そんなたいしたこともないイドリスの正体

 イドリス・エクシオウルは転生者である。


 前世での名を星崎千隼といい、重度のゲーオタ、あるいは廃人だった。


 生まれてすぐに自身が転生者であるとの自覚はあったが、ここが前世で散々擦り倒した「アストレイ・アストラル」の世界であると知ったのは五歳の時だ。


 世界と自分を隔つこの壁が無性に腹が立って、つい城壁を登ったことがある。足下からアルスランたちが口々に制止するよう叫んでいるが、止まる気はなかった。踏破して、視界の先に入ったのが夕焼けの光を受け、茜色に染まる白亜の皇城「オーサ・メーオール」だった。


 見紛うはずもない。何しろゲームのオープニングでいつも見ていたからだ。遠景から皇城にパーンして、そのまま空へと画面が向くという約束されたパターンの集大成みたいな展開からオープニングが始まるのだから。それこそ、親の顔より見たオープニングと言っても過言ではない。


 そして、イドリスは絶望した。この世界がディストピアに他ならなかったからだ。壁を越えても、そこにあるのは矛盾と確執。


 何しろ、この国の第三皇子が国家の重鎮である公爵家の令嬢を衆人環視の前で辱め、どこの馬の骨ともわからない「主人公」と結ばれたいなんて価値観を持っているのだ。乙女ゲームなんて、そんなものと思うが、やはりそれが現実で起こるとなれば、心穏やかにはいられない。


 しかも、この第三皇子ことトリスタンと「主人公」が結ばれた途端に、「都合よく」他の皇族が全滅するというイベントがあり、次代皇帝になったトリスタンは「主人公」とともに大陸を制覇するための戦争を起こすことになる。大意としてはこんな感じだ。


 戦争なんて起こさせてたまるかとの思いが、イドリスにはある。正義感から来るものでは決してない。巻き込まれるのが嫌なだけだ。特にアイリンや仲間に何かあったとき、イドリスはこの国に叛旗を揚げるつもりである。


 故に戦争を遠ざけるために「主人公」を見つけ、トリスタンを始め、世界を混沌に導くような相手との仲を裂かねばならない。至って不健全な思考の発露ではあるが、「主人公」一人の不幸で世界が救われるのなら、そうすべきである。


 とはいえ、肝心の「主人公」がどこにいるか、皆目見当もつかない。「主人公」の出生地は皇国内であれば、自由に選べるからだ。


 ちなみにデフォルトではシスネロス子爵領であり、現当主フェルナンと幼馴染みという「属性」がつく。フェルナン・ルートであれば、安心安全が保証できるため、「主人公」には是非ともこちらに進んでもらいたいものだ。


「でも、ゲームとして面白いのは、やっぱトリスタン・ルートなんだよなあ」


 トリスタンが皇帝になると、今までの恋愛シミュレーションの要素は薄れ、戦略シミュレーションの色が濃くなる。いかにして富国強兵を成し遂げるか、あるいは他国に調略を仕掛け、弱めるか、取れる行動の選択肢は限りない。「アストレイ・アストラル」が本当に乙女ゲームなのかと疑問視されるゆえんでもある。


 その上、一指揮官として、戦場で知勇の限りを尽くすこともできる。イドリスこと千隼が得意としたのは、少数の部隊で敵を狭隘な地に誘い込み、包囲殲滅するというものだ。戦国時代の島津軍がよく使ったという「釣り野伏」という戦法である。もっとも、敵AIもあまり頭がよくなかったので、同じ戦法に何度も引っかかり、その都度全滅するので、いささか興ざめしてしまったところはあるが。


 ここまではあくまでもゲームの話だ。戦争とは言わば大量殺人である。そんなものに手を貸す気はないし、転生してから十年、生きるためにあらゆる悪事に手を染めざるを得なかったが、殺人だけはしてこなかった。将来的に目障りになるのが確定しているセルハンをいつまでも生かしているのは、臆病から来る甘さからなのだ。


 思考の迷宮を奥に進むにつれ、気分まで落ち込んできた。一旦、イドリスは考えるのを止めた。来るかどうかわからない未来に思いをはせるより、今すべきことを今一度整理したほうが遙かに有意義だろう。


 轍鮒の問題としてはアイリンの病状を緩和させること、もしくは進行を止めることだ。現世界がゲームを模したもの、あるいはその逆であることはすでに身をもって知っているから、対応策はいくつか考えている。手間も時間もかかるが、労を惜しむつもりはない。


「だけどなあ、お袋のことを考えると、長期間家を空けるわけにもいかねえしなあ」


 目的がわかっていても、その手段に足を取られているのが現状である。いっそセルハンを騙して、アイリンの面倒を見させるか。結婚の許可を餌にすれば、たやすく食いついてくれるだろう。


 そう思ってから、さすがに悪辣すぎることに気づいて、イドリスはちょっとした自己嫌悪に陥った。何だって、後で自分が傷つく考え方に行き着くのか。


 またしても、気が滅入ろうとするところ、首を振って、悪しき考えを頭から追い払う。


 別のことを考えようと思ったところで、今日は会合の日だと思い出す。会合といっても、定められた日に行うわけではなく、発案者が場所と日時を決めて、そこで会合を司会するのだ。仲間たちとはこうやって情報を共有し、都度更新していくのがイドリスと徒党たちの暗黙の了解でもある。


 今日は外に繋がる場所にある教会が会合場所だった。昨日、セルハンたちを伸して、帰ってきたら、アルスランがそう告げに来たのだ。何か新しいことでもあったかと首を捻りながら、イドリスは短い道中で、会合の目的ではなく、先ほど考えようとしたことを頭に浮かべる。


 今度の思考実験は現実とゲームの違いだ。実のところ、ハウラ隔離区はゲームでは未実装の場所だったのだ。データそのものは実際にあり、どこかのアップデートで解禁するのだろうと思われていた。ちなみにデータがあるとわかったのは、壁抜けバグによるものだ。前世で千隼もそのバグ技で内部を探検したことがある。


 ゲーム上のハウラ隔離区はうら寂しく、薄ら寒く、虚無の空気に満ちていた。生気もなく、ただ棒立ちの人々、荒れ果てた家屋、昼間でも暗く、陰鬱な雰囲気、どれをとっても、プレイ意欲をそそられなかったことを覚えている。


 今思い返せば、あのバグ技が唐突に登場したときに違和感があった。おそらくだが、開発元であるマルテヴィア社が意図的にリークしたものではなかったか。SNSや匿名掲示板でのコメントを集め、ビッグデータを解析した結果、お蔵入りになったのではないだろうか。


 十分考えられる仮説だが、匿名掲示板には別の意見があった。すなわち、ここが某難民キャンプと酷似しているというのだ。あまりにもセンシティブな内容であり、難民差別を助長するという一般人にはわからない理由で公開されないのだという。


 差別があるのなら、そうならないよう教育と広報で実態を広く人々に知ってもらったほうがいいと思うのだが、優等生ぶりたい、あるいは承認欲求の肥大化した活動家などはただ難民が哀れであるという理由だけで無条件に受け入れさせようとする。その結果が分断であるのが、なんとも救いがたい話だ。


 前世ではその流れが加速している最中であり、イドリスは急流から抜け出すことができたが、転生先が分断の極致である階級社会だったのはもう皮肉でしかない。


 イドリスはそこでまた長大息をつく。話が逸れていくのはどうしようもないとして、境遇の悪さがまた一つ浮き彫りになっただけだからだ。


 会合場所まではまだ距離がある。そこでイドリスはゲーム内で今の登場人物がいたかどうかを思い出そうとした。


 結論から話せば、いた。アイリンなんかがそうだ。未実装地域にとんでもない美人がいるとの話がSNS上で取り沙汰され、実際に確認されると、瞬く間に情報は拡散され、終いにはファンアートなんかも描かれてしまったくらいだ。


 他にも身体的特徴のあるセルハンやベルクなどもいたような気がする。気がするというのはもう十年も前のことで、攻略情報以外はほぼ忘却の海の彼方に流されようとしているところだ。


 身体的特徴というならば、イドリスも相当なものだ。黒髪黒目、浅黒い肌のタルタロス人にあって、肌の色こそ同じだが、頭髪は白、左右がそれぞれ金と銀のオッドアイという容姿は十分に衆目を集めるだろう。


 それでも、千隼はいずれ「未来の自分」となるイドリスの姿を見たことがない。もっとも、いかに目を引くとは言え、モブのアバターなどいちいち覚えていられるかというところだが。


 結局は自分はこの世界でも異分子なのだろうか。悄然とする思いだが、すぐに知ったことかと開き直る。転生はするものではなく、させられるものだ。転生を強要させたものの意図がどうあろうと、何も言ってこないのだから、自由に振る舞っても、問題はないはずだ。それこそ世界を混沌とさせることになっても、だ。


「文句があるなら、女神様でも派遣してこいってな」


 最終的には低俗で、劣情丸出しの結論へ到ったところで、イドリスの意識は現実へと向けられる。ちょうど教会の近くまで着いたところだ。そこでいつもとは異なる景色がイドリスを出迎えた。


 教会の前で見慣れた面々がたむろしているのだ。


「何やってんだ、あいつら?」


 面倒ごとが起こったのは間違いないところだが、今さら引き返すのも億劫だ。どちらにしたところで面倒なら、解決してやって、恩に着せたほうが有益だろう。


 解決できなかったことは考えない。自分が解決できないのなら、他の誰がやっても同じことになるからだ。


 居直りこそ正義、イドリスの処世術でもあった。

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