第19話 低音のセッション! ローズ&リリー

<ラルゴ>


午後の薄曇りの空の下、路地に入り込む太陽の光はやや柔らかく、街灯の灯りはまだ必要ない時間帯だ。アスファルトの地面がかすかに熱を持ち、乾いた風が通り抜ける。


「けっ! 女が一人増えたところで、どうにもなんねぇぜ!」


少年たちの声が、周囲の静けさを打ち破るように響く。メリケンサックを装着した手が午後の光を受けてかすかに反射し、もう一人は鎖付きの財布を振り回しながら、彼らなりのリズムを刻んでいる。チェーンの金属音が空気を切り裂き、まるで自分たちの存在を誇示するかのようだ。


「楽器魔法の使い手だと助けを呼ぼうかと思ったけど、この感じだと、自分一人でいけそうだね。LALA♪」


シャープが小さく歌い出すと、その声は透明な波紋となって午後の静寂に溶け込んだ。彼女が構えるのは、形のないエアベース。まるで手に触れる空気さえも音に変えてしまうような、淡い光の残像が指先にまとわりつく。


「ぬかせ!」


一人の少年が怒声とともにシャープに向かって拳を振り上げる。その瞬間、シャープは親指を使って力強く弦を弾く。ベースについて僕は詳しくはないが、おそらくスラップ奏法ってやつだ。乾いた音が、まるで午後の陽光がアスファルトを照らすように明瞭に響く。低く響く音波が空間を切り裂き、少年の体が一瞬で宙に浮いた。まるで見えない力に押し戻されるように、彼の巨体は地面からふわりと浮き上がり、次の瞬間、激しくアスファルトに叩きつけられた。


「控えめに言ってかっこいい」


僕はその瞬間、思わず口を開いた。シャープは笑顔で軽く頭を下げ、その表情には余裕すら漂っている。通りの向こう側で集まる人々が、何が起きたのか理解できないままにざわめき始める。午後の柔らかい光が、興奮した人々の顔を照らし出している。街角の一角が、まるで即席の舞台のような雰囲気を醸し出していた。


僕は勇気を出して、「LALA♪」と小さな声で呪文を唱えた。軽く目を閉じると、手元に現れたのは亜空間から取り出したサックスだ。楽器の冷たい感触が手に伝わり、僕の心を落ち着かせる。


「なんだ。あんたも楽器魔法の使い手なんだ? セッション魔法しない? ここで派手な魔法は危ないから、重力波くらいの軽めのやつ」


「うん」


シャープの提案に、僕は小さくうなずいた。彼女のベースと僕のサックスが音を合わせると、まるで見えない力が僕たちの周囲に渦を巻く。重い空気が地面を押し付け、少年たちは足元に力が入らなくなり、ゆっくりと膝をつく。


「な、何者なんだ! 貴様ら!」


少年たちの驚愕した声が、午後の空気に虚しく響く。僕たちのリズムが重なるたびに、彼らの体はさらに地面に沈み込み、まるで地球自体が彼らを拘束するかのようだった。


「無敵のガールズバンド、ローズアンドリリー!」


シャープが胸を張って宣言する。その言葉に僕は驚きつつも、なんだか自然に納得してしまう。確かに、彼女が薔薇で、僕が百合ということなのかもしれない。アドリブでそんな名前を決めてしまうなんて、彼女はどこまでも自信に満ち溢れている。


「ちくしょう! 魔法警察がやってくるまでにずらかるぞ!」


少年たちはお互いの顔を見合わせ、次の瞬間には四方八方に散っていった。午後の光が彼らの影を伸ばし、遠くへと消えていく様子を、僕は無言で見つめる。彼らの去り際にチャリンと金属音が響き、僕は速足でその方向に向かった。


地面には、銀色に光るバッジが落ちていた。僕はそれを拾い上げ、慎重に観察する。バッジには「エッジガード社」の文字が刻まれている。これが彼らの仕業であれば、狙いはララではなく僕ということになる。


「ごめん。変なことに巻き込んじゃって」


僕がララに向かって頭を下げると、彼女は首を振り、「巻き込んじゃったのは私じゃない!」と、申し訳なさそうに笑った。その無邪気な笑顔が、少しだけ心を軽くしてくれる。


「君たち、何者なの? エッジガード社に狙われてるなんて、ただ者じゃないね」


僕は何と説明すればいいのか迷い、言葉に詰まる。エッジガード社に関わることは何一つ明かしたくない。けれど、彼女の好奇心に満ちた目を見ていると、何も言わないわけにはいかない気もする。


「言いたくないなら別にいいよ」


彼女の軽い言葉に少しだけ安心し、僕は改めて深呼吸した。


「改めて自己紹介する。私はシャープ。こう見えて男なんだ」


「ええっ! どう見ても女の子じゃない!」


ララが驚いたふりをして、目を大きく見開く。そのリアクションに、僕はつい苦笑いを浮かべた。


「エッジホープ社ってとこが、女体化薬を発明してね。それをちょっと拝借して女の子になってみたわけ。かわいいでしょ」


「女の子になれるなんてすごーい! すごーい!」


僕は自分のことを棚に上げて、棒読みで相槌を打つと、視線を逸らす。シャープはもみあげのあたりを掻きながら、照れ隠しに笑った。


「まあ、女の体になったと言っても仕草とか男丸出しだろ? あんたたちみたいに清楚な乙女やりてぇぜ。やっぱ、生まれ持っての女の子にはかなわないよな」


僕はその言葉に胸が詰まる。僕も男なのに、まるで本物の女の子のように見えてしまうなんて、なんだか妙に居心地が悪い。


「ん? なにもじもじしてるの?」


「いえ、なんでもないです」


僕は何とか言い訳をしようとしたところで、遠くから魔法警察のサイレンが聞こえてきた。音が近づくにつれて、空気が緊迫感を帯びてくる。


「何事だ! 何事だ!」


魔法警察がこちらに向かってくるのを見て、シャープが舌打ちをする。


「ちっ。面倒くせえから、テレポーテーション呪文で逃げるぞ!」


彼女がベースを鳴らし、低く響く音が僕たちを包む。視界がホワイトアウトし、まばたきを三回すると、次の瞬間にはハイスクールの入り口に立っていた。


「悪い。ここ、俺が新しく通う学校なんだ。ん? もしかしてあんたたちもこの学校?」


僕たちはお互いの顔を見合わせ、新学期、同じクラスで過ごすことになる運命を知った。

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