22.門外


 

青葉の茂る広い大地に清爽な風が吹き抜ける。青々とした自然の香りが鼻腔をくすぐった。太陽の眼差しを一身に浴びる緑の草原は風に揺られ、鳥たちは青空に浮かぶ白く大きな雲を背に踊っている。


「梨沙ちゃんはかっこいいなぁ。我が道を行ける強さを持ってるんだもん。ほんとにかっこいい……」


 梨沙の隣を歩く詩織が尊敬の眼差しを向ける。


「別に……そんなことないでしょ」


「そんなことあるの! 学校で一人でいる選択をした梨沙ちゃんもすごいし、こうして、みんなが行かない自然エリアへと進んでいく勇気もすごい」


「……なんかさ、アンタの褒め言葉って嫌味にしか聞こえないんだよね。いい? あたしはアンタのその調子の良さに騙されないから」


 梨沙はまだ何か言っている詩織を無視して、グッと思いっきり体を伸ばした。


 気持ちがいい……。人と建物で溢れかえっている街の中よりも全然……。


 緑の柔らかな息吹が肺いっぱいに広がる。ふわっと柔らかな風が通り抜け、詩織と梨沙の髪を揺らす。梨沙と詩織は、今、理想郷から抜け出し、茫漠として広がる草原を歩いていた。二人は街から自然エリアへと場所を移動したのだ。


「ねぇ、そんなに足早に歩いてどうしたの? どこか行きたいところでもあるの?」



 ステンドグラス風のランタンが吊るされている幻想的な街の中、制服からドイツの民族衣装であるディアンドルのような、黒と緑のコントラストが映える美しい服に着替えた詩織が、梨沙に尋ねる。美羽と別れた後、学校を離れ、街を囲っている壁に沿って街の中を進んでいるときのことだった。


「行きたいところなんてない。どこにも行きたい場所がないから歩いてんの」


「……つまり?」


「ミウちゃんに言われたでしょ? 後悔のないように生きてって。でも、こんな死後の世界とやらにいたら、後悔したまま死ぬことになっちゃう。だから、なんとか現実世界で起きる方法を……」


「残念だけど、そんな方法はないよ。わたしたちはただ待つしかできないの。自分の生命力を信じるしかないの」


 詩織の強い声が後ろから追いかけてくる。梨沙は苛立った。苛立った言葉を飲み込み、前に進み続ける。


 誰のせいで。誰のせいで、あたしがこんな目に遭ってると思ってるんだ。


 それから、梨沙は発言することをやめた。それでも詩織は話し続け、梨沙についてくる。しばらく歩くと、焦茶色の木で出来た鳥居のような形をしている大きな門に行き着いた。門は古ぼけていて、くすんでいる。けれど、その古めかしさのおかげか、門は堂々として見え、重々しく厳かであるようにも見えた。梨沙は立ち止まり、門を見上げる。


「ここは……」


「南門だよ。北門の対極にある門。サリエルは質素な門って言ってたけど、全くそんなことないよね。さすが死後の世界って感じじゃない?」


 隣に並び立った詩織が律儀に答える。


「この外は自然エリアになってて、海、砂漠、滝、荒野、自然と呼ばれる自然は全てあるんだって。みんなの共通認識、っていうのかな? 誰が外に出ても、見える景色が一緒らしいよ。……とはいいつつ、この街と同じように自然エリアも何層にも分かれてるみたいだけどね。ただ、一度南門から一歩、足を踏み出すと、層が固定化されて、違う次元にはいかないみたい。前にサリエルが言ってたから、多分正しい情報だと思う」


「アンタ、相変わらず詳しいね」


「だって、この世界が大好きなんだもん。サリエルに色々聞いたんだ。……まぁ、わたしは門の外に出たことないけどね」


「ふぅん」


 梨沙は門を見上げ続ける。この門から外に出てもこの死後の世界もどきから抜け出せるわけではなさそうだ。


「……外、気になるの?」


「は? いや、べつに気になるってわけじゃないけど」


「でも、ずっと門見てるし、もしかして外に行きたいのかなって」


 目の端に映る詩織の顔はどこか不安げだった。外に出ることに対して不安がありそうな、そんな顔だ。梨沙は詩織の顔を見ることもなく、アンタは? アンタは行きたいって思わないの?」と、尋ねてみた。


「思わない、かな。サリエルが言ってたの。この門の外はみんなの共通認識だから、願いが叶いづらいんだって。景色は変えられないし、制約もたくさんあるみたい。行ったことないから詳しくはわからないんだけど……。でも、せっかくなんでも願いが叶う世界にいるのに、制約があるなんて、なんだかもったいないでしょ? 自然を感じたいならこの街を自然っぽくすればいいんだし……」


 スッと詩織が目を細め、門を見つめた後、梨沙に視線を移した。そして、小鳥のように首を傾げて微笑む。


「……でも、梨沙ちゃんが外に行きたいなら、付き合う」


「は? なんで?」


「何度も言ってるでしょ? わたしは梨沙ちゃんと一緒にいたいの。だから、梨沙ちゃんが外に行くなら、わたしも行く。それだけだよ」


「なにそれ。意味わかんない」


 本当に意味がわからなかった。顎を下げ、視線だけ詩織に向ける。


 アンタはなんで、そんなにあたしに執着するわけ?


 聞きたかった。聞きたかったけど、聞かなかった。なんとなくはぐらかされてしまうような気がしたのだ。「梨沙ちゃんのことが好きだから」とか、「梨沙ちゃんが憧れだから」とか、適当なことを言われて受け流されるのがオチだろう。数時間、詩織と過ごしたことで、不本意ながら、彼女の習性がわかるようになってしまった。


「どうする? 行ってみる?」


 梨沙は黙って門を見続け、そして、頷く。


「うん。行こうかな」


 このままこの街にいても、現実の世界に戻る糸口は見つからない気がしたのだ。ならば、外に出て新たな糸口を探したほうが賢明な気がする。それに、制約があるってことは綻びがあるってことかもしれない。胸元で手のひらをギュッと握る。


 絶対絶対、生き返るんだ。

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