第3話 テナーサックス魔法発動

<ラルゴ>


深呼吸をして、なんとか落ち着こうとする。小屋の中で肩で息をしながら、僕は目の前にあるテナーサックスに目を向けた。ランプの揺らめく光が、サックスの金属の表面をほのかに照らし、その冷たい感触が指先に伝わる。その冷たさが奇妙に僕を落ち着かせてくれる。


リードを装着し、サックスを唇に当てる。低音がしっかりと鳴り響くのを確認して、わずかに笑みが浮かんだ。「これなら……」そう思った瞬間、女の身でもこれを使えば男声魔法と同等の力を発揮できる、という自信が胸に宿る。


その瞬間、幼い頃の記憶が鮮明に蘇った。フォルテの父親、アキラさんからサックスのレッスンを受けた日のことだ。異世界日本から持ち込まれたアルトサックスに夢中になった僕は、週に一度のペースで吹き方を教わっていた。「偉いぞ、君には才能がある」と褒められたことが、今でも胸に響いている。


突然、木製のドアが激しい音を立てて蹴破られた。驚きながら目を上げると、ランプの光が乱れ、その明かりの中で巨体の魔人が僕を睨みつけていた。


「面白いものを持っているじゃないか。魔法楽器か。過去10年の間に研究が進んで普及したやつだな。でも、果たしてお前に吹けるかな?」


その嘲笑を無視し、僕は深く息を吸い込んだ。そして、唇をリードに当て、息を吹き込みながら音を鳴らした。男声魔法のアドバンスウィンドと同じ音階で、全力で吹き込む。


サックスから発せられた音が空気を切り裂き、瞬く間に竜巻が巻き起こった。魔人の巨体と小屋を吹き飛ばし、周囲の樹木がざわめく。竜巻の勢いで魔人を20メートルほど後退させることができたが、僕は次の一手を急いだ。


「ぐぐっ。こんなもの! こんなもの!」


魔人の声が聞こえるが、僕はすぐにサックスを使って次の魔法を奏でた。今度は、自分の足にかまいたちの魔法をかけて、走る速度を上げるためだ。吹奏した音が、僕の足元に風の刃を生み出し、足が一気に軽くなる。これで、少しでも時間を稼ぐことができるはずだ。


「生意気な女だ! もう容赦はしない! ひねりつぶしてやる!」


魔人の怒りが背後から聞こえてくる。地面を蹴飛ばし、全速力で追ってくるのがわかる。まずい。息が途切れ途切れになるが、僕は無我夢中で走り続けた。小屋を出た途端、月明かりが周囲を淡く照らし出し、僕はその光を頼りに森の中を進んだ。今は距離を離せているが、追いつかれるのは時間の問題だ。


森の中を必死で駆け抜け、道なき道を進んでいくと、突然、目の前に豪華な建物が現れた。月明かりと建物から漏れる光が、足元をかすかに照らしている。金持ちの別荘だ。バカンスの季節で、誰かがいるかもしれない。僕は必死で建物の周りをうろついた。


そして、建物の前に立つ背の高い男の子に気づいた。七三分けで、歯並びがきれいで、どこか気障っぽい。いや、人物評をしている場合ではない。助けを求めたいけど、この状況に巻き込むのは申し訳ないという思いが頭をよぎる。


迷っていると、彼の方から声をかけてきた。


「僕はテヌート。君の名前は? 僕と遊ばないかい? この別荘にはダンスホールがあるんだ」


返事をしたくても、声が出ない。悔しさがこみ上げて、涙があふれた。僕、こんなに涙もろかったかな。


「レディーを泣かせるつもりはなかった。何か嫌なことでもしたかな?」


ジェスチャーで大男の存在を伝えようとするけど、どうにも伝わらない。その瞬間、魔人が追いつき、大声で叫んだ。


「おい! 痛い目を見たくなかったらその女をこちらに渡せ!」


テヌートは状況を理解し、冷静に何かを呟いた。すると、彼の手元にピアノのホログラムが現れた。


「断ると言ったらどうする?僕はレディーの味方だ」

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