第15話 魔術師の花

「リアム、なんだい、それは」

 勇者アルフレッドは戦士リアムが腰に吊るしたクマのぬいぐるみを見下ろした。

「女から貰った」

「……へえ、わざわざ身につけるなんて案外紳士だね」

 それを紳士と言うのかは甚だ疑問だったが、戦士リアムは口をへの字にして腕を組み、明らかにこれ以上の追及を拒んでいた。

 戦士リアムが睨んでくるのに気づかないふりをして、私は緩む口元を隠せずにいた。



 その日の午後、私たちは王立騎士軍の屋内稽古場にいた。

 勇者一行への志願者を見極めるためだった。

 元々、勇者一行へ志願する者は皆無という訳ではなかった。

 射手カイルの死を知り、名乗りを上げる冒険者たちが多少なりともいたのだ。しかしその多くは中堅程度の冒険者だった。

 ギルドの冒険者の評価は5級から1級まであるが、多少の才覚があれば3級までは苦なく達する。

 そんな連中が英雄を夢みて、志願しにくるのだ。


「全員でかかっていいよ。条件はセラフィナに一撃を与えること!」


 勇者アルフレッドは5人の冒険者たちにそう言った。

 華奢な魔女相手にたったの一撃。その試験内容に冒険者たちは不服そうだったが、魔法使いセラフィナは妖艶な笑みを浮かべた。


「頑張ってね、ね?」


 結果、彼らは魔法使いセラフィナの結界魔法を前に、ただ息をあげ立ち尽くすことしか出来なかった。

 どんな斬撃も魔法を、そのあまりに強度な結界を破壊できなかったのだ。


「あり得ない、5人がかりだぞ! なぜ破れないんだ!」

「くそ、卑怯者! 少しは手を出せ!」


 当然、攻撃の意思を見せない彼女に不満の声をあげる者もいた。

 その不満に、魔法使いセラフィナは戦士リアムを見て、戦士リアムは勇者アルフレッドを見て、勇者アルフレッドは私を見た。

 私は魔法使いセラフィナを見て頷いた。

「怪我はさせるな」

「賢者様はいつも難しいことを言うわね。ね?」


 魔法使いセラフィナは結界などの防衛魔法しか持たず、攻撃魔法を一つも持っていない。しかし、戦闘手段がない訳ではなかった。

 彼女は自身を円状に囲う結界を、風船のように徐々に膨らませ始めた。

「え……結界って展開後に拡大できるんだっけ?」

「できねえよ普通は……! でも、何のためにこんなこと――」

 初めはその意図を理解できていない様子だった冒険者たちも、結界が稽古場全てを覆うほど巨大になり始めた頃に慄き始めた。


「お、押し潰す気だ! 俺たちごと……!」


 結果、彼らは逃げ出し、魔法使いセラフィナは屋内稽古場の四方の壁に巨大な亀裂を入れた。

 結界と壁の隙間に追いやられていた私たちも呆れる他なかった。

 魔法使いセラフィナへの説教は意味を成さないことを知っている戦士リアムは、私に声を上げた。


「だから俺にやらせろと言ったんだ!」

「お前にやらせたら、死人が出るだろう」

「稽古場は壊さねえよ!」

 勇者アルフレッドは肩をすくめ、巨大な結界の中央に立つ魔法使いセラフィナに言った。

「やり過ぎだ、セラフィナ」

「え? 怪我はさせていないわ。ね?」

「建物も壊しちゃダメなんだよ」

「え、そうなの? 先に言ってくれないと……」


 魔法使いセラフィナはいつものように手記帳を手に取り、ペンを走らせようとしたその時、ふらりと倒れた。

「セラフィナ!」

 同時に結界が消え、戦士リアムは剣の柄を握り、周囲を警戒した。勇者アルフレッドと私は彼女に駆け寄った。

「どうした?!」

「攻撃されてるわ。身体が痺れるもの。ね?」


「わしは合格かね」


 冒険者たちが逃げ出したその扉から現れたのは、葉巻を吹かすいつかの老魔術師だった。


「今のは対物結界じゃろう。強度も去ることながら展開後に拡張とは面白い。だが、酸素や煙は通す」

「ずるいわ……分かっていたら防炎魔法で防いだのに。ね?」

「許せ。この前の礼じゃ。痺れもじき消える」


 予想外の人物に私たちは顔を見合わせた。

 彼は確かに1級の魔術師だったが、先日ギルドで明確に魔王討伐を拒否していたはずだった。

 口を出そうとした戦士リアムを制して、勇者アルフレッドは魔術師の前に出た。


「ご老人、あなたのセラフィナへの言葉を俺は忘れていない。仲間にはできないよ」

「うむ」


 老いた魔術師は横たわる魔法使いセラフィナの前で膝をついた。


「先日はすまなかった。詫びさせてくれ。あんたは比類なき魔女じゃ」

「この人いい人ね? 合格ね?」

「ちょろ過ぎるぞ、お前」

 上体を上げて私を見上げる魔法使いセラフィナに、私はため息を吐いた。

 膝をつく魔術師の表情に、しかし軽口を言っている様子は感じられなかった。彼は本当に彼女に敬意を表しているようだった。

 しかし、真意のわからないものを勇者一行に加えることなど出来るはずがなかった。

「解せない。説明してくれ」

「魔術師のエドガーじゃ。煙を使った魔法を防御にも攻撃にも使う。速度はないが弓のように遠くのものを倒すことも容易さね」


 エドガーと名乗った魔術師は、葉巻を深く吸い、大量の煙を吐いた。煙は稽古場の四方の壁に広がり、魔法使いセラフィナが壊した壁を元に戻して見せた。


「今どき珍しいじゃろう、修復魔法さね。治癒者程じゃないが、人体にも使える」

「え」

 勇者アルフレッドが私を見た。人体の修復、それはつまり治癒魔法と同義だった。

「治癒者に勝っている点といえば、そうさね。煙に触れている任意の者を、全て同時に修復できることじゃな。煙の中で戦えば、お前たちの怪我を治しながら戦わせてやれる」


 確かに、この男は一人で射手と治癒者の役割を果たせる技能を持っていた。

 それはまさに勇者一行にうってつけの能力だった。しかし、一向に彼は心変わりの理由を明らかにしようとしなかった。

「ああ、あと、そうさね。ワシは昔馴染みにも小柄なヒューマンと思われてるが、穴倉で生まれたドワーフじゃ。元は斥候でな。耳が良く、振動で闇の中の敵の動きを読めるし」


 私の疑念に応えるように、魔術師エドガーは私を見た。


「酒場の喧騒の中でも、他人の内緒話を聞くことができる」


「……!」

 私と戦士リアムは顔を見合わせた。私は戦士リアムに自らの病を明かした日のことを思い出していた。

 魔術師エドガーはあの日、確かにあの場に居合わせた。そう、私と戦士リアムの会話を聞いていたのだ。

 事情を知らない勇者アルフレッドはしかし、魔術師エドガーをまだ信用できていないようだった。


「エドガーさん。負け戦はごめんだと言ったのはあなただ。なぜ俺たちと一緒に戦う気になったんだ」

「わしゃあ、こう見えて300歳を超えていてるがな、魔族に追いやられ、がきんちょの頃にこの国に来た。賢者ソフィアの絵本で育ったんじゃ。賢者様のように立派な冒険者になれとな」


 魔術師エドガーは稽古場の壁を見上げた。

 そこにはギルドと同じ、白馬に跨る私の巨大な絵画が飾られていた。


「老い先短い命さね。最期に一花咲かせるのも良かろう」


 勇者アルフレッドと魔法使いセラフィナが納得できているかは分からない。

 しかし、私と戦士リアムは彼の真意を察していた。

 彼は私の病と、それを隠す理由について知っていた。そして、治療を始める理由についても。

 その覚悟に、命を賭けて花を添えようとしてくれているのだ。


「駄目だ」


 そう口にしたのは、しかし戦士リアムだった。


「エドガー、エルンストンの件は知ってるな」

「ああ、あんた達は噂の的じゃからな。聖女さんは怪我で動けないんじゃろう?」

「心の怪我だ。自分の代理が死んだら、奴はどう感じると思う。治る怪我も治らねえ」

「……うむ」


「死ぬな。それが条件だ」


 かつての戦士リアムからは考えられない言葉だった。

 彼は今、聖職者エルンストンの心を慮り、魔術師エドガーの想いに応える言葉をかけた。

 勇者アルフレッドも彼の言葉に目を丸くしていた。


「良かろう。聖女さんが回復するまで死なんことを約束しよう」

「決まりだな」


 勇者アルフレッドはしかし、子供のように頬を膨らませていた。

「おい、リアム、一人で決めるな!」

「じゃあ断るか?」

「そういうことじゃない、普通リーダーの意見を求めるのものだろ?」

「お前は勇者だが、リーダーは俺だ」

「うわ、初耳だ! 誰がいつ決めたんだよ!」

「年功序列だ」


 前回のカウンセリングからだろうか。それとも、聖職者エルンストンの双極性障害の発症がきっかけだろうか。

 勇者アルフレッドは時折、仲間には等身大の自分を見せているように私には感じていた。

 勇者として振る舞う彼は、自身を偽る危険性について、きっと気づきはじめていた。

 内部から瓦解する冒険者たちを見てきた私には、その変化が嬉しかった。


「年功序列なら、賢者様がリーダーよね。ね?」


 魔法使いセラフィナの言葉に、一同が私を見た。

 私は魔術師エドガーに向き直った。

 できることならば、抱きしめて礼を言いたかった。

 しかし、彼は賢者にそのような姿を望んではいまい。

 これ以上、余計な言葉はいらないだろう。


「魔術師エドガーよ。よろしく頼む」


 私が差し出した手を、魔術師エドガーは強く握り返した。


「承ったよ、賢者様」


 

 誰も気づいていないかも知れない。

 しかし、やはり私は間違っていなかったと、そう感じていた。


 天野星乃の存在が、私たちを魔王討伐の成功に導いてくれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る