15.教室
屋上を後にした三人は、四階へと足を運ぶ。ずらりと並ぶ教室群。四階の教室プレートを見るに、この階は三年生の教室のある階らしい。どうやら、この学校では学年が上がるごとに階が下がっていき、高学年が一番楽になる仕様のようだ。
三人は廊下を歩きながら、時折、ミウの体を持ち上げたりしながら、教室たちを覗く。大抵の教室では授業が行われていた。しかし、中には吹奏楽部らしき人たちが練習をしている教室があったり、制服の少年少女たちがたむろしている放課後っぽい雰囲気の教室があったりと、教室の役割がクラス毎に区切られているみたいだった。
「ねぇ、ミウも高校の授業受けてみたい」
一通り教室を覗き終えたところで、ミウが屈託のない声を上げる。
「えっ、ミウちゃん授業参加したいの?」
詩織がわざとらしくのけぞって、大きい目をさらにまんまるく見開いた。
「うんっ! 高校の勉強って、難しいことするんでしょ? かっこいいもんっ! ミウもやってみたい!」
「えぇ? でも、勉強ってそんなにいいものじゃないよ? 難しい数式がたっくさん出てきたり、外国の言葉を覚えなきゃいけないんだよ?」
「それでも……ミウやってみたいの。 高校で勉強するの、ずっと、夢だったから……」
「ミウちゃん……。そっか、そうなんだね……」
詩織の声のトーンが一段階落ちた。瞳に影がよぎる。だけど、詩織はすぐさま、ふっと表情を緩めて、小さくガッツポーズをした。
「よしっ、そしたら、授業受けてみよっか!」
「やったぁ!」
「ちょっと待って! どの教室も明らかに授業中だよね? 勝手に入ってもいいわけ?」
ほとんど反射的に否定してしまう。目の前の三年B組と書かれたプレートがぶら下がっている教室では、すでに授業が繰り広げられているようだったからだ。
「もう、梨沙ちゃん、忘れたの? ここは理想郷。なんでもできる世界なんだよ? だから、授業中でも大丈夫。すぐに世界が更新されるから」
「あっ……。そっか……」
「ほら、行こう!」
詩織がにっと笑うと、勢いよく扉を開ける。教室の後ろ扉が開かれた瞬間、空間が歪んだ。空間がブロック状になり、カタカタと音を立てるかのように入れ替わっていく。
梨沙たちは教室に足を踏み入れたそのとき、「遅いぞ、お前ら」という、男性の低い声が教室に響いた。若くてガタイのいい男性が教壇に立ち、梨沙たちを軽く睨んでいるのだ。「お前ら」というのが、梨沙たちを指す言葉だと気がつくのに数秒かかってしまった。
「堀川、何をボケっと突っ立ってるんだ。小南とマエダはもう席に着いてるぞ」
「えっ?」
ザッと視線を巡らせる。中央、一番後ろの席の横並び三つの席。そこがうまいこと空いており、詩織とミウはちゃっかりと腰をおろしていた。
「りさお姉ちゃん、怒られちゃったね」「ねー」なんて、詩織とミウは二人で笑い合っている。頬がほんの少し熱くなった。梨沙の眉間にわずかだが皺が寄る。
二人ともこの世界に順応しすぎでしょ……。
ふぅ、と小さく息を吐いて、梨沙はミウの隣の空いている席に腰を下ろした。
教壇前に立っていた男性は数学の教員のようで、淡々と微分法の授業を進める。limとかx→∞とかのよくわからない記号と、くにゃくにゃとした関数のグラフを描いている。
「うわぁ……。これって、もしかしなくても、数Ⅲの授業だよね?」
梨沙の二つ隣の席では、詩織が頭を抱えて黒板を凝視している。
「すう……さん……?」
「そう。高校には数学の種類がいくつかあって、その中でも一番難しいのが数Ⅲなの。わたしは私文志望だから、数学は捨ててるんだ。だから、こういう問題はちんぷんかんぷん」
「しぶん……しぼう……?」
「あっ、ごめんね、わからないよね。えーっと、受験したい大学が私立文系の大学ってこと! 大学には、私立と国立とがあって……」
詩織が大学入試のシステムを事細かに説明し始めた。梨沙は黒板に目を向けながら、詩織とミウの会話に耳を傾ける。教壇に立つ教師は後ろで騒いでいることに対して、特に注意することもなく、授業を進めていた。
改めて、考えてみる。ここは本当に変な空間だ。くりきんとんで空中散歩していたときにも思ったが、たくさんの国籍の人が入り混じり、打ち解けあっている。今、見渡しただけでも、たくさんの肌の色の人がいた。そして、日本語を理解しているようだ。いや、もしかしたら、彼、彼女らは自分の言語で言葉が聞こえているのかもしれない。考えれば考えるほど、不思議なところだ。
開いている窓から風が吹き抜け、クリーム色のカーテンがふわりと舞った。
予鈴が鳴り、授業が終わる。教室がざわつきだした。梨沙たち三人も教室を後にする。
それから、三人は様々な教室を巡った。本がたくさん並んでいる図書室や誰一人声を発さない自習室。大きなスクリーンが垂れ下がっている視聴覚室に、学生食堂や購買。理科の実験室に、音楽室や美術室。どの教室も、梨沙たちが足を踏み入れた瞬間、世界がキューブ状に分裂し、そして、再構築された。再構築された部屋では、必ず梨沙たちの席が空いており、その部屋にいる人々は何事もなく梨沙たちを受け入れる。『放課後の教室』に入ったとき、その動きが顕著だった。
教室の窓側の隅っこでたむろしている少女たち四人が、梨沙たちが教室のドアを開けた途端、「あ、ミウたち遅いよー! こっちこっちー!」と元気よく手招きしたのだ。
「この人たちはホログラムみたいなものだよ。人間っぽく作られた人間じゃない何か。本当に存在している人じゃないの。……なぁんて言いながら、世界線が合わさった人間って時もあるから、一概にホログラムとは決めつけられないんだけどね」
詩織が笑顔でホログラムに手を振りながら、説明をしてくれた。
ホログラム。ということは、一番最初に入った教室にいた教師も、一緒に授業を受けていた生徒も、全員ホログラムなんだろうか。それとも、世界線が一致したロールプレイをしてる人間なんだろうか。疑問が梨沙の脳内を支配する。
ミウは? 楽しそうに見知らぬ女子高生と話している目の前の少女は本当に人間なんだろうか。それとも、偽物の人間? ホログラムと本物。どうやって見分けるのだろう。
とん、とん。脇腹をつかれた。肘先で軽く二度、つつかれた。隣に腰掛けている詩織だ。
「梨沙ちゃん、梨沙ちゃん。何ボォーっとしてるの?」
「あ、いや……。ちょっと、考え事しちゃって……」
「考え事? なになにー?」
「そうだよー! ウチらにも教えてよー!」
ミウとホログラムの少女たちが口を挟む。梨沙は首を左右に振った。
「ごめん。大したことじゃないんだ。……で、なんの話だっけ?」
わかりやすく話題を変える。人間とホログラムの違いの話をここですべきではないことをわかっていた。話せばミウが傷つくことも、目の前の少女たちが困惑してしまうことも想像に難くない。それに、よく知りもしない人たちに自分の話をするのは、少し嫌だった。
「だから、金持ちだけど性格悪い男と貧乏だけど性格いい男、どっちがいい?って話!」
「究極の二択としては鉄板すぎるよねー」
「鉄板だけどいいの! みんながどっち選ぶのか気になるじゃん? ちなみにわたしは、性格のいい男かな」
「えー? なんでー?」
「だって、性格悪いなら、絶対浮気されるじゃん」
「でも金持ちなんだったら、そのお金で豪遊してこっちも浮気してやればいいじゃん」
「うわー! あんたって、性格悪ぅ」
見知らぬ少女たちが答えのない不毛な会話を繰り広げている。
つまらない。すごくすごくつまらなくて、くだらない。中身のない会話だ。心底どうでもいい。聞いてもなんの意義も生まない薄っぺらい議論ほどつまらないものはない。それなのに、ミウと詩織は時折、ホログラムたちの会話に口を挟みながら、ニコニコ笑って楽しんでいる。梨沙はどことなくぎこちない愛想笑いを貼り付け、適当に相槌を打った。
こういうのが嫌だから、学校で一人でいるのだ。適当に合わせて、楽しそうなフリをするのが苦痛なのた。今だって、今すぐこの場からいなくなりたい。だけど、ミウの手前、そんなことはできない。
「でね、でねー?」
少女たちの会話は続く。梨沙は退屈なのがバレないように、あくびを何度も噛み殺し、頬を無理やり吊り上げていた。
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