第12話 賢者の後遺症
星乃は動じず、しかし戦士リアムから目を逸らさなかった。
「すみません、不快にさせるつもりはなかったんです」
「……てめえ」
戦士リアムは星乃の首元から手を離すと、踵を返した。
この場を立ち去ろうとする剣士リアムの背中に、星乃は声を上げた。
「待ってます! また来てくれるのを!」
戦士リアムは答えず、乱暴に扉を開け立ち去った。
静寂の戻った部屋で、星乃はいつかのように再びテーブルに突っ伏した。
「怖かったあ」
「……殺されると思ったぞ」
「助けてくれると信じてたのに」
「分かるか、あんな合図で。……それよりお前、嘘をついたな」
星乃は上体を起こすと、大きくため息をついた。
「……はい。わざと不快感を与えるようなことを言いました」
「らしくないな。意図的にクライエントを感情的にさせることは推奨されないんじゃないのか」
「うん、だけど今回は必要だと感じました。話を聞いて認識を改めたの。リアムさんの暴力性は戦士稼業という殺伐とした環境から生まれたものだと思ってたから」
「……幼少時の父親の影響だと?」
「はい、愛着障害の一種かも知れないです」
愛着障害とは、何らかの理由で乳幼児期に養育者からの愛情を正しく享受できず、情緒や対人関係に問題が生じる状態を指すという。
虐待はもちろん、過保護や過干渉、トラウマなども原因になるというそれは、本来子供に対して使われる症状だが、回復を得ず成人を迎えることも多いという。
「障害なんて言葉使ってるけど、愛着の影響は殆ど全ての人が受けているものなの。なぜかどうしても人に心を開けないとか、逆にすぐ人に心を開いて誰にでも依存してしまうとか、間違っていると分かっててもつい暴力的な行動や言動を取ってしまうとか。そういった傾向を持っている人の多くが、乳幼児期の愛着の影響を受けていると言われてる」
「……分からんな。父親からの暴力を嫌悪していたのなら、反面教師にし、暴力を否定するように育つのではないのか?」
「ううん、二極化することが多いの。『内在化』と『外在化』って言ってね。前者だと「暴力を振るわれる自分には価値がない」と感じて、自己否定感が強まる。その苦しみから逃れるために、自己否定を実現させる。自傷行為とかでね。これも攻撃性には変わらないんだけど、私の世界には多かった」
「では、戦士リアムは『外在化』していると?」
「うん、『トラウマの再演』と言ってね。当時自分を支配していたものを再演して、支配し返すことによって当時の無力感から脱しようとするの」
「なるほどな……だが、他者への暴力性が奴を強くしたと言うのも嘘ではないだろう」
「うん、私の世界でもいじめをきっかけに格闘家になる人とかいたよ。自分の無力さを克服するために合法的に偉業を成し遂げることもある。実際、偉人には病んでいる人が多いしね」
「では、個性と愛着障害はどう違う?」
「対人関係や日常生活に支障をきたして、治療なしで改善の余地がないようなら、愛着障害と言えると思う。発達障害とかパーソナリティ障害って診断されることもあるけど、かなりの割合で愛着障害が原因なことが多いの」
「……なるほど」
現に戦士リアムの暴力性を理由に、仲間探しは難航していた。これを支障と言わず、なんと言うだろう。
「正義のない暴力を行使していて、自身も心の奥底ではそれを嫌っている。その事実に気がついて欲しかったの。そうしたら、衝動を客観的に認識できるようになる。認識できれば、衝動を意識的に避けられる可能性が上がるし、これまでの自分の反省に繋がる。反省できれば、聖堂の聖職者たちとの和解の道も見えてくると思うの」
「認知療法というやつか。にしても、お前にしては粗治療じゃないか。諭すのではなく自覚を促すんじゃないのか」
「諭してなんかないよ、自覚を促していることには変わらない」
そう言いながらも、星乃は決して気分がよさそうではなかった。
「それに時間がないから」
「……そうだな」
「希望がないようなら、こんなことしないよ。リアムさんは本当の自分の姿を受け入れる準備ができていると思ったの」
勇者一行の遠征まで6日。我々はまるで賭けに出ているようだった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
ギルドの酒場に、戦士リアムの姿はあった。
戦士リアムは元々ギルドに所属する戦士だったが、一人で飲んでいた。
表情と雰囲気から明確に不機嫌が伺え、誰も彼に近づこうとしなかったのだ。
私がギルドに足を踏み入れると、先日の老いた魔術師と武闘家の姿があった。
武闘家は罰が悪そうに目を逸らし、老いた魔術師は私に軽く会釈をした。
「賢者様、今日はあの姉ちゃんはいないんで?」
「ああ、先日は悪かったな」
冒険者たちの視線を潜り抜け、私は片隅で飲む戦士リアムの隣に腰掛けた。
「アイスティを」
店主に声をかけると、戦士リアムは私を見ることなく舌打ちした。
「酒場で茶だと?」
「こう見えて、下戸でな」
「見た目通りじゃねえか」
戦士リアムは酒瓶を仰ぐと、私に目を向けぬまま言った。
「昨日ここに来たらしいな。アルフレッドとセラフィナを連れて」
「ああ、仲間を集いにな。失敗に終わったよ」
「ここは俺の古巣だ。なぜ俺を呼ばなかった」
「慕われているようには見えないが」
「恐れられているんだ。慕われているよりいいだろうが」
「恐怖で従わせた者を勇者一行には加えられん。それにお前を呼んでいたら、怪我人が出た」
「……ふん」
「聖堂にもう一度、頭を下げにいかないか。私も付き合う」
「馬鹿を言え。何を謝ることがある」
「謝るのではなく、誤解を解くのだ。聖職者エルンストンの代わりを探すためだ」
「誤解なんかねえよ。俺は雑魚は痛めつける。強くするためにだ」
「違う、お前は後悔し反省している。だから、エルンストンに治療をさせた」
「足を刺しただけだろうが! 擦り傷みたいなもんだ!」
どん! と戦士リアムは酒瓶を叩きつけるようにテーブルに置いた。
冒険者たちの視線が集まるが、私が一瞥すると彼らは気が悪そうに再び飲み始めた。
「……お前もあいつと同じか。俺を病気か何かだと思ってやがるな」
「星乃も私も医師ではない。診断などしない」
「消えろ」
「私だってお前に、お前たちに時間をやりたい。だが、分かるだろう。猶予がないんだ」
「消えろと言っている。お前、俺に勝てると思ってやがるな。舐めるなよ」
「喧嘩を売ってる訳じゃない。それにお前に勝てるなど思い上がってもいない」
「何?」
「お前に勝てるのなら、私が射手カイルと聖職者エルンストンの代わりに、勇者一行に加わっているさ」
「……賢者ともあろうもんが、謙遜が過ぎるな。ふざけてんのか」
「お前と稽古場で戦ったあのとき、平静を装っていたが、私は酷い目眩に襲われていた」
「あ?」
「正確には、お前に頬を切られ、血を拭ったときだ。あの晩は酷い動悸に襲われ、悪夢を見た」
「……騙るのか。俺は刃に毒なんか塗らねえよ」
「そうじゃない。血だ。私は血が駄目なのだ」
戦士リアムはやっと私を横目で見た。
「5世紀前、勇者一行の一人として戦った。その後遺症だ。私だけが生き残ったが、私はあの日以来、戦えなくなった」
「……戦うのが怖いって噂は聞いていたが、噂は噂だろ。お前は俺相手に大立ち回りしてたじゃねえか」
「避け続けただけだ。私は人を傷つけられない。自分の一筋の血にさえ目眩がするんだからな。500年経っても克服できない。血を見ると身体が強張り動けなくなるんだ」
「……そんな病気、聞いたことねえよ」
「ああ、PTSDというらしい。発症条件は様々だが、私の場合血液だ。星乃と出会うまでは、病気だと思わなかった。お前には育成に回ったと偉そうに言ったが、育成に回る他なかっただけだ」
「ふん、迂闊だな。つまり、その病気はあの女でも治せなかったということだろうが。奴が口だけという証拠じゃねえか」
「星乃には言ってはいない。これを知るのは王族の一部の者だけだ」
「……なに?」
「賢者ソフィアはこの国の守り神のようなものだ」
私はギルドの片隅に飾られる絵画に目を向けた。
背に剣と弓を背負い、杖を片手に白馬に跨る私の姿が、そこにはあった。
「事実、私の存在は魔族共への抑止力になっている。国民たちは私がこの国を守っていると信じているのだ。そんな私が血が怖いと抜かしたら国民はどう思う。魔族に漏れたらどうなる。だから一部の王族を除いて、私のPTSDには箝口令が敷かれているのだ。この500年でこれを明かすのは、お前が初めてだ」
戦士リアムは振り返り、周囲を気にした。
「大丈夫だ、この声量じゃ誰にも聞こえん」
「……なぜ俺に言った」
「私が逃げ回りながら、お前にだけ向き合えというのは恥だと思ったからだ」
「何のことだ」
「……王国に禁じられていたから、星乃にも明かさなかった……これは事実だが、真実じゃない。私は怖かったんだ。自分と向き合うことが。この症状と向き合い、克服することが、私は怖かったのだ。だから隠して、気づかないふりをした。お前と同じだ」
「……お前は――」
「どうぞ、賢者様」
戦士リアムの言葉を遮るように、店主が一礼し、アイスティをテーブルに置いた。
店主が去ると、私は立ち上がった。
「ウイスキーで割って飲んでくれ。星乃が好きな飲み方だ。奢るよ」
卓上に銀貨を置くと、私は戦士リアムに背を向けた。
「星乃に明かすよ。私も向き合う」
「……」
「きっとお前は失っているんだ、子供の頃に、本当の自分を。私が500年前に失ったように」
戦士リアムは、しかし何も言わない。
「本当の自分になろう、戦士リアム。星乃が手伝ってくれる」
戦士リアムを背に、私は表に向かって歩いた。
すれ違いざまに、老いた魔術師が再び頭を下げた。
魔王が生まれ1000年。
心を病む国民たち、内部から瓦解する冒険者たちを腐るほど見てきた。
魔王に至る前に滅んでゆく我々の本当の敵は、魔王ではない。
本当の敵は、我々自身なのだと私は考え始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます