第14話 戦士のぬいぐるみ

 カウンセリングを終え、外の空気を吸いに行こうと扉を開くと、戦士リアムが壁に背をもたれて腕を組んでいた。

 戦士リアムは私を横目で見ると、目を伏せた。私たちの対話が聞こえていたのだろう。

 動揺はなかったが、一応私は肩をすくめて見せた。


「趣味が悪いな」

「何のことだ」

「星乃なら今空いた」

「これを持ってきただけだ」

 戦士リアムは小脇に酒瓶を抱えていた。

「この前の土産は俺が開けちまったからな」



   ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 星乃と対面すると、戦士リアムはいつかのように酒瓶をテーブルに置いた。

「今日は飲まねえよ。やる」

「……リアムさん、昨日はごめんなさい」

 星乃は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。

 戦士リアムは腕を組み、深く息を吐いた。


「ジョンにも同じものをくれてやった」

「ジョン……?」

「俺が足を刺した若い騎士だ。ジョンというらしい」


 耳を疑った。戦士リアムはあの男にわざわざ謝罪をしに言ったというのか。


「謝りに行ったんですね」

「謝っちゃいねえよ。戦場では痛みを知らない奴から死んでいく。弱い奴は痛みを知るべきだ。俺は間違っていねえ」

「はい、その考えを私は否定しません。でも、ではなぜ?」

「……ただ労われと言っただけだ」

 星乃はそれでもどこか嬉しそうにしていた。

「ジョンさんはなんて?」

「受け取ったよ。気まずそうにしてたがな」

 頷きながら微笑む星乃が面白くないのか、戦士リアムは鼻を鳴らした。

「聖堂に行く気はねえぜ。奴らに迷惑をかけた覚えもねえし、奴らの俺への評価に間違いはねえ」

「評価というと?」

「俺は弱い奴は痛めつけるし、気に食わねえ奴はぶっ飛ばす」

「それが信念ですもんね」


 星乃は特に不満そうにするわけでもなく、先ほどまで編んでいたぬいぐるみを酒瓶の隣に置いた。

 縫い目の荒い、不恰好なくまのぬいぐるみだった。


「なんだ、そりゃ」

「お酒のお礼です。徹夜で編んでいたんです。今日来てくれると信じてたので」

「アホか、いらねえよ」

「え」


 なぜか意外な反応をする星乃だが、それはそうだろう。

 殺し合いを生業にする傭兵上がりの戦士が、ぬいぐるみを喜ぶはずがない。

 しかし、星乃は本当に残念そうにしていた。


「そうですよね……縫い目も荒いし」


 そういう問題ではないだろうが、確かに星乃は何箇所か指に包帯を巻いていた。慣れない作業に怪我をしたのだろう。

 戦士リアムはその指を見つめ、不愉快そうにため息を吐いた。


「お前は嘘つきだ」

「え?」

「開口一番、昨日はごめんなさいと言ったな。不快にするつもりがなかったとも。だが昨日、お前はわざと俺を逆撫でしただろうが」

 戦士リアムも直情的な男だが、人を見る目のない馬鹿ではなかった。

「……はい、すみません」

「お前を詐欺師だとは言わねえ。なんらかの技術者なんだろう。だが、俺は嘘を吐く女は信用しねえ」

「はい。ごめんなさいという気持ちは本当です。でももう2度とはリアムさんに嘘は吐きません」

「そのぬいぐるみも、酒の礼だと言ったな。嘘を吐くな、少女でもあるめえし。何のために作った」


 星乃はぬいぐるみを抱き上げた。


「……リアムさんの中に、子供の頃のリアムさんが眠っていると思うんです」

「何?」

「もし誰かに手を出して、やりすぎたと思うことがあれば、それはリアムさんではなく、その子がそうさせているんじゃないかって」

「……お前は霊媒師もやるのか?」

「そういうんじゃないです。例えば私は初任給でケーキをホールで買って、丸ごと一人で食べたことがあるんです。子供の頃の夢だったから。残しちゃいましたけど」

「何の話だよ」

「誰の心の中にだって、子供の頃の自分は住み着いている。私はその子の希望を叶えるためにケーキを丸ごと食べたんです。それ以降、その願望はなくなりました」

「食い意地の悪さをガキの頃の自分のせいにしているように聞こえるぜ」

「否定できないですね。でも、ケーキをホールで食べるという願望を叶えなければ、私はいつまで経ってもショートケーキを2個買い続けたと思います」

「だから、何の話だよ」

「それまでは偶に自分へのご褒美に、ショートケーキを買うことがあったんです。1個で満足なのに2個買ってました。それはホールごと食べたいという子供時代の私の願望の現れです。だけどホールごと食べるあの頃の私の願望を叶えることによって、それ以降はショートケーキは1個で満足できるようになった。そう考えることで、太るリスクを断てるなら悪くないと思うんです」

「……ふん」



 私は星乃の狙いを察し始めていた。

 それはかつて星乃に聞いた『インナーチャイルド療法』だった。

 愛着障害を持つクライエントの偏った感情は、うまく愛情を享受できなかった子供時代の自分の感情だと考えられる。

 怒りたくないのに怒ってしまうのも、依存したくないのに依存してしまうのも、悲しいことがないのに悲しいのも、子供の頃の自分の感情が起因しているというのだ。

 心の中の子供の自分、つまり『インナーチャイルド』が、現在の自分の感情を操っているということだった。

 『インナーチャイルド療法』とは、その心の中の子供時代の自分を救うための言葉を自身が捧げることによって、現在の自分の心の回復を図る治療だ。


「俺の親父も、ガキの頃の自分を抱えていたと?」

「その可能性は高いと思います」


 戦士リアムが自ら父親の話を出したことに私は驚いた。

 戦士リアムは前回、星乃があえて父親のこと話題に出し自身を逆撫でしたことに気づいていた。恐らく、その意図にも。

 だから、彼はきっと覚悟して来たのだ。父親と向き合うことを。


「心にガキを抱えた大人が、ガキを生み、そのガキにもまた心の中にガキを抱えさせる。悪循環に極まれりだな」

「その通りなんです」

「……お前、俺がガキを作っても、同じことをそのガキにやると思ってねえか?」

「……リアムさんはそう思うんですか?」

「……」


 戦士リアムは一見怒ってるようだったがしかし、答えなかった。その不安が彼の中に僅かながらもあったのかも知れない。

 私は『アダルトチルドレン』という言葉を思い出していた。

 『大人子供』と直訳できるそれは、機能不全家族で育った子供が成人後も心理的問題や行動を持つ人々を指すという。

 愛着障害とは別の概念だが、愛着障害を抱える人々の中に、『アダルトチルドレン』は多く、戦士リアムもまた『アダルトチルドレン』と言えた。

 そして、それは戦士リアムが言うように世代を超えて連鎖する。実際、その悪循環を断つには二世代から三世代は必要と言われている。

 星乃はきっと、その連鎖を断ち切りたいとも考えていた。


「話が逸れたな」

 戦士リアムは、星乃の問いに答えないまま自ら話題を変えた。

「そのぬいぐるみはなんだと聞いたんだ、俺は」

「はい、その説明をしたいので、目を瞑って頂けますか?」

「……俺は治療をしにきた訳じゃねえ」

「目を瞑るだけ。治療じゃないです」

「……」


 戦士リアムは私を見た。私は頷いた。

 戦士リアムは私と星乃のEMDR療法での対話を聞いていたはずだった。


「……俺にトラウマはねえぞ」

「はい」

「……ふん」


 解せない様子ではあったが、戦士リアムは星乃をなんらかの面で信用しているようだった。

 それとも、私への義理なのかもしれない。ともかく戦士リアムは、星乃の言う通りに、瞳を閉じたのだった。


「子供の頃のリアムさんは傷ついていたと思うんです」

「ああ、毎日ボコボコにされていたからな」

「はい、日々お父さんに立てないくらい稽古をつけられ、国を魔王軍に襲われ、十歳のうちに傭兵になり、人殺しを生業にしてきた」

「……それがどうした」

「子供の頃のリアムさんが見えますか」

「……見えるかよ。覚えてねえよ」


 戦士リアムはしかし、目を瞑り続けた。


「生傷だらけだった?」

「……そりゃあな。痣と傷ばかりだ。目に見えるもの全部を恨んでいてな、いつも何かを睨み付けてやがる」

 戦士リアムは自虐するように鼻を鳴らして笑った。

「今と変わりねえよ」

「泣いていない……?」

「泣けりゃあ楽だったのかもな。ガキらしくないガキだった」

「……じゃあ、もし子供の頃の自分と会えたら、伝えたいことはありますか? 泣いていいんだぞとか」


 戦士リアムは笑った。


「お前を苦しめる全ての者より、お前は強くなる。親父は魔族に殺され、魔王ももうじき、お前に殺される」

 戦士リアムは目を開け、星乃を見据えた。

「だから、耐えろ。そう言うさ」

「……なるほど」

「つまり、ガキの頃の俺に言うことなんかねえんだよ」


 戦士リアムは鼻を鳴らした。

 『インナーチャイルド療法』とは、子供の頃の自分を思い描き、大人の自分が声をかけ癒し、救ってあげることによって、現在の自分を取り戻す治療法だ。

 しかし、戦士リアムに『インナーチャイルド』を癒す気はなかった。

 彼はあの時代を乗り越えたからこそ今の自分があると信じているし、確かにそれは否定できなかった。


「残念だったな」

「残念というと?」

「お前の魔法は必要ねえってことだ」

「残念なんてことないです」

 星乃はテーブルの上の不恰好なぬいぐるみに視線を移した。

「この子は、子供の頃のリアムさんだと思って縫いました」

「……何?」

「先日、リアムさんの幼少期の話を聞いて思ったんです。誰かがこの子を癒してあげないとって。でも、必要がないみたいでした」

「は、くだらねえ。俺を癒したいなら服でも脱げ。ぬいぐるみを作るより簡単だぜ」

「……」

 露骨に困った顔をする星乃に、戦士リアムは笑った。

「冗談だよ」

「女性の身体で癒やされるのは、一時的なものですよ」

「何?」

「ケーキを2個買うのと同じです。仮に私を抱いたって、どうせ翌日には別の女性を欲するでしょ?」


 私は吹き出すのを耐えていた。

 星乃は戦士リアムの言葉に困っていたのではなく、彼が根本治療に至らない選択を挙げたことに困っていたのだ。


「でも、この子を、子供の頃の自分を癒してあげると、ずっと癒やされ続けられるんです。自分の心を癒すと言うことだから。ケーキを2個買うこともなくなる」

「……そいつにキスでもしてやれってか?」

「それも良いかもしれないですね。当時の自分に言ってあげたかったことを口にしてあげるのが一般的ですけど」


 戦士リアムはじっと、ぬいぐるみを見つめていた。

「皮肉が効いているな」

「え?」


 そして、徐に服を手繰り上げ、脱ぎ始めた。

 ギョッとする星乃をよそに、戦士リアムはただ筋骨隆々の身体を見せつけた。

 生傷と、縫い傷だらけのその身体を。


「縫い傷は似ているな。俺に」

「……すみません、私知らなくて……これも縫い目が荒いだけで、その」


 本気で動揺する星乃に、剣士リアムは服を着直しながら笑った。


「面白い女だ。平気で喧嘩を売ってきたかと思えば、こんなことで狼狽える」


 戦士リアムはぬいぐるみを掴むと、踵を返した。


「酒の礼にしては安上がりだが、貰っておいてやるよ」


 そうして戦士リアムは、ぬいぐるみと共に星乃の部屋を後にしたのだった。





「……傷つけちゃったかな」

「戦士の傷は誉だ。くだらないことを気にするんだな、お前は」

「だって、わざとあんな縫い目だらけのぬいぐるみ作ったんだとしたら、私感じ悪すぎじゃないですか……」

「昨日の方がよっぽど感じは悪かったぞ」

「う……」

「大丈夫だ。ぬいぐるみを持って帰った」

「……はい」

「あり得ないことだ。私の知る戦士リアムにはな」

「はい」

「あの治療は、必ずしもお前の前でインナーチャイルドに語ってあげる必要はないのだろう」

「はい……一人でも効果はあると思います。本当に言ってあげたい言葉を探すのに苦労するかもしれませんが」

「じゃあ、大丈夫だ」

「でも、リアムさんが一人でぬいぐるみに語りかける姿……想像できますか?」


 私は一瞬それを想像し、吹き出してしまった。


「できる」

「嘘だ」

「できるよ」


 嘘ではなかった。戦士リアムは変わろうとしていた。

 

 しかし、問題が解決に向かっているわけではなかった。

 射手カイルの代理も、聖職者エルンストンの代理も見つかってはいないのだ。


 



 ――勇者一行に加わりたいという志願者が現れたのは、その日のことだった。

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