者はほぼすべてにおいて活躍できる。


「魔噵・極」のスキル構成は「全魔」、「魔法創成」、「魔法会心率上昇」の三つからなり、さらに「魔法支配」と「魔力増」がある。つまり、現存するすべての魔法が使えるだけではなく、オリジナルの魔法を創ることもできるということだ。また、魔法ダメージにクリティカルがつく。弱点を突けば、さらにダメージが上昇する。


 魔法支配とはその魔法の神髄を究めたこと意味し、ほとんど魔力を消費しなくなる。


 これだけ見れば、チートにもほどがあるのだが、前世も今世もうまい話には裏があるものだ。


 イドリスの自由とチートを縛るもの、すなわち「チートペナルティ」という文字通りそのまんまのマイナススキルだ。


 この世界において、魔法とスキルには習得レベルというものが存在する。にもかかわらず、イドリスはすべての魔法が使える。この矛盾は世界のシステムと反するとして、罰を食らうというわけだ。


 ペナルティの内容がまたえげつない。ステータス低下、レベルダウン、あるいは経験値没収のいずれか一つだ。どれをとっても、大事だが、イドリスは過去一度だけ経験値没収ペナルティを受けたことがある。


 その時のイドリスが受けた数値は今までの経験値が全損になったばかりではなく、マイナスまで落ち込んだ。


 結果、経験値は〇にリセットされ、何故か上限レベルが一増えた。意味がわからないが、これが「いいこと」であるはずがない。どこかに落とし穴があるのは疑いようがないところだ。


 結論として、迂闊に「チートペナルティ」に触れるようなことはしないほうがいいということだ。


 その上、イドリスにはまだ不利な条件がある。レベル上限が13しかないのだ。ギルドの依頼だけで食べていける冒険者の平均が30から40であることを考えると、恐ろしく低い。戦いに縁のない町民や農民であっても、上限レベルはイドリスのそれよりも上かもしれない。


 前世であれば、未来の暗さに絶望して、引きこもったかもしれないが、イドリスはいささかも悲観していなかった。低レベルクリアなど何度やったことか。しかも、条件はもっと悪かった。それを考えれば、この程度の縛りなどぬるま湯に等しい。


「そう思っていた時期がわたしにもありました」


 イドリスは一つ失念していた。スライムが魔法にはとてつもなく弱かったことを。


 結局、イドリスはスライムを倒してしまい、三つの核が手元に残るだけになってしまった。いずれも傷がついてしまい、再生する気配がない。


「しゃーない。依頼は達成できたし、次行こ、次!」


 転生したイドリスが得た最大のチートは「不都合なことはすぐに忘れる」ことだったのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る