第25話 賢者の復活
魔獣たちが散開して、街や人を襲っているのが見える。
全ての聖馬を召喚し、私の魔力はすでに僅かだった。
私は背中の弓矢を手にすると、豆粒のように遠くに見える魔獣たちに向け、5本の矢を同時に放った。
それぞれの矢が魔獣たちの頭を貫通する。
目に入る敵を片っ端から弓で仕留めながら、聖馬ヘレンに王宮までの空を駆け抜けさせる。
王宮に近づくにつれ、倒れる冒険者や、騎士たちの姿が増える。
魔獣や魔族の亡骸も、それに比例して増えてゆくが主力の姿は見えない。
やはり、主力は恐らく王宮に向かっているはずだ。
街を抜けると見える広場に、奴はいた。
四冥将アビスは、その長い銀髪を血に染めていた。
奴の周囲には、幾人かの魔族の亡骸があった。
しかし、それ以上に騎士兵たちの亡骸の数が目立った。
王立騎士兵たちが距離をとって、奴の行手を阻んでいる。
その後方に魔術団が控えているが、全員の顔が慄いている。
数としては劣勢だが、奴は悠然と屹立していた。
奴が一歩、歩を進めると、騎士兵たちが一歩退く。
その様子から、奴が蹂躙の限りを尽くし、騎士兵たちにいかに恐怖を刻んだかが分かった。
聖馬ヘレンが着地すると、地面が割れた。
「け、賢者様……!」
騎士兵たちが安堵したように声を上げる。
私は騎士兵と四冥将アビスとを割るように、その中心に立った。
「これはこれは。お久しぶりです、ソフィアさん」
四冥将アビスは500年前と変わらぬ姿で微笑んだ。
「ほう、なるほど、それは大変でしたね」
奴は私の顔を覗き込むように観察する。
「知りませんでした。私が随分と苦しめてしまったようですね」
奴は恐らく、私がPTSDを患った過去を見ていた。
一瞬にして相手の過去を覗く奴は、いつも一人で敵に語りかける。
「酔狂ですね。心のケアを我々と戦うための武器にしようとは……興味深い。天野星乃ですか」
突如奴が口にした星乃の名に、私は剣を抜いた。
「剣は悪手でしょう。それは血を見るための道具です」
「ずっと考えていた」
私の言葉に奴は首を傾げる。
「いや、違うな。この500年、お前のことを思い出すことは避けてきた。お前について考えられるようになったのは、ここ数日のことだよ。だが、数日で十分だった」
「……その服は?」
血を見慣れ過ぎているせいだろう。
奴はやっと、私の服が血に塗れていることへの違和感に気づいたようだった。
奴は数分前の私の過去を知らなかった。
「お前は人の過去を覗く。強みも弱みも癖も、全てを覗く。では、お前にとって過去とは、どれほど前のことを指す」
奴の顔から、笑みが消える。
「勇者アレンは剣を口で咥え、お前と戦おうとした。両腕はお前に落とされ、瀕死だった。だが、お前は逃げた」
私が一歩前に出ると、奴が一歩退く。
「なぜ逃げた?」
奴が懐から手に取ったそれは、赤い魔石だった。
魔法を納めるそれには、恐らく転移魔法が刻まれていた。
私は奴がそれを発動し逃げ帰る前に、その右腕を落とした。
奴は落とされた腕から溢れる血を、即座に私の顔にかけた。
奴の血が顔に滴る。
しかし、星乃の血の熱さに強く、私は特段何も感じなかった。
「お前は怖いのだ」
歩を進める私に、奴は再び退く。
「目の前で変化する心が」
剣を構えた私に、奴は残された左の掌をかざした。
盾のように展開された対物結界魔法を、私は即座に剣で叩き落とした。
「拘束しろ!」
私の声に、後方に控えた魔術団が一斉に拘束魔法を放った。
光の鎖に縛られた奴は、その場に倒れた。
「剣を振るうと思ったか? 無理もない。500年、私はお前への復讐に囚われていたからな」
私を見上げる四冥将アビスの表情は静かだったが、瞳の奥に動揺が見えた。
「残念だったな。拘束することは、いま決めた」
四冥将アビスは、敵の過去を覗き、性格を掌握し、心を先読みするかの如く戦う。
しかし、私は星乃を通して勇者一行の心を知った。
人の心が無常であることを知った。
過去を知ることは、相手を知ることとは同義ではないことを知った。
私も変われることを知った。
これは500年前と現在の勇者一行と、星乃のもたらした勝利だった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
散開していた魔獣たちは、まもなく騎士軍や冒険者たちにより全滅させられた。
魔族の大半は死滅したが、四冥将の敗北を知った多くの魔族は転移魔法によって逃亡を図ったように思われた。
死者数18940人、重軽傷者数51024人。
それは王国の人口の50人に1人が死に至り、20人に1人が何らかの傷を負ったことを意味した。
伝説とされる四冥将とその軍勢の侵攻に対して、この死傷者数は一見奇跡的に思われた。
国王が前日に命じていた結界と警備の強化が功を成したのかも知れない。
しかし、私はその背後にある心の傷を負ったものの数が計り知れないことを知っていた。
四冥将の侵攻は一時間に満たず鎮圧されたが、もたらした被害は甚大なものだった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
大聖堂は重傷者を対象に解放され、聖職者たちが総出で国民の治癒に当たっていた。
しかし、翌朝になっても減ることのない怪我人の数に聖職者たちは疲弊しきっていた。
治癒が間に合わず、目の前で亡くなってゆく怪我人も多く、聖堂は断末魔で溢れた。
それはまさに地獄絵図だった。
大司教をも凌駕する治癒力を誇る聖職者エルンストンの貢献が期待されたが、しかし彼女は怪我を負い眠っていた。
彼女は強襲の夜、仲間たちの手を振り解き、剣を片手に聖堂を飛び出したという。
後方支援を常とする治癒者が自ら前線に立とうとする事態は前代未聞であった。
射手カイルへの恨みや、勇者一行の遠征に参加できなかった負い目を彼女を昂らせたこともあったのだろう。
しかし、一番の原因は恐らく、敵の強襲に刺激され、彼女が極度の躁状態にあったことだと私は想像した。
そして、目を覚ました彼女自身もそう考えていた。
「……治したいです」
聖職者エルンストンは涙を流しながらそう言った。
彼女は自分が眠っている間に失った多くの命を存在を知り、打ちのめされていた。
「……私はなんの役にも立たない」
「そんなことはない」
首を横に振り涙を流す彼女を、抱擁してやることしか私には出来なかった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
その日の午後、私はパンと水を手に星乃の部屋へ訪れた。
物流が滞り、街にはものが少なかった。
「私、ここにいていいのかな」
後ろめたそうにパンを齧る星乃に私は言った。
「お前を助けろと言ったのは国王だ」
「ヘンリー王子でしょ?」
「その王子の言葉をきっかけに、国王が私に命じたのだ。お前を保護しろと」
「……」
星乃は小さく頷くだけだった。
「それにしても、ソフィアさんはすごいんだね。ボスみたいな人、一人でやっつけちゃったんでしょ。街の人、皆誇らしげに話してたよ。本当に強かったんだね」
「まあ、おばあちゃんにしてはな」
「……ごめんて」
私の勝利は星乃のおかげに他ならなかったが、私はあえていつかの星乃の言葉への皮肉で返した。
どうせ彼女に感謝を示しても、彼女はいつものように謙遜するだろう。
「エルンストンのこともある。国王としても、お前に退場して貰うわけにはいくまい」
「……どうかな。でもそうだよね、エルンストンが心配」
星乃は小さな窓から、崩れかける街を見渡した。
「……大勢傷ついた」
それは身体の傷のことだけを言っている訳ではないだろう。
「国王様にはこの景色が見えていたのかも知れないね」
窓の向こうを見る星乃の表情は、私の位置からは見えなかった。
彼女は魔族の恐ろしさを身をもって体験した。
あの恐怖を遠ざけるために、国王が自らを追放しようとしていた事実まで彼女は辿り着いていた。
国王が正しかったのかも知れない。
その疑念がよぎらないはずがなかった。
そして、その疑念への答えを私は持っていなかった。
「動けるか?」
「え?」
私の言葉に星乃は首を傾げる。
治癒魔法は失った血肉も再現するが完全ではない。体力が戻るまでは時間がかかるだろう。
「大丈夫だけど、どうして?」
「国王が呼んでいる」
「……打ち首?」
「なぜそうなる」
私はこともなげに流したが、しかし国王がこの事態を星乃がもたらしたものだと考えていたのは事実だった。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「ほしの!」
王宮の大庭園に足を踏み入れると、ヘンリー王子が走ってくる。
星乃は笑って王子を抱きしめた。
「怪我はない?」
「うん」
笑う王子の後ろに、国王が立っていた。
星乃は国王と目が合うと、深く頭を下げた。
ヘンリー王子は国王の視線に気がつくと、不安げにしかし、星乃を守るように前に立った。
国王は首を横に振って言った。
「ヘンリー、私はただ彼女と話したいだけだ」
ヘンリー王子は不安げに星乃を見上げた。
「よかろう。お前も一緒に来なさい」
国王はヘンリー王子に続けた。
「箱庭遊びでもしよう」
国王の言葉に星乃もヘンリー王子も目を丸くした。
王室で私たちは星乃と王子と、国王は向き合って座った。私は向かい合う3人を見守るように、近くに立っていた。
王子は星乃の隣に腰掛け、箱庭遊びに興じていた。
王子が作る箱庭を見下ろしながら、国王はワインではなく、紅茶を口にした。
「申し訳ありませんでした」
頭を下げる星乃に、国王は淡々と言葉を紡いだ。
「……ヘンリーが言葉を話した。賢者ソフィアが戦った。お前の言葉に嘘はなかった。何を謝ることがある」
「……国王様の思慮深さに気づけず、私が浅はかでした」
「……」
国王はしかし、何も言わず、ただ箱庭を見下ろした。
箱庭には、建造物の玩具が無数に置かれ、街が作られていた。
その街は転倒さえしていなかったものの、無秩序に配置され、実際の王国の景色よりも乱れて見えた。
まるでそれは、魔族に破壊された王国のように思われ、心なしか国王の表情は寂しそうに見えた。
「お前は罪人だ」
国王は続けた。
「……だが、私も罪人だ」
「え?」
国王の言葉に、星乃が私を見た。
私は何も答えなかった。
「お前を咎める資格を、私は持たない」
国王がなぜ自らを罪人と呼ぶのか、あの場にいなかった星乃には検討もつかないだろう。
だが、星乃はそれ以上、その話題に触れることはなく、王室は静寂に包まれた。
星乃はふと王子の箱庭に目を向けて、国王に微笑みかけた。
「ご覧ください」
国王は星乃の言葉に首を傾げ、それが王子の視点に立って見ることを指していることに察する。
国王は腰を上げ、ヘンリー王子の後ろに立った。
それは整然と並んだ街並みだった。
国王の位置からは無秩序に見えた街並みは、王子の視点に立てば美しい景色だった。
国王は目を見開き、しかしそれ以上は何も言わず、広い窓硝子の向こうに視線をやった。
王宮門の先に見える街はしかし、箱庭とは異なり、荒れていた。
先の魔法の砲弾と侵攻により、多くの建造物が荒れ、壊されていた。
「国民が病んでいる」
国王は私たちに背を向けたまま言葉を紡ぐ。
「力を貸してくれるか。天野星乃」
国王の言葉に星乃は立ち上がり、深く頭を下げた。
「喜んで」
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