第22話 星乃の追放

「そっか、そうだよね……そっか」


 私は星乃のカウンセリングルームに戻り、大聖堂の懺悔室のことを彼女へ話した。

 星乃は国王への同情の念もあるのか、何度も噛み締めるように深く頷いた。

 国王が重責から逃れるように得た宗教観が、魔王軍と王国が拮抗している現状の維持を理想とさせているのだと予想された。

 だからこそ、国王は星乃の存在がその拮抗を崩そうとしていると危惧していたと考えられた。


「どこの世界も同じだね」

 星乃はため息を混じりにそう言った。

「私たちの世界もね、表向き戦争を肯定する為政者は少ないんだよ。たった数百年前まではどの国も、略奪や天下統一を正義としていたんだけどね。懺悔室での話を聞いていると、宗教の存在が人権意識を高めたのかと思えるね。だから、今は世界を滅ぼすほどの爆弾を各国が持つことによって、平和の均衡を保っているの。抑止力と言ってね、誰かがそれを使えば世界が滅びかねないから、大きな戦争を起こりにくい状態になっているんだよ」

「なるほどな」

「その隙間を掻い潜るように、責任の所在を曖昧にした小さな戦争が繰り返されているんだけどね」


 確かにこの1000年、王国が育てる勇者たちと、魔王軍の力が拮抗しているからこそ、現状の平和は保たれていると言えた。

 しかし、アルフレッドたちは爆弾じゃない。心を痛めるし、傷つけば死ぬ。

 そして、我が王国が無事というだけで、諸外国は少しずつ、だが確実に侵略されつつある。

「仮初の平和のために、消耗が前提の抑止力を維持させようという考えを受け入れることはできない」

 私の言葉に星乃は頷いた。


「勇者一行が少しの戦果を得て、戦死して、また新たな勇者一行が少しの戦果を得て、戦死する。その繰り返しを維持するために、私が追放される訳にはいかないな」


 星乃を覚悟を決めたように、両の手で自らの頬を叩くと、ソファから立ち上がった。

「じゃあ、行きますか」

「行くって、どこに?」

「国王に直談判するよ」

 星乃の言葉に私は動揺する他なかった。

「待て待て、何をどう説得するつもりだ」

「何って、今の全部説明しよう」

「落ち着け! 図星をついても国王が認めるはずがない、逆鱗に触れるだけだ!」

「そうだね、追放を早めるだけかも知れない」

 こともなげに吐かれる星乃の言葉にはしかし、不釣り合わせな覚悟が感じられ、私は慄いていた。

「せめて王子の緘黙症が治るまで待て!」

「笑顔を見せることが増えたし、王子はきっとじき話すようになるよ。エルンストンだって安定してきている。ソフィアさんがいれば大丈夫」

「……!」


 星乃の決断に、しかし思い当たるところがあった。

 師弟関係を頑なに否定する星乃だったが、しかし彼女は積極的に私に心理療法を教えてくれていた。

 自らの追放を予感してからは、当面クライエントたちに必要となるだろう知識をノートに書き留め、私に残していた。

 彼女はまるで、こうなることを予期していたようだった。

「せめて、ことを急ぐ訳を話してくれ」


「突然クライエントを残していなくなる。そうなることが分かっているのに、その時を黙って待ってられないよ」


 一瞬、星乃の言葉が何を意味するのか分からなかった。

 しかし、星乃の切実な横顔を見て、すぐに思い至る。


 星乃はこの世界に転移される寸前、自殺しようとしていたクライエントの少女を救おうとしていた。

 少女は結果、命は救われたかも知れない。

 しかし、少女からすれば、自分のせいで親交のあるカウンセラーを死なせたようなものだろう。

 少女は星乃がこの世界で生きていることなど、知る由もないのだから。

 例え、命を繋いだとしても、人を死なせるきっかけになった自分を悔やみながら治療を続けるには、大きな絶望が伴うだろう。

 星乃は元の世界に残してきたそのクライエントの少女のことを、ずっと悔やんでいるのだ。


 もし自分が突如追放されることがあれば、次は勇者一行の面々に似た想いをさせることになるだろう。

 星乃は追放されるにしても、そのタイミングを自らの意志で決めたかったのだ。


「万が一追放されても、私は必ず生き残るから。いつか国王様を説得してもう一度、カウンセラーとして呼び戻してね」


 それは一度死を体験した星乃の覚悟だった。

 私はそれ以上彼女を止める言葉が見つからなかった。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 王座を前に膝をつく私と星乃を、国王は冷たく見下ろした。


「国王様が平和を第一に考えておられることを深く理解しております。私も平和を心から願っています」

 星乃の言葉にためらいはなく、穏やかな声で続けた。

「国王様は勇者一行がこれ以上の戦果を上げることが、逆に王国の平和を脅かすことを憂えていらっしゃるのかと存じます」


 星乃は私たちが至った国王の心中を明かした。

 国王の表情に怒りや動揺はなく、彼は静かに黄金のグラスを仰いだ。


「私もこの国の平和を望む一人です。もし本当に私の存在が平和を脅かすというのなら、大人しく追放を受け入れます。しかし、少しずつ削られてゆく民の命と心とを引き換えに得られる平和を、国王様は心からお望みなのでしょうか」


 星乃は真正面から、馬鹿正直に心を明かした。

 私もその賭けに乗る他なかった。

「国王、倒せば良いのです。魔王を」


 国王はしかし、私たちの言葉をまるで聴こえてすらいないかのようにそう言った。

「ヘンリーを連れて来い」

 国王に表情はなかったが、私はこれがあまりに愚策だったと後悔していた。



 騎士長アーノルドに連れられやってきたヘンリオー王子は、虫籠を手に持っていた。

 星乃との虫とりの時間だと勘違いしたのだろう。

 ヘンリー王子は王室の空気に戸惑い、緊張しているようだった。

 星乃はヘンリー王子を安心させるように微笑んで見せたが、私は国王の真意が分からず、戸惑いを隠せずにいた。


「ヘンリー、来なさい」


 国王の言葉に、ヘンリー王子はオドオドと歩を進める。

 目の前に立ったヘンリー王子の虫籠を、国王は冷たく見下ろた。

「人形遊びの次は虫取りか」

 国王は徐にヘンリー王子の虫籠に手を伸ばし、中にいる二匹のてんとう虫を覗き込む。


「くだらぬ児戯を治療と称し、ヘンリーが喋れないと確信すれば、追放に恐れをなし、私にあらぬ疑惑をふっかけ有耶無耶にしようとしている」


 まずい。私は声を上げた。

「国王、誤解です!」

「黙れ」

 国王は虫籠の蓋を開け、卓上にひっくり返してみせた。

 一匹のてんとう虫が大理石のテーブルに落ちる。

 国王は握り締めた拳を、てんとう虫の頭上に置いた。

「王の子が虫けらに関心を示すなど嘆かわしい。ヘンリー、私はこの虫けらを潰すぞ」

 ヘンリー王子が肩を震わせる。


「どうした。嫌ならばやめろと口に出せ。この虫けらを助けてくれと言え。ならば私はお前に従おう」


 ヘンリー王子は瞳に涙を浮かべ、しかし何も言えない。

 私は確信する。

 国王は今日、この瞬間に、星乃を追放するつもりだ。


「言え!」


 国王を声を荒げた。

 ヘンリー王子は口を開けるが、しかし唇を震わせ涙をこぼすことしかできない。


「助けてと、なぜその一言が言えぬ! いいか、私はこの虫を潰すと共に、この罪人を追放するぞ!」

 ヘンリー王子は涙を零しながら、星乃を見る。

「この王を騙し、王国を侮辱した罪人を!」


 星乃はしかし、王子に優しく微笑みを浮かべると、立ち上がる。


「国王様のおっしゃる通りです」


 国王の元まで静かに歩を進めると、星乃は卓上のてんとう虫を両手で優しく包んだ。


「私は謀りました。この世界で生き残るために。私に王子の緘黙症を治す力なんてないのに」


 星乃の言葉に、国王はしかし眉を顰め、誰より驚きを隠せないでいた。

 星乃はてんとう虫を虫籠に戻すと、膝をついてそれをヘンリー王子の手に戻した。


「ごめんね。私にあなたを喋れるようにする力はありません」

 涙を零すヘンリー王子を安心させるように、星乃は微笑んだ。

「でも、あなたにはその力がある。絶対にある」

 

 星乃は真剣に王子の目を見て頷いた。王子はしかし、震えて立ち尽くすことしかできないでいた。

 星乃は国王を振り返ると、深く頭を下げた。


「私の咎は、本来なら打ち首に値するでしょう。国外への追放という寛大な処分、心より感謝致します」


 私は何も口にできないでいた。

 星乃はヘンリー王子にこれ以上のトラウマを与えぬように、虚言を吐いたという嘘をついたのだ。

 私の追放はあなたのせいではない、私の嘘のせいだとヘンリー王子に伝えるために。

 私のこれ以上の言葉は、星乃の想いを無碍にすることになった。

 私は自分の無力さに歯を食いしばるしかなかった。


「話すことへの強要は避けて。回復が遠のきます」

 それは国王と私にしか聞こえないほどの声量だった。


「ただ安心させてあげて下さい」


「……」

 頭を上げた星乃に、国王は視線を逸らした。

 国王はそれを誤魔化すように、騎士長アーノルドを見た。


「荷造りをさせ、南門まで送れ。南に三日三晩歩けば人里がある」

 戦う術のない人間が、魔獣の蔓延る道を三日三晩も生き抜く可能性は高くない。

 私は星乃に知らせてはいなかったが、事前に腕のある傭兵を雇っていた。

 万が一の際には王国の外で追放された星乃と落ち合い、人里まで送るよう指示していたのだ。


――いつか国王様を説得して、カウンセラーとして呼び戻してね。


 しかし、国王の迷いのなさを見た今、説得の手段など皆無だと確信していた。

 近衛兵に連れられ王室を出る時、星乃は私を見て、強く頷いた。

 私は小さく頷き返すことしかできなかった。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 日が落ちた王室で、私と国王は2人きりだった。

 国王は騎士長アーノルドとヘンリー王子を帰した後に、私に残れと命じたが、しかしもうずっと口を開かずにいた。

 今頃、星乃は南門へ向かっている頃だろうか。

「ああ」

 国王はワインを二つのグラスに注いだ後、声を漏らした。


「そうか、お前は下戸だったな」

 私は頷いた。国王は一人グラスを仰いだ。

「いつから気づいていた」

 それは星乃が告げた国王の真意について言っているのだろう。

 国王は星乃の言葉が正しいことを認めたのだ。


「……確信に変わったのは、昨日今日のことです」

「そうか」

 国王は私のために注いだグラスにも手をつけた。

「ソフィア」

 いつぶりだろうか。

 国王が私を賢者ではなく、名前で呼んだ。


「16で父を亡くし、即位したその日に、私はお前を賢者と呼ぶと決めた。お前が戦えぬと知ったその日にだ」

「……」

 私は国王が何を言わんとしているか分からず、ただ頷いて返した。

「国中にお前の銅像や絵画が飾られ、誰もが絵本やお伽噺を通じて、お前の英雄奇譚を信じている。いつか、賢者ソフィアと勇者一行が魔王を倒すと」

 国王は二つ目のグラスを仰ぎ、それを全て飲み干した。


「それがまやかしだと王の子はいつか知る」


 国王はまるでヘンリー王子のように伏し目がちに俯き、ただ大理石の床を眺める。


「伝説の賢者は伝説に過ぎず、伝説が育てた勇者など凡人に過ぎず、先代の王から数世紀続く国策に過ぎないと。自らが王冠を被り、国民を守らねばならぬ事実を突きつけられる」


 身体が強張るのが分かった。

 なんと情けないことだろう。

 私はやっと今、国王レオンハルトの心が分かったのだ。


「いつかヘンリーも知る。この絶望と孤独を、あの子も知る」


 国王はグラスに再びワインを注ぐ。

「孤独な子だ。生まれると同時に母を亡くし、じき言葉も喋れなくなった。しかし、ヘンリー以上に孤独な者が、この国には溢れている。魔族に家族を殺され、追いやられた者たちだ」

 国王は怒りでもなく、悲しみでもなく、ただ淡々と遠い昔に受け入れた事実を告げていた。


「これ以上、奪われてなるものか。たとえ、それが仮初の平和でもだ」


 肩書きと王冠が人を王へと変えると、私はいつか星乃に語った。

 しかし、見当違いも甚しかった。私だ。

 肩書きでも、王冠でも、懺悔室でも、星乃でもなかった。

 私だったのだ。

 国王をここまで追い詰めたのも、星乃を追放まで追い込ませたのも、私だった。


「少数を犠牲に多数の者を救うことを正義だとは言わぬ。ヘンリーが言葉を失ったのも、王族が代々受け継いできた罪の結果だろう」


 否定したかった。

 あれは緘黙症だ。治る不安症の一つに過ぎないのだと。

 しかし、私には何も口にする権利などなかった。

 私は思い違いをしていた。国王は懺悔室で罪を洗い、救われる手段を見つけたのではなかった。

 国王レオンハルトは、自らの罪を認め、それでも罪を重ねる覚悟をしていたのだ。


「今日は疲れた。お前も休め。賢者よ」


 国王は私を、改めて賢者と呼んだ。

 皮肉ではないだろう。

 腹を割って話すのは、今日が最初で最後だと、私にはそう告げているように感じた。


 私は力なく頭を下げると、王室を後にしようと振り返った。

 今にも私は逃げ出したかったのだ。



――――パン



 花火が鳴る音が聞こえた。


――パン、パン


 立て続けに花火がなる。

 王宮の外からだ。


 私は視線を窓硝子の向こうへやった。


――パン

――パン、パン、パン

――パン、パン、パン、パン


 それは花火ではなかった。


 空を仰ぐと、夜空に無数の穴が空いていた。

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