第8話 戦士の憂鬱

「出てこい、エルンストン! 一体何があったっていうんだ!」


 剣士リアムは扉を叩き、声を荒げた。


「リアム様、おやめください!」

「ここは女子寮、男性の訪問は禁じられております!」

「黙れ、俺はエルンストンに用があるだけだ!」


 教会の女子寮の廊下で、剣士リアムは聖女たちの制止を気にも留めず声を上げ続けた。

 そう、剣士リアムが叩いているのは、聖職者エルンストンの住む部屋の扉だった。


 それは、剣士リアムが星乃の元へ訪れた翌日の夜のことだった。

 その日、聖職者エルンストンはカウンセリングの約束があったにも関わらず、星乃の元へ現れなかった。

 精神不安を抱えた者にはよくあることだからと不安を隠すように星乃は言った。私は胸騒ぎがして彼女が寝床にしている教会の寮に足を運び、この光景に遭遇したのだった。


「よせ、剣士リアム」

「賢者。どこにでもいるな、あんた」


 剣士リアムは私をみて、多少落ち着きを取り戻したようだった。


「どうしたというんだ」

「俺が聞きたい。中にいるのにうんともすんとも言わん」

「なぜお前がここにいるか問うているんだ」

「剣の稽古の約束をしていたが、時間になっても現れなかった」

「そういうこともあるだろう。うつ病のことは聞いていないのか」

 剣士リアムは馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「弱さに病名をつけるからいけねえんだ。何より奴は克服した」

「克服していない。うつ病はそう容易には寛解しないのだ」

「俺はこいつと旅をしてきたんだ、あんたよりよく分かってる」

「カイルの死をきっかけに生気に溢れ、戦闘時にはより活き活きとし、活発によく喋るようになった」

「!」

 彼女の変化を言い当てた私に、剣士リアムは驚いているようだった。

「それも症状の一部なのだ」

「症状だと……?」

「憂鬱と爽快を行き来する病だ。お前が強さだと思っていたそれは、命にも関わる病だ」

「……」

 剣士リアムは表情にこそ出さなかったものの動揺しているようだった。私は剣士リアムを下がらせ、扉の扉を叩いた。


「聞こえるか、聖職者エルンストン」

 扉は答えなかった。

「お前を責めにきた訳じゃない。お前の師として、ただお前が心配で来たんだ」

 依然、扉は答えない。私は星乃の話した自殺者に対するうつ病患者の比率について思い出していた。無理にでも扉を明けるべきか。星乃ならどうするだろう。

「剣を貸すか」

「……いらん」

 私は剣士リアムに対抗心のようなものを抱いていた。星乃と出会う前の自分を見ているような気がしてならなかったのだ。

 不純かもしれないが、剣士リアムとかつての私の考えを否定するために、私は彼女の意思で扉を開いてほしいと感じていた。


「理由は分からないがベッドから起き上がれなかった」


 私の言葉に聖女たちは小首を傾げた。私は構わず続けた。


「その事実に打ちのめされ、絶望し、気づけば夜も更け、更に絶望し、誰にも顔向けできず、どうすればいいか分からない。違うか」


「……ごめんなさい」


 扉の向こうから、疲れ果てた聖職者エルンストンの声が聞こえた。

 口を開きかけた剣士リアムを一瞥して制止させ、私は次の言葉を紡いだ。


「エルンストン」


 うつ状態の人間は自分を責める傾向にある。私は言葉を慎重に探していた。

 私は少女のような見た目の癖に、表情に乏しく愛想もなく、労いの言葉すら皮肉だと誤解される。

 それでも、彼女を楽にさせたいという気持ちに嘘はない。なるべく簡潔に、誤解がないように、気持ちを伝えようと、そう考えた。


「お前は悪くない、エルンストン」


 私の言葉を最後に静寂が広がる。


「うう」


 少しして、扉の向こう側から呻きにも似た泣き声が漏れてきた。

「うううう」

「おい、エルンストン! 何があった!」

 慌てる聖女たちに、焦りを隠せない剣士リアム。彼らがいたのでは休まらないだろう。

「お前たち、二人にしてくれ」

 小走りで立ち去る聖女たちを横目に、剣士リアムは動かなかった。

「剣士リアム」

「……賢者よ。エルンストンは本当に病気なのか」

「ああ」

 剣士リアムは何も言わず、踵を返し、廊下の先の階段を降りていった。その背中は酷く小さく見えた。


「やっと二人きりだ、エルンストン」


 啜り泣く声だけが聞こえる。私はこれが正解なのか分からなかった。

 今すぐにでも星乃を呼びたかったが、彼女はあの部屋以外ではクライエントとは会えなかった。

 今、聖職者エルンストンを楽にできるのは、私しかいなかった。

「ウヴァを知っているか、エルンストン」

 「開けてくれ」と願うのは強要に感じ、不適切に思えた。

「紅茶の葉のことだ。星乃が好きで、最近よく飲み比べするようになったんだが、私はウヴァが一番気に入っていてな。尤もウヴァは異世界での名称で、こっちではコウジリンというんだが」

 依然、啜り泣く声しか聞こえない。

「紅茶は心を落ち着かせるのにいいと言うぞ。上等なのを持ってきたんだ」


 少しして、ゆっくり扉が開いた。

 扉の隙間から、ボサボサの赤毛が見えた。寝巻きのまま頭を垂れ、顔が見えないが衰弱しているように見えた。

「大丈夫か」と口元まで出掛かって、愚問だと思い至った。私は代わりの言葉を探した。


「頑張ったな、エルンストン」


 聖職者エルンストンは膝をついて泣き崩れた。私は彼女を抱擁することしかできなかった。

 カウンセラーとクライエントとの身体的接触は推奨されないが、幸い私はカウンセラーではなかった。



   ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 

 ティーカップに紅茶を注ぐと、私は聖職者エルンストンに差し出した。

「ごめんなさい」

「こう言うときはありがとうだろう」

「あ、ごめんなさい……」


 私たちは質素な彼女の部屋の小さなテーブルで、向かい合って座っていた。

 思えば、幼少から聖職者エルンストンは謝ってばかりだった。

 戦争孤児だった彼女を聖職者として育てたのは私だった。私は自分の育成に問題があったのではないかと悔やんでいた。

 聖職者エルンストンは紙に包まれた砂糖、自らの紅茶に注いだ。もっとも、彼女はそれをうつ病に対する薬だと思っていた。


「紅茶に混ぜて飲んでもいいって星乃さんが……お砂糖のように甘いので」

「今日は薬を飲んでいなかったのか」

「はい……飲む気力も湧かなくて……凍ったように身体が重たくて……ごめんなさい」

「進歩しているな」

「え?」

「半年前まで、お前はこの症状にすら無自覚で、自分の弱さが原因だと感じていた。だが今は病気だと認識し、対処法も身につけている。進歩だ」

 そう、これは星乃のおかげで得た大いなる進歩だった。しかし、聖職者エルンストンの表情は依然暗かった。

「……私、もう治ったって……思っていたのに……」

 聖職者エルンストンは涙も枯れ果て、ただ俯いて呟くだけだった。

「……これ、違う病気なんですね」

「ああ、躁鬱病、双極性障害というらしい」

「……私……リアムさんにも強くなったって言われたのに……」

「強くなったよ」

 聖職者エルンストンは首を横に振ったが、私は本心を言った。

 強くなった。しかしそれは痛みや恨みのためではない。

「次の遠征は1週間後だったな」

「……はい」

「明日一緒に星乃の元へいこう」

 聖職者エルンストンは静かに頷いた。



   ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 

 聖職者エルンストンが眠るのを見届けると、私は教会の寮を出た。

 門の前に剣士リアムが立っていた。私を待っていたのかと思ったが、どうやら何者かと言い争いをしているようだった。

 それは王国騎士軍騎士長アーノルドだった。剣士リアムに勝るとも劣らぬ武人だ。


「ではリアム君、君はこういうのだね。あれは稽古であったと」

「ああ、そうだ。何度言わせる」


 騎士長アーノルドは武人とは思えぬほど穏やかで紳士を絵に描いたような男だったが、声音に怒りを隠せていなかった。

 無理もない、自分の知らぬ間に部下たちを蹂躙にも似た目に遭わされたのだ。


「分かった。君の信条を否定はしまい。しかし、我々とは相容れぬ。今後一切の騎士軍との接触を禁止させて貰う」

「結構だ。腑抜け軍団じゃ戦力にならないからな」

「勇者殿には同情するよ」

「何?」


 騎士長アーノルドは肩をすくめると踵を返し、そのまま夜の路地へ消えていった。

 剣士リアムが一人になったところで、私は声をかけた。


「待っていたのか」

「聖堂に行っていた。エルンストンの代理を探しに」

 聖堂で聖職者を勧誘しに行き、またここへ戻ってきた際に、騎士長アーノルドと出会したということなのだろう。

 その行動は一見薄情に思えたが、彼らは1週間後には再び遠征に出て四冥将と戦う。射手カイルの損失を考えると、早急に戦力が必要だった。

 剣士リアムは徐に腕を捲ると、幹のように太い右腕を私にみせた。


「エルンストンは、シリウスに焼き切られた俺の右腕を一瞬で治した。治癒というより、時間を逆行させたかのような錯覚を覚えた。あいつに代わる治癒者は他にいない」

「ああ、エルンストンは一人で10人相当の治癒者に匹敵する力を持っているからな」

「そこじゃねえけどな」

「何?」

「勇者一行の剣士だというのに、聖堂の連中は俺を侮蔑の目で見た。俺がいる限り、誰も魔王討伐の遠征には参加はしてくれないと」

「なぜだ」

「昨日の騎士連中が聖堂で治療したらしくてな」

「なるほどな」


 剣士リアムの悪い噂が広まっているのだろう。

 しかし、らしくないと思った。剣士リアムの表情には怒りも苛立ちもなく、ただ静かだった。


「騎士長とやらにも今後一切の関係を禁じると言われた。仲間集めに王立騎士軍のコネは使えなくなった」

「腑抜け軍団は戦力にならないのだろう?」

「ああ。しかし、射手も治癒者もなしに、どう四冥将と戦う」

「遠征を遅らせるわけにはいかないのか」

「わかってるだろ。四冥将の一角が落ち、魔王軍は混乱している。体制を整えられる前に攻めるべきだ」

「悪いが、私は戦力にならない」

「ああ、聞いているよ。賢者ソフィアよ」

「なんだ」

「痛みと恨みが人を強くしないというのなら、今の俺は何だ」


 表情なく問いかける剣士リアムに、私は答えた。


「ゲームでもして考えろ。そのための相手がいるだろう」


 状況は最悪だった。

 しかし、私は彼らが前に進んでいる気がしてならなかった。

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