第2話 勇者の背中

 しばらくの沈黙の後、勇者アルフレッドは口を開いた。


「四冥将シリウスは魔王の右腕だった。奴を落とせば、魔王軍は一気に傾く。逆に言えば、奴を落とせないから、俺たち人類は1000年以上も魔王軍に虐げられていたんだ」


 それは星乃の求めた質問から逸れた話題だった。

 しかし、クライエントの回答の背景には必ず、何らかの重要な感情や思考が隠れているはずだと星乃は言う。

 だからまずは、『傾聴』を心がけるべきだと。


「うん、シリウスが魔王軍のブレインだったと聞いているよ」

「ああ、知略だけじゃない。何より奴は強い。四冥将の他の3人はこの1000年で幾度か入れ替わった。だけど、奴だけは魔王と共にずっと健在だった。敗北を知らないんだ。奴の炎は魔法以外では防ぎようがない。奴の炎の剣にかつての勇者たちは悉く屠られた。だから、俺たちは結界の中から戦った。だが、魔法使いは結界に手一杯、炎の剣を防ぐ術を持たない俺と戦士は木偶同然だった。当然聖職者に戦闘手段はない。長距離射撃のある射手のカイルだけが攻撃の要だった」

「うん」


 勇者一行のパーティーは、聖職者、魔法使い、戦士、そして射手のカイルで構成されていた。

 近距離での物理攻撃が通用しないので、実質戦力は半分以下だったということになる。


「長引く戦闘に、結界が限界を迎えようとしていた。結界が破られれば、中の俺たちは全滅だ。そうなる前に俺は自ら結界を出て、奴の懐に入ろうとした」

「決死の覚悟だったんだね」

「ああ、相打ちでもいいと思った。でも、俺は結界の中で背中を討たれて、気を失った。薬の塗られた矢だ」

「伏兵が隠れていたんだね」

「いや、シリウスとの決戦に至るまでに奴の配下は壊滅させていた。俺の背中を撃ったのはカイルだった」

「え?」

「俺は意識を失って、目を覚ました頃には勝負がついていた。シリウスをやったのはカイルだ。相打ちだったと聞いた」

「……そうだったんだね」

「俺の手柄ってことになっているけどね。その方が国民の希望になると国王が」

「国王様らしいけど、その方針にアルフレッドは納得してるの?」

「ああ、もう慣れたよ」

「じゃあ、カイルも納得してくれているかな」


 星乃は自然と話題を、勇者アルフレッドの考えるカイルの心情について戻した。


「……あいつが生きてても、自らそう進言するだろうな。四冥将の一人ガジルのかつての配下ヨーゲルを倒した武功も、カイルは俺に譲ったんだ」

「そうだったんだね」

「信じられるか? あいつは風の流れを読んで、1里近く先から奴の頭を射抜いたんだよ。あの時は痺れたね」

「……それはちょっと本当に信じられないね」

「ああ、俺はあいつを的を外すところを見たことが――」


 勇者アルフレッドは何かに気付いたようだった。私も、恐らく星乃もその矛盾に気づいていた。

 だが、星乃はあえて勇者アルフレッドが口にするのを待った。


「……俺を援護するために放った矢が、誤射してしまったのだと、そう思っていた」

「うん」

「シリウスには致死性の毒しか効かない。でも俺を射抜いたのはただの眠り薬が塗られた矢だった」

「……うん」

「……あいつはわざと俺の背中を狙った?」


 それは自分の心に問いかけるようだった。星乃は深く頷いた。


「相打ち覚悟で敵に飛び込んだアルフレッドの背中を、矢で撃った。君が倒れたら全滅の危機だったにも関わらず」

「ああ、そうだ。カイル、どうして」


 瞬間、勇者アルフレッドは目を見開き、星乃を見た。

 その瞳の先には、しかしきっと、星乃の姿は映っていない。

 きっと、勇者アルフレッドにはカイルの姿が見えたのだ。私はそう思った。


「あいつは俺を守ったのか?」

「……でも、アルフレッドが倒れたら、全滅する可能性が高まるよね」

「……それでも、俺を眠らせた」

「うん。カイルならシリウスを倒せる自信があったのかな」

「シリウス相手に勝てる自信なんて誰にもなかった。俺たちは奇跡を信じて戦ったんだ」

「じゃあ、どうして、カイルはアルフレッドを眠らせたの?」


 アルフレッドはすでに答えを知っていた。彼の中のカイルが答えてくれたに違いない。

 恐らく、それは星乃も辿り着いていた答えだったはずだが、彼女はあえて彼の言葉を待った。

 あくまでクライエントの自己理解を深めさせることが、星乃の仕事なのだ。


「……覚悟したんだと思う」

「……どういう覚悟?」

「シリウスを倒し、俺を守る覚悟」

「……うん」

「あいつにとって、俺の命は、仲間よりも、王国の未来よりも重たかった」

「……うん」

「あいつは俺が誘ったから魔王討伐に参加したんじゃない。俺を――親友を守りたかったから、一緒に来てくれたんだ」

「うん」


 勇者アルフレッドは目を見開いたままだ。


「俺は勇者失格だ」

「どうして?」

「カイルを、勇者一行に相応しくない人間を、仲間に引き込んだ」


 皮肉のような言葉とは裏腹に、勇者アルフレッドをまるで親友を自慢するように語った。

 勇者アルフレッドの涙は、しかし先刻の涙とは違った。

 親友を殺めてしまった後悔の涙が、自慢の親友を失った悲しみの涙に変わっていた。

 少なくとも、私にはそう感じた。


「いいんだよ、アルフレッド。ここでは君は勇者じゃない。私のクライエントで、一人の人間だから。泣いていいの」

「ああ、カイル……馬鹿野郎……カイル」


 勇者アルフレッドは声を上げて、カイルの名前を連呼した。

 星乃は勇者――いや、ただのアルフレッドの手を握りしめた。

 アルフレッドもその手を強く握り返し、泣き続けた。

 カウンセラーとクライエントの肉体的接触は推奨されないと以前星乃は話した。

 しかし、この握手は明らかにアルフレッドの感情の解放を手伝っていた。

 星乃の判断はいつも正しかった。


 ここでの対話は、アルフレッド自身が語らない限り、絶対に表には出ない。

 だからきっと、射手カイルの真意も、偉業も、誰にも伝わらない。

 ましてや、勇者の本当の姿など、誰にも明かされない。

 勇者アルフレッドは国民だけでなく、仲間にすら、完璧な英雄を演じている。

 決して弱音を吐かず、どんな危機でも諦めない。勇者とはそういうものだと、幼少から教育されていた。


 勇者アルフレッドが本当の自分を見せられるのは、世界で唯一、この場所だけだったのだ。


 時間にして1時間にも満たない特別な空間。

 この部屋を出たら、アルフレッドは再び、歴戦の勇者として振る舞わなければならない。

 しかし、きっとその心はこの部屋に来る前までとは、まるで違う。

 繰り返すが、心の傷は、肉体のそれよりも深刻だ。どんな魔法使いも回復の術を持っていないのだから。

 心の傷は当人の力で癒していくしかない。心理カウンセラーはあくまでそれを手伝い、支えるだけ。

 自分の力だなんて、決して思ってはいけない。それは真実じゃないから。そう星乃は語る。




「大変な使命だよね」


 星乃は部屋の小窓から、勇者アルフレッドの背中を見送っていた。


「そう気負うな。勇者一行の『心理カウンセラー』というだけだ」

「え? いやいや、私のことじゃないよ。使命だなんて」

「うん?」

「アルフレッドだよ。一人で人類の存亡を担わされているだなんて。私の世界では、こんな強大なプレッシャーを抱えた人はいなかったよ」

「では、どんな人間を見てきたんだ?」

「うーん、普通の人?」

「なんだ、普通とは」

「うーん、なんだろ……」

 星乃は顎に手を置いて、しばし思慮に耽る。

「……アルフレッドみたいな?」

「……アルフレッドみたいな人はいなかったと言っただろう」

「あ、そうだよね。でも、なんだろ。みんな同じだったよ。表と裏があって、それに疲れていて、後悔があって、罪悪感があって、トラウマがあって。うん、普通だな。アルフレッドも普通だよ」

「私は1000年生きているが、お前のいうことは難しい。少しは師としての自覚を持て」

「だから、師匠なんか承諾してないってば! 私がまだまだ若輩者なのに恥ずかしいよ」

「君が若輩なら、私は愚者だよ」

「勘弁してよ、賢者様」


 謙遜しているが、天野星乃はプロフェッショナルだ。

 実際に今しがた、我々人類の未来に大きく貢献した。


 もし勇者アルフレッドが今夜ここに現れず、射手カイルへの負い目を抱いたまま、再び魔王軍と見えたら、生還できただろうか。

 彼女が確実に勇者一行の生存確率を、ひいては我々人類の生存確率を上げているのだ。少なくとも私はそう考えていた。

 しかし、私は決してそう言ったことを星乃本人には口にしない。まだ、いらぬプレッシャーを与えることはないだろう。


 気づくと、星乃は小窓を閉め、その場で目を瞑り、沈黙していた。


「何をしている?」

「黙祷」

 

 目を瞑ったまま答える彼女の頬は濡れていた。クライエントの前でカウンセラーが感情的になるのは推奨されない。ずっと耐えていたのだろう。

 私は星乃といると、しばしば自分を恥じることがある。1000年も生きていると人の死に鈍感になるのだ。


「私たちの世界では、こうやって故人に敬意を示すの」

「……祈りか」

 式典では、射手カイルの死について殆ど触れられることはなかった。

 長年続く魔王軍の侵攻に国民は疲れ果て、その不満は国政に向けられていた。

 国王は少しでも後ろ向きな情報を国民に伝播させることを嫌った。

 私は星乃の隣に並ぶと、同じように目を瞑り、カイルを想った。



 天野星乃が勇者一行の心理カウンセラーを担当してから、半年。

 5世紀以上膠着していた魔王軍との戦況が動き始めた。

 彼女の存在が、勇者たちの成果にいかに貢献しているかは図れない。ただの偶然かも知れない。

 しかし、私は信じている。

 勇者たちだけでは、魔王には勝てない。人間の心は脆いから。


 異世界から現れたこの『心理カウンセラー』こそが、魔王討伐の要だと、私はそう信じていた。

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