第18話 迷い人の罪と罰
王宮門を抜け、大庭園に足を踏み入れた辺りで、星乃はえらく緊張し始めた。
雄大な土地の中心に聳え立つ王宮を前に、一国の王に会うということがどういうことか実感し始めたようだった。
「ね、ねえ、失言とかで打ち首とかないよね……?」
「失言の度合いによるだろう」
「ど、独裁国家だなあ」
星乃は一転して借りてきた猫のようになり、私のあとを歩いた。
「ヘンリー王子! ヘンリー王子、どこにおいでですか!」
突然の聞こえてきた声の主は、騎士軍騎士長アーノルドだった。
庭園を歩く騎士長アーノルドは私に気づくと、はっとして膝をついた。
「これは賢者様」
「良い。どうした」
立ち上がると、騎士長アーノルドは私の問いに答える前に、星乃を見て眉を顰めた。
王宮に部外者が立ち入る機会は稀で、その反応も当然と言えた。
「気にするな。迷い人だ」
「な、迷い人を王宮に入れたのですか?」
「国王の希望だ」
騎士長アーノルドは警戒しながらも星乃に一礼をした。星乃は慌てて右手の掌をピンと立てて、自らの額の前に置いた。日差しを防いでいるようにしか見えなかったが、異世界の敬礼の一種なのだろうか。
騎士長アーノルドは首を傾げながら、私に続けた。
「いつものことです。剣の稽古の時間だったんですが、ヘンリー王子がどこにも見当たらず」
「無口な方だからな。聞こえていても返事はしまい」
「無口じゃ済みませんよ。私など王子の声を一度も聞いたことがありません。稽古になりませんよ」
「あれ、こんにちは」
星乃の声に振り返ると、彼女は茂みの陰に挨拶をしていた。
そこにはしゃがみ込み、口元を抑え、地面を見つめるヘンリー王子の姿があった。
「どこか痛いの?」
星乃の言葉にも視線を上げず、ヘンリー王子はただ首を横に降った。
「王子! 返事くらいして下さい!」
「え、王子?!」
星乃が驚くのも無理はないだろう。まだ6歳の彼には気品は感じられど、王族の覇気など全く感じられなかった。
ヘンリー王子は騎士長アーノルドの言葉にも反応を見せないまま、ただ足元を見続けた。
「不敬罪で打ち首……」
一人絶望している星乃に私は声をかけた。
「いくぞ、星乃」
「あ、でも」
ヘンリー王子を気にしている様子の星乃の考えを、私は察していた。不敬を告げ口されることを気にしている訳ではあるまい。
私は星乃の耳元で囁くように言った。
「大切に育てられている。トラウマの類ではない。無口なだけだ」
「んー……王様や友達の前では話したりします?」
「いや、誰にでもあの調子だが、それより遅刻は打ち首だぞ」
「え、嘘」
一人で歩き始めた私を、星乃は後ろ髪を引かれながらも、慌てて追いかけた。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
王室に入ると、二人の近衛兵が国王の左右に立っていることに私は驚いた。
幼少から彼の世話係を務めた私を、国王は信頼していた。これまで私の来訪時に王室に側近を置くことはなかったのだ。
つまり、国王は星乃を警戒しているのだ。
王座を前に膝をついた私を見て、慌てて星乃も膝をついた。
「天野星乃を連れて参りました」
「えと、心理カウンセラーの天野星乃です」
国王は酷いくまに覆われた瞳で、私たちを王座から見下ろした。
半年前、国王は私が強く進言したこともあり、勇者一行への星乃のカウンセリングを許可した。
しかし、国王が星乃と顔を合わせることはなかった。
国王は懐疑心が強く、星乃に限らず、滅多に王宮使い以外の者とは会おうとしなかったのだ。
そんな彼が自ら星乃との対話を望んだきっかけは、三日前に遡る。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「そうか、エルンストンは間に合わなかったか。天野星乃は無力だったな」
魔術師エドガーの参加の報告に、しかし国王は星乃の名を口にした。
国王は新たな有能な仲間の参加よりも、星乃の力について批判したいようだった。
「恐れながら、国王。聖職者エルンストンの双極性障害、躁鬱病は重症です。一朝一夕ではとても――」
「治癒魔法は短時間で、大概の重症を治療する」
「……その治癒魔法でも、傷ついた心は治せません。しかし星乃なら――」
「カウンセリングに割かれる時間は、本来勇者一行の休息と修行に当てられたはずの貴重な時間だ」
私は星乃の元で、自らのPTSD治療を始めたことを報告することも考えていた。しかし、これは秘匿にすべきだと考えを改め始めていた。私の病という国家機密を星乃に明かしたことの方を問題視されると確信したのだ。今はまだ、星乃の有用性を強調すべき段階だと考えた。
「魔法使いセラフィナが攻撃の手段を複数取得し始めました」
「……ほう」
国王が初めて、関心を見せた。
そう、魔法使いセラフィナが防衛魔法しか技能を持たないことは国王も知っていた。
「勇者一行の大幅な戦力の増強が期待できます。魔法使いセラフィナは魔法を獲得して15年、一つも攻撃の手段を持てないでいました。しかし星乃のカウンセリングを受け、たった半年で複数の攻撃手段を得たのです」
国王は黄金のグラスに注がれたワインを飲み干すと、食い入るように私の話の続きを待った。
どうやら、国王は星乃がもたらした具体的な効果に興味を示しているようだった。
私はチャンスだと思った。
「私もPTSD……血液への恐怖に対する治療を始めました」
「……星乃に明かしたのか」
「申し訳ありません。しかし、私はその治療の効果を感じています」
「天野星乃を連れて来い」
「……国王の元にですか」
「ああ、話そう」
迷い人への国家機密の漏洩の報告。
それが吉と出ることを私は祈った。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「私が迷い人と会うのは初めてだ。なぜか分かるか、天野星乃」
国王の言葉に、星乃は緊張しながらも言葉を選んでいた。
「えっと……迷い人を自称した他国のスパイかも知れないから、等でしょうか」
「ふむ。他には何が考えられる?」
「そうですね……異世界の未知の病気を持ってるかも知れないとか」
「うむ、いずれも正しいが核心はそうではない」
国王は黄金のグラスを一口仰いだ。
「十数年おきに異世界からやってくる貴様ら迷い人は、罪人だからだ」
「……罪人」
星乃はその言葉に気分を害した様子もなく、ただ小首を傾げるだけだった。
「恐れながら、国王。星乃は公認心理士と呼ばれる異世界での国家資格も持つ善良な市民です」
「そういう意味ではない。覚えがないか、天野星乃」
「……こ、今後は敬語を徹底しますのでどうか――」
見当違いの星乃の言葉を国王は遮った。
「この世界へ転移されるその瞬間、貴様の身体はどういった状況にあった」
「……!」
星乃の身体が一瞬、強張るのが分かった。
「どうした。説明できぬか」
星乃の過去を知る私は、それを本人に語らせるのは憚られると思った。
「国王――」
「大丈夫、ソフィアさん」
星乃は首を横に振って私を制した。
「この世界にやってくる直前、私は病院の屋上にいました」
そう、星乃は大きな治癒施設の心療内科と呼ばれる部門で、カウンセラーとして勤めていたという
そこで希死念慮の強い一人の少女とカウンセリングを繰り返していた。
「彼女はその時、パニック状態でした。屋上に駆け込み、医師や看護師が集まる中、屋上の柵を越えました」
星乃はクライエントの少女の視線が医師たちに向けられている間に、下の階の窓から屋上によじ登ったという。
屋上の柵の向こう側に立った星乃は、少女が気づくと同時に彼女を抱きかかえた。
これを私に語ったとき、星乃は悲痛の表情で悔しそうにしていた。
この段階に来てしまっては、カウンセラーの言葉など無力だと言った。
ただ生きて貰って、もう一度面談する機会を作るしかないと。
星乃はもう一度、自分にチャンスを作るために命懸けだった。彼女に生きて貰うために必死だった。
絶叫して暴れる少女を抱き抱えている隙に、医師たちが駆け寄る。
医師たちの手が少女を掴んだとき、星乃の身体だけが空に浮いた。
「私は屋上から落ちたのだと思います。気づいたら、この国の森に横たわっていました」
国王は嘆かわしそうにため息をついた。
「そう、貴様ら迷い人は須く、死人なのだ」
その通りかも知れなかった。かつての迷い人たちも、何らかの形で異世界で事故にあったものが転移されてきているのだ。
しかし、それがなぜ罪人という解釈になるのか私には分かりかね、不快感すら感じていた。
「死して異世界に目覚めた貴様らが、この世界のために働く動機がどこにある」
「私は私の仕事が好きなので」
星乃の言葉に、国王は呆れたようにため息を吐く。
「違う。この世界で生きていく術を他に持たぬからだ。もう死にたくないという、身の保身のためだろう。そんな人間をどうして信用できようか」
それはあまりに意地の悪い理屈だった。
「それがなぜ、罪人ということになるのですか!」
気づくと私は声を上げていた。黙ってはいられなかった。国王は知らなかった。星乃がいかに、勇者たちの生きる糧になっているのかを。
感情的になる私に対して、国王は平然と答えた。
「死という最大の罰を経て尚、異世界で労働を強いられる因果な人間に罪がないはずがあるまい。この世は因果応報だ。罪があるから、罰があるのだ」
「迷い人の転移は、罰だとおっしゃるのですか……?」
「他に何がある。今苦しみの最中にあるものは、須く前世で罪を犯しているのだ」
到底納得できない理屈だった。納得できないが、しかし理解はできた。
それは王国に因果応報という考え方があるためだった。
人を虐げ殺める魔族は、前世で罪を犯した人間だという思想だ。
前世で罪を犯したから、今世で魔族として罪を犯し続ける。
この思想が、国王に迷い人も罪人であるという思考を作り出しているのだろう。
星乃の表情にはしかし、動揺も怒りもなく、ただ小首を傾げるばかりだった。
「なぜそんな罪人の私にお仕事を与えてくださったんですか?」
「罪人を討伐するのに、罪人を使うことは合理的だろう」
「ああ、なるほど」
「そこでだ、天野星乃よ」
国王は二人の近衛兵を一瞥した。私たち3人を残し、近衛兵たちは足速に王室を後にした。
要件の核心はこれからだということだろう。
「お前なら、賢者ソフィアの病を治せるのか」
「順調に治療は進んでいます」
「ふむ」
国王は黄金のグラスを片手に徐に立ち上がると、私の前まで歩を進めた。
「許せ、賢者よ」
その言葉の意図を察する前に、国王はグラスの中身を私の頭にかけた。
それは、赤ワインだった。
そう、それは瞬く間に私の髪と服とを、赤く濡らした。
まるで血液のように。
「な、何を!!」
立ち上がる星乃を、私は声を上げ制した。
「いい!」
国王は試していた。私のPTSDが改善に向かっているのかを。
それはつまり、星乃の力を試しているのだった。
ここで倒れる訳にはいかなかった。
私はただ平然としていられるかどうか、それが星乃の進退を左右した。
そうだ、これは血じゃない。だから平気だ。
私は自分に言い聞かせた。
そうこれは、ただのお湯だ。血ではない。お湯だ。
お湯?
赤ワインでなく、お湯?
一瞬遅れて、自分の発想に疑念を抱く。
武闘家ジンが吐いた夥しい量の、赤いお湯。
すぐに理解する。今、私には『解離』が起こっている。
「大丈夫だよ。私がいるからね」
気づくと、星乃が膝をついて、正面から私の両手を握りしめていた。
感情を表情に出すことなく、ただ優しく私を見つめていた。
「鼻から、深く息を吸って」
星乃のいう通りにする。
「ゆっくり、口から吐いて」
呼吸に落ち着きが戻るのを感じてから、自分が今、過呼吸に陥っていることに気づいた。
星乃は自らの裾で、私の赤く濡れた顔を拭いた。
そうして自らのカーディガンを脱ぎ、私の背中に被せた。赤く濡れた私の服を覆い隠すように。
星乃が私の身体から赤色を隠してゆくにつれ、私の呼吸が落ち着いてくるのを感じていた。
星乃はただ腹式呼吸をする他ない私を優しく抱擁した。
「残念だ」
国王の落胆の言葉に、星乃の表情が一瞬険しくなった。
しかし、一呼吸で感情を表情から消すと、立ち上がり国王に向き直った。
「一国の王としての重責、お察し致します」
その声音に既に怒りはなく、むしろその言葉には優しさすら感じられた。
「一刻も早く、平和を取り戻したいのですね」
それはまるで、クライエントと接するようだった。
「ソフィアさんの症状は500年を経ても回復しなかった重度のものです。すぐに回復致しません。しかし、王子は別です」
「何……?」
星乃の言葉に、国王は眉を顰めた。
「子供の緘黙症は早期に適切な心理療法を得られれば、改善される可能性は高いですから」
「かんもくしょう……? ヘンリーが病気だというのか」
「いえ、不安障害の一種です。無口は内気な個性に過ぎない場合もありますが、そうでないならば、成人後も改善しないことが多いです」
国王と向き合う星乃は穏やかなものだった。
しかし、私には彼女が国王に戦いを挑んでいるように見えた。
「ヘンリー王子のカウンセリングをさせて頂けませんか。お力になれると思います」
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