第26話 希望の喪失

 星乃はこの世界に転移して以来、勇者一行を中心にカウンセリングを行なってきた。

 しかし、国王の命を受け、はじめてその対象が全国民へと広がった。

 国民たちは魔族の脅威に晒され、PTSDをはじめとした多くの症状を発症しているものと予想された。


 四冥将アビスの侵攻から10日後。

 星乃のカウンセリングルームには12人ものクライエントがいた。

 星乃を入れて13人、円を描くように椅子に腰掛け、彼女たちは向かい合った。

 私はその様子を端に立ち見守った。


「……夫はケーキを買いに出て行っていたんです。あの日は、息子の誕生日でしたから」


 一人の女性が涙ながらに語るのを、皆が静かに耳を傾けていた。

 

「でも夫は2度と帰らなかった。息子の誕生日が命日になった。あの子にもう父親はいない。まだ5歳なのに……」


 女性の背中を、隣に座る初老の男性が優しくさすった。


「俺は息子を失った。冒険者をやっていたんだ。聞いたことないかな、ユーリというんだ」

「知っているよ、『蒼天の盾』の剛腕の槍使い。俺の憧れだ」

 駆け出しの冒険者の青年が答える。初老の男性は嬉しそうに頷いた。

「自慢だった。トンビが鷹を産むってやつだ。早くに妻を亡くし、家族はあいつだけだった」

 女性の背中をさすっていた手を、初老の男性は自らの目元に置いた。

「俺は一人きりだ……もう自分がなぜ生きているのか分からないんだ」


 慰められていた女性が、次は彼の手を握った。


 冒険者、学院生、花屋に武器職人。

 誰かの親であり、子であり、友人である老若男女のクライエントたちがそこにはいた。

 彼らの共通点は、先の侵攻で大切な者を失ったということだった。


 それは集団精神療法グループセラピーと呼ばれる精神療法だった。


 同じ苦しみを抱えた人々が集まり、苦しみや悩みを吐露する。

 人に言えない心のうちを言葉にし、共感を通じて、自分の心の整理をし、何よりそれそのものが癒しになる。

 カウンセリングと似た効果を集団で作っていくそれは、あまりに数の多い戦争被害者たちにとって効果的なアプローチと言えた。


「大勢が傷つきました。生きる希望を失ったと感じられている方も少なくないと思います」


 星乃は悲壮感を決して表に出さず、毅然と振る舞っていた。


「でも、私たちは一人じゃない」


 王国を通して宣伝された星乃のカウンセリングへの案内は、私ははじめ国民からの理解を得られないのではないかと危惧していた。

 聞き慣れぬ心理療法という言葉に、心のうちを吐露するというハードルが、多くの国民に懐疑心を生むだろうと予想していたからだ。

 しかし思いの外、希望者は殺到し、その事実が私には辛くもあった。

 国民たちは、藁をもすがる想いで苦しんでいるのだ。

 その数は、1時間近くかけて行われる一対一のカウンセリングでは、とてもじゃないが追いつかなかった。


 1回目の集団精神療法を終え、星乃の部屋を後にする彼らはしかし、依然悲痛な面持ちが窺えた。


 クライエントたちが去った部屋で、私たちは紅茶を口にした。

 星乃の表情はしかし、思い詰めたように静かだった。

「時間がかかるね」

 星乃の言葉に私は頷いた。

「根気強く続けるしかない。必要なものがあれば、なんでも言ってくれ」

「必要なものは揃ってるよ。ソフィアさんに、アルフレッドたちがいる」

 星乃は自らに言い聞かせるように言った。


「希望さえあれば、きっと大丈夫」


 心の傷は火傷に似ていると星乃は言う。

 長時間の治療を経て、例え傷が癒えたとしても、跡は残る。

 そう、カウンセリングは魔法ではない。


 だが、その日訪れた全ての者が、次回の集団精神療法の約束をして帰った。

 彼らにとって、星乃のカウンセリングルームもまた、希望になろうとしていた。

 少しずつ、しかし確実に、星乃は彼らを癒していた。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 その日の夕方、聖職者エルンストンは星乃の元へ訪れた。

 大聖堂での怪我人への治癒が落ち着き、やっと時間が取れたのが今日だった。

 彼女は強襲の夜から、今日に至るまでのことを星乃に話した。


「今は少し、ほっとしています」

「ほっとしている?」


 聖職者エルンストンの言葉を、星乃は聞き返した。


「はい。相手が魔族だとしても、聖職者の殺生は罪とされていますから……」

「そうだったね」


 彼女はあの夜、魔族たちへ剣を片手に立ち向かい、誰も手をかけずに傷を負い保護されていた。

 そして、自らが伏せている間に助けられなかった命を悔いていた。


「分かってるんです。他人の命の責任は私にはない。人の死が自分のせいだって考えること自体が傲慢かも知れないって。星乃さんと出会って、そう考えられるようになって少し楽になりました」


 それは所謂、認知行動療法の効果だった。

 自らを苦しめる考え方を正すことによって、生きやすさへの改善をはかる基本的な心理療法だが、彼女には有益に働いていた。

 療養とカウンセリング、偽薬による効果が確実に彼女を躁鬱病の症状から回復させていた。


「強襲の翌日はパニックで鬱っぽくなっちゃったけど、今は落ち着いています」

「うん、よかった」

「ただ、少し気になっていることがあって」

「うん」

「私が魔族を殺したいと考えてしまうことは、本当に躁鬱病のせいなのでしょうか」


 星乃は紙にペンを走らせるのをやめた。

「……どうしてそう思うの?」

「あいつらは仇です。カイルの、両親の、全ての仇です」

「うん」

「頭では分かってるんです。弱い私は治癒に集中すべきだって。でも、もしまた同じ状況に陥っても、私は剣を握らない自信がないんです。もう一度聖堂を飛び出して、きっと戦いに行ってしまう。それは本当に病気のせいなんでしょうか」


 それは確かに自然な感情にも思えた。

 元々虫も殺せないような彼女だったが、戦争が人を変えることを私は知っていた。


「そうだね、双極性障害による一時的な感情だって断じることは難しいかも知れない。私もあの日から、ベットルームに剣を置くことにしたの。包丁もろくに扱えないのにね」

「そうだったんですね」

 聖職者エルンストンはあの夜、星乃が死にかけたことを知らない。

 しかし、全ての国民が戦争被害者なのだ。身を守る手段を得ようと考えることは当然と言えたし、身を守るとはつまり戦うということだった。

「もしそれがただ単純な気持ちの変化なのだとしたら、エルンストンは不安?」

「……分かりません。でも……」

「でも?」

「戦えない自分より、戦える自分の方が好きです」

「戦うと、相手を殺してしまうこともあるよね」

「はい……だから、分からないんです」


 聖職者エルンストンは殺生しなかった自分に安堵したと言いながらも、戦う自分を望んでいた。

 確かに、王国には聖騎士と呼ばれる役職があった。

 それは神聖な力を持った騎士のことであり、ギルドでは重宝される存在だが、しかしその道を選んだ聖職者は大聖堂から追放される習わしだった。

 殺生を生業に選んだ聖職者を、大聖堂が許すわけにはいかないという理屈だろう。

 自分の望む道と、聖堂が幼少から彼女に根付かせた教えとの間で、彼女は揺れていた。


「ちょっと待っててくれる?」

 そう言ってベッドルームに消えた星乃は、弓を持って戻ってきた。

「これって……」

 それはカイルの弓だった。聖職者エルンストンにとって、死んだ戦友のそして、想い人の遺品だった。

 私はこのタイミングでそれを持ってきた星乃に、少なからず動揺していた。


「アルフレッドに頼まれていたの。いつかエルンストンに渡してって」

「……私は戦ってもいいということですか?」

 弓を受け取る聖職者エルンストンに、星乃は静かに首を横に振った。

「私はそう言ったアドバイスはしないよ。これは武器の形をしているだけ。ただのカイルの形見だよ」

 星乃の言葉に彼女は首を傾げる。

「きっとあなたに勇気を与えてくれる」


 確かに、聖職者エルンストンにとって、戦うという決意にも、守るという決意にも、勇気が伴うはずだった。

 星乃はカイルの弓が、その勇気を手伝ってくれるだろうと考えたのだろう。

 心理カウンセラーには出過ぎた真似なのかも知れない。しかし、私には彼女の気持ちがわかった。


 聖職者エルンストンは星乃の言わんとすることを察したのか、深く頷いた。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 国王からの緊急召集を受けたのは深夜のことだった。

 王室に入ると国王と騎士長アーノルドが私を待っていた。

 二人の表情は険しく、悪い報せだろうということは分かった。

 それは幾度もの経験からくる予感だった。


「……勇者一行がオグルガンの橋にて、四冥将ガジルと交戦した。昨夜のことらしい」


 国王の言葉に、私は頷いた。

 心臓の音が大きくなるのが分かる。


「オグルガンの橋は落ち、直径1kmに渡り焼け野原になったようだ。ガジルの遺体はなく、消息不明だ」

「……アルフレッドたちは?」


 私の問いかけに、国王はゆっくりと首を横に振った。


「セバイヤ王国の協力の下、橋の下を走る大河を捜索しているが……刺し違えた可能性が高い」


「……そうですか」

 それは幾度も経験してきた時間だった。

 私は何組もの勇者一行を、こうして失ってきた。

 彼らへの希望を捨てた訳ではない。

 しかし、かつての勇者一行たちとの消失とは、状況が違った。


 敵も窮地に陥っているが、先の強襲により王国の戦力は低下し、国民も疲弊している。

 勇者一行が行方不明の今、再び残る戦力総出で侵攻されては絶望的と言えた。


「勇者たちの喪失を嘆いている暇はない。残る主力は、魔王と四冥将リョウオウのみ。死に物狂いで仕掛けてくるだろう」


 かつて均衡を保とうとしていた国王だったが、後手が回れば敗北することをすでに知っていた。

「お前たちの意見が聞きたい」

 国王の問いかけに、私は答える。


「1000年、魔王は人類に姿を見せたことがありません。外見どころか能力も不明です。まずは敵の残存戦力を正確に把握したいです」


 私は騎士長アーノルドに視線をやる。

「四冥将アビスを尋問していますが、拷問の類が効かず、難航しています……それどころか」

 騎士長アーノルドは続く言葉を躊躇った。

「尋問官の一人が死亡しました」

「どういうことだ。奴は結界内で軟禁されているはずだ」

 国王はその事実をすでに知っていたようで、私の問いに答えた。

「自殺だ。奴は人の過去を覗く。全ての者の弱みを知れるのだ。言葉巧みに人心を惑わす」

「誰もが奴への尋問を恐れています。明日から私が直接相手をする予定です」


 四冥将アビスは腕を失い、軟禁されている身でありながらも、依然脅威だった。


「奴は重要な情報源だ。手段を選ばず、早急に全てを吐かせろ」

 騎士長アーノルドに命じると、国王は私に視線を移す。

「残存戦力を把握し、その後はどうする。賢者ソフィアよ」

「戦略を立て、それに相応しい有志を国内外から募り、決戦を仕掛けます。敵も瓦解寸前です、今までとは違う。他国の英雄も乗ってくれるでしょう」

「……うむ」

 戦力のみを重要視したパーティの脆さを私は知っていた。

 だからこそ、星乃の力を求めたのだから。

 しかし、事態は急を有した。早急な戦力が必要だった。


「……それに今なら、私がいます」


 予想していた解答だろうが、国王はしかし、沈黙した。

 私の参戦は、賭けと言えた。

 勇者一行の喪失に加え、国民の希望である賢者ソフィアが万が一、敗北することがあれば王国の士気は関わるだろう。

 私の参戦は、王国の敗北を覚悟する必要があった。

 しかし、それを避けて防衛に回ることにもまた覚悟が必要だった。



  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 翌朝、私は星乃に全てを明かした。

 星乃は紅茶を淹れていた手を止め、ただ一言呟くように言った。


「そう」


 星乃の表情に感情は伺えず、淹れ終えた紅茶に手をつけることもなく、ただゆっくりとソファに腰掛けた。


「死亡が確認された訳ではない。近くにある王国の協力も得て、捜索中だ」

「うん」

「国民へは秘匿事項だ。勿論、エルンストンにもまだ明かすべきじゃないだろう」

「そうだね」

「ただ仮に発見できても、彼らが戦える状態かは分からない」

「うん」

「国王はお前に期待している。引き続き、国民たちへの心理療法を希望している」

「うん」


 星乃はただ対面にあるソファを眺めた。

 それは、かつて勇者一行が座ったソファだった。


 大丈夫だ、きっと彼らは生きている。

 そう口にするのは容易だったが、私は知っていた。

 人の命の脆さを。それは勇者一行とて変わらない。

 しかし、彼女の心を少しでも楽にしてやりたかった。


「彼らが発見されたとき、彼らの心を癒すのはお前だ。頼んだぞ」

「うん」


 星乃はただ小さく頷いた。

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勇者一行の心理カウンセラー ヤツヤツスタジオ @yatsuyatsuki

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