第5話 憂鬱と爽快
時は戻り、聖職者エルンストンは凱旋後、初めて星乃の元へ訪れたのだった。
「私ね、星乃さん。あの時ね、もう全然力が残ってなくてね、治癒できなかったの。カイルはね、私の胸の中で死んじゃったんです」
聖職者エルンストンはカイルの最期の思い出について語った。
射手カイルの死が聖職者エルンストンに与える影響を、私たちはひどく心配していた。彼女が射手カイルに好意を抱いていたことを知っていたからだ。しかし本人は思いの外、笑みを見せていた。星乃もいつものように微笑みながら頷いて話を聞いているが、目の奥が僅かにこわばっていた。
「でもね、カイルが力をくれたの。私の中でカイルが生きているの。私を強くしてくれたの」
「そうなんだね。どうして、そう感じるの?」
平静を装いながら尋ねる星乃に、聖職者エルンストンは笑顔で答えた。
「漲ってくるんです、エネルギーが! 私ね、世界を救えると思います! 魔王なんて目じゃない!」
「エルンストン、眠れてる……?」
「寝なくても平気なの! 私ね、星乃さんのおかげで強くなれたんです! 今日はカウンセリングじゃなくて、お礼が言いたくて来たんです!」
こんなにも生気に溢れた彼女は初めてだった。
先ほどここへ訪れたときはいつものように腰低く、口癖のように謝っていたが、射手カイルについて語るにつれ、人が変わったように明るくなった。
まさに情緒不安定だった。
「ねえさっきね、実は話聞こえてたんです。戦士様にもカウンセリングを受けて欲しいんですよね」
「え?」
「私が連れて来てあげます! 任せて下さい!」
「エルンストン、とても元気になったけれど、いつから?」
「え?」
「うつ病の症状はもうない?」
「全然です! カイルが亡くなって、王国までの帰路、魔族と出会う度に元気が溢れるようになったんです」
「カイルが亡くなってから……」
「はい、戦いになると鬱がなくなるんです! ほら、今も元気です!」
薬物治療と、四冥将討伐の成功体験が彼女に自信を与えたのかとも思ったが、星乃の深刻な表情を見るにやはり違うようだった。
うつ状態から転じて、過度な気分の高揚、尊大な振る舞いをするようになる。私はその症状を知っていた。以前、星乃に聞いた症状だ。
双極性障害における躁状態、躁鬱病だった。これは鬱状態と躁状態を定期的に繰り返す気分障害の一つだった。
「エルンストン、あなたが元気になったことは私も嬉しい」
「はい!」
「でもね、少し心配なことがあるの」
「心配?」
「カイルが亡くなったとき、辛かったかな?」
「……どうしてそんなこと聞くんですか?」
「苦しかった?」
「……分からないですけど、私泣きませんでした」
「そうなんだ。エルンストンは泣き虫だと思っていたけれど」
「はい、私怒ったんです。四冥将シリウスの遺体を何度も蹴りました。憎くて憎くて堪らなくて、何度も何度も何度も」
「……そうだよね、カイルの仇だもんね」
星乃はあえて理解を示していたが、違和感は感じていたはずだ。
あの聖職者エルンストンがそのような行為に至ることは想像しにくかった。
しかし、聖職者にあるまじき行為とは言え、仲間を亡くした彼女を誰が責められるだろう。
「……その時、皆の様子はどうだった?」
「勇者様はカイルを抱き抱えて泣いてました。セラフィナさんは私を遠くから見ていただけだと思います。でもリアムさんは褒めて下さいました」
「褒めてくれた?」
「強くなったなって笑ってくれました」
「……そう」
聖職者エルンストンは終始嬉しそうだった。
星乃は慎重に言葉を選んでいるようだった。
「カイルだったら、どうしたかな?」
「……」
笑顔が張り付いたまま、聖職者エルンストンの時が一瞬止まった。
「どうして、そんなこと聞くんですか?」
「……エルンストンが以前と変わった気がして、少し心配なの」
「……カイルだって喜んでくれたに決まってます。だってシリウスに殺されたんだから!」
聖職者エルンストンの言葉には怒気が孕んでいた。
「そ、それより、リアムさんですよね! 私最近、リアムさんによく褒められるんです。剣術だって教わってます。私がカウンセリングに連れてくるので期待して下さいね!」
そういうと、彼女は立ち上がった。
「待って、それは大丈夫だよ」
「遠慮しないで下さい、お茶ご馳走様です! じゃあ」
「待――」
聖職者エルンストンは私に頭を下げると、そのまま逃げるように部屋を後にした。
星乃は深くため息をついた。
「あれは躁鬱病だな。うつ病が発展したのか」
「発展したのか、躁鬱病の初期症状を私が鬱病と誤認したのか……。躁鬱は鬱と一部症状が被っているから見誤りやすいんだけど、鬱病とは異なる病気なの。治療法も異なるし、40代未満の鬱病患者は躁鬱に発展する可能性が高いから、注意していたんだけど……」
精神疾患や精神障害は、合併しやすい症状も多く、医師でも長期観測を経なければ診断が難しいものが多いという。少なくとも言えることは、これまで聖職者エルンストンに躁の症状は確認できなかったと言うことだ。
「遺伝性も多く報じられているから、本来鬱状態を疑われる方には、ご家族に似た症状の人がいたか確認して、躁鬱の可能性も考慮するんだけど……」
「エルンストンは戦争孤児だからな。しかし、もし遺伝であるならどうしようもないんじゃないのか」
「近親者に躁鬱病の方がいても、生涯発症しない人もいるし、回復は見込める症状なの。でも私は遺伝よりも、カイルの死がきっかけな気がしている。強いストレスが引き金になって、鬱が躁鬱に転じることも多いから」
不安げな星乃に私は尋ねる。
「これを言うと身も蓋もないが、躁状態のおかげで元気になったという考え方もできないか? 戦闘時に力が漲ると言っていたし、あのエルンストンが剣士リアムから剣術指導を受けていると言うのも、いい傾向に思えるが」
「ダメだよ。躁状態の強さに比例して、うつ状態が戻ってきた時の反動が酷くなるの」
「……それはまずいな」
重度の鬱病では、起き上がることも難しくなり、希死念慮を覚えることすらあると聞いていた。
「躁鬱病のこと、本人に伝えなくてよかったのか?」
「伝えたかったです。適切な治療をするためにはその方が都合いいから。でも今の彼女はあえて、自分の変化の自覚から逃げてるように感じた」
「……そうだな」
「今の彼女にリアムさんを説得させるのも不安。ねえ、ソフィアさん」
「なんでも言え。私はお前の弟子だ」
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
王立学院は王国の中央に聳え立っていた。
王国騎士軍の養成から、魔法使いや戦士、射手の養成、全てをここが担っていた。
その野外稽古場では、戦闘訓練が行われいた。いや、それは蹂躙であった。
10人を超える騎士がたった一人の男に弄ばれていたのだ。
騎士たちは男を取り囲むようにして戦ったが、男はまるで後ろに目があるかのようにその攻撃を避け、峰打ちで一人ずつ騎士たちを倒していた。
その男こそ、戦士リアムであった。
「それでも王国騎士軍か、お前ら! 俺一人になんて様だ!」
戦士リアムは騎士たちを鼓舞するというより、彼らに怒りをぶつけているようだった。
「俺たちはたった5人だぞ、その俺たちが魔王討伐を担っている! それがどういう意味かわかるか!」
久々の帰国で稽古をつけてやっているのかと思ったが、戦士リアムは倒れている騎士を蹴倒していた。
「お前らが不甲斐ないから、俺たちが、カイルが犠牲になったんだよ!」
野外稽古場の端には私の銅像があった。私はその傍らでその光景を見守った。そろそろ止めに入ったほうがいいかとも思ったが、私が用があるのは戦士リアムではなかった。
「あれ、賢者様?」
振り返ると、肩で息をする聖職者エルンストンが立っていた。星乃の家からまっすぐ走って来たらしかった。
「どうせここにくると思ってな」
「すごいです、私の方が先に出て行ったのに」
「聞いていたなら分かるだろう。本人の意思に反してカウンセリングを受けさせても意味がないのだ」
「リアムさんのことですか? 大丈夫、あくまでお願いするだけなので」
「お前は――」
「グアア!」
振り返ると、戦士リアムが一人の若い騎士の足を剣で刺していた。別の騎士が声を上げる。
「もうおやめ下さい、リアム様! 稽古だったはずです!」
「痛みがわからねえから、弱いんだよ、お前たちは!」
「戦士リアム!」
声を上げると、私の存在に気づいた騎士たちが慌てて膝をついた。
「け、賢者様!」
皆が私に跪く中、戦士リアムだけが敵を見るような目で私を見据えた。
「これはこれは、賢者ちゃん。こんなとこに何の用だ。もう教鞭は振るってないと聞いたぜ」
「ああ、今は星乃の弟子だ」
「星乃? ああ、あの詐欺師か」
「星乃さんは良い人ですよ、リアムさん!」
聖職者エルンストンは私を通り過ぎると、足を刺された騎士の元へ走った。
「聖女様」
若い騎士の傷元へ、聖職者エルンストンは掌を向けた。
「治します」
「駄目だ」
戦士リアムが聖職者エルンストンを制した。聖職者エルンストンは戦士リアムを見上げた。
彼女は誰より優しく、人の痛みに敏感だった。私は彼女が戦士リアムの言葉に逆らうと思っていた。
「愛ですか?」
しかし、彼女はそう戦士リアムに尋ねた。
「ああ、愛だよ」
聖職者エルンストンは治癒を止めると、懐から布を取り出して、若い騎士の傷にそれを撒き始めた。
「痛みを知らない戦士は強くなれない。冒険を通して、私が学んだことです。どうかリアムさんを憎まないで下さい」
「は、はい」
戸惑う若い騎士に、聖職者エルンストンは微笑みかけた。
「この痛みがあなたを強くします」
星乃と出会う前までの私なら、この光景に違和感を覚えられただろうか。
厳しくも意義のある訓練、そう捉えたかもしれない。しかし、今となっては星乃の言葉を思い出せる。
――リアムさんの精神状態は不安定だった。あのまま冒険に行かせることは心配だったの。
確かに、その通りかも知れなかった。
「これはなんだ、戦士リアム」
「何って、稽古さ」
私の問いかけに、戦士リアムはこともなげに答えた。
「本当は仲間を探しに来たんだけどな。カイルが死んじまったもんで。だが駄目だよ、どれも弱すぎる。指導者の顔が見たいね」
暗に私を揶揄する戦士リアムに、騎士たちが声を上げた。
「貴様!」
「賢者様を愚弄するか!」
私は一瞥して彼らを黙らせると、聖職者エルンストンを見た。
「聖職者エルンストンよ。これを愛だと思うのか」
「リアムさんの態度はお詫びします。リアムさんは誤解されやすいんです。自分にも他人にも厳しい人ですから」
「あんたが勇者一行に加わってくれりゃ話が早いんだけどな」
剣士リアムは私を見下すように笑っていた。
「あんた、噂されてるぜ。戦いが怖いってな。そんな腑抜けを指導者にするから戦士が育たねえのさ、この国は」
私が星乃に頼まれたのは、聖職者エルンストンが戦士リアムをカウンセリングに連れてくることを止めることだった。
このまま彼女を連れて帰れば話は終わる。しかし、私は賢者どころか愚者である。
私は若い騎士の剣に掌をかざした。剣はその場で浮き上がり、その柄は一直線に私の手の中へ飛び込んできた。
久しぶりに握る剣の感触だ。
「剣士リアムよ。よかったら、私にも指導をしてくれないか」
「あの銅像、俺にすり替えてくれりゃあな」
騎士たちがどよめく中、戦士リアムがぶっきらぼうに剣を構えた。
星乃が知れば怒るだろうか。私も私に呆れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます