第17話 勇者一行の旅立ち

 王国中が賑わっていた。

 晴天に花火が打ち上げられ、街はお祭り騒ぎだった。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 街の喧騒が遠くに聞こえる星乃のカウンセリングルームで、私たちは向き合って座っていた。


「肺が膨らむのを意識しながら、鼻から深く息を吸って」

 目を瞑り、姿勢を正してソファに腰掛ける私の瞼の暗闇の中で、星乃は言った。

「口から深く吐いて下さい」


 腹式呼吸と呼ばれるそれは、トラウマと向き合う際、感情的な負担を減らすのに有効な呼吸法だと言う。

 私は腹式呼吸をしながら、頭に『安全地帯』を思い描いていた。故郷の緑と水の世界だ。

 これで準備は整った。


「じゃ、再生するね」


 瞼の裏の森の中で、蓄音機は再生を始めた。

「――当時の四冥将の一人を倒した、そのひと月後のことだったよ。私たち勇者一行は、二人目の四冥将と対峙した」

 それはEMDR療法時に私が語った言葉の録音だった。

 『長時間曝露療法』と呼ばれるそれは、トラウマについて語る自分の言葉の録音を聞くという単純な、しかし立派なPTSD治療の一つだった。

 これを繰り返すことによって、徐々にトラウマに対しての耐性を作っていくのだ。

 

「気分はどう?」

 目を開けると、録音を聴き終えた私を星乃は覗き込んでいた。

「ああ、問題ない」

 やや心拍数は上がっているかも知れないが、目眩も動悸もなかった。

 星乃のおかげで、500年抱えていた症状が、この数日で改善に向かい始めていることが分かった。

「この治療のいいところはね、自宅で一人でも可能ということなの。でも慣れるまで無理はしないで欲しいから、暫く私と一緒に治療した方がいいと思う」

「いや大丈夫だ。蝋管を貸してくれ」

「……分かった」

 星乃はやや逡巡したが、音声が蓄音された円筒状の蝋管を蓄音機から取り外し、私に渡してくれた。

 この調子でいけば、もしかしたら魔王討伐までに私も――

「慌てちゃダメだよ」

 淡い期待が頭によぎったとき、星乃はこともなげにそういった。

「慌てるとぶり返すから」

 平然と紅茶を淹れ直す星乃はしかし、私の心を見通しているようだった。

「ああ、ありがとう」

 魔法も剣術も持たないこの若いヒューマンが、私には何より心強かった。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 旅立ちを前に、勇者アルフレッドに不安や緊張の様子はなかった。

 凛とした表情で、彼は星乃と向き合っていた。


「セラフィナは文字通り強くなっているし、リアムも調子が良さそうだよ。カイルが死んで、エルンストンが病気になって、あいつも荒れていたんだけどね。ここ数日で不思議なくらい落ち着いているよ。何をしたんだい?」


 勇者アルフレッドの言葉に、星乃は首を振った。

「何もしてないよ。いつも通り、ちょっとお喋りしただけ」

 戦士リアムと星乃と面談を見てきた私には、いつも通りとは思えなかったが、しかし勇者アルフレッドの見立ては正しかった。

 星乃が戦士リアムを変えたのだ。

「でもよかった。たった十日でまた遠征に出るって聞いた時は心配だったけど」

「国王が急かせるんだよ。まあ、敵も混乱しているだろうからね、早々に攻めるべきなのは確かだよ」

 そう言いながら、彼は背中の弓を手に取った。それは、使い古された、しかし立派な黒塗りの弓だった。

「これ、エルンストンに渡して貰えるかな」

「これって確か」

「ああ、カイルの弓だ。俺よりあいつが持っていた方がいいと思ってね」


 聖職者エルンストンは躁鬱病が発症してから、勇者一行と会っていなかった。

 遠征に出られない彼女は負い目を抱えていた。今はまだ安静にさせた方がいいというのが、私と星乃が話し合った結論だった。

 今、彼女と交流があるのは私と星乃、一部の聖堂の者だけだ。

 勇者アルフレッドは「あ」と声を上げた。


「でも病気に障るかな」

「……そうだね」

 しかし、星乃はそっと手を伸ばし、子供を抱えるようにその弓を受け取った。

 それはかつてのクライエントの遺品と言えた。

「でも、きっと渡すよ。渡した方がいい時が、きっと来るはずだから」

 星乃の言葉に勇者アルフレッドは頷くと、立ち上がり、手を差し出した。

「エルンストンを頼む。俺たちは一人も欠かさずに、エルンストンを迎えに来るから」

「うん。無事を祈っている」

 星乃も彼の手を強く握り返した。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 腰に括られた不恰好なクマのぬいぐるみを揺らして、戦士リアムは星乃のカウンセリングルームに入ってきた。

「土産だ」

 そう言ってテーブルに置いたのは、いつもの酒ではなく、紅茶の葉の入った缶だった。

「ありがとうございます。気を遣わなくてもいいのに」

「酒の方が良かったか?」

 どかりとソファに腰掛ける戦士リアムに、星乃は首を横に振った。

「紅茶も大好きですから。でも意外ですね。いつもお酒を持ってきてくれていたのに」

「どうも最近、飲む気が起きなくてな」

「へえ、よかったですね」

「何がだ?」

「んー、経済的で」

「お前のケーキと一緒にするなよ」

 戦士リアムは鼻で笑い、星乃も微笑んで見せた。

 星乃は平然と流したが、アルコールは脳の報酬系を活性化しドーパミンを放出させ、一時的に強いリラックス効果を与える依存性のある嗜好品だ。つまり、飲酒量の多かった戦士リアムは、過去のトラウマや不安症、ストレスを和らげるために酒を飲んでいたとも考えられる。

 その酒への欲求が、最もストレスが強く生まれるだろう遠征を前にして減ったというのだ。

 私は彼の腰にあるその縫い目だらけのクマのぬいぐるみの仕業ではないかと考えていた。


 戦士リアムはそれ以上語らず、すぐに腰を上げた。

「もう行くんですか?」

「ああ、次は四冥将ガイルの首を土産に持ってきてやるよ」

「……そ、それはいらないかな」

「ふん、じゃあまた別のものを」

「はい、楽しみにしています」

 星乃の視線がぬいぐるみに行くのを、戦士リアムは気づいていただろう。

 しかし、お互いそれには触れないまま、戦士リアムはその部屋を後にしたのだった。


 星乃は彼が後にした扉をいつまでも眺めていた。半年前、射手カイルもこの扉を出ていったきり、戻ってこなかったのだ。


「……あれだろう、戦士リアムはツンデンってやつだろう」

 かつて星乃に聞いたスラングを使った私の軽口に、星乃は笑って答えた。

「ツンデレね」



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 星乃は立ち尽くし、困ったように苦笑していた。

 両手には、魔法使いセラフィナが持ってきた黒のワンピースを持っていた。

「先生に似合うと思って。私はもう着ないから」

「う、嬉しいけど私のスタイルには……」

「大丈夫、私が15の時のだから、きっと合うと思うわ。ね?」

 星乃がワンピースを広げて見せると、それはしかし明らかに丈が長く、床にまで布が届いた。

「あら?」

 小首を傾げる彼女に、星乃は傷心を隠すようにぎこちなく笑った。

「……む、昔からスタイル良かったんだね、セラフィナは」

「そっか……残念」

 彼女はため息をついてソファに腰掛けると、星乃もそれに習って腰を落とした。

「先生に持っていて欲しかったのだけど」

「どうして?」


「私が死んでも、先生には私のこと、覚えていて欲しいわ。ね?」


 自分の死を想定する魔法使いセラフィナに対して、本来カウンセラーとして尋ねるべき答えは「なぜそう思うのか?」だっただろう。

 しかし、星乃はあえて、そうは言わなかった。


「……もう真っ直ぐ、遠征に出るんだよね?」

「ええ、そうよ。式典に出て、そのまま旅立つわ」

「じゃあ、これは私が預かっておくね」

 星乃は彼女のワンピースを丁寧に畳んだ。


「必ず、取りに戻ってきて」


 星乃の真剣な表情に、魔法使いセラフィナは頷いた。

「メモをしておいた方がいいかしら」

「しないと忘れる?」

「……ううん」

 魔法使いセラフィナは首を横に振った。


「忘れないわ」



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



「ふははは、そりゃあ大義だったのう」


 魔術師エドガーは、星乃とテーブルを囲み、声を上げ笑った。

「訳も分からず異世界から転移させられ、こんな仕事をさせられているとは。難儀な娘もおったものだ」

「カウンセリングはやりがいがありますから、それは全然いいんですよ」

 星乃も彼とは初対面だったが、まるで旧知の友人と話すように笑っていた。

 自然な会話を伴ってこそ優れたカウンセリングだというが、それにしても私にはただの談笑に見えた。

「問題は婚期! こっちじゃ出会いもないですしね」

「向こうに恋人でも置いてきたのかね?」

「いや全然……出会いで言えば向こうもこっちも似たり寄ったりだったかも」

「ふははは、不幸中の幸いじゃの。アルフレッドはどうじゃ。いい男じゃし、何より英雄さね。リアムは少々荷が重いじゃろが」

「クライエントをそんな目で見ませんよ。クライエントへの恋愛感情は『逆転移』と言って、私のかつての感情を私自身がクライエントに向けているということになるんです。えーと、つまり、カウンセラー失格。その時はカウンセラーとして未熟だったと思って、この仕事を辞めますね」

「はあ、よう分からんが難儀な仕事もあったもんだ」


 魔術師エドガーは星乃が聴き慣れぬ『心理カウンセラー』であることよりも、彼女が『迷い人』であることに関心を示した。

 むしろ星乃はクライエントに質問攻めにあう形となったが、特に問題にしている様子はなく笑顔を見せていた。


「しかも、この部屋の外じゃ、わしらとも会えんのじゃろう?」

「絶対ダメってことじゃないけど、推奨されませんね。『二重関係』に繋がることはなるべく避けたいので」

「じゃあ、今日は見送りもなしかね」

「はい。旅立ちを遠くから見守ります」

「ふむ、心配じゃろう。前回の遠征じゃあ射手を亡くしているしのう」

「……そうですね。でも、エドガーさんはあまり心配そうじゃないですね」

「そうじゃのう」

 魔術師エドガーは唇から炎を吹き、葉巻に火をつけた。わおっと星乃は小さく声を上げた。

「この歳になって、まさか魔王退治をすることになるとは思わなかったがね。ままならんものじゃの、人生とは。お互いな」

「そうですね」

「わしも長く生きた。射手の小僧だけじゃない。勇者一行を何組も見てきたが、いずれも帰らなかったさね」

 しかし、魔術師エドガーの表情に憂いはなく、清々しさすら感じられた。

「奴らには死相が見えたんじゃ」

「死相、ですか?」

「ああ。と言っても、わしは占い師じゃない。なんとなく生気が感じられないだけさね。だが、そういう者は不思議と近く死ぬ」

 煙を吹かして、魔術エドガーは続けた。

「ここだけの話じゃ。十日前、帰還したアルフレッド達にも死相が見えた。国民共に笑顔を振りまく姿が、わしには死体が笑っているように見えてな。気味が悪かったよ。シリウスを獲ってきたことが奇跡と思えるほどな」

 魔術師エドガーのその言葉は、しかし私には理解できた。そう、彼らはつい十日前まで、仲間を死を経て瓦解寸前だったのだ。

「……でも、じゃあどうして勇者一行に参加したんです?」

「そうさのう」

 魔術師エドガーは一瞬横目で私を見たが、星乃に真意を話すつもりはないらしかった。

「今の奴らには死相が見えん」

「え?」

「たった十日で、死相が消えておる。不思議さね」

 魔術師エドガーは星乃を見据えて、冗談ぽく笑った。

「まさか、あんたのおかげという訳ではあるまい?」

「そうですね。私はただのパンピーなので」

「お、向こうの言葉じゃな」

 

 変なところで声をあげ笑う魔術師エドガーに呼応するように、星乃も笑って見せた。

 カウンセリングの有効性を体感していない彼にはまだ分からないだろう。しかし、私には分かっていた。

 もし、本当に死相というものがあるのなら、それは紛れもなく星乃が消しているのだ。


「うまくすりゃあ、この国にわしの像が建つさね。賢者ソフィアのようにな。末代まで自慢できるぞ」

 愉快そうに声を上げ笑う。

「命を賭ける理由なんぞ、それだけで十分さね」



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 聖堂の屋上からも、人々の喧騒は聞こえた。

 勇者一行の旅立ちを祝う式典が行われているのだ。


 聖職者エルンストンはしかし、その喧騒から逃れるように、汗を流し必死に剣を振っていた。

 戦士リアムに稽古をつけて貰っていたというだけあって、それは聖職者とは思えないほどの剣捌きだった。


「……身体に障らないか」

「はい」

 答えながら、彼女は剣を振い続けた。

「一緒に聖堂に祈りにいかないか」

「祈ってます」

 剣を振いながら、彼女は答えた。

「いつも。今も」


 適度な運動は躁鬱病に対して効果的だとは聞いていたが、私にはそれが適度と言えるのか疑問だった。

 しかし、今日くらいは仕方がないだろう。彼女は、勇者一行を見送るしかない自分と戦っているのだ。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 勇者一行が旅立った頃、私と星乃は宮殿の前で落ち合った。

 いつもの白衣を脱ぎ、小綺麗な格好をした星乃がそこにはいた。


「セラフィナの洋服じゃなくて良かったのか? 国王に好かれたかも知れんぞ」

「わ、意地悪だなー。ソフィアさんよりは背高いんだからね、私」

 軽口を言い合いながら、私たちは国王の元へ向かった。

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