言い出しっぺが一抜けた

「はいはーい、注目! これからおれたちの頭、アルスランから開会の挨拶があります! どいつもこいつも耳かっぽじって聞いてね!」


「はあっ?」


 事前に何も聞かされていなかったアルスランは素っ頓狂な声を上げ、限界まで目を見開き、イドリスを刮眼した。イドリスの即興なのだから、当然の反応である。


 イドリスは呆けて動けないアルスランの傍に素早く寄ると、頬を寄せるような近さから悪魔のような囁きを呟いた。


「一発頼むぜ、アニキ。数は少ねえが、今日は余所の連中も来てるからな、アニキのことを覚えてもらうにはいい機会だ」


「いきなり困る。だいたい何を言えばいいんだよ?」


「おれたちがこれから何をしようとしているのか、アニキの口から伝えればいいんだって。簡単だろ? それにさっき、セルハンのやつをなんとかしてやったろ? 今度はおまえが男を見せる番なんじゃねえの?」


 力説するあまり、ついには密着する頬と頬、その間に汗がたまって、実に気持ち悪い。どちらがより我慢を強いられていたかはともかく、イドリスから「引き合い」を出されてしまい、アルスランは退路を断たれてしまった。乳兄弟であっても、容赦なく取引を持ちかけてくるあたり、アルスランはイドリスが小憎らしくて仕方がない。普段は兄扱いなどしないくせに。


 とはいえ、やらないという選択肢はない。仮にこの場から逃げられたとしても、その先はない。身内から見捨てられ、余所の一味に加わろうとしても、「引き合い」に応じなかったという一点で、どこからも忌避されるだろう。


 ならば、もう腹を据えるしかない。アルスランは勢いよく立ち上がると、周囲を見渡した。普段見かけない顔もあり、そんな彼らの名前も知らない。コミュ力お化けのアスリが連れてきたのだろうが、アルスランからすればほぼ初対面であり、緊張で頭が真っ白になった。


 ただ、アルスランが倒れぬようイドリスが腰に手を当てているのに気づいて、つい苦笑した。あるときは突き放し、あるときは寄り添う、そんなイドリスのそつのなさがいらだたしくも感じるが、頼みでもあったのだ。


 アルスランは顔を上げ、よく通る声で静かに話し始めた。


「知ってるやつもいるかもしれないが、自己紹介しておく。おれがアルスランだ。急な呼びかけに応じてくれて、礼を言う。集まってもらったのは、おれたちが何をしようとしているのか、知ってもらいたかったからだ」


 アルスランの堂々たる立ち振る舞いに、イドリスは一人ほくそ笑んだ。アルスランの持つスキル「背水」がうまい具合にはまってくれたからだ。効果は「逆境に応じて、能力上昇」というもので、逆境かどうかを判断するのはあくまでもスキル所有者の考え方次第であり、人によってスキルの振れ幅が異常に大きくなる。


 感受性の鈍いものは危地にあっても、危機とは感じないかもしれないが、事勿れ主義のアルスランは微風程度の逆風でも大きなストレスを感じるに違いなく、日常生活を送るときですら、彼のステータスは常にプラス補正されているという有様だ。


 特に魅力のプラス補正が大きい。短い挨拶であるにもかかわらず、新規の参加者はアルスランに釘付けとなっている。


「まさか、ここまでうまくいくなんてなあ」


 スキルに性格が作用するなど、ゲームではなかったことで、シナジー次第で効果が半減したり、倍加したりするのだ。戦術の幅が広がることに、イドリスは一人興奮している。


 イドリスが悪い笑顔を浮かべている間にも、アルスランの談話は続いていた。


「……おれたちは掃きだめのような場所で生まれ、育ってきた。だけど、一生このままでいいのか? こんなクソったれなところで、クソに塗れて、この先も生きていくなんて、おれはいやだ。だから、おれたちはこの環境をどうにかしようとしているが、知恵も力も足りない。どうかみんなの力を貸してほしい」


 アルスランが語を切ると、教会堂内は一瞬静寂に包まれた。すかさずイドリスが拍手をしなければ、この静けさに耐えかねて、背骨を折られていたかもしれない。イドリスに釣られ、周辺から拍手がまばらに起こる。万雷のとまでは言えないが、堂内で反響し、百雷くらいにはなっただろうか。


 急霰のような音に包まれ、アルスランは腰が砕けたように、へたり込むのを、イドリスが誘導するように椅子に座らせた。そうでなければ、アルスランは尻を床に強打したことだろう。


「いいじゃんいいじゃん! 上出来だぜ、アニキ。見ろよ、連中の面をよ。馬鹿みてえに口開いたままだぜ」


 座るやいなや、イドリスが擦り寄ってきて、褒めちぎるのが気味悪いが、正直そこまで悪い気はしない。アルスランはもっともらしく韜晦を崩さずに、イドリスに尋ねた。


「それはいいんだけどさ、ここからどうするんだよ? いつものダベりじゃ、みんな帰ってしまうぞ」


「いいんだって、それで。連中、馬鹿だから、いきなり難しい話をしたって、ついてこれやしねえよ」


「声がでかいって!」


 まるで聞こえよがしに雑言を吐くイドリスの口をアルスランが慌てて塞ぐ。イドリスは煩わしげにアルスランの手を払うも、兄の心労を察してか、多少声を落とし、その懸念を払ってやった。


「だから、いいんだって。まずは連中を引き込む。話はそれからだろ?」


 全面的に肯定はできないものの、イドリスの言に一理を認めたアルスランは周囲に散らばる参加者を近くに集めた。まずは話ができる距離でないと、始まらない。


 何故か、イドリスとセルハンを避けるように人が集まりだした。当然といえば、当然のことで、二人の悪名は区全域に広がっていたためだ。悪知恵が働き、陰湿なイドリスと、すべてを力で支配しようとするセルハン、どちらもガキ大将などという枠に収まらない悪たれである。


 一方で、アルスランを中心にしての談笑は和やかに進み、参加者の緊張と不審でできた氷の鎧を緩やかに溶かしていく。アスリの陽気さは他者の心を和ませ、ベルクの朴訥さは誰も信じていなかった少年少女たちから信用をもぎ取り、一党最後の一人であるディララのいつも眠そうな暢気さは悪童たちの警戒心を解かせるに到った。


 いずれ同世代の子供たちを、アルスランを中心とした一つのチームにまとめようというイドリスの計画は軌道に乗りつつある。常のイドリスならば、「計画通り」とほくそ笑むところだが、不服そうな表情は時を経るごとに深くなっていく。


 隔離区美化計画の発案者であるにもかかわらず、話の中心に入れないのが気に食わないのではない。いや、確かにそれはそれでもやるものがあるのだが、そこはまだ我慢できるし、不平不満を表して、場の空気を乱そうとは思わない。


 不承知だったのは、まさかここまで嫌われているとは思わなかったことだ。しかも、セルハンと同列視されるのが、何よりも業腹である。それもこれも、アルスランたちを守るために行動した結果であるのが、さらに切なさを増す。裏方に徹しようと決めた以上、嫌われたり、恨まれたりするのは覚悟の上だったが、それでもきついものはきつい。


 考えるほどに、イドリスの心はささくれ立っていく。今、どんな表情をしているのかはわからないが、アルスランたちが何度も目をやっているところ見ると、相当剣呑なのだろう。そうだとしても、いきなり笑顔になれるほど器用でもないので、そこは諦めてもらうしかない。


 ひとまず、アルスランたちはふてくされるイドリスを放置することにしたらしい。あえて爆弾を爆発させる必要はないというところだろう。


 やがて談笑もたけなわ、話すこともなくなってきて、会合も終わりを迎えつつあった。そろそろお開きにしようと、何を狂ったか、アルスランが締めの言葉をイドリスに求めた。先ほどイドリスのことを爆弾だと思ったばかりだというのに、そのことをすっかり忘れているアルスランはここ最近で最も大きな失策をしでかしたのだ。


「イドリス、そろそろ終わろうと思うだけど、何か言いたいことってある?」


 話を振られると思っていなかったイドリスはしばらく視線を彷徨わせた後、ようやく発言を求められたのだと気づいて、半開きになっていた口をいったん閉ざした。一拍置いて、口を開いたとき、イドリスは言葉の爆弾を放ってよこした。


「あ、おれ、冒険者になるわ」


「はああああああ?」


 もし、騒音値を計ることができたのなら、この日最高を記録しただろう。何しろ、隔離区清浄計画の発案者がすべての責任を放棄するというのだから。


 いつになったら、教会は静けさを取り戻すのか。場所を貸してしまったペドロの苦悩は抜け落ちる髪の量で察せられただろう。


 イドリス・エクシオウル、このときまだ十歳。波瀾の人生はまだ始まってもいない。


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