まさかのニアミス、さらに倍
晴れて、いや、晴れてというわけでもないが、ともあれ冒険者としての地位を確保したことで所期の目的は達成できた。
続いての目的は大きく三つ。
一つは隔離区の清浄のため、スライムを持ち帰ること。懸念だったのは勝手にモンスターの類を街の中に入れてもよいのかということだったが、後日、ほとぼりが冷めた頃合いを狙って、パウラに尋ねたところ、あっけなく許可が出た。念を入れて、他の支部でも聞きに行くと、同様の回答が帰ってきたので、問題はなさそうだ。
しかし、スライムは時に異常増殖することがあり、「スライムパニック」なる現象を引き起こすことがあるらしい。なので、適宜間引きをするということが条件だった。
スライムの生息域もすでに把握している。皇都の地下を網目状になって流れる下水道だ。「アストレイ・アストラル」では初期から挑戦できるダンジョンではあるが、あまりにも広大かつ複雑すぎるので、ここで挫折するものが少なくなかった。かのゲームにおける数少ない瑕疵だろう。
というわけで、第一の目的はめどがついた。
第二の目的はアイテム集めである。とにかく今の装備がひどいのだ。武器は「果物ナイフ」、防具は「ボロい服」のみなのだから。十歳という年齢と体格を考慮して、せめて短剣と革鎧程度は揃えたいところだ。
ただ、既製品は高価なので避けたほうがいい。ギルドの提携店でも一割引にしかならず、イドリスでも買えるような安物ではあまり恩恵が受けられない。既製品が高いのは冒険者が少ないからである。需要がないから、生産量も低く、その分割高になるという構図だ。
既製品を購入しないとなると、盗賊や人型モンスターからのドロップ品に期待するしかない。盗賊はレベルがまちまちで、レベルが高いほど良品を落とすが、初心者が手を出すのは非常に危険だ。
初心者にはゴブリン狩りが勧められている。いくら粗末とは言え、武器防具が手に入るし、売れば金になる。運がよければ、「数字付」が手に入る。
前世の記憶を紐解いてみると、千隼が得たなかで最高だったのが「ボロい服+20」という代物だった。見た目がボロいのに、防御力の数値だけ見れば、鉄鎧に匹敵した。所々穴のあいた服のどこに防御力があるのか、さすがにイドリスも知らない。
だが、イドリスはこの手は使わない。ゴブリン狩りで一財産築いておけば、その後の金策も少しは楽になるだろうが、あまり効率がいいとは言えない。
イドリスには他に当てがあった。うまく嵌まれば、一等星が持つような装備品を手に入れられるかもしれないのだ。やってみる価値はあるし、できなかったら、ゴブリンを絶滅するくらいに狩り尽くせばいいだけのことである。
とにかくちまちまやっている時間はないのだ。そこで第三の目的に繋がる。何としても四年以内に三等星冒険者になっていなければいけない。この国の最高学府「アカデミア」の推薦入学の権利を勝ち取るためだ。
アカデミアは皇室が資金を提供することによって成り立っている。故に皇立と冠されている。そのためか、貴族階級からの入学が多く、平民でも試験を受け、入学基準を満たせば、入れなくはないが、限りなく狭き門だ。
たとえ入学できたとしても、貴族から陰湿ないじめに遭うのはまず間違いない。無試験で入学できる貴族と異なり、実力をもって昇ってきた才士が目障りでならないのだ。貴族たるもの見下されてはならない。ましてや、平民などから才能を鼻にかけられるのは我慢ならないという図式である。
そこはいい。できる限り接触しないよう努めるが、虚栄心の塊である貴族の子弟などいかようにもあしらえる。最終的には暴力に訴えればいい。権力と財力を持つものが最も恐れるのが、単純な暴力であるからだ。
「後は高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応するだけだな」
まるで大攻勢を失敗に終わらせた戦犯参謀のような口ぶりで、実に楽観的に見えるイドリスではあるが、本題はここからだ。
一つは「主人公」のことだ。一時期、イドリスは「主人公」とは違う時代に生まれ変わったと思い込んでいたが、そうではないことに気づいたのはつい最近のことである。
「アストレイ・アストラル」でのアカデミア入学からちょうど十年前、現時点から換算すると五年前のことだ、勇者テオが魔王フォラリスを討ち取り、魔国ベスラを皇国の支配下に置いたという一大事変があったのだ。
隔離区にいた当時は外がやたらうるさいと思ったものだが、勇者テオの凱旋と長きにわたる戦いに終止符を打ったことへの祭りが国を挙げて行われていたというのだ。
普段、許可なく隔離区の外に出て、アイリンに飲ませるポーションの材料を探しに行ったものだが、偶然その時だけは外に出ていなかったという間の悪さに、我ながら運のなさを嘆いたものだ。
つまり、今から五年後、「主人公」は必ずアカデミアに入学、いや、招喚される。この世界が「アストレイ・アストラル」を模したもの、あるいはその逆であるのならば、「主人公」は実在していなければならない。そうでないのなら、ゲームと異世界の間で矛盾が生じ、この先の「歴史」も不確定なものとなるからだ。
いると断定して、今後の行動の指針にしなければならない。それ故の四年である。
もう一つの懸念は「アストレイ・アストラル」で一番の貧乏くじを引くことになるレティシア・デ・ラ・ロサブランカのことだ。ロサブランカ公爵家の令嬢で、第三皇子トリスタン・"アルタイル"・デル・エストレアの婚約者でもある。
トリスタンのみならず、様々なところで「主人公」の邪魔をし、挙げ句、いずれも悲運な退場を遂げることになる。その末路は極刑、国外追放、幽閉、身分剥奪などなど、実に多彩だ。
逆説的にレティシアを助けることができれば、その後の国家を巻き込んだ騒乱や動乱などを避けることができるかもしれない。
ただし、そのレティシアにどう接近するかが最難問だ。
往来を歩きながら、その難問に挑んでいるが、答えはなかなか見つからない。そうしていると、向こうから一台の馬車がやってくる。
馬車と言っても、生物の馬が牽引しているわけではなく、電気を内側に秘めた「電晶石」で動く「鉄騎」が馬車を引っ張っている。馬よりも馬力があり、燃費もよく、汚い話をすれば、糞も路上に落とさないので、徐々に代替が進んでいる。
まるでモーゼが海を割ったかのように人混みが左右に分かれていく。イドリスもそれに倣い、人混みに紛れて、馬車を避けた。車体の側面には「白薔薇」の紋章が描かれている。噂をすればなんとやらで、まごうことなくロサブランカ公爵家の紋章だ。
現時点で関わり合いになるべきではないと、イドリスはその場から離れようとするが、人波に逆らって、というよりは人混みから弾かれたように、一人の少女が馬車へと飛び出そうとしていた。もし、貴族の馬車に近づこうものなら、その場で手打ちにされても仕方がない。貴族を狙ったテロもそれなりにあるからだ。
イドリスは舌打ちして、人混みをかき分け、あわやというところでその少女の手を取った。引きずるように手を引き、やや開けたところでイドリスは投げ捨てるように少女を解放した。
拍子で転んだ少女を見て、イドリスは眉を上げた。自分が言うのも何だが、少女の風体はいかにも奇妙に映ったからだ。
光の調子でピンク色にも映る明るい赤毛と顔の半分を覆う眼鏡に目を奪われる。しかも、レンズがどれだけ分厚いのか、瞳が見えない。少女は怯えた様子で見つめてきたので、イドリスは期待に応えてさらに怖がらせることにした。
「あんた、何考えてんだ? 貴族の馬車に近づくなんて、自殺行為だろうが。あ、それとも自殺したかったのか? だったら、邪魔して悪かったな」
「い、いえ……その」
眼前の少女を見ていて、何故か不快感を覚えたイドリスはその感情がどこから由来するのかを考えようとしたが、その時間は与えられなかった。
馬車が止まり、扉が開きかけたのだ。平民には理解があるとされるロサブランカ家だが、中にいるのが後の悪役令嬢レティシアだったのなら、大事になるかもしれない。
「やべっ! おい、あんたも早く逃げろ。じゃあな」
返答も聞かず、イドリスは急ぎその場を後にした。瞬く間に小さくなるイドリスの背中を少女はただ追うことしかできない。
一方、馬車から降りてきたのはイドリスと同世代とおぼしき少女だった。赤みを帯びた金髪をなびかせ、路上に降り立ったのはまさしくレティシア本人である。彼女は慌てふためく執事の制止を無視して、周囲に目をやる。その瞳は生気と活気に満ち、爛々と輝いてた。
「あれ? おっかしいなあ。確かに見えたと思ったんだけど……見間違いってことはないよね、多分」
レティシアの独語は誰に聞かれることもなく、ただ空中に霧散して消えていった。
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