37.回顧
「りっちゃん……。マジでさ、悩んでんなら本当、俺に相談して欲しかったよ。りっちゃんが小南さんのこと嫌いなのは分かってたけどさ……。何も心中までしなくても……。小南さん、今、大変なんだよ。死に際なんだ。ギリギリのところだってお医者さんが言ってた。すごい衝撃だったんだろうな。奇跡的に目覚めても半身不随かもって」
「あっ……」
声が零れ落ちる。
「ん? りっちゃん、どうした?」
突如目を見開いた梨沙に、広樹が声をかけた。梨沙は真っ白な天井を一点に見つめたまま、口をぱくぱくと開ける。
「おい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
血の気が引いた真っ青な顔になっていると自分でもわかる。鳩尾が冷たく、背中が寒い。
「助けに……」
「は?」
「助けに行かなくちゃ」
広樹が寄り添うより先に、梨沙が動いた。必死で上半身を起こす。痛い。うまく起き上がらない。
「お前、何やってんだよ! 重体なんだぞ!」
頭を左右に振り、広樹の手をなんとか払いのける。動悸が止まらない。
「詩織はまだ起きてないんでしょ。昏睡状態なんでしょ」
「あ、あぁ……」
「……行かなくちゃ。詩織が、詩織が死んじゃう」
「何言ってんだよ。お前には何もできることなんてないんだ!」
頭の隅が痛い、重い、疼く。吐き気がする。血の匂いと、狂気に満ちた目と、だらんと垂れ下がった腕が映像として浮かび上がる。こちらの世界に来てどれくらい経っただろう。いや、大丈夫だ。どれだけ経とうと、とりあえずは、サリエルが命を繋いでくれている。
「ほら、ゆっくり休め。俺が悪かった。さっきおばさんに言われたのに、デリカシーがなかった。そういうところだよな。だから、お前とも距離ができちまった」
広樹の頓珍漢な言葉を聞き流し、梨沙は必死で頭を回転させる。
知ってる。覚えてる。思い出してしまった。
詩織と過ごした時間。ミウちゃんという愛に飢えた女の子。自分の妻の影を追いかけるお爺さん。そして、人殺しをしたいと本気で願った殺人鬼。
全部全部覚えてる。音も、匂いも、空気も、その時の感情も全て覚えてる。
あたしは、何もできなかった。あたしは、見てることしかできなかった。
……それに、詩織の心を殺したのはあたしだ。
自惚れかもしれないけれど、詩織は、本気で梨沙を尊敬していたのだ。特別な存在だと思っていたのだ。それなのに、「詩織だけが死ねばよかった」と言ってしまった。最低な言葉を吐いてしまった。
もちろん、詩織にされたことは許していない。許していないけれど、死ねばいいなんて言葉、絶対に言ってはいけなかった。言葉は簡単に人を傷つけるのに。
詩織が本当に苦しんでいたのに、苦しんでいたことを知ったのに、寄り添えなかった。 後悔の波が濁流のように押し寄せてくる。空いた窓から風が吹き通っていく。外はどんよりと鈍色だ。雨の匂いがする。
「行かなくちゃ」
「どこに」
「行かなくちゃ」
「だから、どこに?」
焦る。
このままだと詩織は死んでしまう。死んで、無限地獄に堕ちてしまう。絶対にダメだ。そんなこと、絶対に許さない。あたしにしたことの罪は無限地獄に行くくらいじゃ消えない。ちゃんと、あたしに罪を償え。死んで償うのではなく、生きて、あたしに。
ふっと息を吸う。薬の匂いが鼻腔に届く。その匂いを胸に吸い込み、梨沙は考えた。
どうしたら、今際の際にいける? どうしたら、あそこに……。
記憶を辿る。
そうだ。死にかければいいんだ。そうすれば、あっちの世界に行けるはず。……でも、どうやって? 死にかけると言って、死んだら、元も子もない。あたしも生きて、詩織も助けないといけないのだから。
焦るけれど、思考は冷静だ。考える。考えて、答えを見つけてやる。
「りっちゃん、そんなに塞ぎ込んでどうしたんだよ。顔色も、よくないし……」
「うるさい! ちょっと、黙って!」
詩織はリストカットで何度もあの世界に行っていたらしい。けれど、ここにはカッターも刃物もない。なにより、体がうまく動かないのだ。刃物で傷をつけるのは無理だろう。
じゃあ、あの開いた窓から飛び降りる? ……ダメだ。ここが何階かは知らないが、建物から落ちたら、今度こそ死んでしまう。梨沙に繋がれていた謎の管たちは取られてしまった。医療行為でなんとか死にかけるというのも無理だろう。
じゃあ、どうすれば……。
ガタッ。
音がした。何か物が落ちた音だ。
「アキちゃん、危ないでしょ。ベッドの上にたくさん物置かないの。スマホとか落ちたら壊れちゃうよ?」
優しく誰かを諭す声がカーテン越しに聞こえる。隣のベッドを使っている人のご家族の声なのだろう。
……ベッド?
窓から風と一緒に陽光が流れ込んでくる。雲が切れたのだ。
ベッドから転がり落ちるっていうのはどうだろう。このベッドは階段一段分くらいだ。これくらいの高さから落ちても、死ぬ確率は低い。けれど、受け身の取れないあたしなら、もしかしたら、意識を飛ばすことくらいはできるかもしれない。
梨沙は大きく息を吸った。
チャンスはきっと一度きり。思いっきり、勢いよく、落ちるんだ。
全身の力を振り絞り、柵のない方に、ごろりと寝返りを打つ。
痛い。身体中が痛い。
体を持ち上げる力も無くなってしまっているみたいだ。広樹の目が大きく見開かれるのが目の端で見えた。広樹の大きな手のひらが梨沙に向かってくる。
でも、残念。あたしがこのベッドから落ちる方が早いよ。
梨沙は落ちた。ドンッという鈍い音と共に、視界に青白い光が走る。悶絶の声を上げる暇なく、梨沙の意識は混沌の中へと沈んでいった。
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