第20話 国王の思惑

「くだらぬ」


 王子と近衛兵たちが退場した部屋で、私と星乃は国王と向き合っていた。

 国王は冷たい目で卓上の王子の箱庭を見下ろす。

「こんな児戯を治療と申すか。現にヘンリーは一度も言葉を吐いていないではないか」

「はい、これは治療とは少し違います。そのための下準備なんです。箱庭はあくまでヘンリー王子の心の中を覗くための道具ですから」

「心を覗くだと?」

「ご覧ください、王子の箱庭を」

 眉を顰める国王に、星乃は淡々と続ける。

「対岸の島に続く橋を柵で閉鎖しています」

「だからくだらぬと言うておるのだ。大方、心をうちに閉じている現れだと言いたいのだろう」

「その通りです」

「王族とは王宮の中で育ち、兵に守られ暮らすもの。当然そういった作りになろう」


 国王の言うことは尤もだった。

 『箱庭療法』がいくら無意識が現れる遊びだと言っても、それ以上に育った環境も反映するだろう。

 しかし、星乃は平然と首を横に振った。


「ヘンリー王子はご家族や兵隊の玩具すら柵の外に配置しています」

 確かに、その通りだった。

 星乃が誘導し、どこに置くか尋ねたそれらの玩具たちをヘンリー王子は対岸の島に配置していた。

「住まいの環境が反映しているのなら、ご家族や兵隊の玩具は自分の島に置くはずではないでしょうか。それに船や馬車を置いてはどうかという私の提案に対しては、明確に首を振って拒否しました。自ら島の外を出る意思もなく、他者の侵入を許すつもりもないのだと思います」

 国王は押し黙り、そして絞り出すように言葉を紡いだ。


「私にまで心を許せないのだと、そう言いたいのか」

「いえ、馬や兎といった動物の玩具は自分の島に置いていますから。正確には人に対する緊張や不安が大きいのだと思います。大衆の前で演説をするのと同じです。誰だって大勢の注目を浴びて演説するのには緊張しますよね。言い間違えたらどうしよう、この人にどう思われるかなっていう風に。そういった緊張が、王子の場合は個人に対しても伴うんです」

「……親や家来にまで緊張する必要がどこにある」

「分かりません。トラウマが原因なこともあれば、生まれ持って感受性が強い気質が原因のこともありますし、複合的なものが原因なこともあります」

「有り得ぬ」

 国王は語気を強めた。

「王の子だぞ。トラウマなどない。ましてや、生まれ持った気質だと?」

「気質と言っても、病気ではありません。緘黙症かんもくしょう治療の基本は不安を取り除いてあげることで――」

 国王は立ち上がり怒りに満ちた瞳で星乃を見下ろした。


「お前たち罪人と一緒にするな! 王の子に生まれ持った欠陥があってたまるか!」


 国王は息荒げ、拳を握りしめていた。

 国王は因果応報の概念に縛られていた。

 王子の緘黙症の原因を生まれ持ったものだとすることは、王子の前世での罪を意味した。

 王族が魔族と同じように罪を背負っているなど、到底認められるはずがなかった。

 しかし、国王の宗教観を否定しても意味はない。星乃は淡々と続けた。


「気質とは言い換えれば個性です。不安を覚えやすい個性が緘黙症を手伝ってしまうこともあると言うだけなんです」

「……」

 国王は憤りを抑えるように肩で息をしていた。

 星乃は気落とされることなく、言葉を続けた。

「涙脆かったり、怒りやすかったりなどという個性となんら変わりません。その個性が不都合であるなら、都合がよくなるように工夫をしたり、人との交流が恐ろしいものじゃないと体験させてあげればいいんです。だから、国王様にもお話を伺いたいのです。『家族療法』と言って、子供の『緘黙症』にはご家族のサポートも回復に必要ですから」

「……」


 国王はしかし、これ以上星乃を叱咤することも退席を命じることもなかった。

 星乃の言葉を受け入れ難いとしつつも、星乃が答えを持っていると信じている。

 そういった矛盾への葛藤が感じられた。

 その矛盾は、私がずっと気にしているものだった。


 戦士リアムが星乃の元へ通い始めたこと、魔法使いセラフィナが星乃の助言により攻撃手段を獲得したこと。星乃が何かしらの力を持っていることを国王は認めはじめてもおかしくないはずだった。

 それでも尚、星乃を試し続けることに私は疑念を抱いていたのだ。

 本当に、星乃が彼の言うところの罪人であることだけが理由なのだろうか。


「話すことなどない。王族の子にトラウマも罪もありはしないのだから」

 しばしの沈黙ののちに、国王は口を開いた。

「ヘンリーの症状を治したければ治せばいい。治せないのなら出ていけ。この国の他にも、人が住める場所はある。好きにすればいい」

 国王は立ち上がると、私たちを通り過ぎ、扉へ向かって行った。

 立ち去ろうとする国王の背中に星乃は声を上げた。

「治します! 日に一度、ヘンリー王子との面談をさせて下さい!」

「……好きにしろ」

 国王は振り返らぬまま、扉を開け出ていった。



 静寂の戻った一室で、私は言った。

「協力はしないし、王子の緘黙症も認めないが、追放されたくなければ王子を喋れるようにしろ。ということだな」

 星乃は緊張の糸が切れたのか、深くため息をついて、ソファに深くもたれた。

「……万が一の時は、引越し手伝ってくれるよね?」

 星乃は軽口のつもりで言ったのかも知れないが、私は首を横に振った。

「王国の外は、魔獣や盗賊が蔓延る荒野と森だ。隣国に引っ越す前に殺されるぞ。他国の者をおいそれと入国させる国もない」

「打ち首と同じじゃないですか……」

「国王の命からは私も庇えない。なんとしても王子には緘黙症から回復して貰うしかないな」

「それは勿論頑張りますけど」

 ため息を吐く星乃に、私はやるせない気持ちだった。

「すまないな。この国の事情など、お前には関係のないことなのに」

「関係なくないよ。もう私はこの世界で生きているんだから」

「……うむ、いや」

「何?」

「私はお前を罪人などとは思っていないからな」

「……ああ、気にしててくれたの」

 星乃はこともなげに笑った。

「ありがとう、私も気にしてないよ。偏った宗教観や思想はどこにでもあるから」

「私たちの世界は未熟だ。お前の世界では、為政者がそういった不合理な思想に判断を左右されることはあるまい」

 民主制を取るという星乃の世界は、社会的に我々の世界よりも進展していると思われた。

 私は自分の世界の未発達が星乃に苦労をかけていることが情けなかったのだ。

 しかし、星乃の言葉は意外なものだった。

「まさか。あるあるだよ」

「……そうなのか?」

「政教分離を謳っているけど、実際は癒着も多いしね。そうでなくとも、宗教は文化に溶け込んでいるからね。権力者に限らず皆、大なり小なり影響は受けるよ。私の世界の一番の大国でも、就任式では大統領が聖書に手を置いて宣誓するしね」

「そういうものか」

「信仰が悪いとは思わないよ。だた不合理な宗教観のせいで心身を病んでいく人も少なくないってだけで」

「……まさか王子も」

 星乃は私は嗜めるように首を横に振った。

「臨床の現場で因果関係を探すことにだけ集中するのは危険だよ。誰も悪くないことだって、ままあるんだから」

「しかし、人や環境に原因がないのだとすれば一体なぜ……?」

「……昨日、ヘンリー王子は稽古の時間に隠れていたよね。いつもそう?」

「いや、その時々によるな」

 ヘンリー王子の教育や剣や弓の稽古には私も携わっていた。

 王子の教育には騎士長アーノルドをはじめ、各分野におけるトップが担うのだ。

「……いや、思い返せば勉強の時間をサボったことはないな。取り立てて武闘が苦手という訳ではないと思うんだが」

「勉強はいつも屋内だよね。剣の稽古は?」

「その時々だ。屋内にも稽古場はあるしな」

「なるほど」

 星乃は何か思うところがあるのか、一人頷くと両の掌で自らの頬を叩いた。

「さて、まだ死ぬ訳にもいかないし、頑張りますか」



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 暗殺は勿論、教育上の悪影響を恐れる国王は、王子の王宮からの外出を滅多に許さなかった。

 そのため、翌日からも星乃のカウンセリングは王宮内で行われた。

 私がヘンリー王子を連れ、王宮の東に位置する一室に入ると、硝子戸から朝日の差し込む部屋で星乃が微笑んだ。


「おはようございます、ヘンリー王子。どうぞ」

 星乃はソファにヘンリー王子を誘導した。

 しかし、ヘンリー王子は動こうとしなかった。

「王子?」

 緊張が理由かと一瞬頭によぎったが、見知った仲の私がいるし、星乃とは昨日箱庭を通して遊んでいる。

 先日と異なり、国王や近衛兵たちが不在であることが原因かとも考えたが、星乃の見立てが正しければ、むしろ少人数である方が王子の緊張は少ないだろう。

 私は彼が部屋に入ろうとしない理由が判りかねていた。

「あ、眩しいですか?」

 星乃はそういうと、硝子扉の薄いカーテンを閉じた。

 日差しが柔らかくなり、室内が少しばかり薄暗くなる。

 そんなことが原因のはずがないと思ったが、王子は星乃の前にあるソファに腰掛けた。

「昨日も茂みの影に隠れていましたもんね。眩しいのが苦手?」

 ヘンリー王子が静かに頷く。

「私も苦手。この世界、日焼け止めとかないし。もしかして、うるさいのも苦手ですか? 式典とかパーティとか」

 ヘンリー王子が驚いたように星乃を見る。

 そして、すぐに節目がちに小さく頷いた。

「私もダメなんですよー、人混み。ガヤガヤうるさいですしね」


 星乃はこともなげに笑みを見せていたが、私はその見立ての鋭さに感心していた。

 のちに聞くと、王子はHSPと呼ばれる心理的特徴の傾向を持っていた。

 感受性が強く、光や音、匂いや触覚などに敏感。刺激に弱く、人混みや騒がしい場所が苦手でストレスを受けやすい。

 人口の2割に近い人間が似た傾向を持つというが、確かに王子にはその特徴が顕著に現れていた。

 つまり、HSPの特徴が王子に『緘黙症』を招いている可能性が高いと星乃は言った。


「あ、そうだ、今日もお土産を持ってきました」

 星乃はサックの中から、竹で出来た小さな籠を取り出した。ヘンリー王子は小首を傾げた。

「虫籠です。今から庭園に昆虫を捕まえに行かない? もちろん木陰で」

 ヘンリー王子は立ち上がると、扉に向かって駆け出した。

「あ」

 意に沿わず逃げ出したかと思われたが、ヘンリー王子は扉の前で立ち止まると、星乃を振り返った。

 そして、掌を仰いで早くこいと星乃を急かした。

「うん、行こう!」

 星乃も駆け足でヘンリー王子を追いかけた。


 人との親交での成功体験を与えることが緘黙症改善のきっかけになり得るという星乃は、自らがその成功体験になろうと考えていた。

 実際にその狙い通り、ヘンリー王子は星乃との虫取りを通して、言葉こそ発さぬものの笑顔を見せた。

 それは私が見たことのない笑顔だった。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



「HSPか……国王にはどう説明する? 病気ではないと言っても、到底受け入れられないはずだぞ」

 その夜、星乃のカウンセリングルームで私たちは話していた。

 星乃は荷物を整理しながら答えた。

「ただの特徴に過ぎないからね。HSP傾向の人が苦手とするものを共有するだけでいいと思う。それだけで王子も随分楽になると思うから」

 言いながら星乃は大きなリュックに荷物をまとめはじめた。

「……さっきから何をしている?」

「アルフレッドたちのケースレポートは金庫に閉まってます。躁鬱病の治療の流れについては一通り説明しているから大丈夫だよね。カイルの弓はベッドルームに置いているから、いつかエルンストンに渡してあげて。金庫の鍵の場所教えておくから、万が一の時はソフィアさん、よろしくね」

「おい、何を言っている。なんだ、万が一って」


「まだ想像の範疇を出ないですけど、近いうち私は追放されると思う」


 私は星乃の言葉に耳を疑った。

「な、何を言ってる? 王子の『緘黙症』を治せないというのか?」

「ううん、思ったより早く改善に向かうと思う。だからこそだよ」

「分かるように言え」

「今日、国王様は私のカウンセリングに見張りをつけなかったでしょう。迷い人で罪人の私の得体の知れない心理療法を自由にさせた。ソフィアさんがいると言っても、ソフィアさんは明らかに私を信用してくれてるし、不自然だよね」

「……それがなぜ追放ということになる? 国王もお前を信用してくれたということじゃないのか」

「多分そう」

「ならば、なぜ?」

 そうは言いながらも、似た疑念は私も抱いていた。

 国王の言動や行動には一貫性が欠けているように思えていたのだ。

「カウンセリングの効果に期待しているからこそ、私を追放したいんじゃないかな。でも、王子の緘黙症が治るかも知れないと知って、それを先延ばしにした」

「順を追って説明してくれ。意味が分からない。魔王討伐にお前はなくてはならない存在だ」

「王子の緘黙症が治れば、国王様もそう思ってくれるかも知れない。私がエルンストンの躁鬱病を回復させようとしていることも知っている訳だし。……ここからは本当に憶測だから、言いにくいんだけど」

「いい、言ってくれ」


「国王様はね、多分、魔王討伐をする気がないんじゃないかな」


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