6.ナビゲーター



「うわっ! なに!」


 梨沙の体がびくりと跳ね、音の鳴った右側に目を向けると、そこには、天使の羽の生えた雫型の小さなロボットが、ぷかぷかと浮いていた。


「えっ、なにこれ」


 梨沙は慌てて、そのロボットと距離をとる。青紫色の雫型ロボットは、胴体を持たず、雫の状態で、可愛らしい羽をパタパタと優雅に動かし、宙へ浮いている。饅頭みたいに、くにゃりと柔らかそうな質感の雫型ロボットの顔の中央には、ドッドで白文字で描かれたようなデフォルメされた目と口があり、それらが綺麗な弧を描き、にっこりと微笑んでいた。まるで、どこかのテーマパークのマスコットキャラクターのようだ。


『初めまして、堀川梨沙様。私、大天使兼ナビゲーターのサリエルです。どうぞ、よろしくお願いします』


「な、ナビゲーター……?」


『堀川梨沙様は、この世界に来るのは初めてですね。僭越ながら、この世界について説明させていただきますね』


「は、はぁ……」


 子供のような声だった。サリエルが喋るたび、デフォルメされた口がパクパクと動き、ちょっとだけ可愛らしい。だけど、このロボットは一体なんなのだろうか。


 理解の追いついていない梨沙を無視し、サリエルは説明を続ける。


『この世界は、今際の際、三途の川の前、最後の審判までの待機場、等様々な呼び方がされている世界です。小南詩織様がおっしゃっていたように、ここは、生と死の境目の世界だと思っていただいて構いません。……堀川梨沙様は、学校の屋上から落ちましたね? それにより、現在、堀川梨沙様は意識不明の重体となっております。なので、この生と死の境目の世界に行き着いたというわけです』


「……え、な、なにそれ。あたし、死んだの?」


『いえ。死んだわけではございません。先ほども言った通り、ここは生と死の境界。ですので、生きている状態でもあり、死んでいる状態でもあるということ。俗世で……、あ、俗世というのは、堀川梨沙様や小南詩織様が、生きて生活している場所のことですね。現世、下界、人間界と言ったりもしますが……。まぁ、とにかく、俗世の身体が目を覚ませば、魂も俗世へ戻る、ということになっております』


「いや、あの、意味わからないんですけど……」


『そうでしょうとも、そうでしょうとも。俗世に生きていると理解力が鈍るものです。ですが、私がきちんとナビゲートいたしますので、安心してくださいね』


 呆然と聞く梨沙をよそに、サリエルは電子的な目と口をにっこりとさせ、説明を続けた。


『今、堀川梨沙様は仮死状態にあります。そのため、堀川梨沙様の魂が肉体を俗世に置いて、この生と死の狭間の世界にやってきたのです。もちろん、この場所は、人が死んでから最後の審判を受けるまでの待機場でもありますので、死んでしまっている方もいらっしゃいます。ですが、堀川梨沙様は、現在、まだ生きておりますので、ご安心ください』


「あのっ! さっきから意味のわからないことばっかり言ってますけど、もし仮に……。仮にアンタの言っていることが本当だとして」


『アンタ、ではなく、サリエルです』


 微笑みを浮かべたまま、優しい口調で訂正される。


「……サリエル、の言ってることが本当だとして、あたしは今、重体な状態ってこと……なんですよね? それってもう、ほぼ死んでるみたいなもの……なのでは? 安心する、なんてできるはずなくないですか?」


 ほんの少し語尾を強めて言った。この妙なロボットに敬語で受け答えするのは、梨沙なりの敬意だ。だけど、人の話を聞かず、話を進めるサリエルに腹が立っているのも、また事実だった。だから、少し強めの口調で反撃をする。


『いえ、堀川梨沙様が生き返る可能性は大いにあります。生きるか死ぬかは、結局のところ、貴女の気力、または、心持ち次第、ということですね。それに、時間は有限です。生きるか、死ぬか、なんていう不確定なものに悩み時間を費やすよりも、今ある状況を楽しんだ方が得だと、思いませんか?』


 梨沙は口をつぐんだ。


 そうだろうか。


 自分自身に問いかけてみる。梨沙は茶色の世界を見渡した。何度見ても美しいところだ。悩む暇があるならこの街を探検したいという好奇心に駆られる。ここはどこで、何をしたらいいのか。そういったことを考えるのはやめて、今の状況を素直に受け入れた方が、楽で楽しいのかもしれない。なぜだかわからないけど、そんな気になってしまう。


『ふふ。損得で考える、その場で流される、とても人間らしくいいと思います』


 サリエルは心を見透かしたように、優しい声音で淡々と説明を続ける。


『もし、堀川梨沙様が死んでしまった場合、私が知らせに参りますので、ご安心を。さらに、死の知らせを受けてから、四十九日間、この世界を満喫していただけます。俗世で意識を取り戻せるようになった場合は、私の案内を受けた後、魂が肉体に戻るようになっております』


 このロボットの話を信じていいものかと、梨沙は顎に手をやった。


 歴史や宗教には詳しくないが、最後の審判、四十九日、現代的なロボットの風貌をしている大天使……と、様々な宗教、世界観が混じり合っているように思える。


 死後の世界はこんなに混沌としているモノなのだろうか。混沌としてていいのだろうか。


『堀川梨沙様が置かれている現在の状況に関する説明は以上になります。私の話が信じられないかもしれませんが、信じていただかないことには話が進まないので、一旦、信じていただいたものとして、この生と死の狭間の世界について説明させていただきますね』

 サリエルはパタパタと翼を動かしながら、梨沙の顔の周りをくるりと一周回り、梨沙の顔の前で止まる。

『今、堀川梨沙様がいらっしゃるこの通りが、この世界のメインストリートとなっております。メインストリートの突き当たりの両端には、大きな門が聳え立っており、堀川梨沙様を堂々とした姿で迎えいれることでしょう』


 サリエルは道を指し示すように、パタパタと目の前を飛んでみせる。今いる場所からではその門は窺い知れない。


『こちらの方向が、北向きです。この道をまっすぐ行った先に北門があります。北門の先では、『天国に行くか、地獄に行くか』という魂の審判が行われます。今のところ、堀川梨沙様には関係のないところですね。北門は豪華絢爛に作られているので、一目で北門だとわかるはずです。なので、この街で道に迷ったら、北門を探すといいでしょう』


 サリエルは羽を優雅に動かしながら、梨沙の後ろへと回り込み、反対の道を紹介する。


『こちら側は南になっており、つきあたりには南門があります。南門をくぐると、森や草原、海などの自然エリアに繋がっています。この街の喧騒から離れ、癒しを得ることができるでしょう。もちろん、この街にいても、自然エリアにいても、私の管轄内ですので、好きに行き来してもらって構いません。南門は北門と反対に、質素な作りになっておりますので、こちらも見ただけですぐにわかると思います。この街は、街全体が壁に囲まれていて、出口の門はこの二つだけですからね。……さて、ここまでで何か質問は?』


「え? あ、えっと……」


『はい、なさそうですね。後ほどまとめて質問を受け付けることもできますので、ご安心を。では、この世界の説明を続けます』


 サリエルは早く説明を終わらせたいとばかりに、梨沙に話す隙も与えず、捲し立てる。


『この世界は生きている者の魂が迷い込んだ際の受け皿になるように、そして、最後の審判までの時間を快適に過ごしてもらうように、作られた空間です。最後の審判は長く厳しいものですから、それに魂が耐えられるようにと、神の粋な配慮によって作られた空間です。今回の生での最後の理想郷、夢の世界がこの世界になります』


「……は、はぁ」


 サリエルはドッドの瞳の中にひし形を作り、文字通り目を輝かせながら、説明を続ける。


『そう、この世界は人間たちの理想郷。この世界では、好きなものを食べられ、好きなことができます。貴女がなりたかったものにもなれます。この街は、貴女の思う理想の街が反映されているのです。なので、人によって見えている世界が違うんですよ。堀川梨沙様はこういう古びたアジアンテイストの街並みがお好きなんですね。素敵です。……よりわかりやすくするために例を挙げるとするならば、堀川梨沙様のお友達である小南詩織様と違った世界が見えている、ということです』


 サリエルから詩織に視線を移す。詩織はちゃっかり、梨沙が立っている場所のすぐそばにある茶屋の前の長椅子に腰をかけ、しなやかな手つきで、ティーカップに入っているお茶を飲んでいた。古びた茶屋と美しいティーカップのアンバランスさが一際目立っている。


 詩織は梨沙の視線に気がつくと優しげな笑みを浮かべ、貴婦人のように優雅に手を振る。


『私は管理人ですので、この世界にいる魂の皆様の見えている世界が、どのようになっているか把握しております。小南詩織様は俗世のヨーロッパのような街並みが好きなようですね。彼女の見えている世界はフランスのパリのようになっているはずです。堀川梨沙様には小南詩織様が茶屋の縁台で、お茶しているように見えるでしょうが、小南詩織様の目にはカフェのテラス席に見ており、そこで紅茶を飲んでいる状態だと思っているはずです』


「……なるほど。だからティーカップ」


『その通り! 堀川梨沙様も察しがよくなりましたね。この世界は、まさに、人間たちの理想を映すユートピア。世界中の垣根を越えて、各々の理想の街がこの街に映し出されます。たただし、注意点が二つほどあります。一つ目は人によって街の見え方は違うとはいえど、利便性のために、カフェ、レストラン、洋服店やゲームセンターといった施設は、すべて同じ場所に設置されています。どのような世界に見えていたとしても、地図は同じなのです。二つ目は、理想の景色が反映されるのは、この街、すなわち、丸く壁で囲われている内側のみになっています。南門から外に出ると、『自然』という共通認識のエリアに行くため、皆様、同じ景色が見えるようになるのです。さて、この世界の大まかな概要についての説明は以上になります。何かご質問はありますか?』


 長々と説明していたのにも関わらず、サリエルは疲れた様子を一切見せないまま、文字通り、顔に貼り付けたようなにっこりとした表情を浮かべ、梨沙の様子をうかがっている。


 チラリと詩織の方に目をやると、詩織は茶屋の前で幸せそうに顔を綻ばせながら、ケーキを頬張っていた。こっちは頭の中がパニックになりかけているのに、呑気なものだ。


「質問も何も……本当に意味がわかんないですけど……。死後の世界とか、理想郷とか、そんなこと言われたって、全然実感がなくって……」


『……たしかに、説明だけだとわかりづらいですよね。人間界の荒波に揉まれて、察する能力も鈍っているでしょうし。なにより、座学よりも実践といいますもんね。わかりました。それでは、この世界がいかに素晴らしいものか、実際にご覧いただきましょう』


「……え?」

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