29.重圧



 今度は先ほどの部屋とは打って変わり、梨沙は和室の大広間にいた。五十畳ほどあるだろうか。ここまで広い畳の部屋は旅館でしか、足を踏み入れたことがない。壁の上部にはずらりと見知らぬお爺さんやお婆さんの写真が並べられている。


 頭の隅が痛く、重い。そして、臭い。


 畳独特の匂いが鼻腔に満ちてくる。服に染み込んでしまった畳の匂いに嫌悪感を覚えた。


 ……まって。おかしい。あたしは今この場に来たばかりだ。それなのに、どうして服に匂いが染み込んでいるなんて感じるのだろう。


「詩織ちゃん、こんなところにいたの」


 見知らぬお婆さんが音も立てずに襖を開け、薄暗い室内の電気をつけた。辺りがパッと明るくなる。


「あ、うん。曾お祖父様の写真が見たくて」


 詩織の声だ。梨沙は詩織を目だけで探す。詩織は部屋の隅で、壁に向かって正座をしていた。髭面の気難しそうなお爺さんのカラー写真と見つめ合っている。


「そうなのねぇ……。詩織ちゃんは曾お祖父様が大好きだったものねぇ……。でも、写真じゃなくてお仏壇に手を合わせればいいんじゃないかしら?」


「そう、なんだけど……。曾お祖父様はここでの宴会が大好きだったでしょ? 仏間よりもこの部屋の方が、しっくりくるの」


「……そうね。その通りね」


 お婆さんが詩織に近づき、そっと頭を撫でる。お婆さんを見上げる詩織の面は、先ほどのパーティの時よりも大人びて見えた。


「そういえば、詩織ちゃん、聞いたわ。また絵画コンテストで一番を取ったんですってね。本当にすごいわ。お祖母ちゃまもお祖父ちゃまも、とっても鼻が高いのよ」


「……うん。ありがとう」


「詩織ちゃんは中学に入っても成績は優秀だし、作文も絵画もいつも表彰されているし、小南の家に相応しい女の子だわ」


 お婆さんがまろやかに微笑みかける。


 この人は、詩織のお祖母様だ。そして……。


「あっ、そうだ! 詩織ちゃんの絵、百貨店に飾られるのでしょう? 今度お祖母様と見に行きましょう。本当はお父さんとお母さんも来れたらいいんだけどねぇ……」


「ううん。いいの。二人が忙しいのは知ってるから……。お祖母様が見てくれるだけでも、わたしは十分嬉しいよ」


 そして、このお祖母様は詩織の母親代わりなのだ。詩織は両親と暮らさず、この広い家でお爺ちゃんとお祖母様と暮らしている。


 どうして、わかるんだろう。


 不思議と頭に情報が流れ込んでくるのだ。


「詩織ちゃんは本当にいい子ね。どこに出しても恥ずかしくない。詩織ちゃんのこれからがとっても楽しみだわ」


 重たい。


「これからも頑張りましょうね。期待してるからね」


 重たい。


「ほら、詩織ちゃん。そろそろお勉強の時間よ。今は女の子も高学歴でなくっちゃね。詩織ちゃんなら大丈夫だと思うけれど、三流大学に行くなんて目も当てられないんだから」


 重たい。重たい。重たい。


 体がずっしりと重たい。期待も、名誉も、応援も、励ましさえも、重たい。祖父母にも両親にもきちんと愛されてることはわかってる。大切にされてることもわかってる。でも、重たい。愛が重たい。抑えつけられる。理想を押し付け、現実を押し付け、縛り上げる。重たくて潰れてしまいそうだ。笑って誤魔化して、適当に相槌を打って。お祖母様に笑いかけながら、冷たい嫌な汗が噴き出た。


 ――わたしはいつまで、誰かの期待に応えなければいけないの。


 氷水のような声が頭に響く。梨沙はハッとして息を呑んだ。


 今、あたし、何を考えてた? ……そもそも、『あたし』が何かを考えてたの?


 詩織が立ち上がる。


 その動作と同時に、一筋の刺激が体を突き抜けた。稲妻だ。体が順応したのか、三回目の稲妻はたいして痛みも感じなかった。


 刺激が過ぎ去ったとき、梨沙が立っていたのはよく見慣れた場所だった。高校の教室だ。


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