第11話 戦士の訪問
外に出ると辺りは暗くなり始めていた。私は聖堂の宿舎まで聖職者エルンストンを送った。
聖職者エルンストンは相変わらず口数は少なく、行きと同じく普段の倍ほどの時間をかけ帰路についたことから、うつ病の症状の一つである『精神運動抑制』が見られた。
カウンセリングは魔法ではない。一度のカウンセリングで劇的に症状が改善するわけではない。
宿舎の前で頭を下げる聖職者エルンストンに私は言った。
「お前は立派な聖職者だ」
傷つけず、プレッシャーを与えず、楽にさせる言葉を私は探したが、希死念慮を覚え始めた彼女に対して、私もより慎重になっていた。
「必ず治る。私を信じろ」
口に出して、これもまたプレッシャーを与える言葉なような気がして悔やんだ。
頭を下げるだけの彼女に、私は無力を痛感するばかりだった。
騎士軍からの応援は国王から断られ、聖堂からの治癒者の応援は剣士リアムの悪評を理由に拒絶されていた。
それでも私は、なんとしても聖職者エルンストンの代わりを探し、彼女に休息と治療を与えねばならなかった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「こういう時、お前の世界ではどうする」
カウンセリングルームに戻り、ティーカップに紅茶を注ぐ星乃に私は尋ねた。
「躁鬱、つまり双極性障害の診断書を精神科医から貰って、会社、つまり王国に休職届を提出させるかな」
「精神科医も休職届も、この世界では存在しない。何より、戦線離脱を本人も国王も望んでいない」
「本人の意思もそうだけど、仮に休職申請を拒否されても労働基準法が守ってくれる訳じゃないしね。そういう法整備もされてないんでしょ?」
「ああ。国王は法の上にいる存在だ」
「戦争中の独裁国家だもんね」
星乃は深くため息をついた。
私は当初、魔法も存在しないという星乃の世界が脆弱に見えていたが、今となっては自分の世界がいかに未発達か思い知らされていた。
「……エルンストンは治るか?」
「……躁鬱は治ったようにみえても、常に再発の恐れは拭えない。だから寛解を目指すの。症状を消失に近づけその状態を維持させる。だから、誰にも治せるとは断言できない」
星乃はやや思案し、覚悟を決めたように私を見返した。
「……でも、休息さえ貰えたらきっと」
星乃の言葉のおかげで決心がついた。
少なくとも、四冥将を対象にした次の遠征では聖職者エルンストンに休息を取らせる。彼女の戦線参加は魔王討伐のための最終決戦に間に合えばいい。
「治癒者の代理を探そう。射手カイルは後衛の戦闘要員だ。最悪、魔法使いセラフィナが担える役。しかし、治癒者はパーティーの要だからな」
「大聖堂の聖職者たちの応援も、国王様に拒否されているの?」
「いや、大聖堂は王国と連帯関係こそあるものの、あくまで教会のもの。別の組織だ。大司教の管轄下にあるが、彼は聖職者を絵に描いたような男でな。魔族相手にも殺生を好まないが、聖職者たちの身の振り方は個人の自由として、尊重している。だから、聖職者エルンストンも勇者一行に加わった」
「じゃあ、ワンチャンあるよね」
「? いや、聖堂に犬はいないが」
「あ、ごめん、ワンチャンスあるって意味。事情説明したら、誰か勇者一行に加わってくれないかなってこと」
星乃は稀に、異世界のスラングを使った。
「言っただろう。剣士リアムが反感を食らっている。私が頭を下げれば、嫌々協力してくれる者もいるかも知れないが、仲間に不信感を持つ者を勇者一行に加えるのは却って危険だ」
そう、実力のみを優先して勇者一行を選び、内部崩壊する姿を私はこの数世紀見てきたのだ。
だからこそ、私は心理療法を扱う心理カウンセラーに可能性をみたのだ。本人の意に反した戦力を勇者一行に加えては本末転倒と言えた。
「治癒魔法を持つ魔法使いも稀にいるが、ギルドでの勧誘も失敗したしな」
「聖堂の聖職者たちに、リアムさんが頭を下げたら?」
「……聖職者は赦しを誉としているからな。それこそワンチャンあるというものだが、あり得ないだろう」
「どうして?」
「戦士リアムが他人に頭を下げる姿を思い浮かべられるか?」
自己中心的で独善的な言動が窺える。星乃の所感通りで、戦士リアムは私の目から見ても傲慢で、反省のない男だった。
星乃は虚空を見上げ、思案した末、私を見た。
「どうだろう」
「明らかだろう」
「でも、リアムさんは嫌っていると思う。今の自分を」
一瞬、聖堂の宿舎前での戦士リアムの姿が私の脳裏にちらついた。
信頼を失い、聖職者エルンストンの症状を前に、表情なく佇む剣士リアムの姿が。
その数刻後、戦士リアムが現れた。自ら星乃の元へ訪れたのだ。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「ゲームの続きをしにきた」
そう戦士リアムは言い、星乃の前に腰掛けた。星乃は紅茶を用意しながら微笑んだ。
「ありがとう。来てくれて嬉しいです」
「いい」
ティーカップに紅茶を注ぐ星乃を、戦士リアムは酒瓶をテーブルに置くことによって制した。
「土産だ」
「これ美味しかったです。ありがとうございます」
「グラスはないのか」
「あー……これ独り占めしたいです」
酒を飲ませながらカウンセリングを進めたくないのか、本音なのか分かりかねたが、星乃の言葉に剣士リアムは顔をしかめたものの、鼻を鳴らして受け入れた。
星乃は戦士リアムの次の言葉を待ったが、彼は腕を組み何も発することなく座り続けた。まるで素直になれない子供のようだった。
微笑みながらも、痺れを効かせたのか星乃が言葉を続ける。
「ゲームの続きということですけど、どうでしたか。前回の『挑戦』は」
「ふん」
戦士リアムは無愛想に振る舞ったが、私には星乃のその言葉を待っていたかのように感じた。
「痛みと恨みを経て、エルンストンが本当に強くなったのか、よく観察してこい……だったか」
そう、前回星乃が戦士リアムと『真実と挑戦』を称して行ったカウンセリングは、戦士リアムの『挑戦』を最後に終わっていた。
それは一見ゲーム性の欠いた問いかけだったが、戦士リアムは先日、聖職者エルンストンの躁鬱病の一端を垣間見たばかりだった。
この答えを得るには十分な時間を、図らずも経験したのだ。
「病気だっていうなら、強いも弱いも無いだろう」
それは問いから逸れながらも、自分の過ちを認めたかのような言葉だった。
「うつ病のことは勇者一行の皆さんに共有されていると聞きましたけど」
「誰がそんなもの鵜呑みにするかよ。殺し合いをしてりゃ、誰だって頭がおかしくなるもんだ」
「リアムさんも?」
「……俺が傭兵になったのは十の時だ。それを乗り越えたやつだけが、戦士になるのさ」
また逸れた答えだったが、戦士リアムはかつての自分も似たような症状があったということを明かす形となった。
不信感を覚えさせたくないという理由から、星乃はあえてメモを取らなかったが、面接記録に記載すべき重要な情報だった。
うつ病というものを知ってから、私にも思い当たる場面はあまりに多かった。
魔王軍に支配され、殺生が正義とされる戦時下のこの世界において、精神を病むものが多いのは当然と言えた。
「十歳で戦場に出たんですね。怖くなかったですか」
星乃の気が抜けるほどの素朴な問いかけに、戦士リアムは鼻で笑った。
「俺は北の廃国の出身でな。魔王軍の進軍で国も親も失い、身寄りがなくなったところを傭兵団に拾われたんだ。怖いと泣いていたら野垂れ死ぬか、殺される世界だぜ、ここは」
「ご両親を亡くされていたんですね。エルンストンもそうでしたよね。彼女は教会に預けられたみたいでしたけど」
「ああ、奴は運がいい」
「傭兵に拾われるより、教会に保護された方が運がいいですか」
「馬鹿を言え。聖職者になり毎日神に祈る生活を送るくらいなら死んだ方がマシだ」
「じゃあ、どうしてエルンストンは運がいいんですか?」
「奴が親を亡くしたのは赤ん坊の頃だ。親の記憶がない」
「……なるほど。最愛の家族を失うくらいなら、初めから知らない方が楽という考え方もできますね」
「ふん、お前は本当に平和ボケした世界からやってきたんだな」
「え?」
戦士リアムは酒瓶の封を開け、大きく仰いだ。星乃はあえて止めず、戦士リアムの次の言葉を待った。
もはや二人の間にゲームなどなく、自然な形でカウンセリングは成立していた。水を差すようなことをしたくなかったのだろう。
「俺の親父は名もない傭兵でな。いや、傭兵を自称する飲んだくれさ。俺をかつての英雄ノーブルのような戦士に育てると称して、毎日立てないくらいボコボコにした。お袋は早々に逃げ出して、記憶にもねえよ。死んで当然の男だよ、あいつは」
「……そうだったんですね」
戦士リアムが生い立ちについて語るのは初めてのことだった。半年前、初めてのカウンセリングで星乃が『家族歴』に尋ねた途端に不機嫌になったことを私は思い出した。
思えば戦士リアムが席を立ったのは、その直後のことだった。
「私はてっきり、ご家族を殺された復讐からリアムさんは強くなったのだと思ってました。痛みと恨みが人を強くすると仰っていたので」
星乃は自然と話題を戻した。戦士リアムは一瞬、苦虫を噛むように表情を歪めた。
「嘘はねえよ。痛みと恨みが俺を強くした」
「お父さんから貰った痛みと、お父さんへの恨みだったんですね」
私は感心していた。星乃はついに、あの剣士リアムを相手に『家族歴』を掘り下げ、彼の信念の源にまで辿り着いたのだ。
戦士リアムは話題から逃げるように酒を仰いだ。
「……教会ってのがよくねえ。奴も傭兵に拾われてりゃあ良かったのさ。戦乱の世に慈悲や情けを謳ってりゃ、誰でもおかしくなるってもんだ」
「確かに、この世界で聖職者の信念を貫くのは難しいかも知れませんね」
「真実か挑戦か、次はあんたの番だったな」
「……では真実で」
「あんたならエルンストンを治せるのか?」
その問いは、戦士リアムの星乃への信頼しつつあることの証明とも言えた。芽生えかけているその信頼に応えるように、星乃は真っ直ぐと戦士リアムを見据えた。
「……彼女に休息さえ与えて頂ければ、改善させられると思ってます」
「四冥将ガジルの根城は抑えている。4ヶ月もあれば俺たちは、ガジルの首を持って戻るぜ」
「……彼女の症状は重いです、4ヶ月で寛解……症状を安定させられる可能性は低いです。でも、必ず大きく改善させます」
「……ふん。言葉に保険が多いな」
「躁鬱は風邪とは違います。治せると断言するカウンセラーがいたらその人は嘘つきです」
「俺も戦力にならない奴を無理に連れて行って足を引っ張られるのはごめんだ。代わりが見つかるなら、エルンストンは置いていきたいさ。魔王討伐の最終決戦にさえ間に合ってくれりゃな。だが、どうせ聞いているんだろ。俺は聖堂の連中に嫌われている。奴の代わりを探すのは絶望的だ」
「嫌われているのなら、誤解を解くのはどうでしょうか」
「誤解なんかねえよ。俺は騎士連中を痛めつけた」
「その後、足を痛めた騎士さんをエルンストンに治癒させたと聞きました。厳しい修行をつけて、やりすぎたと思ったからじゃ?」
「やり過ぎちゃいねえよ。俺はああやって強くなったんだ」
「なるほど」
そこで星乃は一口紅茶に口にし、一瞬私を見た。アイコンタクトだ。しかし、その意図が私には分からなかった。
星乃は意を決したように、しかしそれを悟られぬように自然と次の言葉を紡いだ。
「お父さんがしてくれたように?」
刹那、私は剣士リアムと星乃の間へ割って入ろうとした。
凄まじい殺気を感じたのだ。
しかし、私の制止は間に合わず、剣士リアムは星乃の首根っこを掴み――
――そして、自らの意思で制止した。
目を三角にし、鼻息を荒くした剣士リアムの表情は、しかし私には、怒っているのか悲しんでいるのか判別がつかなかった。
「……俺があいつと同じだと言いてえのか」
絞り出しかのような吐いたその言葉と顔を見て、私は戦士リアムを鎮める気すら失せてしまった。
誰もがこの光景を、屈強な男が小柄な女に手をかけようとしているように見るだろう。
しかし私には、自分よりも非力な女に苦しめられている男の姿に見えたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます