第19話 王子の箱庭

 街の玩具屋で、星乃は棚に飾られた小さな人形たちを眺めていた。

「……かわいい」

 そして、値札を見て顔を引き攣らせる。

「結構するな……手作りだもんね。経費にならないよね、これ」


 王宮を後にしてすぐ、星乃はここへ訪れた。

 王宮の者から借りた洋服に着替えた私は、子供のように楽しそうに人形を選ぶ星乃に呆れていた。

 

「お前、分かっているのか。本当に打ち首になるかも知れんぞ」

「えー、脅かさないでよ」

「脅しではない。国王に喧嘩を売ったも同然だ。王子を病気扱いして、啖呵を切ったのだ。これでヘンリー王子の症状が回復しなければ、どうなる」

「病気じゃないよ、緘黙症かんもくしょう。喋りたくても緊張や不安で喋れないの。それに喧嘩をふっかけてきたのはあの人でしょ」


 国王相手に落ち着いて言葉を選んでいた星乃だったが、やはり彼の所業には怒っているようだった。

 星乃は手に持っていた人形を棚に戻すと、不安そうに私の顔を覗き込んだ。


「気分はどう? 大丈夫?」

「ああ、自分でも驚いているよ。もう落ち着いた。お前のおかげだ」

「……そう」

「すまなかったな」

「え?」

「私があの場で平然としていられたら、こんな面倒な状況に陥らずに済んだ」

「ソフィアさんは銅像がそこら中に建っているからって自己評価高過ぎ。スーパーマンじゃないんだから」

「すーぱーまん?」

「熱湯をかけられても謝るの? 火傷してごめんって」

「うむ……」

 星乃が言わんとすることは分かった。躁鬱病になった聖職者エルンストンに謝られた時の私と同じ気持ちなのだろう。

 重度の病を抱え克服できぬ自分を責めること自体が、傲慢と言えるのかも知れない。

「歯痒いな。多少無茶をしてでも治したいものだが」

「十分回復に向かってるよ。PTSD治療は重症度によってアプローチも異なるから、今のペースがベストなの。それをあの人は……」

 ため息をつく星乃に、私は前のめりになって問いかけた。

「他にも効果的な治療法はあるのか?」

「『曝露療法』の一つに、大きな効果をもたらすものもあるよ。『持続エクスポージャー療法』と言ってね、例えば、潔癖症で日に何度も手を洗わずにはいられないクライエントに、トイレ掃除をして貰ったりね。粗治療に見えるけど効果はあるの」

「じゃあ私も――」

「駄目だよ。図らずも今日体験したでしょう、『持続エクスポージャー療法』」

「……なるほど」

 確かに、血液恐怖症と言える私が赤ワインを頭から被ることは『持続エクスポージャー療法』と言えた。

 しかし、その結果、私は解離と過呼吸を起こしたのだ。重症度によってアプローチが異なるとは、そういうことなのだろう。

「そう考えると、国王は私の治療に一役買ってくれたようなものだな」

「お人好しだなあ」

「そう考えれば、いらぬ苛立ちを覚えることもないだろう」

「……ああ」

 星乃は私が言わんとすることを察したらしかった。

「大丈夫だよ、私は冷静だから。ありがとう」



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 数刻前、ヘンリー王子のカウンセリングを打診した星乃に、国王は意外にも沈黙した。

 罪人とされる星乃の言葉は国王の怒りに触れるとすら思われたが、国王は王座に戻り腰掛けた。


「『緘黙症』とはなんだ。申してみよ」

「不安障害の一つです。言葉を操る能力に障害が残る失語症とは異なり、緊張や不安で話せるのに話せないんです。そういった症状が半年以上続く場合に診断されます。先ほどヘンリー王子をお見かけしましたが、あの症状はきっと半年以上続いていますよね」

「……」

 国王の沈黙は肯定を意味した。

「『場面緘黙症』と呼ばれる症状とは異なります。家族とは話せるけど、学校など特定の場所や環境では話せないと言ったものです。『場面緘黙症』は、年を経て他人との交流の機会が増えるにつれ自然と回復することはあります。しかし、環境問わずに話せない『緘黙症』には明確な治療が有効かと思います」

 国王は叱責と是認の間で揺れているように見えた。

「……話せないのではない。話さないのだ」

「ヘンリー王子が最後に喋ったのはいつですか?」

「……覚えているものか。お前たちと我々は違う。家族であろうと会話を交える機会は多くないのだ」

「ご家族に似た症状を持っていた方はいらっしゃいますか」

「いるあずがあるまい」

「では、遺伝性の可能性は低いかも知れませんね。心理療法や行動療法で十分回復は見込めるかと思います」

「……」

 国王は眉を吊り上げ、苛立ちを隠せずにいられたが、星乃は毅然と振る舞った。

「お力添えさせて頂けないでしょうか」

 国王は苦虫を噛んだような顔をし、グラスにワインを注ぐとそれを仰いだ。

「よかろう」

 国王はしかし、不快感を露わにしていた。


「だが、もしお前の言葉が偽りだった場合は、覚悟しておけ」

 



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 翌日、大きなサックを肩にした星乃と私は、王宮の一室に訪れた。

 並んだソファに腰掛けるヘンリー王子と国王。

 その傍らに、騎士長アーノルドをはじめとした複数の近衛兵たちが控えていた。


 それはカウンセリングを行うにはあまりに不適切な環境だった。

 そうでなくとも、王子の『緘黙症』が不安や緊張からくるものなのだとすれば、近衛兵に見張られた環境で言葉を発するのは不可能だろう。

 せめて、近衛兵だけでも退場して貰いたかった。


「国王、ここでカウンセリングを行うのですか?」

「当然だ。魔術の類を使うとも限らん」

「星乃は魔法を使えません」

「大丈夫」

 星乃が言った。

「国王様にもご覧になって頂いた方がいいと思いますし」


 星乃は失礼しますと声をかけ、並んで座る国王とヘンリー王子に対面するソファに腰掛けた。


「天野星乃です。昨日会ったよね」

 そこであっと気づき、星乃は訂正する。

「昨日お会いしましたよね」


 しかしヘンリー王子は下を俯き、星乃の目すら見なかった。

 予想はしていたが、あまりに状況が悪かった。

 コミュニケーションが取れないのであれば、カウンセリングのしようがない。

 このままではこの時間、星乃は延々と一方的な会話を国王の前で晒すことになるだろう。

「ここに蟻はいませんよ」

 星乃の言葉に一瞬、ヘンリー王子がピクリと動いた。

「昨日、地面を這う蟻をご覧になられていましたよね。昆虫がお好きですか?」

 しかし、それきりヘンリー王子は動こうとしなかった。

 国王に表情はなく、ただ星乃を観察していた。

 せめて近衛兵だけでも。私が進言しようとしたその時、星乃は肩にかけていたサックを開けた。


「今日はお土産を持ってきました。昨日の無礼のお詫びです」


 それは木箱だった。

 ヘンリー王子は節目がちに木箱を気にした。

 星乃が木箱を蓋を開けると、そこにはしかし、何もなかった。空っぽの木箱だ。


「無礼者!」

 近衛兵の一人が声を上げ、剣の柄を掴んだ。

「え、いやいや、これだけじゃないです!」

 星乃は慌てて、サックの中から布袋を二つ取り出した。

 国王は近衛兵に頷き、彼を嗜めた。

 かつて、ここまで心臓に悪いカウンセリングがあっただろうか。

 星乃は一つの布袋を木箱の中へ傾けた。布袋から砂が溢れ、木箱の中を浸した。

 近衛兵が再び剣の柄を掴む。無理もない、王子への土産が砂だと言うのだ。

 国王は感情を表情に出さなかったが、不信感を抱いていることは明らかだった。 


「天野星乃、戯れが過ぎるぞ」

「はい、これは戯れの道具なんです」


 星乃がもう一つの袋を卓上にひっくり返すと、先日の玩具店で買った人形が溢れた。

 家に木、動物や人を模した大量の玩具たちだ。

 意味が分からなかったが、ヘンリー王子は前髪の隙間から人形群を盗み見ていた。

 星乃は木箱の中の砂に触れ、木箱の角と角を繋げるように大きな線を引いた。

 それはまるで川のようで、木箱の中に二つの島が生まれた。


「ここは王子の島です」


 そう言って、一つの島に家の玩具を置いた。

「これは王子のお家。で、こちらがヘンリー王子」

 そう言って少年の玩具を、ヘンリー王子の前に置いた。

「全部王子のものです。好きに遊んで下さい」

 星乃の笑顔にヘンリー王子はしかし、再び目を伏せ、動こうとしなかった。


 後に星乃から聞いたそれは『箱庭療法』と呼ばれる心理療法だった。


 砂箱と玩具を自由に使って物語を作ることで、クライエントの内面や感情を読み取ることができるというのだ。

 自分の気持ちの言語化が難しい子供などに有効に働くそれは、まさに『緘黙症』の王子には適切なアプローチだった。


 星乃は『箱庭療法』を通して、王子の『緘黙症』の原因を探ろうとしていたのだ。


「王子が遊ばないなら、私が遊んじゃおっかな〜」

 そういうと、星乃は少女の人形を一つ掴み、家の前に置いた。

「これは私で〜」

 次に馬を少女の傍に置く。

「この子はそうだな、お馬のポニーちゃん。この子に乗って島を行き来きするんです。買い物しに」

 そう言って、川の上に橋の玩具を置く。

 次に星乃は馬の玩具を掴んで、島の上を走らせてみせた。

「ぱから、ぱから、ぱから。たまに運動させないと太っちゃうからね」


 眉を顰める近衛兵たちの前で、星乃はこともなげに笑みを見せていた。

 剣を携えた兵士と国王を前に、一人玩具で遊ぶ成人女性。

 それはあまりに奇妙な光景だったが、ヘンリー王子が前髪の隙間から、箱庭を見ていた。

 星乃の箱庭に関心を見せているのだ。

 その視線に気づいた星乃が、私を見た。


「私、馬乗ったことないんですけどね。でも、箱庭の中では自由です。楽しそうでしょう?」

「……そうだな」

 星乃の狙いを察した私は、庭箱を覗き込んだ。

「少し寂しくないか。殺風景だ」

「んー確かに」

「木を植えよう」

 私は島の中に、木を模した玩具を何本か植えた。

「わー、おしゃれ。こういうとこ住みたいなあ」

「船も置かないか?」

「それいい! 楽しそう!」

「ああ、船に横になって波に揺られて昼寝をするんだ。楽しいぞ」


 私は横目で騎士長アーノルドを見た。

 首を傾げた騎士長アーノルドだったが、私が咳払いをすると、やっと察してくれたようだった。

「た、楽しそうですね」

「ああ、思いの外、楽しいぞ」

 私は顎で近衛兵たちを指す。


 騎士長アーノルドは動揺しながらも、近衛兵たちを見た。

「楽しそうだよな」

「え、ええ」

「た、楽しいんでしょうね」

「む、息子にも一つ欲しいですね」

 はじめ、カウンセリングの障害に思われた近衛兵たちが、騎士長アーノルドの圧力を前に、芝居がかった台詞を次々と吐く。

「俺もやってみたいな」


「ダメです」

 先ほど星乃を叱咤した近衛兵に、ピシャリと星乃が言う。

「これは私の箱庭なので」

「あ、ああ……」


 国王が目を丸くしていた。


 ヘンリー王子が両手をテーブルに突き、前のめりになって箱庭を覗き込んでいたのだ。


「箱庭、もう一つありますよ」

 星乃は優しく微笑んだ。


「王子も遊びますか?」


 ヘンリー王子は、こくりと小さく頷いた。

 私は星乃に感心する他なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る