第16話 魔法使いの拒絶

「あのね、先生の言う通りにね、私また開発したのよ。結界魔法を攻撃に使うの。今日ね、成功したわ、ね?」


 その日の夕方は、魔法使いセラフィナのカウンセリングの時間だった。

 誇らしげに語る魔法使いセラフィナの話を、星乃は嬉しそうに頷いて聞いていた。


「流石だね、セラフィナ。ちゃんと研究していたんだね」

「ふふふ。王国にいる間は時間があったから。ね?」

 星乃の方が背も低く童顔だったが、魔法使いセラフィナはお姉さんに褒められた妹のように上機嫌だった。

 もっとも、年齢も星乃の方が少し上だったはずだが、二人の外見は一見逆に見えた。

「でもね、失敗しちゃった。壁を少し壊してしまったの。あと少しで稽古場ごと壊してしまうところだったわ……ね?」

「す、すごい威力なんだね……」

「だって、誰も壊しちゃ駄目だと教えてくれなかったから」

「うん、失敗は誰にでもあるよ。ちゃんとメモは取った?」

「うん。取ったわ」

「じゃあもう大丈夫だね」



 勇者一行の中で、星乃のカウンセリングが最も実用的な効果をもたらしていたのは、魔法使いセラフィナだった。


 彼女は結界などの防衛魔法しか使えず、攻撃魔法の一切を習得できない。

 攻撃魔法は魔法の基礎であり、それを使えない彼女は王立魔法学院を一年で退学させられていた。

 私は防衛魔法においては類まれなる才能を見せた彼女に目をつけたが、それでも彼女は劣等感を抱えているようだった。


 せめて一つでも攻撃魔法を覚えてくれれば、勇者一行の生存確率は格段に上がるだろう。

 私が半年前に彼女に星乃のカウンセリングを受けさせたのは、そういった狙いもあった。



   ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



「こんにちは、セラフィナ。天野星乃と言います」

「こんにちは、先生」

 

 半年前、初めて星乃の元へ訪れた魔法使いセラフィナは、初め星乃と目を合わせなかった。

 すれ違う男にさえ微笑みかけるいつもの彼女とは思えなかったが、しかし彼女は聖職者エルンストンに対してもそうだった。思えば、出会った頃の私に対しても。


「先生って呼び方、よく知っているね」

「だって、賢者様は心のお医者様だって言っていたわね。ね?」


 当時の私はまだ、カウンセラーについての説明が適当でよく混乱を招かせていたが、彼女はその疑問の言葉すら、紅茶に視線を落としたまま口にした。


「私は医者ではなく心理カウンセラーなの。心の専門家であることには変わりないけど、お医者さんのように診察や薬を用いずに、対話で相手の心を助けるんだ」

「カウンセラー」

 魔法使いセラフィナは紅茶にティースプーンを入れ、意味もなくかき混ぜていた。

 彼女は関心のない話題の時には、こういう手遊びが多かった。

「カウンセラーもね、私の世界では先生と呼ばれることが多いの。白衣を着て先生と呼ばれるのは、専門家としてクライエントからの信頼を築きやすくするためって言われていてね」

「ふーん。そうなの、ね」

 露骨に関心のない態度を示していたが、彼女に悪気がないことを星乃は分かっている様子だった。

 しかし、この調子でカウンセリングを進めることは難しいだろう。

 星乃は魔法使いセラフィナの洋服をじっと眺め、何か思索しているようだった。

 黒のローブに黒の帽子に杖。魔法使いの正装だが、胸元が大きく開き、スリットも深く、長い足が腿まで見えていた。


「セラフィナは綺麗だね。肌も白いし、スラッとしてて羨ましいな」


 その時、初めて彼女が顔をあげ、星乃を見た。

 そして、いつものように微笑んだ。


「ありがとう、先生。嬉しいわ」

「洋服もよく似合ってる」

「似たようなの、他にも持っているわ。余っているの。先生も着る? ね?」

「ありがとう、でも私には着こなせないよ」

「確かに先生、全体的に短いものね」

「え」

「丈が合わないかも、ね?」

「……うん、ちょっとね、セラフィナに比べるとね、うん」


 全体的に短い、と言われて星乃は露骨に意気消沈しているようだったが、魔法使いセラフィナはまるで気づいてないようだった。




 一通りの面談を終え、魔法使いセラフィナが去った部屋で、私と星乃は話し合った。

 星乃はケースレポートを見ながら私にいくつかの質問をした。


「使えるのは、防衛魔法と浮遊魔法だけ……ですか」

「ああ、杖を用いた浮遊魔法は子供でも使える基本だからな。実質防衛魔法だけと言える」

「それってそんなに珍しいことなんですか?」

「ああ、習得に向き不向きがあるのは確かだが、それは炎や水、風といった風に体系化された各分野での話だ。攻撃魔法全般が使えない魔法使いは前代未聞だな」

「うーん、魔法なんてファンタジーなもの、私にも使えないのでなんとも……」

「魔法全般が使えない者は珍しくないさ。しかし、奴は防衛魔法よりも容易とされる基礎的な攻撃魔法すら取得できないんだ。解せないだろう」

「でもその欠点を補って余りある才能があるから、勇者一行の一人なんですよね?」

「ああ、あれだけ防衛魔法に長けた魔法使いを見たことがないな。防衛魔法のことになると、不眠不休で倒れるまで研究するんだ」

「なるほど。じゃあやっぱりあれかな。苦手なんじゃなくて、興味がないんじゃないかな」

「何?」


「自閉スペクトラム症、いわゆるASDによく見られる症状なんですよね」


「AS……?」

「ASDは相手の表情や空気が読めないとか、物言いに裏表がないとか、コミュニケーション不全の傾向があるんです。発達障害の一つとされてますから。だけど、何か秀でた才能を見せることもあるんです。私たちの世界の文明を進展させた偉人たちの多くも、ASDだったとされてますから」

 なるほど、それは魔法使いセラフィナの特徴と一致していた。

「確かに奴は天才だ。学院を追い出され、図書館の司書見習いで食い繋いでいた落ちこぼれが、『魔術返し』を習得していると聞いた時は耳を疑ったものだ」

「魔術返し?」

「文献上でしか確認されない伝説の魔法だ。魔法をそのまま跳ね返すのだ。仕事そっちのけで、図書館の資料から研究していたらしい」

「魔法を跳ね返す……ですか」


 星乃は魔法使いセラフィナのケースレポートを注視し、何やら思慮しているようだった。


「……セラフィナはエルンストンとはあまり話さないと言ってましたよね?」

「ああ、お互い少し距離を感じるな。エルンストンは元々人見知りだしな」

「私とも、初めは会話はしてくれるけど目を合わせてはくれませんでした。こちらが寄り添ううちに、すぐ打ち解けてくれましたが」

「ああ、男には愛想がいいのに、女には自分から話しかけない。女嫌いの男好きだと、学院時代は陰口を言われていたらしい」

「多分それは誤解ですね」

「どういうことだ?」

「私が彼女の外見に褒めたら、すぐ心を許してくれましたから。彼女は基本的に、全ての他者に対して拒絶感があるんじゃないかな」

「そうか? 通りすがりの目が会う男に、片っ端から微笑みかけているぞ?」

「綺麗ですからね。自分を受け入れてくれる人間に対しては、つい反動で距離を詰めてしまうんだと思います。その長年の経験が、男性だけは自分を受け入れてくれるという風に認知を歪ませたのだと考えます」

「なぜそう思う?」

「結界魔法への関心の強さは、人を『拒絶』したい気持ちの表れなんじゃないかと思うんです。『魔術返し』も『拒絶』の魔法ですから」

「……ふむ。しかし奴は浮遊魔法も使えるぞ」


「空を飛ぶことも、他人と距離を取るための『拒絶』と言えませんか?」


「……!」

 それは面白い視点だったが、確かに一理あるように思えた。

 浮遊魔法はあまりに基礎的な魔法のため、それを習得する彼女に私は何の疑問も覚えられなかったのだ。異世界出身の星乃だからこその気づきと言えた。

「つまり、彼女は攻撃魔法が苦手なのではなく、『拒絶』のための魔法にしか関心が持てないんだと思うんです」


 私にもその分析は正しいように感じられた。

 しかし、それでは彼女は攻撃魔法を持たないまま、この先も魔王軍と戦うしかないのだろうか。


「治療法はないのか?」

「ないんですよね。ASDは障害であって、病気じゃないですから」

「……ふむ」

「でも、成長することは出来ます」

「成長?」


「常識が分からないならメモをして学べばいいように、攻撃魔法を使えないなら、防衛魔法を攻撃に転じさせる工夫をする……とか?」


「……!」

 それは攻撃魔法の習得の方法ばかりに目を向けていた私には意外な考え方だった。

「……ところで私って、そんなに短いですかね?」

「……私よりは長い、気にするな」

「……」


 少女と何ら変わりない姿の私の慰めは効果的とは言えなかったが、しかし星乃のアドバイスは効果的だった。

 魔法使いセラフィナは結界魔法展開後の拡大という、誰もが考えすらしない方法を見つけ、それを実現させた。

 結界魔法を覚えたのが5歳ということだから、彼女は魔法獲得15年目にして、初めて攻撃手段を手に入れたのだ。

 それは全て、星乃と出会って半年でのことだった。



   ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



「あのね、他にも開発したのよ。防炎魔法をね、不可視化するの。それだけでね、気づかずに手を出してきた相手を迎撃できるのよ、ね?」

「やっぱりセラフィナは優秀なんだね」


 微笑ましそうに頷く星乃であったが、魔法使いセラフィナが語る技術は、同業者が知れば目を回すような高等なものだった。

 魔法について素人の星乃がしかし、彼女に多大な強さを与えていることが私には面白かった。


「……でもね、先生。私、遅かったわ」

「遅かった?」

「もしね、結界の拡大をあの時、覚えていたら、不可視の防炎結界を拡大してね、皆を守りながらシリウスを焼き尽くせたと思うの」

 魔法使いセラフィナは伏し目がちにため息をついた。


「そうしたら、カイルも死ななかったし、エルンストンも病気にならなかったわ。ね?」


 一見、天真爛漫に見える彼女が、そういったことについて気にしていることは私には意外だった。

「……二人のこと、セラフィナは自分のせいだと思うの?」

「ううん、私は精一杯やったもの。皆精一杯だったわ。仕方ないわ、ね?」

「うん、私もそう思うよ」

「でも、私はいつも遅いの。だからね、嫌われるの。ね?」

「嫌われるって誰に?」

「女の人に」

「私はセラフィナのこと好きだけどな。どうして、他の女の人には嫌われていると思うの?」

「……本当はね、皆から嫌われていたわ。でもね、こういう洋服を着ると男の人は好いてくれるの。微笑んだら喜んでくれるわ。だから、今は嫌われるのは女の人だけ。ね?」

「私にはセラフィナが皆から嫌われているなんて思えないけどな」

「だって私遅いもの。勉強も、ものを選ぶのも、全部遅いから。それにどうしてか、いつも怒らせちゃうわ。怒らないのは先生だけ。ね?」


 それはおよそ二十歳になる女性のエピソードとは思えないことから、幼少時からの記憶が根拠のように思われた。

 ASDの特徴が学習やコミュニケーションの弊害となり、幼少時には自分は全ての人に拒絶されていると認識してしまったのだろう。

 だからこそ、5歳にして『拒絶』のための魔法に関心を示したのかも知れない。


「エルンストンは?」

「エルンストンは優しいわ。でも、女の人だから、きっと私を嫌っているわ」

「でも、エルンストンのことは心配なんだね」

 魔法使いセラフィナは小首を傾げた。

「もちろんよ? ね?」




 魔法使いセラフィナの去った部屋で、星乃はもどかしそうに声を上げた。


「良い子だなあ」

「何がだ?」

「セラフィナだよ。あの子にとって、相手に嫌われているからって、その人を嫌いになる理由にはならないんです」

「うむ」

 だからこそ、『拒絶』はしても『攻撃』という考えに至らないのだろう。

 それは確かに尊ぶべき純粋さに思えたが、それが同時に私には切なかった。その想いは星乃も同じようだった。

「平和になったら」

 星乃は小さく呟くように続けた。

「その誤解を早く解いてあげたいですね。セラフィナにも」

 そう、本来カウンセラーの仕事は個々人の『生きずらさ』を解消してあげることだった。

 しかし、戦時下においてその仕事の優先順位は落ち、戦闘の支障になり得る症状の回復が優先されていた。

 その歯痒さが、私にも今は理解できた。

「そうだな」


 星乃は空気を変えるように明るく笑った。

「でも良かったです。エドガーさんでしたっけ。優秀な人が仲間になったみたいで。滑り込みセーフですね」

「ああ、遠征の前に、一応お前に会わせておきたい」

「もちろんです」

「ああ、あと頼みがある」

「うん?」


「国王がお前に会いたいと言っている」


「え?」

 

 それは星乃がこの世界に転移して、初めてのことだった。


 星乃に悟られまいと振る舞ったが、その申し出に私も少なからず動揺していたのだった。

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