第21話 大司教の懺悔室
星乃の考えは一見荒唐無稽に思えたが、思い返せばまるで見当違いにも思えなかった。
星乃の魔王討伐政策への参加を進言した私を、はじめ国王は難色こそ示したものの強い拒否はなく受け入れた。
しかし、四冥将シリウスの討伐成功を機に、国王の彼女の力への批評が強まった。
はじめそれは、国王の知略より星乃の与えた成果だと信じる私への反発だと思われた。
しかし、戦士リアムのカウンセリングの参加を政策継続の条件にし、それが叶えば、聖職者エルンストンの病を批判材料にし、魔法使いセラフィナの攻撃手段の獲得を知らせれば、私のPTSD治療の進行具合を試し批判した。国王の一連の行動は、確かに、星乃の政策の任を解く口実を探しているように思えた。にも関わらず、ヘンリー王子の
星乃への期待が高まるにつれ、星乃追放の口実を探す。
そして、息子の緘黙症改善の可能性を知り、追放を先延ばしにした。
考えれば考えるほど、筋が通っているように思えた。
しかし、その真意が魔王討伐を妨げるためだという星乃の推測には納得しかねた。
1000年虐げられてきた人類にとって、魔王討伐は悲願のはずだった。
もし人類の悲願を叶えられれば、国王は世界中から賞賛され、世界の歴史に残る王となるだろう。
その名誉と平和を捨ててまで、一体なぜ?
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「王子ー、どっちかな? 右? 左?」
王宮の大庭園の巨木を前に、星乃はヘンリー王子を肩車していた。
ヘンリー王子は幹を這うクワガタに手を伸ばすが、やや左に位置して手が届かない。
「もうちょっと上かな?」
星乃の声にヘンリー王子は、しかし答えられない。
そうこうしているうちに、クワガタが飛んでいってしまう。
「あ」
ヘンリー王子はそれを捕まえようと大きく手を伸ばし、バランスを失った星乃はヘンリー王子と共にその場に倒れ込んでしまった。
「ご、ごめん! 大丈夫、王子?! 怪我はない?!」
王子は上体を起こすと、しかし俯き答えない。
倒れ込んだショックによるものじゃないだろう。星乃の言葉に答えられなかった自分に落ち込んでいるようだった。
「あ」
星乃はしかし、足元の草に何かを見つけ、両手で掬い上げるようにそれを包んだ。
「見て」
それはてんとう虫だった。
「私はこっちの方が好き。可愛いよね」
王子は星乃の言葉に小さく頷いた。
日が暮れた頃、虫籠にてんとう虫を入れた王子は従者に連れられ王宮に戻った。
王子は、庭園で自分を見送る星乃を名残欲しそうに振り返る。
手を振る星乃に、王子は目を逸らし、しかし小さく手を振り返した。
私はその光景を王室から見下ろす国王の存在に気づいていた。
眼下の私と目が合うと、国王は間も無く窓の奥へと消えた。
私は視線に気づかず、能天気に王子に手を振り続ける星乃に耳打ちをする。
「あまり無茶をさせるな。追放の口実を増やすことになりかねん」
「大丈夫だと思うよ。むしろ王子が喋るまではちょっとやそっとじゃ辞めさせられないと思う」
一理あるように思えたが、その事実がまた私にため息を吐かせた。
「王族と言っても普通の子供だよね、可愛いなあ」
「……肩書きと王冠が人を変えるのだ」
「え?」
「国王レオンハルトもかつてはそうだった。いたいけな少年だったよ。私に懐き、ソフィア、ソフィアといつも私の後を追いかけた」
「……想像できないね」
「肩書きと王冠が人を王へと変える。どの王もそうだった。玉の輿は期待するな」
「してないわ! 年寄りは歳の差への感覚がメチャクチャで困るなあ!」
「……王子の回復を少し遅らせられないか?」
「え?」
「時間を稼ぎたいのだ。国王の真意を探りたい。お前を追放させる訳にはいかないからな」
「回復のコントロールなんて出来るほど不安症は甘くないよ。それに王子は苦しんでいるはずだから。少しでも早く楽にしてあげたい」
打算と思惑の術中の中、純粋に心の回復に努めようとする星乃が私には眩しかった。
「……そうだな、すまない」
「ううん、ありがとう」
自らの命が危ぶまれているというのに、星乃は私を慮るように微笑んだ。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
その夜、私が向かったのは大聖堂だった。
もう夜更けも近かったが、そこには聖職者エルンストンが一人、女神像に祈りを捧げていた。
元より習慣だったため彼女は知る由もないだろうが、祈るという行為は神通力の有無に関わらず、副交感神経を活性化させリラックス効果があるという。
それは心理学的にも『レジリエンス』を高めるとされ、双極性障害にも効果のある行為だろうといつか星乃は語った。
『レジリエンス』とは、精神的な回復力を意味し、まさに今の聖職者エルンストンには相性の良い習慣だった。
「セリオンはいるか?」
祈りを終えた聖職者エルンストンに私は声をかけた。
「賢者様、こんな時間に急用ですか?」
「いや、野暮用だ」
聖職者エルンストンは小首を傾げながらも教えてくれた。
「セリオン大司教は、この時間は懺悔室です」
「ありがとう」
聖堂には懺悔という制度があり、本来司祭が担うそれを就任前より大司教セリオンが担っていた。
信徒を対象に罪の告白と赦しを目的に行われるそれは、小部屋で大司教と仕切りを介して行われ、秘匿性が重視されている。
そのため、深夜に行われているのだろう。
「ああ、それと」
懺悔室へ向かう歩を止め、私は聖職者エルンストンを振り返った。
「国王が最後にここへ訪れたのはいつだ?」
「……去年の収穫祭の日でしょうか。賢者様もご存知ですよね? 神聖なお祭りですから」
「そうか、そうだったな」
聖職者エルンストンは私の真意こそ察してはいないだろうが、声を顰めた。
「変な噂はありますけどね。稀に深夜、お忍びでお見えになっているとか」
「……噂か」
「噂です。国王様も信徒の一人ですから、不思議ではないですけどね」
「そうか、そうだな」
聖堂の裏に位置する懺悔室に向かうと、丁度一人の信徒が出てくるところだった。
まさかと思い、私は陰に隠れ覗き見たが、それは国王ではなかった。
空きが出たのなら丁度良い。私は懺悔室の戸を開けた。
一本の蝋燭でのみ照らされる狭い室内には、椅子がひとつあり、唯一の小窓にはカーテンがかかっていた。
その向こう側に大司教セリオンが座っているのだろう。私は椅子に腰をかけた。
「女神様の御前に、私の罪を告白します」
「……っ」
カーテン越しに大司教セリオンが、私の正体を察するのが分かった。
息を吐き、落ち着きを取り戻すと大司教セリオンは優しく言葉を紡いだ。
「……ここは女神様へ罪を告白し、赦しを貰う場所です」
「勿論、わかっているよ」
「……分かりました。恐れずにお話し下さい。女神様はあなたの心を知っておられます」
私を一般の信徒として扱うことを決めた彼に、私は確信した。
国王がここへ来たことがあるかと問うたところで、彼は答えはしないだろう。
身分を隠して行われる懺悔は、カウンセリング以上の秘匿性があるはずだった。
私はもし国王がここへ訪れているのだとしたら、何を感じ、何を得たのかを知りたかった。
国王の因果応報の考えは、女神信仰からくるものだったからだ。
「私は多くのものを失ってきた。過信し、挑み、仲間を失い、復讐に燃え、多くの仲間を育て、送り込み、まだ失い続けている」
「……それをあなたは罪だと思うのですね」
「……必要なことだと思っているよ。やらねばやられるのだから。ただ仲間を失うごとに、私の身体は血で汚れていく気分だ」
それは正直な想いだった。
「……あ」
「どうかしましたか?」
「いや……」
私はその想いは国王が抱くものと同じなのではないかと思い至った。
沈黙する私に、大司教セリオンは言葉を続けた。
「なるほど、あなたにとってそれは正義であり、間違ったことではないのかも知れませんね」
「……ああ。誰かがこの絶望の世界に終止符を打たねばならないと思っている」
「その正義を、誰が責められましょうか」
傾聴と、共感的理解に、肯定的配慮。それはカウンセリングの基本とされるものだった。
秘匿性の高い空間で、罪を告白し理解を示される。
肩の荷が降りるような、気分が軽くなるような感覚を覚える。
なるほど、私には多くの民が懺悔室を頼る理由が分かった。
「しかし、どのような理由があれ、殺生が罪であることには変わりありません」
大司教セリオンのその言葉に、しかし私は違和感を覚えた。
殺生は罪。戦時下の英雄も平和の世では罪人だ。決して、おかしなことを言っている訳ではない。
では、この違和感の正体はなんだ?
「私が罪を犯しているというのならば、いつか罰が下るか」
「……すでに罰を受けていると言えるでしょう。あなたのその苦しみが前世で犯した罰なのです。罰は罪を生み、その罪は後世でも受け繋がれます」
なるほど、それはカウンセリングとは異なるアプローチだった。
カウンセラーは答えを持たず、思想的なアドバイスを排除し、クライエント自身の自己洞察を手伝う。
しかし、懺悔は違った。その違和感の正体は、苦しみの理由を大司教が持っているということだった。
そしてきっと救いの手段も、彼が持っていた。
「……私は赦されるのか?」
「女神様はどんな罪もお赦しになります。これ以上、罪を犯すのをやめるのです。そうして、毎日祈るのです」
「それだけのことで私は赦されるのか」
「罪を犯さずに生きるとは、想像以上に厳しい道のりです。しかし、あなたの罪が洗われたとき、因果応報の輪廻も止まるでしょう」
「しかし、我々が戦うのをやめれば、人類は魔族に支配される」
「そうなった時は、それは私たち人類の罰です。受け入れる他ないでしょう。大切なのは因果応報の輪廻を止めることです」
「……なるほどな」
それはつい傾倒したくなる甘言だった。
延々と続く戦争を止め、血濡れた罪悪感から解放され、祈ることで救われるのなら、こんなにも幸福なことはない。
1000年、人類を見てきた私は、無数の宗教が生まれ、滅びてゆくを見てきた。
それでも宗教が廃れないのは、きっとこのためなのだろう。
大司教セリオンに民衆を惑わす意志など微塵もないはずだった。
現に彼は騎士軍の存在も否定しないし、聖職者が魔王討伐に参加することも許していた。
あくまで個人の自由を尊重し、しかし罪と罰と救いの答えを持っているだけだ。
そして彼のその答えを否定する手段は、誰も持たない。
確かに、彼は、聖堂は、人々の心を救っていた。
きっと、国王の心も。
誰も間違ってはいなかった。
その事実が私には、あまりにやるせ無かった。
「私は戦いをやめられない」
私は白状した。
「例え、赦されなくても」
「……あなたに女神様の加護があらんことを」
大司教セリオンの言葉には、非難も同情もなく、ただ私の幸福を祈っていることが分かった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
勇者一行が、四冥将ガジルの配下アンジェラとシドアを討ったという報せは、その翌日に届いた。
四冥将はそれぞれ配下を二人つけ、いずれも伝説級の強さを誇る。
四冥将を討つには、まずその配下を倒す必要があったが、それを同時に二人討ち、勇者一行の死者はないという。
勇者一行は、近日中に四冥将ガジルと戦うことになるだろう。
その吉報に国中が賑わった。
勇者たちの牙は、確実に魔王に近づいていた。
星乃はその報告に涙ぐみ、聖職者エルンストンは祈りを捧げ、剣を振るった。
しかし、国王の第一声は想像していたものとは違った。
「王立魔術団に結界の強度を上げさせよ」
「……これ以上ですか?」
高い壁に覆われる王国は、空からの侵入者も考慮し、常に複数人の魔術師により交代制で結界が張られていた。
しかし、結界術を持つ王立魔術団の数は限られており、その強度は現状ですでに限界と言えた。
「ギルドに有志者を募っても構わん。国境近辺の警備も2倍に増やせ」
異例の指示に戸惑う私に、国王は言葉を続けた。
「気づかんのか。なぜ四冥将の配下が2人も同時に討たれた」
「……!」
力のある魔族は上下関係こそあるものの、通常徒党を組まない。
そのため、各地に点在する魔族を潰し、四冥将まで辿り着くのが基本とされた。
しかし、今回の四冥将ガジルの配下は2人で徒党を組み、勇者一行を迎え撃ちしたと予想された。
「必死なのだ。奴らも」
私は国王の思惑を、いや危惧を垣間見た気がした。
窮鼠猫を噛むというが、相手は鼠ではない。
そして、国王の危惧が現実になることを、その時の私はまだ知らなかった。
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