第23話 父の王冠

 それはしかし、夜空に空く穴ではなかった。


 半球上に王国を守る結界に穴が空いているのだ。

 それぞれの穴が瞬く間に広がり、繋がり、間も無く結界は離散した。

 王国の夜空に、無数の光の玉が浮かんでいる。

 それが結界を破壊した魔法の弾だと気づくのに時間は掛からなかった。


「レオンハルト!」


 私は国王を押し倒し、自らの身体を持って彼を庇った。

 次の瞬間、爆音と共に王宮が揺れた。

 目の前の天井と床とが落ちる。

 結界を破った魔法の球が落ちてきたのだ。

 恐らく、同じことが国中に起きているはずだった。


 

「国王様!!」


 王室に駆け込んできたのは、複数の近衛兵を携えた騎士長アーノルドだった。


「強襲です! 四冥将アビスと、その配下2名、数十の魔族を確認! すでに南門から数百の魔獣の侵入を確認!」


 南門。

 それは星乃が向かっているはず場所だった。



「ヘンリー!!」

 

 国王は私を押し退け立ち上がると、近衛兵たちを通り過ぎ王室を駆け出した。

 国王のあとを追いヘンリー王子の部屋に入ると、王子は大きな窓に手をついて眼下に広がる景色を見ていた。

 国王は息子の肩を抱き締め、我が子に怪我がないことを確かめた。

 しかし、ヘンリー王子は窓から手を離さず、食い入るように王国を見渡す。


 窓硝子の向こうには広がる街は、至る所から煙が上り、民衆たちの悲鳴が聞こえた。


 それは誰もが、いつか来るのではないかと恐れた光景だった。

 そして、その侵攻は星乃が通るはずの南門から始まっているはずだった。


「こ、国王、星乃を――」

 私の言葉を遮り、国王は騎士長アーノルドに声を張り上げた。

「王宮に結界を張り直せ! 直ちにだ!」

「もう済んであります! 魔術団の過半数で再構築しました、ここは安全です!」

「お前たちはここでヘンリーを守れ!」


 騎士長アーノルドも嗜めるように国王に声を上げる。


「落ち着いてください、国王! ここは王国の中心、最も安全です! 私は騎士軍の指揮に入ります! 指示を!」

「ならぬ! ここが落ちれば王国が落ちる! 騎士軍の出撃は最小限にとどめ、ここを守れ!」

「しかし、それでは――」

「ギルドのすべてのパーティに出撃命令を出せ! いくらでも金貨をはずめ!」

「国王!」

「貴様! 私が我が身可愛さでここを守れと命じていると思ってるのか!」


 騎士長アーノルドの襟元を国王は掴みかかる。


「いかに四冥将の軍勢と言えど、たった4人5人の勇者たちに敗れるのだ! 我が国のギルドに勇者に匹敵する冒険者が何人いると思っている! 魔族も馬鹿ではない! 奴らもこの国を落とせるとは初めから考えてはいまい!」


 国王の推察は確かに正しいように思えた。

 魔王軍総力で侵攻してくるのならばいざ知らず、王国とて一枚岩ではない。

 四冥将一人に陥されるとは思えなかった。

 しかし、ではなぜ奴らは侵攻してきた?


「奴らの目的は国力、ひいては勇者一行の帰る場所の力の低下だ! 決死の覚悟か、逃亡を前提にしているはずだ! 最小限の戦闘で王国に打撃を与えようと考えている! つまり、奴らの狙いはここなのだ!」


 恐らく、国王の推察は当たっている。

 しかし、王国の中心に位置する王宮に辿り着くまで、一体幾人の犠牲が生まれるだろうか。


「……四冥将アビスは」

 私は背筋が氷のように冷たくなるのを感じながら続けた。


「500年前、私が同行した勇者一行を一人で壊滅させました」


 そう、奴は私の心を血への恐怖で染めた魔族だった。 


「仰る通り、いずれ倒せるでしょう。或いは逃げ馳せるでしょう。しかし、大勢が死にます」

「誰のせいだ!」

 国王の怒声は、私には悲鳴にも聞こえた。私は返す言葉がなかった。

「……ただ安心させてやれだと。どの口でほざくのだ」

 国王が表情を歪ませて漏らしたそれは、星乃が最後に国王に残した言葉だった。

「奴さえこの国に現れなければ……」

 それはつい数刻前には理不尽に思えただろう怒りだった。

 しかし、今の私には彼の言葉を断じることはできなかった。

 国王が守りたかった仮初の平和とは、この光景を避けるためのものだったのだ。


「国王!」

 若い近衛兵が部屋に走り込んでくる。

「南門にて『虹の鳳凰』と『蒼天の盾』が四冥将アビスと交戦! その配下ゼイウォンを下すも、全滅したとの報告です!」

 それはいずれも一級冒険者のみで構成された、王国有数のパーティの名前だった。

「星乃は!」

 国王への配慮など忘れ、私は思わず若い近衛兵に声を上げた。

「天野星乃、迷い人だ! 騎士軍兵数名と共に南門に向かっていたはずだ!」

「か、確認できておりません……!」


 唇を噛む私の心を読むように、国王は私の耳元で囁いた。


「お前が行って何になる。国民に恥を晒し死ぬだけだ。ここでヘンリーを守れ」

 国王はしかし正しかった。

 私は拳を握りしめるしかなかった。

「第15師団に大聖堂の治癒者たちを守らせろ。第16、17、18師団は国民の保護を優先、交戦は避けさせろ」

 国王は若い近衛兵に淡々と命じる。

「残りは王宮門前に戦線を広げろ。魔術団も全て出せ。ここで迎え撃つ」


 それはつまり、出撃はせず、ギルドの民間冒険者たちに戦力を削らせた四冥将をここで迎え撃つということだった。

 伝令に走る若い近衛兵を見送ると、国王は私と騎士長アーノルドを振り返った。


「万が一の場合は、私ではなく、ヘンリーを守れ。これは王の血を絶やさぬための戦いと知れ」



 ヘンリー王子は父の怒声にも構わず、ただ侵攻される王国を眺めるばかりだ。


 国王の断固とした言葉に、騎士長アーノルドは深く頷いた。

 私も――

 ――――頷くほかなかった。



 私はいつ、どこで、何を間違ったのだろうか。

 

 1000年前、魔王を倒すなどと過信しなければ。

 500年前、血の恐怖に屈し、復讐のために育成などに注力しなければ。

 半年前、魔王討伐に星乃の力を利用しようなどと考えなければ。


 遠くに聞こえる悲鳴と戦火の音に、私はただただ過去を振り返り、悔やむだけだった。

 愚者を絵に描いたように人間が、よくも賢者などと名乗ったものだと。

 1000年、よくこうも間違いだけを選択できたものだと。



 気づくと、ヘンリー王子が国王の前に立っていた。



 祈るように両手を握り、瞳を濡らし、震えている。

 しかし、国王から目は離さなかった。

 国王は膝をついて、ヘンリー王子に背の高さを合わせた。


「心配するな。お前は私が守る」


 ヘンリー王子はしかし、国王の王冠に手を伸ばし、それを取った。

 真意の分からぬ行動を前にして戸惑う国王に、王子は――


「たすけて」


 息を飲んだ。


 それは数年ぶりに聞く王子の声だった。

 国王は目を見開き、そして何度も頷いた。


「ああ、助けるとも。お前は私が守る」

 国王はヘンリー王子の小さな手に握られる王冠を手に取ろうとする。

 ヘンリー王子はしかし、王冠を強く握り締め、決してそれを返そうとはしなかった。

 私と騎士長アーノルドは、ただその光景を見守った。

 王子は唇を震わせ、涙を零しながら、懸命に言葉を紡いだ。


「ほしのを、たすけて」


 国王は時間が止まったかのように、制止した。


「みんなを、たすけて」


 王子は決して王冠を離さず、国王と王子としてではなく、父と子の対話を守ろうとしていた。 


 国王は膝をついたまま、天を仰いだ。


 私にはしかし、彼の気持ちが分かるように思えた。

 正しいことと、間違っていることとが、分からなかった。

 何が罪で、何が罰で、何が救済なのかが分からず、途方に暮れ、その答えを天に求めるほかなかった。

 しかし、懺悔室が教える天の答えが、本当に答えだとすれば、私たちは血を流すはずがなかった。

 国王は答えのないこの世界で、たった一人、全ての業を背負っていた。

 それは私には計り知れないもののはずだった。


「ただ――」

 その言葉を私は、無意識に、本当に無意識に紡いでいた。

「――――ただ安心させてあげて下さい」


「……ああ」

 国王は深く息を吐き、改めてヘンリー王子を見つめた。


 そして国王は、震える王子に、微笑みかけた。

 それは父が子に見せる顔だった。


 力の抜けた王子の手から王冠を返して貰うと、国王は再びそれを自らの頭に乗せ――

 ――私たちに振り返った。




「第1師団と、結界を担う魔術団を残し、進撃せよ」


「え……?」

 立ち尽くす私たちを前に、国王は王子のクローゼットを開ける。

 王子の練習用の杖を手に取ると、国王はそれを私に手渡した。


「第2師団を南門に向かわせる。ただし、道中の生存者の保護が優先だ。足はお前の方が早いだろう」

 国王は部屋に飾られる剣を手に取る。

「ここは私が守る」

 窓硝子を開くと、国王は私を振り返った。


「行け。天野星乃を保護しろ」


 言葉が見つからない私たちに、国王は声を上げた。


「急げ!!」


 騎士長アーノルドが指揮をとりに部屋を飛び出したと共に、私は国王の開けた窓から飛んだ。


 杖に跨り、風を切る。


 王宮を守る結界は、内側からは人を通した。

 結界を越えると、眼下に逃げ惑う人々が見えた。

 彼らを守るように、間も無く王宮門から騎士軍が進行を始めた。


 遥か遠くに見える南門から炎が上がっている。


 私はただ星乃、お前に伝えたかった。

 王子が話し、国王が笑ったと。


 それは些細で、しかしお前がもたらした変化だった。


 私にはそれがこの国にとって正しいのか、間違っているのか、分からない。


 しかし、それでもきっと私たちには、お前が必要なのだ。


 私はただそれを伝えに、闇夜の王国の風を切った。

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