第10話 死に至る病
星乃は不安を顔に出すことなく、いつものように聖職者エルンストンと接した。
夕方、星乃の元へ訪れた聖職者エルンストンは表情に生気がなく、俯きがちで目も合わせられないようだった。
「ごめんなさい……昨日は伺えなくて」
「気にすることないよ、エルンストン。辛いときは休んでいいんだから。今日はよく来てくれたね」
「……賢者様が……迎えに来てくれたので」
「そっか。辛くなかった?」
「はい」
「でも昨日は辛かったんだよね。どんな風に調子が悪かったか教えてくれるかな」
「…………朝」
聖職者エルンストンはまるで泥の中にいるかのようにゆっくりと、淡々と言葉を紡ぎ始めた。
「起きれなくて……身体が氷のように……重たくて……それがずっと続いて……治ったと思っていたのに……こんなの初めてで……」
私は事前に、聖職者エルンストンの昨夜の様子を星乃へ伝えいてた。しかし、星乃はあえて症状を本人に語らせた。
『主観的所見』と『客観的所見』を得るためである。
前者は実際に本人が感じ口にする主観的な症状であり、後者はそれを語るときの表情や所作などからカウンセラーが得る観察からの情報である。星乃はこれに加え、事前に本人から聞いた『生活史・家族歴』と、どのような経緯でカウンセリングに繋がったかという『面接外所見』を総合して、クライエントの問題を分析してゆくという。
初めてこれを知ったときは、私は舌を巻いたものである。
カウンセラーはその何気ない会話から得られる情報を、体系化し考え、クライエントが抱える真の問題の『見立て』を立ててゆく。
見た目以上に論理的に作られた技術が、そこにはあった。
「窓の外が……暗くなって……リアムさんが来て……扉の前で怒ってて……でも動けなくて……賢者様が来てくれて……扉の向こうで……私の気持ちを代弁して下さって……身体が動くようになって……抱きしめてくれ……身体が熱くなって……喋れるようになりました」
それは一見、整理されていない言葉だったが、星乃は一挙手一投足を見逃さぬように頷きながらノートにメモをとった。面接記録と呼ばれるそれには、クライエントが実際に発した生の言葉から、ポイントになる箇所を箇条書きに書いていくという。これを後に文章化し、整理し、『ケースレポート』を作るという。
『ケースレポート』とは、前述した四つの情報からクライエントの持つストーリーや問題を整理し、解決のために必要な道筋を作り出すための武器と言えた。
「賢者様に教えて頂きました……治ったと思っていたけど、これ、病気だったんですね」
聖職者エルンストンは悲しみも戸惑いも感じさせない無表情で淡々と言葉を紡いだ。
「診断はできないけど、その可能性は高いと思う」
「あと六日で治りますか」
一瞬、星乃が目を丸くした気がした。この一言はカウンセリングにおいて、重要な発言だったのだろう。星乃は記録を取りながら聞き返した。
「……どうして?」
「きっと治癒に支障をきたすから」
それは六日後、魔王軍討伐のための遠征に出ることが前提での言葉だった。
聖職者エルンストンは、自らが勇者一行を離脱する可能性を全く考えていなかったのだ。
「初めに説明したと思うけどね、エルンストン。気分障害はそう簡単に治らないんだ。休息を取りながら長い時間をかけながら治していくものなの」
「……分かりました」
「分かったって言うと……?」
「……治らないことが」
「エルンストン、ソフィアさんが今、代理の治癒者を探してくれているって――」
「私の代わりはいません」
「……」
星乃はこの日初めて、返答につまった。
かつて聖職者エルンストンは、自分の不在のために仲間が死んでしまったら気が狂ってしまうとまで言った。彼女は自己肯定感の低い内気な少女だったが、治癒者としての自分の有用性は客観的に理解していた。それは瀕死の仲間を助けてきた多くの経験からくる事実だった。
「遠征に行くつもりなんだね?」
「……はい」
「その状態で行って大丈夫?」
「行けば無敵になれるはずだから」
「無敵?」
「鬱とは逆の……躁状態って言うって賢者様が」
「どうして、遠征に行けば無敵になれると思うの?」
「敵がいないから……鬱になったと思うんです」
なるほど、それは一理あるかもしれないと思った。
実際、彼女は射手カイルの死から自らが強く、つまり躁状態になったと語っていた。そして、鬱が発症したのは安全な王国へ戻って三日後の昨日のことだった。敵がいなくなり、戦闘の機会を失ってから、彼女はうつ状態になっていた。しかし、そのような不安定な状態で戦場に戻り、彼女が戦力になるとは考えにくかった。
「エルンストン、躁状態はね、無敵のような感覚を覚えるけれど、実際はそうじゃないの。疲れに自覚がないだけで」
「大丈夫です」
意気のあるように聞こえる言葉だったが、彼女はまるで人形のように淡々と口にした。
「仮に戦闘になっても、躁状態になるとは限らないよ。却って危険じゃないかな」
「……大丈夫です」
「どうして大丈夫だと思うの?」
「殉職なら使命を果たしたことになるから」
星乃はメモを取る。まるで、自分や仲間の命よりも、戦場に出るという使命を果たすことを重視しているかのような言葉。
「エルンストンが死んでしまったら、残された仲間も無傷じゃ済まないんじゃないかな」
「それでも……使命を果たさないと……」
「エルンストンは魔王を倒したいの?」
「……はい」
「どうして?」
「……どうして」
「うん。どうして、魔王を倒したいの」
「……両親を……魔族に殺されました」
「確か、赤ん坊の頃にご両親を亡くしたんだったよね。それで聖堂に預けられた」
「はい」
「ご両親の記憶はないと思うけど、やっぱり復讐ってことかな」
「……」
聖職者エルンストンは回答が見つからないのか、沈黙した。
聖職者として復讐が不適切であることが理由ではないだろう。記憶のない両親のための復讐が、命を賭す理由だったのか自分でも分からないのだ。
そう、おそらく星乃は動機が復讐ではないことを聖職者エルンストンに気づいて欲しいと考えていた。
「エルンストン?」
「……わかりません」
星野がまたペンを走らせる。私でもそうするだろう。なぜなら、聖職者エルンストンは病を抱えたまま命をかける動機が、不明瞭だと自ら明かしたのだ。
「命を賭してでも戦場に向かう動機が、分からないということだね」
「……仲間を」
絞り出すように聖職者エルンストンは答えを求めていた。
「仲間を守るためです」
「それがエルンストンの使命?」
「はい」
「殉職したら、仲間を守れないよ」
「……」
「だけど、殉職は使命を果たしたことになるって、さっき言ったよね」
「……はい」
聖職者エルンストンは依然俯くばかりだったが、星乃の問いに苦しんでいるように思えた。言い換えれば、自分と向き合うことに苦しんでいた。
察したのだろう、星乃が言葉をかける。
「自分のことほど分からないものはないよ。私も同じ。行動の動機なんて回答が見つからないことばかり」
「……はい」
「だから、一緒に見つけよう」
「はい」
「エルンストンは仲間を助けたいの? それとも、助けられなくてもいいから、一緒に戦場へ行きたいの?」
「……助けたいです」
「そうだよね。じゃあ、殉職したら使命を果たしたことになると思ったのはどうしてかな」
「……カイルがそうだったから」
「そうだね。カイルは仲間を助けて、敵を倒したよね。エルンストンはカイルのように生きたいのかな」
「……」
「それともカイルのように死にたい?」
聖職者エルンストンが初めて、顔をあげ、星乃を見た。
そして、すぐにまた俯いた。
「……自殺は神の教えに反します」
「そうだね。でも、殉職なら?」
「……殉職は立派だと思います」
「エルンストン、あえてはっきり言うね」
星乃は真っ直ぐと聖職者エルンストンを見据えたが、依然彼女は俯いていた。
「あなたは今、死にたがっているよ」
「……」
希死念慮、つまりそれは聖職者エルンストンが自殺願望を抱えていると言うことだった。
私はうつ状態が自殺に繋がる可能性について知りながらも、彼女に限ってと、たかを括っていた。しかし、星乃のこの僅かな間のカウンセリングを通して、確信しつつあった。
聖職者エルンストンは、自らも気づかない領域で、死を望んでいる。
星乃はクライエント本人の自覚がないことは直接諭さず、自ら気付くように誘導する。しかし、聖職者エルンストンは無意識に自覚を避けていた。もう伝えるべき段階だと、星乃はそう判断したのだろう。
聖職者エルンストンの口の付けられていないマグカップの中が、波紋を見せていた。
彼女の涙が静かに落ちていた。それは自らの希死念慮の自覚を意味した。
「……賢者様が……私は悪くないと仰って下さいました……だけれど、私の力は……」
「エルンストンの治癒力は天に与えられたものだから、それを使わずに、自分だけここに残るのは悪?」
再び彼女は、顔をあげ、星乃を顔を見た。星乃も真っ直ぐ、彼女を見返した。
聖職者エルンストンは苦しんでいた。日々の殺し合い、命を賭して前衛に守られる自分、それにも関わらず、守れなかった人々に対する自責。
それがうつ病のきっかけを作り、ついに想い人である射手カイルを失い、治癒者として罪悪感に潰された。その苦しみから解放させるかのように生まれた躁状態は、しかし彼女の心を救うことなく、かといって戦線離脱も許せず、新たに彼女は救いの道を無意識に作り出した。それが生からの解放だった。
しかし、使命感の強い彼女に自殺は許されず、殉職に希望を見た。そういうことなのだろう。
「私はね、治癒者でも、魔法使いでもない。あなたの苦しみを治してあげることはできない」
そう、星乃はかつて言った。
なぜ生きるか。これは人類の抱える究極の謎であり、誰もが一度その疑念に至れば、答えが見つからない闇である。
他者がいかに偉大な使命や責務を与えても、当人にとってそれが生きる理由になるとは限らず、むしろ死ぬ理由になることすらある。
カウンセラーにできることは少ない。少ないが――
「でも、あなたの苦しみを、一緒に見ることはできる」
聖職者エルンストンに今日、初めて表情を見た。
それは喜怒哀楽を当てはめるにはあまりに僅かなものだったが、確かに生気のようなものを感じた。
「……はい」
聖職者エルンストンは瞳を濡らしていた。
一人歩きを始めた幼児が、親の不安をよそに果敢に冒険をする。
しかし、それは背中にいつでも親の視線を感じているから成せる勇気なのだと、星乃はいつか言った。
苦しみを一緒に見てくれる相手がいるから、自分で考え、歩くことができる。
その視線こそが、心理カウンセラーなのだと。
聖職者エルンストンは絶望の中で、それでも一歩を刻もうと足掻こうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます