9.変化
ムカつく、ムカつく、ムカつく……。心の中で呪いの言葉のように繰り返し唱える。
このわけのわからない場所にいるのも、死にかけてるのも、全部が全部、詩織のせいなのに「楽しもう」だなんて無責任にも程がある。
わかっている。今、ここで足掻いたところでどうにもならないことくらい、わかっている。梨沙は今、生死を彷徨っているのだ。その事実は認める。だけど、認めることと受け入れることは違う。自分が死ぬかもしれないという現実を受け入れることができないのだ。
「ねぇ、ちょっとまってよー! 梨沙ちゃん歩くの早いよー!」
すぐ後ろで能天気な詩織の声と、トットットッというリズムの良い足音が聞こえる。
あぁ、こうやって自分がしたことに対して、反省していないところも本当にムカつく。
「ちょっと、まってってば」
ポンっと肩に手を置かれた。
梨沙が苛立ちながら振り返ると、不思議の国のアリスが着ているようなワンピースを着た詩織がいた。梨沙は思わず立ち止まり、詩織の格好をマジマジと見つめる。青をベースにしたワンピースの上に、可愛らしいフリルとリボンがあしらわれている白いエプロンを付けている。認めるのは悔しいが、彼女の顔立ちによく似合っているように思えた。
「……は? なにその格好……。コスプレ……?」
「ううん、ちがうよ。せっかくユートピアにいるのに、制服のままって嫌だなぁって思って着替えてみたの」
詩織は自分の格好を見せつけるようにエプロンの裾を掴み、優雅にお辞儀をして見せる。
やはり詩織は人を腹立たせる天才だ。他人の事情などお構いなしに、自分勝手な行動ばかりとる。他人の感情なんて気にも留めてない。
腹の虫が治らない梨沙は、可愛らしくポーズをとっている詩織を無視して再び歩き出す。
「あっ! ちょっとまってってば! わたしがこの街を案内するよ!」
パタパタと梨沙に歩幅を合わせ隣を陣取る詩織を、無視し続けて歩く。口を開けば詩織に酷いことを言ってしまいそうで、口をへの字にまげて苛立ちをグッと堪えた。
一人になりたい。一人になって、今の状況を整理したい。そして、なによりも家に帰りたい。いつもの日常に戻りたい。学校は嫌いだし、友好関係だってめんどくさい。けれど、死ぬなんて、絶対に嫌だ。夢なんて崇高なものは持ってないけれど、やってみたいことだって、まだたくさんあるのに。
ねぇ、もし、本当にここが夢の叶う理想郷なら、あたしを生き返らせてよ……!
梨沙がそう願った瞬間、世界が歪んだ。
この街を形成している空間が細かいキューブ状になり、ルービックキューブが面を変えていくように、周りの世界がどんどん入れ替わっていく。
「うわっ!」
梨沙は思わず叫び、その場で尻餅をついてしまう。
細かいキューブがグルグルと動き、町の形を変えていく。目が回りそうになったところで、古風でアジアンな風景から一変、地元の高桜町の風景に変わってしまった。
「わっ! 梨沙ちゃんどうしたの? 大丈夫?」
「け、景色が、変わったの……! ここ、高桜町……なの……?」
突然の出来事に、声が震える。腰が抜ける、とはこのことなのだろうか。
「……あっ、もしかして、梨沙ちゃん、生き返りたいって願った?」
「………願った」
「やっぱり。ここは確かになんでも願いが叶う理想郷だけど、作用するのは『この街』だけなの。だから、いわゆる『生の世界』、つまり、私たちの現実世界に影響が出るわけじゃない。帰りたいと願っても、『現実世界』には、干渉ができないから、『この街』を高桜町に似た風景にしたんだと思う」
「つまり、あたしの願望が叶ったってことね」
皮肉混じりに笑う。梨沙はスカートについた埃を払い落としながら、立ち上がり、仮の高桜町を見渡した。本物の高桜町と通りや住宅の配置が所々違うため、いつもの風景なはずなのに強い違和感がある。
「……なんか、気持ち悪い。この景色は高桜町の住宅街なのに、全くの別物みたい」
「見かけだけだからね。頭が混乱しちゃうなら、元の景色に戻したらどうかな? せっかくの理想郷なんだし、現実と同じ景色じゃつまらないでしょ」
「……アンタの見てる景色はヨーロッパ風なんだっけ?」
「うん。そうだよ」
「同じ場所にいるのに見えてる世界が違うって、気味が悪いよね。あそこにいる人も、向こうにいる人も、みんな見えてる景色が違うんってことでしょ。ほんと変な街」
「そう言われれば、そうかなぁ……? 気にしたことなかったかも。……あっ! そうだ! ねぇねぇ、せっかく一緒にいるんだし、見えてる世界合わせて散策しようよ!」
「……どういうこと?」
「ここは願いが叶う場所でしょ? だから、わたしたちの内のどちらかが、どちらかの見えてる世界の景色になるように願えば、見ている景色が一緒になると思うんだ」
「……なるほど」
「わたしはこの世界五回目だし、わたしが梨沙ちゃんの見てる世界に合わせる。でも、高桜町なのは、現実みたいですっごく嫌だから、さっき梨沙ちゃんに見えていた景色に戻してくれると嬉しいな」
「勝手に指示しないで。そもそも、アンタと一緒に行動するつもりはないから」
詩織のコスプレ姿と街の変化の衝撃に驚いて忘れてしまっていた怒りが、梨沙の腹に戻ってくる。もう一度、辺りを見回した。本当に高桜町にそっくりだ。だけど、ちょっとした微妙な違いが肌をムズムズとさせる。このままの風景だといずれ頭が混乱して爆発してしまいそうだ。
梨沙は視線を空に漂わせ、瞼を閉じる。
このままだとおかしくなっちゃうから、さっきまで見えていた美しい街並みに戻してください。これは決して、コイツに指図されたからではありません。全部あたしの意思です。
ふらり。
地面がゆらめく。小さい揺れから、大きい揺れに変わり、ぐわりぐわりと体が揺れ動く。このままでは倒れてしまう。梨沙は慌てて瞼を開けた。
目の前の景色は激しく揺れて、先ほどと同じようにキューブが面を合わせるように動いている。目を開けたとて、平衡感覚は戻ってはこなかった。
そうしているうちに、景色が幻想的な茶色に変わり、ランタンの光がチカチカと煌めきだす。梨沙は胸を撫で下ろした。一瞬の出来事だが、この奇妙な感覚は慣れそうにない。
「わぁ……! 梨沙ちゃんにはこういう風にこの街が見えてたんだね。中国とか、ベトナムとかアジア系だ。妖怪とか出てきそうな世界観で、素敵」
梨沙の景色に合わせたのか、詩織が周囲を見回しながら、しみじみと感想を述べる。
「ちょっと、勝手に人の世界を覗き見ないでよ」
「だって、せっかくなんだよ? 梨沙ちゃんの世界を見てみたいって思ったから」
詩織は悪びれる様子もなく、子供っぽい笑みを浮かべる。この女はどうも自分勝手なようだ。やめろ、と言っても辞めてはくれないだろう。だから、「はいはい。勝手にすれば」と考えることを放棄して、答えた。
「……さてと、梨沙ちゃんもこの世界のルールがわかってきたことだし、わたしがここら辺一体を案内してあげるね」
「は? 何言ってんの? あたしはアンタと一緒に行動するなんて言ってないでしょ?」
手首に力が加わった。詩織の小さな手のひらが梨沙の手首を奪ったのだ。詩織のか弱そうな腕が力強く梨沙の手を引っ張るせいで、体が前のめりになる。
詩織と一緒にいると、どうも調子が狂う。振り回されてしまう。
「そんなこと言わないで、一緒に見て回ろう?」と、こちらに笑みを向けながら進む詩織は、可愛いの権化だった。きっと見目麗しい詩織は、自身の強引さが許される世界で生きてきたのだろう。美しいというのは人生の利点だ。美しい人に見つめられたら誰だって絆されてしまう。許してしまう。だからこそ、端麗な彼女のことを注意する人は、おそらく誰もいなかったのだろう。この身勝手さは綺麗な人の特権だ。
「ねぇ、ちょっと、そんな引っ張らないで! 嫌だって言ってんじゃん!」
思ったよりも強い勢いで言葉が、口から飛び出てしまった。
詩織は、立ち止まって梨沙に顔を向ける。
「……そんなに嫌だった?」
眉尻を下げ、上目遣いで梨沙を見つめる。
「そんな顔して見つめてもダメ。今まで誰もアンタを注意してくれなかったんだろうから、あたしが言う。アンタさぁ、可愛いからって何しても許されるなんて思わないで。たとえ、全世界の人間がアンタの美しさに熱を上げて、アンタを許したとしても、あたしはアンタのワガママを許すつもりはないから。そもそも、あたしは、こんな目に合わせたアンタを許してないからね」
詩織のブラウンの瞳が微かに揺れ、詩織は悲しそうに目を伏せた。梨沙は肩を少しだけすぼめる。なんだかこっちが悪いことをしているみたいでたじろいでしまう。
その時だった。梨沙も詩織も顔を上げ、辺りを見回す。「ふ、ふぇぇええん!」というとても大きな泣き声が耳の奥底に届いてきたのだ。女の子だ。まだ五歳くらいの女の子が道のど真ん中で泣いている。その泣き声が辺り一面に響き渡り、人々の視線を奪っている。
「珍しい。この世界に泣いてる子がいるなんて」
詩織がボソリとつぶやく。他の人もそう思っているのか、この場にいる全員が不思議そうな顔をして女の子を見つめていた。
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