第二章 星の物語・前日譚 その二

不特定職業座、通称冒険者ギルド

 冒険者なる職業は存在しない。


 日々依頼を受け、雑用をこなすことを冒険と言えるだろうか。


 冒険とは未踏の大地を踏み越え、未知の大海を切り開くことである。


 歴史を紐解けば、「不帰の嵐海」を突破し、新航路を築いた「海若」アーディ・アドルフォ、天を衝く巨獣が闊歩する「始原の大陸」を踏破した「逸足」ギド・ドスレスなどを「冒険家」と呼ぶのであって、一皮剥けば、破落戸と大差ない連中とは根本から異なるのだ。


 特定の職業に就かない彼らのことを「不特定就労者」と呼び、その互助組織を「不特定職業座」という。


 しかし、「アストレイ・アストラル」ではプレイヤーのほぼ全員が「冒険者ギルド」と呼んでいたし、こちらの世界でも同様だった。つまるところ、何やら難しい正式名称より、一言でどんな組織がわかる別称のほうが通りがよいということだ。


 いわゆる「冒険者ギルド」の前にイドリスが立ったのは、会合から三日目のことだ。この二日間というもの、アルスランたちから詰問されていたからである。


 知能指数が二〇違うと、会話が通じないというが、イドリスが置かれた状況というのがまさにそれだった。それもやむを得ぬことだ。前世とはいえ、基礎的な教養を修めたものと、まともな教育を受けられなかったものの間には深い溝が横たわっている。通じ合うとしたら、持つものが歩み寄り、簡易な言葉を用い、何度も根気よく説明するほかない。


 イドリスはここで一生分の忍耐力を使い果たしたのではないかと思うほど、言葉を費やした。


 まず、アルスランたちに足りないものを自覚させた。彼らは一様にイドリスについて行くことを主張したが、最低限の読み書きと計算ができなければ冒険者としてやっていけないと説いたのだ。


 文字が読めなければ、依頼内容がわからないし、計算が出来なければ、報酬をちょろまかされてしまうこともあるだろう。


 しかも、区外は差別が横行する。隔離区とは別の意味で地獄のような場所だ。ともすれば、煌びやかに外面を化粧している分、悪質かもしれない。貴族が平民を軽視する中、被差別民であるタルタロス人がのこのこと入り込めばどうなるか、火を見るよりも明らかだ。


 アスリなどは面倒なことを押しつけようとしてきたが、イドリスは言下に拒否した。


「あのよお、頼るのはいいけど、頼り過ぎるなといつも言ってるよな? おれたちはいつどこで野垂れ死ぬかわからねえんだぞ。それなのに、面倒ごとを押しつけたおれが死んだら、どうするつもりだ? どうにもならなくなって、おまえら全滅するだろうな。そうならないためにも読み書き、計算くらいはできるようになれって話だ」


 イドリスの指摘に、アルスランたちははっとしたように言葉を失った。頭のアルスランの立場がないが、イドリスが精神的支柱となっているからこそ、この小集団がまとまっていると言ってもいい。だからこそ、誰もがイドリスは未来永劫傍にいるものと思い込み、いなくなったときのことをまったく考えていなかったのである。


 アルスランは思い出していた。以前、教会でペドロから読み書きと計算を習いに行こうと、イドリスから執拗に誘われていたのだ。必要性を認めなかったから、断ったのだが、イドリスがどこまで未来を見通していたのか、アルスランは戦慄で身震いするのを抑えきれない。


 アルスランの内心を知れば、イドリスは過大評価だと吐き捨てるだろうが、一方で未来への備えを考えていたのも事実ではある。


 隔離区の浄化するために冒険者になるのであって、イドリスは決して責任を投げ捨てたわけではない。まあ、半分は放棄したようなものだが、冒険者になる理由があった。


 その理由とはスライムだ。スライムと言えば異世界、異世界と言えばスライムであると言ってもいいほどポピュラーな魔物だが、この世界においては分解者としての位置づけである。分解者とは有機物を無機物へと分解する生物のことで、前世で言うところの菌類や細菌類に相当する。


 スライムによる下水処理はすでに実施されていて、皇都の下水道はスライムと鼠型魔物の群生地と化しているほどだ。つまり、イドリスは隔離区でスライムによる汚水処理ができないかと考えたわけだ。


 ただ、実際にやってみないとわからないことが多々ある。隔離区とはいえ、魔物でもあるスライムを「放牧」してもいいのか。そもそもスライムを勝手に連れ帰ってもいいのか。そういった問題があり、また、この機にいろいろと試してみたいこともあり、イドリスは単身で冒険者ギルドに乗り込むことにしたという次第である。


 と、いろいろ理由をつけてはいるが、母アイリンの面倒を見てもらわないと困るというごく個人的な事情もある。低ランクの内は日数のかかる仕事はしないつもりでも、何かの不都合で帰れなくなるかもしれない。そうなったとき、アイリンの傍に誰かがいれば、後顧の憂いもなくなるというわけだ。


 しかし、それらのことは言わずともいい。アルスランたちには教会からの帰りに、ほんの少し様子を見てくれるだけでいいのだから。


 アルスランは納得したし、アスリとベルクは不承不承という態度を崩さないまま受け入れた。ディララは寝ていたので、態度は不鮮明だ。何故かイドリスの呼びかけに応じ、ペドロの授業を受けていたが、授業中はほとんど寝てばかりだったので、どこまでできるかはわからない。


 今はこれでいい。どうせ、後になったら全員呼び出すだけだ。アルスランを筆頭に誰も内政向きの能力は持っておらず、いずれも戦闘向きであり、隔離区で腐らすのは惜しい。


 ただ、結局のところ、イドリスは前世からの疾患である関係リセット症候群を発症させて、身軽になりたかっただけだ。意気揚々と冒険者ギルドで心機一転しようと思ったわけだが、イドリスはそこではたと気づいた。


「おれ、コミュ障じゃん」


 欠点を自覚しているのはいいことなのだろう。常に自戒しているのならば、だが。

 イドリスは何度か冒険者ギルドの玄関口を往復した後、入ろうとして、ドアノブに手をかけては引っ込める行為を繰り返した。どこから見ても、明らかな胡散者で、周囲の人間は見慣れぬ風貌の少年を遠巻きに見ているだけだ。


 一五回目ぐらいの往復で、さすがに腹が決まったイドリスはようやくドアを開いた。


 そして、次の瞬間、何故かイドリスの身体は宙を舞っていた。

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