理想郷を辿って行き着く先は

佐倉 るる

1.雑音



 世界は雑音で溢れている。


 少なくとも、梨沙はヘッドホンの外側で聞こえるであろう木々のざわめきも、力強い風の音も、登校中の少年少女たちの談笑も、全てうるさいと感じる。


 本当にうるさい。


 見渡す限り、子供、子供、子供、学生、学生、学生、学生……。この道はやたらと人が多くて、嫌になる。電信柱には「スクールゾーン」と書かれたプレートが貼り付けられ、この道はたくさんの小学生が通ることを暗に示していた。小学生と高校生が入り混じるこの道の雰囲気が、梨沙の肩身狭くさせる。


ふっと息を吐き出し、ポケットに突っ込んであるスマホの音量ボタンを押す。登校時から垂れ流したままだった特に興味もない流行りの曲が、ヘッドホンから爆音で流れる。好きでもない曲を聴いていたほうが、人々の声を聴くよりマシだ。


 堀川梨沙、高校二年生。一年生の高揚感も、三年生の時に感じる受験の重圧もそれほどない、一番気楽な学年。それでいて、一番退屈な学年。


 流行りの歌も、同級生の話も、先生の話も、勉強も、何もかも、つまらない。


本当のことを言えば、学校になんて行きたくないのだ。けれど、不登校になるほど学校を拒んでいるわけでもない。だから、今日も学校へ向かう。足が重い。誰とも会いたくないし、誰とも話したくない。だけど、高校生という肩書きのせいで、強制的に学校へと放り投げられる。最悪だ。最悪だけど、仕方がない。この高校へ行くことを選んだのも、今日登校することを選んだのも、全部梨沙自身なのだから。


 太陽が燦々と輝きを放ち、眼前には青空が広がっていた。体全体にじんわりと熱が伝わってくる。加えて、湿気っぽい空気が肌にまとわりついて、気持ちが悪い。


 そろそろ半袖を着たほうがいいかな。


 六月上旬。まだ夏とは言えないが、ちょっとずつ暑くなってきている。長袖を着ていられるのもあと少しだろう。梨沙はもう一度、深い吐息を漏らす。


「よーっす! おはよう!」


 にわかに、両肩にポンっと手が置かれる。体がびくりと跳ねる。無理やりヘッドホンを外され、圧迫から解放されてた耳に、雑音がこれでもかというほど流れ込んできた。


「ちょっと、なにすんの! ほんっと、最悪!」


 こんなことをしてくる人物はただ一人、幼馴染の安藤広樹だ。腹から苛立ちが溢れ出る。


「おいおい、そんな怖い顔するなって。般若みたいな顔してると、友達できねぇぞ?」


「うっざ。こんな顔させてるのは、安藤、アンタでしょ? アンタがヘッドホン取ったりしなきゃ、こんな顔することもないだから」


「なに言ってんだ。俺が来る前からしけた顔してただろ?」


「そんなことないから。ほっといて」


 肩にダラリとかけられたヘッドホンを取ろうとした。けれど、広樹がサッと梨沙の肩に腕を回し、その動きは阻止されてしまう。


「待て待て待て待て。俺はさ、幼馴染として心配してるわけよ。大切な幼馴染が友達もできないまま、高校卒業するのは良くないと思ってな?」


 梨沙は本気で広樹に腹を立てていた。広樹の手を振り払い、睨みつける。


「いい加減にして。何度も言ってるけど、あたしは友達なんていらないの。余計なおせっかい焼かないでくれる?」


 広樹はわざとらしく驚いた顔をして、両手をあげて肩をすくめる。


「なぁ、堀川。本当にお前はそれでいいのかよ? 高校時代、友達ゼロ。大学でもゼロ。社会に出ても友達はできず、恋人もできず……お前、孤独死するぞ?」


「人の人生勝手に決めつけないで。ほんとうざい」


 眉間に皺がよる。先ほどよりもキツく睨みつけたが、広樹は梨沙に睨まれることに慣れているからか、動揺する様子はない。むしろ、あっけらかんとした間抜けな顔をしている。


「ていうか、安藤は友達ゼロの女と話してていいわけ? 安藤の大切な大切な友達に、『お前ら付き合ってんのかー』ってからかわれちゃうよ?」


 広樹に冷笑を送った。当てつけだ。かつて、広樹が梨沙にした心無い態度を思い出させるためだ。幼馴染、安藤広樹の裏切り。今だってその日の出来事を思い出せる。


 それは中学一年生のことだった。


「なぁ、広樹。お前さ、堀川とめっちゃ仲良いじゃん。何? 付き合ってんの?」


 茶化した口調で広樹に問うのは、広樹の悪友、レイジだ。広樹は中学に入ってから友達の層が変わった。小学校の頃の地味めのグループから一転、派手なグループへと移り変わったのだ。その中で、広樹が特に仲良くしていたのは、底意地の悪そうな顔をしているレイジとシンヤだった。この日も広樹はレイジとシンヤと三人で仲良くつるんでた。


 授業と授業の間の五分休み、梨沙は次の授業の準備の手を止めずに、そば耳を立てる。


「は? 急になんだよ?」


「だって、お前、堀川のこと『りっちゃん』って呼んでるじゃん?」


「あぁ……うん? だから? りっちゃんとはゼロ歳の時からの付き合いだからな。あだ名で呼び合うくらいはするだろ」


 広樹の言う通り、梨沙と広樹は赤ちゃんの頃からの知り合いだ。広樹の母と梨沙の母が親友同士なため、小さい頃から交流があったのだ。だから、広樹のことはよく知っていたし、小学校の頃は一番仲のいい友達でもあった。


「だとしてもだよ? ひーくん、りっちゃん、はないだろ?」


「そうそう。ひーくん。りっちゃん。って呼び合うたびにハートマーク出てるもんな」


「は? なに言ってんだよ。んなんけないだろ。気持ち悪りぃなぁ……。てか、あんなクソ地味でクソ暗い女と付き合うわけねぇじゃん」


 あまりの冷たい声に、梨沙は思わず振り返った。広樹の片眉が不機嫌そうに、吊り上がり、冷笑を浮かべている。胸の奥がゾワリと蠢いた。こんな広樹の顔、見たことがない。


「言うねぇ」


「つーか、そもそも、アイツと仲良くしてるのだって、俺の母親とアイツの母親に頼まれたからだし。誰が好きこのんで、あんな奴と友達になるかよ」


 チラリと広樹が、こちらに視線を向けたが、それはすぐに逸らされた。広樹の面長の優しげで柔和な顔が、冷酷で無愛想な顔に変わる。男たちは喋り続ける。けれど、その声はぼやけて言葉として認識ができない。頭の中に広樹の冷たい声が巡る。


 最低だ。ひーくんは、いや、安藤は最低で低俗なクズだ。自分の保身のためにあたしを売った。違う。もしかしたら、本当に彼はあたしといるのが苦痛だったのかもしれない。


 傷ついた。こんなくだらない奴の言葉で傷つくなんてバカだと思う。気にしなければよかったのだと思う。けれど、梨沙は広樹の言葉に心を抉られたのだ。裏切りだと感じた。あれだけ仲が良かったのに。一番の親友だと思っていたのに。


 言葉は人の心を傷つける刃物になるということを、梨沙はこの時、身をもって経験した。


 その日以来、梨沙は広樹のことを安藤と呼ぶようになり、そのうち、広樹も梨沙のことを堀川と呼ぶようになった。お互い距離を取るようになって、話すこともほとんどなくなった。そのため、進学先の高校が同じだったことを知ったのは、今年の春、二年生になり、同じクラスになった時だった。広樹は梨沙の存在に気がついてから、中学時代の出来事がまるでがなかったように、こうして梨沙に話しかけてくる。あんなひどい言葉を吐いておきながら、謝罪もなしに近づいてくる広樹を、梨沙は軽蔑していた。


「なんだよそれ? 高校生にもなって、そんなことでからかってくる奴なんていないだろ」


「そうかもね」


 広樹が訝しげに片眉を上げる。


 コイツは忘れているんだ。あたしを傷つけた言葉も、あたしにしてきた態度も、全部。


 広樹が見せつけるようにため息を吐いた。


「俺はさ、本当にお前が心配なの。お前、マジでずっと一人でいるじゃん? 小学校の頃はそれなりに友達に囲まれてたのにさ。俺と絡んでない間、なにがあったか知らないけど、意固地になって変なキャラ演じるのやめろよ」


「は? なに言ってんの」


「厨二病、だろ? 『一人で平気な孤高のアタシ』ってか? 高校生にもなってダサいぞ」


 あぁ、コイツはなにもわかっていない。気力が削がれ、心に鈍い鉛が落ちる。最初から期待など微塵もしていなかったが、広樹の言葉が重苦しい。


「話ってそれだけ? くだらない話で朝から不快にさせないで。あたし、先行くから」


 梨沙は広樹を拒絶するように、ヘッドホンを再び耳につけ、早足で歩く。


「お、おい!」


 途中で広樹に肩を掴まれたが、思いっきり振り解き、人の間を縫うように駆け抜ける。


 聞こえない。聞きたくない。


 人々の喧騒も、憎たらしい広樹の声も何も聞きたくない。音楽のボリューム上げた。 先程、広樹に触られた肩を汚れをとるようにポンポンとはたき、歩く勢いを上げた。

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