第4話 聖職者の病
半年前、私は聖職者エルンストンを連れ、星乃のカウンセリングルームに訪れた。
「はじめまして、カウンセラーの天野星乃といいます」
星乃はその柔らかな雰囲気で不思議と相手を落ち着かせた。それは生まれ持った才能に違いなかったが、それでも聖職者エルンストンは見るからに不安げで緊張していた。彼女は内気で協調性がなく、いつも他人の目を気にしていた。
「あの、賢者様には星乃様が私を強くしてくれると伺いました」
「呼び捨てでいいよ。て、え……強く?」
星乃は呆れたように私の顔を見返した。
当時、カウンセリングへの理解が浅かった私は、そのように言って聖職者エルンストンを星乃の元へ連れてきたのだった。
カウンセリングは、聖職者エリンストンの誤解を解くところから始まった。
「聞き覚えがない言葉だと思うけど、カウンセリングというはね、ただお茶することだと思ってくれていいよ」
「お茶……ですか」
聖職者エルンは、星乃がマグカップに紅茶を注ぐ様子をじっと見つめた。
カウンセリングについて多少知った私には、お茶という表現が正確ではないことは分かっていた。カウンセリングは具体的な技術が伴った治療プログラムだ。しかし、この場において聖職者エルンストンの緊張を和らげるにはこう表現しても差し支えないということだろう。
「愚痴や悩み、最近気になっていること、なんでもいいから私と雑談しよう。友達とお茶するのと同じでしょ?」
「……私あまり友達がいなくて」
「実は私もなの。この世界でいう迷い人っていうやつだから」
迷い人とは、星乃のように突如異世界から転移された人間の総称だ。
「先月この世界に来たばかりで、知り合いも少なくてね」
「賢者様から伺ってます。大変でしたね」
「だから、私も話し相手がいると嬉しいんだ」
「でも一体何を話せば良いのか……」
「そうだねえ。悩んでいることとか、不安に感じてることとかあるかな」
「それを打ち明ければ、私も強くなれるのでしょうか……?」
しかし、一度生まれた誤解を解くのは難しそうだった。私が良い弁明かないか言葉を探していると、星乃は続けた。
「エルンストンはそれ以上強くなりたいんだね。王国一番の聖職者だと聞いているけれど」
「一番だなんてとんでもないです。私は他人の怪我を治すのが少し早いだけで……」
「治癒能力っていうやつだよね。すごい才能だよ、羨ましい」
「そんなことないです……私は誰よりも弱いんです」
聖職者エルンストンは内気で自意識が低く、その代わりに自己犠牲精神と責任感が強かった。
それは言い換えれば、謙虚で献身的ともいえ、聖職者として相応しい性格でもあった。
「自信を持て、聖職者エルンストン。お前は王国一の治癒能力を誇る聖職者だ。お前以上に勇者一行に相応しい聖女はいない」
当時の私はよく星乃との約束を破り、口を出してしまったものだった。(先日もアルフレッドにやってしまったが)
彼女は優秀な聖職者であったが、その自己評価の低さが不安材料であり、私はこれを星乃に治して欲しいと考えていた。
「そ、そうですよね、賢者様……。選ばれた立場なのに私、弱気なことを言って、ごめんなさい」
「エルンストン、夜はよく眠れてる?」
星乃は口を出した私を嗜めることもせず、じっとエルンストンを観察していた。
「え?」
「私、未だによく眠れないんだ。慣れない世界で色々不安なんだと思う」
カウンセリング中の星乃はどこか頼もしく、迷いが見えず、その事実は意外に思えた。
「星乃さんも……?」
「うん。エルンストンも眠れていないんだね?」
「……はい」
星乃は聖職者エルンストンの不眠症を言い当てた。
視線を合わられず、表情に緊張の色が窺え、喋る速度の緩急が目立つ。後に聞けば、不安症の傾向が態度に現れていたという。
だからこそ、星乃はあえて自分の悩みを開示して、聖職者エルンストンに共感と安心を与えた。
彼女のように他人の目を過度に気にするタイプから信頼を得るには、自分も自己開示がすることも有効な手段だと語った。
星乃のいう通り、聖職者エルンストンの星乃への信頼は急速に深まった。
聖職者エルンストンはいつしか、私にも仲間にも見せない柔らかな表情を見せ、星乃に多くを語るようになった。
勇者アルフレッドの気遣いさえも申し訳なく思ってしまうこと。
戦士リアムを恐れてしまい、そんな自分を嫌悪してしまうこと。
魔法使いセラフィナが何を考えているか分からず、苦手なこと。
治癒者の自分が戦闘中に常に守られていることに、負い目を感じていること。
自分のせいで仲間が傷つくことが、この上なく恐ろしいこと。
射手カイルの軽口と馴れ馴れしさだけが落ち着くということ。
夜眠れず、治癒力が落ちているように感じること。
気づくと集中力を欠いていて、何度も戦闘中に危ない目にあっているということ。
「時々、涙が流れるんです。突然なんです。悲しくもないのに。病気なんでしょうか」
「……そうかも知れないね。でも大丈夫、私の世界でも流行している病気だと思う」
星乃が至った結論は、聖職者エルンストンは『うつ病』を患っているということだった。
それは、この世界では発見すらされていない精神的な病の一つだった。
気分障害の一種で、継続的な悲しみや興味の喪失、エネルギーの低下、集中力の欠如などを症状とし、症状が進上すると希死念慮を伴うこともあるという。
勇者一行の一員がこのような症状を抱えることは危険極まりなかった。
その夜、聖職者エルンストンが帰った部屋で、私は星乃に尋ねた。
「ただの『怠け』のようなものじゃないのか」
当時、今よりも無知だった私の疑問に、星乃は首を横に振った。
「この世界でも自殺をする人はいますよね?」
「ああ、稀にいる」
まだ出会って日の浅かった星乃は、そういえば私に敬語を使っていた。
「自殺者の9割以上が何らかの精神疾患を患っていて、その殆どがうつ病を発症していると言われているんです」
私は驚愕した。1000年も生きていれば、自殺で失った知人は両の指では数えられない。彼らの殆どがうつ病だったというのか。
だとすれば、聖職者エルンストンは自死の可能性を孕んだ恐ろしい病に犯されているということになる。
「それは一種の精神魔法の攻撃を受けて患うものではないのか?」
「違うと思います。少なくとも日本に魔法は存在しないけど、自殺大国でした。40代未満の国民の死因の一位が自殺」
私は酷い国難に襲われた国もあるものだと、驚愕したのだった。
「古い友人の国が、魔王軍に追い詰められ籠城を強いられたことがあった。その時、彼らは100人近くいたが皆、自死を選んだんだ。あれもうつ病か?」
「それは……多分違うと思います……」
なぜか顔を引き攣っているように見えたが、星乃は聖職者エルンストンの状況を説明してくれた。
「エルンストンは自分の欲求を抑える癖があります。自己犠牲の習慣があって、相手のことばかり慮り、自分の感情を無視する癖ができてる」
「しかし、自己犠牲は聖職者の誉だ」
「私は聖職者の何たるかを否定も肯定しないです。ただ一つ言えるのは」
星乃は真っ直ぐ私を見て言った。
「自己犠牲は自分の感情の抑圧です。それを習慣とする人は、いずれ自分の痛みにも気づけなくなります。うつ病になりやすい性格ということです」
「……」
私は自分が責められているような想いだった。
私はそれが聖職者として相応しい性格だと考えていたからだ。
「そういった性格に加え、死が隣り合わせの旅をしているんです。治癒者なら血も見ることも多いはず。どんな健常な人も心を病んでおかしくない環境にあります」
「ならば、どうすればいい?」
一番は一時期的にでも良いから、勇者一行から離脱し休息をとることだと星乃は語った。しかし、それは何より本人が強く拒否した。自分の不在のせいで仲間達が危険に晒され、あまつさえ死人でも出た日には気が狂ってしまうというのだ。戦時下ということもあって、星乃も泣く泣く聖職者エルンストンの希望を受け入れた。
聖職者エルンストンがカウンセリングへ訪れ、帰る度に、私たちは話し合った。
「認知行動療法や対人関係療法などを通して、少しずつ改善させていきます」
「……なに療法?」
「カウンセリングを通して、本人の否定的な思考パターンを認識して、それを肯定的なものに改善させたり、自分の感情を適切に認識する癖を作り、対人関係の改善を図るんです」
「……わかるように言え」
「鬱になる方の多くは、鬱になりやすい考え方や習慣を持っています。例えば、目の前で誰かが怪我をして亡くなったらソフィアさんはどう感じますか?」
「……どうだろうな。よくあることだからな」
「1000年も生きていたら慣れるかもですね。私ならショックで暫く心を痛めると思います」
「それが普通かもな」
「でも、エルンストンは違います。治癒力を持っていて、聖職者です。心を痛めるだけでなく助けられなかった自分を責め、罪悪感すら抱きます」
「……うむ」
確かに、治癒者は多くの死傷者と出会い、私ほどでないにしても、その多くが看取ることに慣れてゆく。しかし、聖職者エルンストンは違った。
死者を看取るごとに、祈りを捧げる時間が増え続け、誰よりも遅くまで聖堂に残った。
「そういう性格の習性をカウンセリングを通して炙り出して、意識的に変えていくんです。他人の死の責任はあなたにはない、と当然のことを認識するだけでも大きな効果があります。認知を意識的に変えて生きやすくする、これを認知行動療法と言います。これを対人関係に向けて行うのが対人行動療法で、これも同時に行っていきます」
「そんな簡単に変わるものか?」
「もちろん思考を変えるには時間を有しますし、休息も必要です。それでも、数ヶ月で一通りの工程を終えられますし、症状が重度でなければ3〜4割が寛解に至り、2〜3割が改善に向かうと言われています」
「待て待て、遠征は来月だぞ」
「はい、時間がありませんよね。それに日々死傷者を診ながら、認知を変えていくには時間がかかると思います」
それは星乃も承知しているようで、彼女は言葉を続けた。
「なので薬物療法。つまり抗うつ剤を併用して治療を行うことが私の世界では一般的です」
「うつ病への薬があるのか?」
「ありますが、ありません。医師ではない私に処方する資格もありませんし、薬剤師でもないので、この世界でそれを作る知識もないです」
「駄目ではないか」
「でも、薬はあるんです」
「なに?」
星乃はマグカップの隣に置いてある陶器の小瓶を手に取った。
「これです」
「……砂糖?」
「はい、これは砂糖ですが、塩でも小麦粉でも構いません」
「どういうことだ?」
「偽薬です。これを鬱を改善する薬だと説明して、エルンストンに処方し毎日飲んで貰います」
「……お前、見損なったぞ」
「違う違う! れっきとした治療法の一つなの!」
私の軽蔑の眼差しに、星乃は慌てて声を上げる。
「ブラシーボ効果、つまり思い込みの力を使います。軽度鬱病に対しての偽薬の効果は、抗うつ剤の効果と同等だというデータがあります。それに未成年に抗うつ剤を処方すると、自殺に至るリスクが高まると言われてるんです。仮にここが私の世界でも薬物療法には慎重になるべきです。ということで、認知療法と行動療法、偽薬によるブラシーボ効果。これが現状での最善の治療だと思います」
思い当たる節があることにはあった。
こと武闘や剣技においては、相手より自分が勝るという思い込みが格上に勝る武器になるという瞬間を、私は幾度も見てきた。しかし、それが鬱病にも当てはまるというのか。
私は初め懐疑的であったが、彼女の治療方針は確かに効果的だった。
遠征前から、聖職者エルンストンの倦怠感をはじめとした鬱症状に改善が見られ始めた。
そして、その半年後、彼女たちは四冥将シリウスの討伐に成功したのだった。
しかし、問題はその後にあった。
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