第9話 不埒な魔法使い

 国王は魔王軍を恐れていた。

 その畏怖は魔王討伐において消極的に働いた。

 故に国王は、王立騎士軍をはじめ、王国お抱えの戦力が魔王軍討伐に参加することを嫌った。

 そこで国王は勇者一行という最小限の戦力に、最大限の成果を求めた。つまり勇者一行から離脱者が出ても、王国から人材を求めることは憚られた。

 勇者一行の世話係を担う私が、射手カイルの穴を埋めるのに難航していたのは、それが理由だった。

 そこに剣士リアムの悪評が加わり、勇者一行の戦力に王国騎士軍の人間を使うことはついに絶望的となった。

 

 我々に残された手段は、民間の冒険者、つまりギルドに所属する冒険者たちの勧誘だった。




「全く、リアムには困ったものね。ね?」


 私が戦士リアムと王立騎士軍との経緯や、聖職者エルンストンの状況について語ると、魔法使いセラフィナは、相変わらず深刻さの欠片も感じさせぬ笑みを見せた。

 杖を片手に黒のローブを纏った彼女は一見典型的な魔法使いの格好をしているように見えたが、胸元を大きく開けており、真っ白な肌が露わになっていた。豊満な身体をしている訳ではなかったが、すらっと伸びた四肢と、形容し難い色気が彼女を妖艶に見せた。

 ギルドがある大通りは昼間でも冒険者や荒くれ者で溢れており、彼女はその中、一際目立っていた。

 賢者であるところの私と、国民の英雄である勇者アルフレッドが並んで歩いているというのに、男たちの視線の殆どは彼女に向けられていた。


「だけれど賢者様。どうせ騎士軍から仲間を集うのは難しかったのでしょう? ね?」

 魔王使いセラフィナは、鼻の下を伸ばす冒険者と目が合う度に微笑みかけた。

「ああ、勇者一行に相応しい人材となれば、騎士長とあと何人かくらいのものだからな。流石に騎士軍を離脱させることは許されないだろう」

 私は隣を歩く勇者アルフレッドを見た。

「一応聞くが、勇者アルフレッド。腕のある射手に覚えは?」

「あります。でも、俺たちの射手はカイルだけです」

 勇者アルフレッドは先日までの悲しみを乗り越え、その上でそう覚悟したらしかった。

「分かるが……しかしだな」

「話をしに行ったけれど、断られたのよ。ね? 家族がいるからって」

 魔法使いセラフィナの横槍に、彼は困ったように笑った。

「セラフィナ、格好つけたんだ。そういうことは黙っておいてくれよ」

「あ、私また間違えた?」

「冗談だよ」

 彼はこともなげに笑った。勇者アルフレッドは、星乃を除けば、決して人前で弱さや愚痴を見せなかった。

「それより賢者様、エルンストンは大丈夫なんでしょうか?」

「復帰は難しいだろう。本人は魔王討伐を諦めていないがな」

「エルンストンは天才よ、代わりはいないわよね、ね?」

「なあに、セラフィナ。君がいれば勧誘も捗るさ」

「どうかしら。ね? 賢者様」




 冒険者たちの集うギルドは、仕事の斡旋から人材紹介まで担った施設だったが、酒を交わしながら武勇伝を語る冒険者たちの憩いの場でもあった。

 私たちがギルドの戸を開くと、次々と視線が集まり、喧騒は消え失せ、瞬く間に静寂が広がった。

 戦士や武闘家、射手の類が過半数を占めている。魔法使いや治癒者、斥候などもちらほらと見えたが、その殆どが私たちの登場に戸惑いを見せていた。


「すまない、少し話を聞いてくれないか」

 勇者アルフレッドが前に出た。

「みんな、カイルのことは知っているね。俺たちは今、仲間を探しているんだ。我こそはという者は名乗りをあげて欲しい」


 冒険者たちは顔を見合わせるか、目を逸らす者ばかりだった。

 中には動じずに酒を仰ぎ続けたり、ニヤついたりしている者もおり、その落ち着きから彼らが一級冒険者であることが分かった。

 沈黙を破ったのは、小柄の老いた魔術師だった。


「勇者よ。次の標的は誰さね」

「四冥将ガジルだ」


 勇者アルフレッドの返答に、彼らは息を呑んだ。

 冒険者たちは顔を見合わせ、一人が罰が悪そうに私たちを通り過ぎギルドを後にすると、次々と逃げるようにその場を離れ始めた。

 当然である。ギルドの冒険者の多くは、魔獣の討伐を生業にしている。しかし、魔族はその魔獣を飼い慣らす。一級未満の殆どの冒険者は、魔族と出会ったら逃げろと教えられていた。そして、四冥将はその魔族を束ね、御伽噺になるような魔人である。魔族のトップに君臨する御伽噺の世界の化け物と戦うなど、あり得ないことだった。

 結果、ギルドに残ったのはたった十名にも満たない一級冒険者たちのみとなった。


「賢者様よお、知ってるんだぜ」

 酒を仰ぐ一人の武闘家が立ち上がり、私の前まで歩いてきた。

「勇者一行てのは、代々あんたの独断で決めているんだってなあ?」

 武闘家には私に対する明確な敵意が感じられた。私の威光が通じるのは王国出身の者が主であり、ギルドの冒険者は国外出身の者が少なくなかった。

 私はその巨躯を見上げた。佇まいや筋肉のつき方から彼が一級の使い手であることが分かった。

「正確には、私が進言し、国王の承認を得るのだ」

「同じことだろうが。あんたに知られなかったというだけで、勝手に勇者一行から落選させられた百戦錬磨がごまんといるんだぜ」

「お前がそうだというのか?」

「試してみるか?」

「よせ」


 勇者アルフレッドが割って入った。


「魔王の討伐は俺たち人類の悲願のはずだ。俺たちが争ってどうするんだ」

「立派な受け答えだなあ、勇者様は。それも賢者様に教わったのか、ああ?」

「落ち着いてくれ」

 勇者アルフレッドは決して武闘家の挑発にも乗らず、冷静に対応していた。

 私は戦士リアムを連れてこなかったことに安堵していた。ギルドで勇者一行の人間が冒険者と殺し合いを始めるわけにはいかないからである。


「老い先短いと言えど、負け戦はごめんだわな」

 老いた魔術師は、唇から炎を放つと葉巻に火をつけた。

「奇跡も2度は続かんだろ。魔法使いに娼婦を使うパーティなんぞに、誰が命を賭けられるかい」


 それは暗に魔法使いセラフィナに向けられた揶揄だった。武闘家は声を上げ笑った。


「俺は大歓迎だぜ。どうせ夜は勇者たちの慰み者だろう? 聖女のガキと交代制か?」

「帰ろう」

 勇者アルフレッドが踵を返そうとしたところを、魔法使いセラフィナは制した。

「どうして帰るの?」

「仲間を侮辱する人間は仲間にできない」

「誰が侮辱されたの?」

「君だよ。奴は君のことを娼婦だと言ったんだ」

「でも、私は娼婦じゃないわ。それに娼婦は立派な仕事よ。ね?」

「あ、ああ、もちろんだ」

「だから侮辱じゃないわ。ね?」

「……そうだな。すまない」


 戸惑う勇者アルフレッドを尻目に、魔法使いセラフィナは武闘家の顔を覗き込んだ。

 唇が触れてしまいかねないほどの距離で、妖艶に微笑む彼女に、武闘家は眉を顰めた。


「でもね、毎晩抱かせるだけで魔族と戦ってくれるのなら、タダみたいなものよね。私いいわよ。ただし、あなたが本当に強ければ、ね?」


 彼女のそれは皮肉や軽口ではなく、まさに娼婦が男を誘うそれであった。私と勇者アルフレッドがそれを制する前に、魔術師が声を上げた。


「誑かすな、売女めが!」

 老いた魔術師の葉巻の煙が、まるで鎖のように魔法使いセラフィナの身体を縛りつけた。それは素早く強力な、洗練された魔法だった。

「去ね、痴れ者が! お前のようなもんが勇者一行を名乗っていること自体が、魔法使いの名折れじゃ!」

「あら」

 魔法使いセラフィナは自らを捕縛する煙の鎖を見下ろした。

「いやらしい」

 刹那、煙は解かれ、蛇が跳ねるかのように老いた魔術師を襲った。

「ぬあ!」

 煙は老いた魔術師を捕縛し、その勢いに負け彼は椅子から転げ落ちた。

「魔術返しだと! あり得ん!」


 見学を決め込んでいた何人かの一級冒険者たちも、これには驚いているようだった。

 無理もないだろう、彼らは今、文献でしか確認されない仮想の魔法『魔術返し』を目にしたのだ。


「了承を得ずに緊縛するのはいけないことよ。ねえ?」

「てめえ、女!」


 武闘家は魔法使いセラフィナに向け拳を振り上げた。どうやら、魔術師は彼のパーティのようだった。

 しかし、武闘家の拳を、勇者アルフレッドは掌で受けた。

 拳と掌の衝突とは思えぬ衝撃に空気が揺れ、魔法使いセラフィナの艶のある黒髪が波打った。


「な……」

 一級の武闘家の拳は岩をも砕くが、それを片手で事もなげに受け止められたことに、彼は戦慄を隠せていなかった。

「先に手を出したのはご老人だ。痛み分けという訳にはいかないかな」

 勇者アルフレッドは常に勇者らしい振る舞いを心がけ、決して自国の者には感情的にならなかった。

 しかし、その清廉なさまが時に相手を怯ませた。

「……い、いい気になるなよ、手加減したんだ」

 迂闊な武闘家に私は声をかけた。

「勘違いするな。お前は今、勇者アルフレッドに守られたのだぞ」

「何?」


「不可視の防炎結界じゃ」


 縛られたまま床に倒れる魔術師が続けた。

「結界の不可視化など聞いたこともないが、確かに展開しておる。その女に後一寸拳を出していてみろ。お前は焼き尽くされていた」

 武闘家は慄き、一歩退いた。

「じょ、冗談だろ?」

「冗談じゃないわ。私には暴力から身を守る権利があるの。正当防衛というのよ。ね?」

「過剰防衛だ」

 と私は指摘した。

「命を奪っていいのは、命を奪われそうになった時だけだ」

「ああ、そうだったの。私またやりすぎちゃうところだったのね。ね?」

 彼女は懐から手記帳を取り出すと、ペンを走らせた。彼女は人と関わる上でのルールをメモするように、星乃にアドバイスを受けていたのだ。

 描き終えると、再び彼女は武闘家に微笑んだ。


「ごめんなさいね、ね? でも、仲間になってくれたら、偶にならいいのよ。身体だって、別に。ね?」


 その言葉に武闘家は慄き、更に一歩退いた。

「魔法使いセラフィナよ。誘惑して仲間に引き込もうとするな」

「え? いけないこと?」

「個人の自由だが、勇者一行のパーティをその方法で率いるのは禁止だ」

「わかったわ」

 そう言って再びメモをとる彼女に、冒険者たちは得体の知れぬものへの畏れを感じているようだった。

 そう、彼女には貞操観念をはじめ、多くの常識というものが欠落していた。

 また、彼女は他人の感情というものが分かぬ自覚があるため、常に他人に意見を確認する癖があった。

「また失敗したわ。ね?」

 特に落ち込んだように見えぬ彼女を、勇者アルフレッドは慰めた。

「こういうこともあるさ」



 そうして、私たちは踵を返し、その場を後にしたのだった。帰路、魔法使いセラフィナはまだギルドに後ろ髪を引かれているようだった。

「他にも何人かいらっしゃったけれど」

「もう無理だ。空気を読め」

「空気を読めだなんて、難しいことを言うのね、ね?」


 かくして、我々のギルドでの勧誘は失敗に終わった。


 魔法使いセラフィナは、幼少より人との距離感が異様で、他者との感情の共有を苦手とし、常識の獲得が不得意だった。

 神経発達症の一つ『自閉スペクトラム症』の可能性が高いと星乃は言った。それは原因不明の先天性の症状だった。

 コミュニケーションが独特な代わりに、しかし彼女には並外れた才能があった。

 そのため、特段支障はないと思っていたが、人並外れた力を持っている以上、注意は必要なのかも知れないと改めて思った。


 夕方からは聖職者エルンストンのカウンセリングを控えていた。

 問題は積み重なるばかりだった。

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