13.学校



 ミウを真ん中に挟む形に手を繋ぎ、校門をくぐり抜ける。校門を抜けると、レンガ造の広い中庭に出た。


 校庭じゃないんだ。


 豪華な作りに、思わず辺りを見渡してしまう。梨沙の通っている高校とは全然違う。目の前には校舎があり、左手には大きな講堂らしき建物と体育館が、そして、右手にはここからでもわかるほど広そうなグラウンドが設置されている。しかも、昇降口はなんと自動ドアになっているのだ。この場にある全てが現代的であり、洗練されていた。スタイリッシュ、という言葉がピッタリだ。校舎同士を繋ぐ渡り廊下のガラス窓が光を弾いて眩しい。


 これがミウの望む高校の姿。


「わぁ、すごい! みんな色んな制服を着てるんだね!」


「色んな制服……?」


 そこで初めて、梨沙は人間に目を向けた。たくさんの人間が行き来している。皆、一様にして制服を着ていたが、男女問わず、その制服は千差万別だった。梨沙のように現実味を帯びた制服をきている者いれば、こんな制服存在しないだろうというくらいビビッドカラーでカラフルな制服着ている人、アニメの世界にあるような制服を着ている人、はたまた、制服モチーフのロリータ服を着ている人もいる。統一感ゼロだ。


「ホントだ……。すごく色とりどり……。目がしょぼしょぼする……」


 梨沙の独り言に詩織が答える。


「みんな理想の姿になるからね。理想の姿、理想の環境で、学生生活をロールプレイングをしてるんだって」


「でも、こんなに統一感なかったら、気持ち悪くない……?」


「梨沙ちゃん、忘れたの? この世界は理想郷だよ。自分が見たくないものは、目に見えなくなるからの。みんな、そこにいるけど、そこにいないの。自分が不要だと感じたら、不要な人間と世界線が交わらなくなるんだ」


「えっと……つまり……?」


「この理想郷は一つじゃないの。一つに見えるけど、実際には何層にも重なり合ってて、その層が時に交わり、離れたりしながら、成り立ってる世界なの。だって、そうでしょう? 地球では一日に十六万人が死んでるのに、この小さな街だけじゃ足りないと思わない? 要するにこの世界が一つだったら、キャパオーバーになっちゃうってこと。だから、この世界は何層にもなってて、都合よく層を行ったり来たりしてるらしいよ」


「行ったり来たり……」


 詩織の言葉をなぞってみる。


「そう。街が自分の望んだ姿になるのも、自分のいる層が入れ替わるから。つまり、この街のの見え方が人によって違うのと同じで、わたしが見えてる人間と、梨沙ちゃんが見てる人物、そして、ミウちゃんが目にしてる人っていうのは少しずつ違うはずなんだ」


「よく、わかんないんだけど……」


「あは。そうだよね。わたしも完璧には理解してないよ。全部サリエルの受け売り」


 詩織はふっと息を吐き出して微笑んだ。目を細めて笑う姿はいつもより大人びてみえた。


 詩織は本当に頭がいいんだ。だって、どんな物事も自分がしっかりと理解できていなければ、流暢に説明することなんてできない。詩織がここまで説明できるということは、サリエルから聞いた話を消化しているということだろう。ほんの少しだけ、感心してしまう。


「もう! お姉ちゃんたち、何話してるの! ミウも混ぜてよ!」


 ミウが繋いでいる手を思いっきり引っ張った。梨沙と詩織は二人して倒れそうになったところをなんとか踏ん張る。ミウはというと、ほっぺを膨ませて口を窄め、可愛らしくこちらを睨んでいた。詩織はしゃがんでミウに視線を合わせた。


「おっとっと……。ごめんね。ミウちゃんにはちょっと、難しいお話だったね」


「そうだよ! ミウを仲間外れにしないで!」


「本当ごめんね。お姉ちゃんたちはね、みんな洋服が違って面白いねってお話をしてたの」


「おもしろい?」


「うん。普通学校ってみんな同じ制服を着てるから、こんな風にカラフルな人たちがたくさんいるって珍しいの」


「ふーん。そうなんだ。じゃあ、ミウも詩織お姉ちゃんも、梨沙お姉ちゃんとおそろいの制服着た方がいいのかな?」


「ううん。その必要はないよ。本当に高校に通うわけじゃないから、好きな服を着てていいの。もちろん、ミウちゃんが制服着たいっていうなら制服になってもいいんだよ」


 手からミウの小さな手が離れた。ミウは一歩踏み出し、願うように両手を合わせる。すると、ミウの姿は一瞬にして、梨沙と同じ制服を身に纏ったのだ。


「どう? 似合う?」


 着替え終わったところで、ミウは可愛らしくポージングをして、言った。手をスカートに添えて、もう片方の手でピースしている。


「わぁ、すごい! うちの学校の制服似合うね!」


 詩織はすくりと立ち上がって、拍手をしだす。制服は見事ミウの体にフィットして、どこぞの私立の幼稚園生のようだ。髪型もいつの間にか三つ編みおさげになっている。ミウが着ていると、高校の制服には到底見えないけれど、とても可愛らしく着こなしていた。だから、梨沙も「うん、かわいいよ」と、笑顔で答えたのだった。


 それから、梨沙たちは校内を見て回ることにした。詩織もちゃっかりと制服を着ている。


「みんなが制服着るなら、わたしも!」と、グラウンドの周りを散策し始めたときに、早着替えをしたのだ。しかし、着用しているのは梨沙たちの通っている高校の制服ではない。淡い水色の襟元が可愛らしいセーラー服だった。V字が胸元まで降りている大きめの襟に、白い一枚布のリボン、そこにピンクのカーディガンを羽織って、『ゆめかわいい』と言われるような制服を作り上げている。この美少女はコスプレのような制服を見事に着こなし、「だって、いつも着ている制服じゃ変わり映えしないでしょう? 着るからには、とびっきり可愛い制服が着たくって!」と、ほんわりとした甘い顔で微笑んだ。


 グラウンドは人のざわめきで溢れていた。ジャージを着ている少年がグラウンドを走り、中央では何人かの人たちがチームを組んでサッカーをしている。ユニフォームを着て野球をしている人もいた。さまざまな声が飛び交い、音がこだまする。


 ミウは薄緑色の網状フェンスにしがみつき、運動をしている人たちに釘付けだ。梨沙と詩織は一歩引いたところでミウの様子を見つめていた。


「あんなに入り乱れて運動して、すごいね……」


 梨沙がボソリとつぶやいた。


「わたしたちには同時に存在してるように見えてるけど、きっとあの人たちにはそうは見えてないんだよ。自分たちの世界しか見えてないの」


「アンタのその話、何度聞いても飲み込めなさそう」


「正直、わたしもちゃんとはわかってないよ。人間は自分の観測できる範囲でしか、物事を理解できないって言うでしょ?」


「アンタってさ、時々、ポエミーなこと言うよね。友達にうざいって言われない?」


「学校の人たちといる時はこういう話しないからなぁ。多分、梨沙ちゃんと一緒だから、こういうこと言っちゃうのかも。梨沙ちゃんといると、ありのままの自分でいられるんだ」


 詩織はニカッと人懐っこい笑みを浮かべる。


「そういうこと、誰にでも言ってるんでしょ。そうやって人のことたぶらかして楽しい?」


 梨沙は抑揚のない低い声で吐き捨てる。そうしないと、詩織の人当たりの良さに飲み込まれてしまうような感じがしたのだ。


「ひどいなぁ。本当に本当に、梨沙ちゃんにしか言ってないのに。だって、梨沙ちゃんってありのままの姿でいつもいるでしょ? だから、わたしもありのままの姿でいられるの」


 梨沙は黙った。それから、視線をグラウンドへと移す。


 ありのまま、だろうか。あたしは、人に合わせるのが嫌いだ。馴れ合うのも嫌いだ。嫌なことを嫌と言えない環境も嫌いだ。だから、はっきり物事を言うようにしている。無理に人に合わせることはしない。気を遣うくらいなら、一人でいる。でも、それは『ありのまま』のあたしなのだろうか。その行動は『ありのまま』なのだろうか。


 本当の、あたしは……。


「お姉ちゃん、お姉ちゃんきてきてー!」


 ミウが元気な声で二人を呼ぶ。二人は会話を中断させ、ミウに歩み寄った。


「すごいねぇ。みんな一生懸命、運動してるんだ。にぎやかで、運動会みたい! ねぇねぇ、梨沙お姉ちゃんの学校でも、あんな風にいろんなスポーツやってるの?」


「まぁ、そうだね。さすがにここのグラウンドほど入り乱れてないけど」


「運動部ってたくさん種類あるし、人もたくさんいるのに、練習できる場所限られてるから、大変なんだよ。校庭だけじゃなくて体育館もバスケやってたり、バレーやってたりで、わちゃわちゃしてるの」


「えっ、お姉ちゃんたちって、同じ高校に通ってるの?」


「あれ? 言ってなかったっけ? そうだよ。梨沙ちゃんとわたしはおんなじクラスなの。すっごく仲良しなんだ」


「ちょっと……!」


 別に仲良くないでしょ……と、喉まで出かけて、慌てて飲み込む。まだ幼いミウに聞かせるべきではないと思ったからだ。ミウはキョトンとした顔でこちらを見つめている。


「……なんでもない」


「そっかぁ。同じクラスのお友達、いいなぁ。ミウもお母さんと学校、来たかったな」


 囁くような懇願するような小さな声が、暖かな風とともに運ばれてきた。


 ミウはもう死んでしまった。学校に通うことはできない。お母さんに会うことも叶わない。その事実が梨沙の体にずっしりとのしかかってくる。


「あれ? なんで二人とも暗い顔してるの? ねぇ、まだ見てないところたくさんだよ! 一緒に行こう!」


 ミウはフェンスから手を離し、にこやかに駆け出す。足を軽やかに弾ませて、走る。ミウは幼いながらも自分の死を受け入れているのだろうか。それとも、幼すぎるが故に、死の意味をわかっていないのだろうか。おぼつかない足取りで走る小さな後ろ姿は、少なくとも、明るい。


 ミウちゃん。あたしたちといる間は、どうか笑顔で。そう願わずにはいられなかった。


 梨沙と詩織は小さな少女を追いかける。ミウの真っ白なブラウスが太陽光を弾き、白く発光していた。

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