40.告白



「わたしもね、梨沙ちゃんのこと憧れだとか言ってたけど、本当は、ずっと、ずぅーっと、嫉妬してたの。……梨沙ちゃんを憧れていたことも、尊敬していたことも、この世界を見せたかったっていうことも、全部本当だったよ。でも、心の奥底には、真っ黒な妬みの気持ちがあった。欲しいものを何でも持ってる梨沙ちゃんを見ていたら、嫉妬でわたしの気が狂いそうだったの。だから、一緒に飛び降りた。……飛び降りた先に待ち受ける現実の最悪な状態のことも考えた上で。本当、わたし、梨沙ちゃんが思ってる以上に、最低なの」


「なに、それ……」


 結局、コイツは当初のあたしの見立て通り、あたしと心中しようとしたわけだ。


 腹が立つ。勝手に理想像を押し付けられ、勝手に嫉妬されて、勝手に殺されかけた。


 あぁ、もう、何もかも最悪だ。そんな奴のために、命をかけてここまできてしまった。自分がバカなんじゃないかとすら、思えてくる。その上、「えへっ。殴りたくなった?」なんて、ムカつくほど清々しい笑顔を投げつけてきた。腹が立つ。無性に腹が立つ。


「マジでぶん殴りたい。ホント、最悪。なんなの? アンタがあたしを巻き込んで心中したくせに、『あたしがアンタを』心中に巻き込んだことにされてるのも、めっちゃ腹立つ。ほんと、なんなの……」


「うん。わたしって本当に最低。本当に本当にごめんなさい」


「……はぁ。もういいよ。怒ったところで、今のこの現状が変わるわけじゃないし。こんな状況で仲違いしても、いいことなんてなんもないし。……でも、いい? 現世に生き返ったら、ただじゃ済まないから」


 儚げに笑う詩織に、梨沙は冷たく背を向けた。


「ほら、バカなこと言ってないでさっさと出口探すよ。なんかここ、すごく気味悪いし」


 梨沙は知っている。笑いながら茶化す時、自分のことを下げるようなことを言う時、詩織の心が悲鳴をあげていることを、知っている。だから、必要以上に責めない。いや、責められない。追い詰められている時に向けられる言葉がどれほどの凶器になるのかを、どれほど心に傷を負わせるかを知っていたから。彼女に死を選ばせるほどの絶望を与えてしまうから。だから、腹が立つけど、責められない。


 それに、梨沙は詩織を救うために奔走してしまうほど、十分詩織に絆されていたのだ。


 梨沙は屋上の入り口ドアを調べる。重い鉄製の扉は、びくともしない。


「梨沙ちゃん、ありがとう!」


 詩織の叫び声を聞いた。梨沙はどきりとして、振り返る。詩織はふわふわな髪の毛を靡かせ、叫び続ける。


「梨沙ちゃん、貴女がたとえ、無意識だったとしても、たとえ、自分のためにやったことだと言っても、わたしはそれで救われた! ありがとう!」


 魂の声だった。詩織の声に空間が揺れる。


「わたしは、梨沙ちゃんが大好き! 優しくて芯のある、そんな梨沙ちゃんが大好き!」


「もう、それは何度も聞いたって! そんなことより、アンタも出口探すのを手伝って!」


 梨沙は負け時と叫んだ。


「うん! 手伝う! 手伝うけど、その前に……」


 詩織が肩を大きく上げる。胸いっぱいに息を吸い込んで、


「梨沙ちゃん、わたしと友達になってくれませんかあああ!」


 それはとびっきりの告白だった。


「わたしと、友達になってくださあああい!」


 真剣な表情で、今にも泣きそうな顔をしながら、叫んでいる。その姿はどこかのテレビ番組で見た、屋上から告白をするシーンを彷彿とさせた。「友達になってくれ」なんて言われたのは、いつぶりだろう。もしかしたら、小学校低学年のとき以来かもしれない。

 詩織が必死に声を上げながら、一歩ずつ近づいてくる。


「わたし、梨沙ちゃんと友達になりたいの! わたしなら、梨沙ちゃんがコミュニケーション苦手でも受け入れられる。わたしなら、梨沙ちゃんが話すまで待ってられる。ここまで一緒にきたわたしなら、梨沙ちゃんのこと絶対に裏切らない」



 詩織が、目の前に来た。


「梨沙ちゃん。わたしね、梨沙ちゃんと、こんなよくわからない歪な関係じゃなくって、本物の友達になりたい」


「また、本物とか言って。友達に偽物とか本物とかないでしょ」


 梨沙は詩織から視線を外す。


 わかっている。真剣な思いには真剣に応えなければいけない。わかっているけれど、真っ直ぐ向けられる好意はどこか気恥ずかしくて、真正面から受け止められない。


「うん。そう、だね。うん。友達に本物とか、偽物とか、ないか……。梨沙ちゃんとなら、絶対に本物の友達になれるもんね」


 詩織はもう一度、大きく息を吸って、吐いた。


「改めて言います。梨沙ちゃん、わたしと、友達になってください」


 詩織の華奢な左手が差し出される。頭を低くして、本気の本気で、頼み込んでいる。


「なにそれ。なんで友達になるだけなのに、そんな真剣に頼み込んでるわけ?」


「だって、絶対に梨沙ちゃんと友達になりたいから。わたしは梨沙ちゃんを失いたくない。絶対に友達になりたいの」


 梨沙は可愛い手のひらを見つめ、黙っていた。胸の奥がズクズクする。


 詩織のことは、多分、もう、そんなに嫌いじゃない。勝手に巻き込んだことも、勝手に死を選んだことも許してはないけれど、さほど怒りの感情は湧いてこない。詩織の心に触れてしまった。詩織もまた、梨沙の心に触れつつある。友達、悪くないかもしれない。そう感じる一方で、友達になっていいのか、という疑問もまた梨沙の中で蠢いていた。


 コイツはあたしを殺しかけた人間だ。詩織のせいで、全身包帯なんだ。自分勝手で、わがままで、決めつけしいで、それでいて、あたしと正反対。そんな詩織を許せるだろうか。


 わからなかった。このまま詩織と一緒にいて、自分の感情がどう揺れ動くのか、どう変わっていくのか、検討もつかない。そもそも、こうして詩織に真剣に向き合うことになるなんて、思ってもみなかったのだ。詩織のために死にかけるだとか、友達になるかどうかで悩むだとか、昔の梨沙からしたら考えられないことだ。


 感情も印象も、変わりゆく。変化していく感情の中で、あたしは詩織のことを受け入れること、折り合いをつけることができるだろうか。


「梨沙、ちゃん……。やっぱり、ダメ、かな?」


 詩織が沈黙を破る。頭を少しだけ上げて、上目遣いで真っ直ぐに見ている。庇護欲を掻き立てられる目だ。


「……考えとく」


 頭を動かして動かして出た答えは、そんな吐息混じりの呟きだ。


 考えとく。なんと便利で無責任なことか。ただ問題を先延ばしにしただけじゃないか。真剣な思いを受け流した。真剣な思いに向き合わなかった。


 詩織は、落胆しただろうか。友達になれないと落ち込んだだろうか。


 そう考えていた矢先……。


「本当……? 本当に考えてくれるの?」


 詩織が顔を上げて飛び上がった。例えではなく、本当にぴょんと大きく飛び跳ねたのだ。


「う、うん?」


「本当の? 本当?」


 詩織が迫ってくる。顔が近い。あと少しで鼻と鼻がぶつかりそうだ。梨沙は反射的に体を反らせた。


「だから、本当だって」


「やった……。やったよー!」


 詩織はうさぎのように跳ねている。その度にスカートがふわりふわりと舞う。


「ちょっと、大袈裟だって。あたし、考えとくって言ったんだよ。友達になるなんて、一言も言ってないんだよ」


「うん、わかってる。わかってるけど、まさか、考えてくれるなんて思わなかったから! わたし、梨沙ちゃんに取り返しもつかないような最低なことをしたでしょ。だから、絶対断られるって思ったの。梨沙ちゃんは嫌なことを嫌ってはっきり言うし。だけど、そんな梨沙ちゃんが、考えとく、だって……! ふふ、考えとく、かぁ……」


 嬉しそうに口元に両手を当て、ふふふっと何度も笑う。本当に、小動物みたいだ。


 そんなに、嬉しい言葉だったのだろうか。


 あたしはただ、今、この場で考えられなくて、考えとくと言っただけなのに。そんな中途半端な言葉だったのに。


 詩織は喜んだ。


「そんなに、嬉しいの……?」


「嬉しいよ! だって、梨沙ちゃん、適当なこと言わないでしょう? 梨沙ちゃんが考えとくっていう時は、本当に考えてくれる時だから」


 とくん。太陽のように「でしょ?」と微笑む詩織を見て、胸が跳ねる。


 違う。あたしは、適当に逃げるためにこの言葉を言っただけ。


 きっと、今の梨沙を思いを伝えても「それでも、梨沙ちゃんは考えてくれるでしょう? 絶対に、真剣に、考えてくれるでしょう?」なんて、眩しい笑顔で言うのだろう。


 その姿を想像して、少し笑えてきてしまう。悪い気はしない。それに、詩織の言う通り、しっかりと考えてから結論を出すのだろう。そんな自分の未来の姿をも想像できてしまう。


 変なところにネガティブで、変なところにポジティブな少女。この少女のいろんな顔を見てみたい。そんな気持ちが自分の中に湧き出でてくるのを感じた。


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